センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。https://twilog.org/Barako_Fu

ふつうの日記と備忘録としての5月上旬映画雑感

 

ふつうの日記

 

平成最後の1年が始まったらしい。

 

25歳にもなってまだ中2病から抜け切れていないから、「平成最後の1年」という言葉、すごくいいなあと思う。

通常はそれが最後の1年かどうかなんて始まる前には分かり得なかったわけだが、平成に限ってはもう先に分かっている。この、未来から“それが最後の1年だった”と振り返る感じを、今この地点で体感できるような。

実際に、平成を駆け抜けた2つのアイドルグループが今までのような形ではいられなくなり、野球や将棋やフィギュアスケートで、これまでの記録を塗り替える規格外の人間が人々に熱狂を以て持て囃される。終末と狂騒。時代と時代の狭間、感。

2年後には東京オリンピックが控えている。

 

日記でもつけておくべきなのかもしれない。

何しろ、私は去年のGW何をしていたかすらほぼ覚えていない程度に記憶力がザルなのだ。たぶん何もしていなかったんだろう。

一昨年のGWは、自分の退職騒ぎの顛末をノンフィクション小説調に書いて、「今年一番のエンターテイメント」と同僚にクソのような褒め言葉を頂いたりしていた。

それを思い返せば、自身の今の生活には随分エンターテイメント性が薄れてしまった。

 

先日、「○○さんはGWどっか行くの?」とカイシャの人に訊かれた際、

「いやーどこも行かないっすね、溜まってるもんが沢山あるので…掃除とか」と答えて、ほんとうにそのつもりだった。スパコミとかGWのイベントとか電車欲とかも絶って。

「1人暮らしの女の部屋の掃除なんて、1年に1回とかで十分じゃん」と言われたから「今がその1回なんですよ」と返した。

 

1年に1回どころではない。現状、2015年4月に上京してきた際の段ボールが未だ部屋の中に何個も積まれている状態のままである。

 

“ほんとうにそのつもり”だったのに、実際はGWに入って6本映画を観た。連日新宿に出ていた。まあ、4月の怒涛の羽生祭りの為に他のエンタメを一切絶っていたから、映画も「溜まっているもの」ではあるのかもしれないが。

 

 

GW映画備忘録

 

 

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2018.5.2 21:10~ アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー@TOHOシネマズ新宿

 

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ピタトニ大勝利。

 

 

「いや、どうすりゃいいねんこんなん…」

と、エンドロールの間中呆然とするくらい本編がマジで超絶鬱展開なので、くだらない中の人ネタと腐ネタくらいしか喋れないため、とりあえず今言いたいのはそれだけである。ピタトニ民、息してる?(萌えと絶望両方の意味で)

 

 

ところでやや話は逸れるようだが、何かこういう言い方をすると洋画ファンにかなり怒られそうなんだが、IWを観て改めて、やっぱハイローってアベンジャーズだったんだなって思った。

所謂クロスオーバーっていうんでしょうか。てんでバラバラな世界観の、それぞれの世界観で主役を張るような登場人物同士が、同じ画面に収まってしまった時の組み合わせと相互関係が生み出す面白さ。

IWに至ってはほぼ、「ピンチ! どうする!?」⇒おっとそこに現れたのは?⇒○○だったー! (ハイローも結構この構図だよねえ…)

の繰り返しと、そこで現れた○○と××が組み合わさるとこうなりまっせという応酬ギャグと化学反応とアクションと、あとは強敵サノスによる、

「おまえは大義のために愛する一人を犠牲にできるか」テスト

で持ってるみたいな映画じゃないですか。

まあ、この「大義のために少数を犠牲にできるか」 問題は、今回、これまで単に「残忍で強大な敵」というだけだったサノスのバックボーンや義娘ガモーラとの関係が描かれることを含め、IWの軸となっているのであろうテーマではあるのだが。

 

 

それはさておき、前回のアベンジャーズ以降、また色々増えたおかげで、そんなヒーロー同士の組み合わせの数も増え、

 遂に対面を果たした(そして案の定相性の悪い)シャーロック×ホームズという図の面白さとか、

アベンジャーズでも「ナチュラル男前枠」であるらしいソーに、対抗心をメラメラ燃やしまくるスター・ロード、の面白さやキュートさとか。(デブネタを映画の中でまでいじられるクリプラ面白可愛いすぎる)

ああ、ここを組み合わせるとこうなるんだな!

って楽しみは今回新たに諸々生まれたのだけれど、しかしやはり私が何より滾ったのは、「シビル・ウォー」や「スパイダーマン:ホームカミング」に引き続いての、アイアンマン(トニー・スターク)とスパイダーマン(ピーター・パーカー)という萌えである。

 

もうまずキャスティングがいいよね。今更だけど。

どこか人が自分に踏み込みすぎることを拒絶している感じの、若干のやさぐれ感というか厭世感のあるロバート・ダウニーJrと、一応成人はしているはずなのに少年らしい無邪気な愛嬌溢れるトム・ホランドくんの相性、めちゃくちゃ良すぎる。

スタークさんに早く認められたくてはしゃぐピーターと、割とぐいぐい来るピーターを、「坊や」呼ばわりでステイステイステイって感じに留めようとするスターク。最高か。

 

で、スタークとピーターの再会シーンからもうやばい。

アイアンマンのピンチに颯爽と現れ敵から守ったのはスパイダーマン…って何それもう最&高。 

年下(新人)の方が、年上ベテランを助けるという萌え、タイバニ民なら必修科目だろ?

 

 

そして、私がうっかり劇場で、「マジで!?」と叫びそうになったのは、ストレンジ先生のマントを見て、スタークが、

「ご主人様思いのマントだな」と言ったあと。

 

ピーターが、その言葉を受けて、

「ご主人様思いと言えばここにも…」

と出てくるのである…!

 

 

ひええええええええ、ピーターにとってのスタークは…ご主人様って位置づけなんだ…!!!! しかも、自分はご主人様思いって自負があるんだ…ひえええええええ…

しかも、僕だってあなたが心配で来るくらい主人思いなんですよ的にマントに張り合ってアピールしてるとか可愛すぎだし、そのあと、何でお前ここにいんだよ!的にスタークさんに咎められたら、「あなたが心配で…」って言ってるのも、おいおいおい年下わんこ攻め来ちゃったわって感じだけど、

とどめに、スーツが引っかかって云々みたいな言い訳をつらつら述べたあと、「つまりあなたのせいでもある」とか言い出す…こんなん、「お前が悪いんだ」って受けを押し倒す攻めが言う台詞のあれじゃん…!(違う)

 

 

更に、ピタトニ民としては大勝利なのか大敗北なのか、こんな時どういう顔をすればいいのかマジでわからなくなるラスト。

ストレンジ先生の言っていた「勝ちパターン」としてのどんでん返しがあるかと思いきや、まさかのそのまま敵倒せず展開で、6つのインフィニティーストーンを手にしたサノスによって宇宙の人口の半分が消され、ヒーローたちも次々と消えていってしまう場面。

 

自分が消えゆくことを察したピーターが、ぎゅっとスタークさんに抱きつきそこから押し倒すように倒れこみ(そんな感じだったよね? 記憶改竄してる可能性はかなりある)

ピーターは、ごめんなさいと謝るのだ。

自分が死んだことの責任にスタークが苛まれ続けるだろうことを知っているから。

 

…なんて、なんて素晴らしいシークエンス…

 

ピタトニ民として、こんなん公式が今後はピタトニを推していくという方向性が定まった以外の何でもないですやんという萌えに咽び泣けばいいのか、消えゆくピーターの悲痛な表情とひとり遺されたスタークの静かな哀しみに涙すればいいのか、感情が迷子のIW屈指のシーンである。

 

 ってか、ここトムホくんの即興演技らしいじゃないですか。いや、スパイダーマンを彼にした人マジで天才じゃないすか?

 

 

トムホーーーーー泣

 

 

ところでこれは蛇足だが、前に「ワンダーウーマン」を観た際にも同じことを思ったのだが、こういう大作洋画系の字幕、新宿の映画館だと結構な割合で外国人の客がいる。

彼らが、ところどころで挟まれる会話の応酬ギャグに声をあげて大爆笑しているのを聞くと、私は結構不安になるのだった。

 

え、私はこの映画ほんとに分かってるのかな…? って。

 

たぶんというか絶対ぜんぶはわかっていないのだ。

字幕と吹替両方見ると、結構訳のニュアンスが違うことってよくあるじゃないですか。

で、○○(字幕or吹替)のが面白い、ってことも結構あるじゃないですか。

会話の応酬以外でも、原語ではただ名前を呼んでいるだけなのに、「大丈夫?」って字幕がついてるみたいなこともあるじゃないですか。

 

原語自体が持つニュアンスって、やっぱりどうしても、字数や時間の制限がある字幕や吹替では全部は伝わりきらないんだろうなあと思う。

 

英語わかるようになりたいなあ(言うだけ言うだけ)

 

 

2018.5.3 12:50~ 君の名前で僕を呼んで@新宿シネマカリテ

 

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観終わったあとの雑すぎる感想。

「思いのほか鬱屈も殺伐もしていない、爽やかな普通のラブストーリーだ…」

 

とはいえ、私はユーリ!!! on ICEを見て以来、男同士であることの葛藤や不幸、あるいは男同士“なのに”を描くこと=深いラブストーリー みたいな考え方だけじゃなくてもよくない?と思うようになっているのである(という話はこちらに書いた⇒正月はとっくに終わったが2016年にハマったものでも振り返る。(※ようやく「ユーリ!!! on ICE」の話) - センチメンタルの涅槃)

 “普通の”というのはつまらないってことじゃあない。

同性同士であることの意味や理由よりも、カッコ付きで言うならば“単に”、人物と人物同士の出会いと愛情の物語である側面が強いということだ。

いいじゃん。同性同士の普通のラブストーリーどんどん増えようよ。とこういう作品が増えていくのは喜ばしく思っている。

 

というラブストーリーとしてのプロットと魅力の話をするならば、少なくとも個人的には、「ムーンライト」とかよりも全然ラブストーリーとしての面白さがあると思ったし、2人のキャラクター、というか出で立ち・空気・立ち振る舞いすべてに、互いが惹かれあう肉体の説得力があっていい。

 

 思春期のモヤつきと何かに拗ねた感じを体現するような17歳の少年エリオと、「まあそりゃ少年は惚れちまうわな」って誰もが納得するような、明朗な知性と魅力溢れた、けれども「いつも俺を置いていく男」としてのオリヴァー。

 

オリヴァーについては、いったい何の意味があるのか伏線なんだかもよく分からない些細な動作についてのカットが幾度か挟まれている。気がする。

つまり恋なんていうのは、何か大きなターニングポイントみたいなひとつの出来事なんかじゃなくて、どうしてだか記憶に焼きついてしまったあの断片とこの断片との積み重なりなのかもしれないなとも思う。そういう恋の話を表現するのって、たぶん凄く難しいのだけれど、この映画はちゃんとそのあたりの説得力がある。

エリオの視線を通して知るオリヴァーについて。卵をうまく割れない男。もらったジュースを一気に飲み干してしまう男。でも、大学教授の父の説に言い返せる知性のある男。「後で」が口癖の男。町を案内したのに、“じゃあ”と自分を置いていってしまう男。

この視線による語りと、積み重なる、“について”の獲得こそが、彼が彼に恋に落ちていく物語であり、そしてこの、「魅力的な、でもいつも自分を置いていく男」感が、どこか始終不安な恋の切なさという焦燥と感傷を我々に思い起こさせる。

 

そして、タイトルにも現れている、2人の恋についてのテーマもいい。

「君の名で僕を呼んで」

むろん、同性だからこそその思いはより強く、という面はあるんだろうけども、たとえ同性同士じゃなくとも、

同じネックレスをつけたり彼のシャツを欲しいとねだったり、好きすぎるあまり自分があなたになりたいと思うような、或いはあなたのようにというよりもはやあなたになりたいって憧れこそを恋だと思ってしまうのか、どちらが先なのかは分からないけど。そういう半ば倒錯めいた気持ちは分かってしまう人って結構いるのではないか。少なくとも私は分かる気がする。

自分の切れ端を相手に見出そうとし、相手の切れ端を自分に取り込もうとするような。あの感覚。

だからこそ、最後、母親に自分の名を呼ばれ振り向くシーンが、なんというか"クる"のだ…。

 

ああ、なりたかったあなたはもういなくて、俺は俺だったんだなって。

 

 

 

2018.5.4 16:40~ アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル@TOHOシネマズ新宿

 

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 自分は92年生まれなので、実際のトーニャもナンシー襲撃事件のことも実を言うとろくに知らない。なので、スケオタ的にはこの映画って、どういう立ち位置なのか全く把握していないが、とりあえず映画として普通に面白そうなので観ることにした。

 

で、とても面白かった。

 

「バカがバカなりの浅知恵と妙な思い切りで何かをやらかしてしまった結果、マジで深刻な取り返しのつかない泥沼と化していく感じ、『ファーゴ』」みたいなことをTwitterで誰かが言っていてなるほどなあと思う。クズしかいない家族を切り捨てられきれなくて、振り回され人生がハチャメチャになっていく(ただし本人も本人で割とクズ)、という意味では「全員死刑」みもある。

「アイ,トーニャ」は、「付き合う人間は選ぼうね」ほんとにほんとに、って強く思う映画なんだけど、生まれてくる家族は選べないというところに不幸の根がある。

「アイ,トーニャ」では最後に実際のインタビュー映像も流れるのだが、観客が、「そこはさすがに脚色だろ」と思っていた部分が割と実際にかなり忠実でそのまま再現してるだけ、っていう点にビビる、という面でも「全員死刑」感。「全員死刑」は2017年個人的ベスト映画だった。私はそういうブラックコメディが大好きだ。ちょっと期待していたこの前の「素敵なダイナマイトスキャンダル」がかなり肩透かしだったので、「アイ,トーニャ」が実際の話に基づく半ドキュメント的映画として面白いものだったというのが嬉しい。

 

毒親にDV夫に妄想狂の友人に、クズとバカしか出てこない映画の中で、もちろんトーニャ自身も全く以て品性や理性や知性のある人間とは言えないのだが、私はこの映画の中に出てくるトーニャを全然嫌いになれなかった。むしろかなり思い入れてしまった。

DV夫をバリバリに殴り返したり、自分をバカにする奴らに中指を突きつけ、クソ食らえが口癖で、演技後はガニ股でキスクラに座り、得点に納得いかなければジャッジに食ってかかる。

こういう、悔しさと怒りこそを闘志にして、くそったれがという中指を飼って、「オリンピックでこてんぱてんにしてやる」と言うような有りざまってのは、やっぱりこう、めちゃくちゃグッときてしまう部分がある。

芸術点が低いため得点に伸び悩むトーニャが、「トリプルアクセルを跳ぶ。それしかない」と言い捨ててリンクを去っていくシーンなんか、凄くいい。

 

のだが、結局フィギュアスケートなんてさあ、元々金持ちのスポーツの上に、「ふさわしい」人格なんてものは、周りに然るべきご立派な人達に恵まれてこそ形成されるもんなんだよな

 

なんて、

いつ殴る蹴る地雷があるのか分からない父と、ヒステリー母とに大いに恵まれた私は若干のやさぐれた気分にもなる。私も、テストで100点でも学年で2位でもピアノのコンクールで賞を獲っても今まで親に褒められた記憶というの、マジで一度もない。

 

で、そもそも「ふさわしい」人格って、何なのよ? という問いが生まれてくるのだ。

 

実際がどうなのかはともかく、この映画でのトーニャは、「労働者オンアイスか?」と観客にヤジられる(まあ厳密にはこのヤジについてはもう一つ捻った裏があるのだが)感じの人間で、品性と「美しきアメリカの家族の理想」をフィギュアに体現して欲しいジャッジ達に嫌われ芸術点を低くつけられる。まあそんなことが本当にあるのかはさておき、トーニャはそう思い込んでいる。

そして、「スケートができるだけじゃ駄目なわけ?」と嘆く。

 

確かに私たちは、技術と超人的強さを持ち、かつ聖人のような人格を持つトップアスリートが大好きである。羽生くんとか。私も大好きである。

しかし、聖人のような人格は、アスリートにとって、あくまで「オプション」であるべきといいますか。

俺達がそういう人間が大好きなことと、この世すべからくのトップアスリートに、「ふさわしい」素晴らしき人格までをも求めようとすることは、違うんじゃないかとも思うのだ。

 

という具合に、「スポーツ選手と人格問題」「フィギュアスケートのジャッジに於ける“芸術面”とは問題」 とか、バカとクズしか出てこない映画のようでいて、フィギュア好きにとっては色々示唆に富む作品だとも思うのだが、一番ハッと鳥肌が立ったのが、

現在の地点から過去を振り返るという体の「インタビューパート」でのトーニャが、

 

「有名になれば楽しいと思ってた」と吐露するくだりからの表情と展開だ。

 

「私は愛された、一瞬だけ。そして嫌われた。メディアに敵にされた、あんたに」というような台詞。

 

この、“あんたに”っていうのは、 映画の物語的にはもちろん、今トーニャをインタビューしている“あんた”(メディア)に向けた台詞なのだろうけど、効果的には、我々一人ひとりに向けられた言葉のようで、女優の演技の凄みも相まって、めちゃくちゃゾクッとする。

 

これはもちろん、「スター」や「敵」を求めているのは、ほんとうは、私達ひとりひとりなのだ、というメッセージに対してハッとしたということでもあるのだけれど、それ以上に、マスコミやメディア云々、それ以前に、私たちにどうしたって内在しているらしい、<見たいようにしか見えない>認知の歪みについて考えてしまったのである。

 

この映画は、おそらくかなり意図的に、トーニャ側の「言い分」をそのまま取り入れて描いている。

そしてラスト、トーニャは、「これが真実よ」と言う。

こうした作りになっていることそれ自体が、「事実」と「真実」と「(我々)世間」とそれから「世界」にまつわる関係についての皮肉になっているようで、凄く良い。

私たちが見たいようにしか誰かを見ないのと同様に、トーニャにとっては「これが真実」として存在しているのだ。

 

というのは、結局のところ“真実”なんていうものは、ひとつひとつの事実の取捨選択と解釈の積み重ねでしかないのである。

たとえば私も大学生のとき、バイトからの帰り道に偶然、道の向こうからゼミの先生が歩いてくるのが見えた。先生は、当時付き合っていた恋人(現・奥さん)を隣に連れていて歩いていた。学生にプライベートを見られてやばい、と思ったのか、先生は彼女さんに何かを告げるとさっと路地を横に曲がってしまった。

 

…というのが、私の中の「真実」としてずっと頭の中にあったのだが、一年ほど経って実は先生の中ではそうではなかったらしいことが判明するのである。

 

先生は、一応挨拶をしようと思って、手をあげかけたのだけれど、私にさっと顔を逸らされたので、手をおろしそのあと道を曲がった。のだという。

だから、先生にとっては、「私に顔を逸らされた」というのが「真実」としてあったのだ。

顔を逸らしたのかもしれない、でもそれは、あんまりじろじろ見たら失礼かなと思ったからだと思うし、私は自分がそうしたとは覚えていなかった。

 

先生は恋人と歩いているときに教え子である私に遭遇し、道を曲がった。

これは事実である。しかし、その事実に対する取捨選択と解釈は、一つではない。両方、嘘をついているわけでもないし「事実」を歪めようとしたわけでもないのに、私にとっての、先生にとっての、「あの時の話」が存在するのである。

 

世の中なんて得てしてそういうものなのかもしれないなあと思う。

たとえメディアが歪めなくたって、私達はこの世界について、見たい物語しか見ることができなくて、「私が思うから私の中ではそうなっている」ことが山ほどあるのかもしれない。世界中の人口のぶんだけ。

そのことになんとなくゾッとする。

 

 

2018.5.4 19:30~ タクシー運転手@シネマート新宿

 

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もちろん社会派ドラマとしての大傑作ではあるし、ゾンビと一緒にすんなと怒られそうだけど、映画としての作りと面白さではかなり「釜山行き」に近いもんがあった。「追ってくる恐怖」についての静動・緩急あらゆるバリエーション、見せ方の巧さ。

“何か尋常ではないことが起こっているらしい”

という恐怖の断片断片を徐々に提示し登場人物と観客の緊張感が高まったところで、ドーーーン!!! と惨状を見せる画の巧さも同様。

 

あと、自分たちの身の回りのことが一番大事で、もっと大きな脅威やそれに犠牲になる人々は、俺たちには何もできないんだからほっとくしかないじゃんさあ、みたいな主人公が決意し立ち上がる感動とかも。

(ついでに、おじさんと学生さん、という組み合わせにおける「学生さん」の使われ方も…ああいう使われ方って韓国映画のトレンドだったりするのかな…)

という意味で、社会問題提起映画でありながら、ゾンビ映画的?ホラー・サスペンスとしても、通常混じりえなかった人間同士が共に何かに立ち向かうバディ物としても、 完成度が高いというおそろしい代物である。最後には派手なカーアクションまであるし。

 

なので、色々な楽しみ方や受け取り方がきっとあって、この映画は、観る人によっては、

「大抵のマスコミなんか、権力からの圧力や虚偽隠蔽にまみれたクソみたいなもんだ! この映画の主人公たちみたいに、俺達が“真実”を発信するために立ち上がらねば」みたいな感想を持つのかもしれない。確かに、そうやって、真実を世に伝えるために奔走する作品なのだけれど、私はむしろ、こうした、「ジャーナリズムの持つ力」とは逆のことをこの映画に読み取ったのだった。

そしてその点こそが私が一番グッときたところであった。

 

「タクシー運転手」は、マスメディアの持つ力の大きさと同時に、メディアやジャーナリズムの「無力」についても描いているのではないかと思う。

 

タクシー運転手は客を目的地に送り届ける。

記者は今ここで起こってしまったことを世の中に届ける。

 

“記者は今ここで起こってしまったことを世の中に届ける”ことが仕事でつまり、“記者は今ここで起こってしまったことを世の中に届ける”以上のことは、できない。

 

というのは、記者は、報道することは出来ても、目の前の問題自体を今ここで解決する力は持たないのだし、今ここでカメラを向けて真実を世の中に発信しようとすることと、今ここで死んでいこうとする人々を救うことって、時にはどうしても矛盾するのである。

黙ってこの惨状にカメラを向けてる場合じゃあないんじゃないか。カメラを投げ出してでも、あの、怪我をしている人を救いに行くべきなんじゃないのか。目の前のこの人を犠牲にしてまでも、この映像を世の中に出さんとする行為は、果たして倫理的に正しいことと言い切れるのか。

 

こういうような矛盾は、震災の際の報道についてもたまに言及されるのを見かける。撮ってる場合じゃねえだろ、とか。

映画の中のドイツ人記者も、この矛盾に絶望し、葛藤する場面が2度ある。これこそが自分の使命なのだと信じられなくなりそうになる瞬間が。

 

それは、自分たちを逃がすために犠牲になってしまった学生の遺体の近くで。

それは、軍の銃弾で目の前で人々が次々に倒れているのに、仲間たちが軍に立ち向かおうとしているのに、そんな倒れた人達を必死で救出しようとしているのに、自分は一刻も早くここから立ち去って映像を届けねばならないとき。

 

しかし、周りの人々はそんな記者に、「撮れよ」と言う。

 

お前は記者だろ、記者はこれを世の中に伝えるのが仕事なんだろ。この惨状を、この死体を、全部、全部撮れよ。

 

お前たちは早くソウルに戻って、この真実を世の中に届けてくれよ。

 

そうして記者は、ああでもこれが、自分の使命なのだという決意を取り戻す。

それがめちゃくちゃグッと来る。 

 

私達が出来ることは本当に一部分で、ひとりひとりではほんの一部分のことしかできないのだ。そう割り切ったり諦めたりしてしまうのは、この世界に疲弊しないためのある種の防衛機制の面があるのかもしれないけれど。だからって、そんな無力感に負けてはいけない。

どうせ自分が何かしたところでというひとりひとりの無力感が積み重なることで、もしかしたら取り返しのつかない大きな惨状を生み、私は自分の仕事を遂行するのだという誇りたちの相互作用が、時として偉大なことを成し遂げるのだ。

 

 

2018.5.6 15:40~ 名探偵コナン ゼロの執行人@TOHOシネマズ新宿

 

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この10年来、いくら友達が好きとか言ってても、正直、コナンなんて子どもの映画っしょ?

って思ってたのでスルーしていたのだが、周りやTLの腐女子コナンの話しかしてないし、ハイローで先入観はよくないことを学んだし、ズートピアは2016年ベスト映画だったし、腐女子業に携わる者としてこれ以上存在を無視しつづけるのも正しくない姿勢のような気がして思い切って、えい、と観に行った。

 

 

……うん。

 

 

いや、確かに安室さんはかっこよかったのはわかる。

そんなバカな!?って凄まじいドライビングテクニックとか、コナンくん抱えて銃撃つとことか、「安室夢女子にとってのライバルは国」であることを理解する例の名シーンとか。 

分かるけど、ごめん。

「不汗党」でぜんぶ忘れた。ごめん。事前に過去作を履修して安室さんの思い入れを強めていかなかったのと、「不汗党」(日本公開タイトル「名もなき野良犬の輪舞」)を同日に観たのがよくなかった。

とりあえず、赤井という男のことも知りたいので、純黒を宅配TSUTAYAのリストに入れました。

 

 

2018.5.6 18:10~ 名もなき野良犬の輪舞新宿武蔵野館

 

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は!?!?!?!?!?!?

こんなん、少なくとも今後10年は「男2人映画の金字塔」として君臨する大傑作じゃん!!!!!!

 

 

 

 

何で武蔵野館ガラガラだったの!?!?!?!?

腐女子、マジで「君の名で僕を呼んで」ばかりに着目してる場合じゃないよ!!!!!!

こんな…こんなに凄まじいラブストーリーがここに……

御託はいい。今すぐに観ろ。こんな大傑作が腐女子にスルーされていいはずがない。 

…と「不汗党」については単体ですばらしポイント書きまくりたいのでつづく(たぶん。…たぶん…。)

 

 

現実に立ち戻るためであろうあらゆる羽生結弦との恋のためのプロレゴメナ(@週末仙台)

 

――――食べログで一人称が“小生”のおっさん並に、本題に入るまでのどうでもいい前置きと自分語りがクソ長いどころかもはや前置きと自分語りしかない代物である事をご留意下さい――――

 

4月がこんなに待ち遠しいなんて、人生で初めての感情だった。

 

4月。出会いの時。何かが始まる季節。

などといえば聞こえだけはいいが、要は環境が変わる年度始まりの月である。べつに気なんて合っちゃいないがハブにだけはならないよう何とか寄せ集まって形成したグループは無慈悲に解体され、また新たにクラス替えなんてものが行われる学生時代は、新学期の前日は毎年「友達ができなくていじめられる」悪夢を見たし、何ならそのままマジで一年間クラスに友達が出来ない年もあった。大人になったらなったで、駅前にたむろする、研修帰りとおぼしきリクスー新卒集団にコンプレックスを刺激しまくられ吐きそうになったり(同期が沢山いるようなカイシャに勤めた事が一度もなく、ユニクロTでカイシャに行くような私はこういう“まとも”なリクルートスーツ軍団にめちゃくちゃ引け目があるのだ)、同じく駅前で群れをなす、案内用にサークルの名が書かれた札を掲げた奴なんかがいる飲み会前後の大学生集団(大学にろくに友達がいなかった私は以下略)に胃をキリキリさせたりなんかする羽目になる。

一年で一番嫌いな月といってもよい。

 

しかし。そんな、リクスー軍団と大学生軍団にファックファックファックファックと呟き(心の中で)続けるクソ根暗な大の4月嫌いの私も、この……2018年の……2018年の4月だけはもうめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃほんとうに楽しみ以外の感情がなかった。

 

 

日本橋高島屋での羽生結弦展、そして五輪連覇の凱旋公演ショーの開催(これは既に記事にしたので読んでくれ⇒「アイは無視してくださいね、春」 - センチメンタルの涅槃)

更に、

来たる2018年4月22日、惑星羽生の第一王子がSENDAIにご光臨されると聞いて。

 

 

 ネットニュースで、「羽生のパレード、4月22日で調整か」という記事を読んだ瞬間、光の速さで仙台行きの高速バスのチケットを確保した俺は、いやもちろん、その記事が出てからなんて光の速さでも何でもねーだろ、プロなら日程をとっくに推測してたはずおせえよというのはもっともなのだが、とにかく仙台行きを決めた私が次にやった事は、否、夢女子ガチ恋勢としてやるべき使命は、

羽生結弦と行く週末仙台(妄想)デートプラン」

のシミュレーションだった。

言うまでもないが、実際はぜんぶ1人でゆく。

 

何で羽生くんは仙台でパレードして、そのあと色々各所との挨拶等もあるはずなのにお前とデートするんだよ、というツッコミは尤もである。いや、失敬、尤もではなかった。そもそも何でお前とデートするんだよというツッコミは……

 

うるせえ。

 

これは、実は約一年半前に、所用で仙台へ行った事はあったものの、着いた時には夜過ぎて、ぜえぜえ言いながら暗くて結構怖い山道を登って、光る伊達政宗像を見、後は高速バスの時間までひたすら駅前のモスで「啄木ローマ字日記」を熟読していた記憶しかない(しかも啄木は岩手だろ)私の反省であった。せっかく羽生様が、「仙台にお金を落としていただいて」とおっしゃっているのだ。せっかく羽生結弦という奇跡を生み出して頂いた聖地へ赴くのだ。メッカ巡礼と言って過言ではない。だから、絶対に絶対にSENDAIを満喫せねばならない。

 

私は、検索窓に「仙台 夜 デート」と打ち込む毎日を繰り返し、シミュレーションにシミュレーションを重ねた。 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな日々の半ば、コースを設定する過程で、聖地「アイスリンク仙台」のページを開いたとき、

 

 
軽く俺の年収の10年分
もの印税を羽生くんが寄付しているという事実を目にし、もうなにか、人生のレベルが1000段階くらい…違う…割と真面目に、なんというか落ち込み、

 

 

ほんとマジでこんな事をやっている場合では…ないのではないだろうか…あああああ駄目だトリップしていた脳がまた現実に戻ってしまうぞーーーーーーー戻るないや戻れ。

 

 

と若干我に返りかけたものの、いよいよ来るXデイが近づくにつれ、私のテンションはうなぎのぼりとなる。

 

 

 

 いよいよパレードTシャツが届いた頃には、ひとりで大はしゃぎするアラサーというキツい図まで披露し、

 

 

 

なんなら前日には平昌後~仙台行き前までの妄想を支部にまでまとめた。↓ 

www.pixiv.net

 

 

が、しかし。

 

結論から言おう。

完全敗北である。 

 

仙台が楽しくなかったということではない。楽しかった。行ってよかった。

そうではなく、単に、夢女子としての俺の限界が露呈してしまったという話である。

 

というのは、普通に、引きこもりアラサーには体力の限界だったというのが一つ。

 

土曜日も夜まで仕事だったため、夜行でろくに寝ず仙台の地へ降りた後、

取り急ぎパレードコースを一往復したり(既にこの時点で2キロ以上)、仙台の町をふらふら歩いたり、その後は、羽生くんを見るために待機時間も含め太陽の照る中、3時間は立ちっぱなし。

パレードが終わった後は、アイスリンク仙台に向かったのだが、これが意外と遠い。駅から片道1.6キロらしいので、往復3キロ以上。

普段5分くらいしか歩くことなく運動なんか一切しない文化系引きこもりアラサーが軽く6キロ以上くらいは歩き、数時間立ちっぱだったのだ。

 

無理。

 

妄想にもそれなりの(体調的&メンタル的)コンディションが必要なのだ。無理。脳内に羽生きゅんを召喚する余裕とかない。

万が一、テレビ局に、ちょっといいですかー?なんてうっかり声をかけられていたら、 

「何より体力。体力が課題ですね」

とぜえぜえ言いながらヒーローインタビューに応じる私の姿が晒されてたことであろう。

実際はどのカメラも私をスルーして、私の前で、アイスリンク仙台前できゃっきゃするマダム集団や、私の後ろで、パレードの沿道をプーさんの着ぐるみ着て歩く女の子(この女の子新聞にも出てましたね!)、などにマイクを向けていたが。

やっぱ見目の問題だろうか。

 

見目。

そう、見た目の問題というのもあった。

もちろん、これまでだって、自分が今すぐAKBに入れる容姿だとはまかり間違っても思った事は無かったし、容姿を遠まわしにdisられる事は100回あっても、かわいいと褒められた事は人生で一度もない。むしろクラスの卒アルで下から一、二番目程度の顔面だとは分かっている。ブスである事が自分の根暗な人格を形成した理由9割って話も何度もしている。(これとか⇒そのうちいい人現れるよ(俺は嫌だけど。) : 人間そっくり)

だが、問題は顔面(ブス)以外にもあった事をこの度私は羽生くんによって強く思い知らされたのであった。

 

思えば、「羽生との実質2ショット」を量産していた頃はまだよかった。

正直、顔面だけならスタンプで消せばいいし。(実際、スタンプの方は残してるけどちゃんと顔が映ってる方の写真は見るに耐えんので大体フォルダから速攻で消してる)

 

 

 

 問題は、遠近法とトリミングのごまかしがきかない写真である。

 

ところで、仙台に行った際には、おめえは何回同じ話するんだよって感じに同じ話を何回もするくらい、どうしてもやりたいことがあった。

おそらく少なく見積もって5万人くらいは同じ事を思っただろうが、週末仙台の↓これ、である。

 

 

 

 …で、実際やった。

やっぱり、同じ事を5万人は考えていたのか、私が行った時もこのポーズを取るために15分くらいは待機し、そしてやった。私はこの写真を撮るために、何なら「三脚付き自撮り棒」まで購入し持参したのだが(マジだ)、幸い、親切な羽生ファンがいて、「写真撮りましょうか?」と言ってくださったのである。

それではいざ。見よこの完全再g……

 

 

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なんかちがう。

 

理由は明の白である。

私のスタイルが悪過ぎるのである。いや、羽生くんのスタイルが良過ぎるともいう。どっちもか。相乗効果でやばいことになっている。

…と、このあたりで、仙台駅にあった羽生等身大パネルに私が並んだ時の様子をご覧いただきたい。

 

 

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わーーえーーー羽生くん思ったより身長たかーー……

 

 

……ちげえわ。私が低いのか。お前が低いんだよ。

っていうか、羽生くんの足長過ぎませんか???

私の胸の高さくらいまであるんですけど????

え????? 大丈夫???? むしろ私が大丈夫????? これほんとに等身大??? 同じ人類????? あ、同じ人類ではなかったな、羽生くんは惑星羽生の第一王子だったし…?????(錯乱)

 

伊達の公開処刑パネルにも心をボキボキに折られた。

ところで、私の母親も身長143センチくらいなのだが、170センチの父親と結婚式を挙げる際には、ウェディングドレスの下に電話帳を敷いて立っていた、という話を聞いた事がある。理由をこの時物凄く理解した。物凄く理解した。

(お前この期に及んで自分を半分切り取ってごまかしてんじゃねえよって思われるかもしんないけど、羽生くんはいついかなる時を切り取ってもお麗しいけど、私は都合良く切り取らないと直視できない代物になっから…そこまで潔くなれないことを許してくれ…)

 

まあ、身長差が意外にもあった事や私の胸くらいまで足の長さがある事は百歩“ゆづって”良いとして、このベンチ画像、絶対に同じ大きさに切り取るな。いいか絶対にだ。25センチ以上も身長低いのに私の方が顔大きいのがバレる。バレとるわ。

 

 

…と今でこそ冗談めいて書いているが、私はこれによって、結構マジに凹んで妄想モードに戻れなかったのである。

マジかーまじかーまじかー…なんか、はしゃいで妄想とかしてごめんねマジで…

 

……今更か!?

 

自分のスタイルの悪さに自分で気付かないもんかね? そこは見ない振りして妄想をかましていたのでは??と思うかもしれないが、まあもちろん自分が痩せているとは決して思っていなかった。デブなのは知っていたが、自分が太っていることのストレスより、食べたいものを我慢するストレスの方が大きいので、「痩せろ」という内なる声&外なる声を15年程無視しつづけ太るに任せていたのであった。身長がかなり低いのも知っている。むしろ知らなかったら怖い。145センチだ。が、ここまでだとは、意外と気付かない。理由is友達&恋人がいないからだ。普段、誰かと並ぶということがほぼ皆無なのである。撮る機会があっても皆、腰を曲げてくれたりする。そんな、滅多にない比較対象としての相手が羽生結弦とは、あまりにも分が悪すぎる。

 

 

So what?(それが何だ?)

 

 

どうせ最初から最後まで全部妄想なわけだろ? 今更何だっていうんだ? もし私が中条あやみみたいな体型だったところで同じだろ??? 何なら自分を中条あやみに変換しろよ????

 

………オーケー、確かに同じではないかもしれない。それは認めよう。

何故ならば私がもし中条あやみであったなら、中条あやみとして忙しく雑誌にテレビに映画に大活躍しているか、或いは代官山あたりでリアル彼氏とデートに忙しく、絶対こんな事はしていないかもしれない。

こんな事、というのは具体的に言うと、一ヶ月も前から(一人で行くのに)「仙台 デート」とグーグルに打ち込んだり、会話のシミュレーションをしたり、何ならシミュレーションを漫画にまでしたり、羽生くんのパネルと撮影できるよ!という場所で最後尾札の前でウキウキ並んで「あ、あの…これ撮ってくだs…デュフ」とかスタッフの人にスマホを渡したりなんかしていないかもしれない。

このことから導き出される結論は一つ。

 

つまり、私は中条あやみでなくてよかった、という事である。

 

中条あやみではないから、今ここでこんなに愉しい遊びに興じることが出来ているのだ。

感謝。圧倒的感謝。チビアンドデブアンドブスであった自分に圧倒的感謝。

 

…て感じでクソのような現実を一蹴できなかったのは、ひとえに私の不徳の致すところである。何を普通に凹んでんだ。

敗北だ。私は自分に負けた。

これは紛れもなく、夢女としての敗北だ。

完全感覚Dreamerが俺の名ではなかったのか。

すごーい、さすがに私は羽生くん×自分の妄想は無理だわーw 的あらゆる皮肉を「うるせえ」「妄想に自己を入れず壁や天井になるスタイルの方が偉い(上)&自己を冷静に見られてるだけマシと思ってんじゃねえ腐女子共」と総スルーしてきたのは何だったのか。(私も腐女子だが)

この20年ほど、妄想しか趣味と生き甲斐がないゆえ、現実がどんなにクソでも、脳内にハッピーを召喚すれば人生ハッピー(何言ってるのか分からない)、を常日頃モットーとするはずの私のクリエイティビティが、現実の前に敗北した瞬間である。

 

 

もちろん、このまま「更に現実を見ない」という方向性に脳内を熟成させるのが正しい姿勢なのだとは思う。しかしこのままでは妄想の度にあの公開処刑パネルの図を思い出してしまう。私は今回の週末仙台を満喫するにあたって、イメージトレーニングだけでは不十分であり、フィジカル面も鍛えねばならなかったのだと深く反省した。

これまで何人にも「少しは運動したら?」と言われてきてその全てをうるせえとフルシカトしていたが、今こそ立ち上がるべきなのかもしれない。

何キロも歩いてもグロッキー状態にならない体力、そして伊達の公開処刑パネルと並んでも見劣りしない(当社比)スタイルを俺は手に入れる…! 身長はどうにもならんから12センチくらいのヒールを履く練習をすべきなのかもしれない…! 手に入れるったら入れるんだ…! 四年後待ってろよ仙台…!!

 

…と決意したはずの次の日の夕食。

 

 

 

 

 さすがに意志弱過ぎだろデブ。

 

 

 仕方ない。たとえ10キロ痩せたところで私は絶対中条あやみにはなれないのだ。

 

しかし、夢女子としての私こそ完全敗北したものの、私が仙台で羽生くんについて何かを受信しなかったのかというと、そうではない。

むしろ、別の何かを受信してしまった事が、夢女子たる自己が敗北したもうひとつの大きな理由と言ってもよい。

 

 

…なんかなあ、羽生くんって普通に、普通にものすげえ人なんだよなって、真面目に感銘しちゃったんだよねえ。

 

 

それこそ今更か????と百万人が思ったはずだが(百万人も読んでないというのはおいといて)、順を追って話そう。

もちろん、羽生くんがものすげえ人なのは知っているが、それでも、やっぱり、テレビやスマホの画面で見ているとノー距離感(念のため、私の顔面と画面の羽生氏の距離を物理的に0ミリにして見ているという意ではない。そこまでの変態性はまだない。今後もないかは保証できない)のため、まだ測りきれていないところがあったのかもしれない。私に至っては、いつもどこでも脳内にきゃわいい羽生きゅんを召喚して脳内会話をしているから余計に、である。

 

しかし今回の凱旋パレードで、私は、我々は身を以て“体感”した。

羽生結弦・王の凱旋」のクライマックスを飾るための、10万8千人分の1のモブとなることで。

10万8千人が、たった一人の男を数十秒見るためだけに集まるとは、どういうことなのかを。10万8千人もの人々を、数時間も待ってでも、一目見たいと集める男の力を。偉大さを。彼が成し遂げたことを。

 

私はあの場で、「羽生結弦・王の凱旋」という一大叙事詩のほかに、「パレードがやってくる」という見てもいないはずの一本のオムニバス映画をも受信した。

10万8千人のモブ、といったが、モブにだって(モブとかいってごめんね皆さん)自分が主役の人生がある。

66年ぶりにフィギュアスケート男子シングルで五輪二連覇を成し遂げたスターの凱旋パレードがやってくる。「パレードがやってくる」は、そんなパレードの周辺にあったかもしれない、モブ達の物語だ。(モブとかいってごめんね再)

羽生くんが好き過ぎて、もはや「羽生は人生」みたいになっちゃってる重度のファン、平昌で落ちて、ちょっくら行ってみるかと勢いで来てみたファン。

合コンでは、俺、羽生くんと同じ学校だったと話すのが鉄板のかつての同級生。

見に行きたいねえと話すお義母さんを連れて行った地元の女性の人生。

群衆だけではない。

一体どれだけの人数や課の公務員の人達が、この日の為にてんやわんやと準備をし、裏にはどれほどの見えない仕事があったんだろう。

杜の都親善大使として立っていた女の子は、羽生くんの後ろに立てると決まったとき、どんな気持ちだったのか。もちろん皆、羽生くんしか見ていないのかもしれないけど、それでも当日のためにすこしでも綺麗に見えるようにがんばったんだろう。

羽生くんのパレードに浮き足立ち、どういう文言を掲げよう、どういう便乗(言葉が悪い)キャンペーンをすれば話題になるかなと嬉々として話し合っていたであろう商店街や企業で働く人たち。

羽生くんが来るから忙しくなるかもねと言われ、実際息つく間もない接客に、もしかしたら冷ややかな目をしていたかもしれないカフェのアルバイトの女の子。 

 

私は、そんな、羽生結弦物語のクレジットに名前も出ない沢山の人々のことを思った。

 

数え切れない人々のある一瞬の時間が、あの場所にて、羽生結弦という男を中心にたしかに交差したのだ。大小深度種類様々の、彼への思いを胸に集い、また彼の姿と思い出を胸に明日からの人生を歩んでいく。

 

すごい。

 

このオムニバス映画を見終えたかのような感動と感傷を引きずったまま、更に、聖地アイスリンク仙台に赴いたのも悪かった(よかったとも言うが) 

アイリン仙台までの道を歩いたことで、今度は、もうスケート嫌だと送迎の車中でぐずった日、初めての種類のジャンプが飛べたのをお母さんに報告した日、あのあれはこうでと練習を見ていたお母さんからのダメ出しにふてくされたりなんかした日もあったであろう羽生少年の姿を受信したのである。

さすがに、見てもいないものを受信しすぎではないか、そろそろ脳を受診すべきなのではという意見もあろうが、我々にそういう、言葉にならない物語を見せるのが羽生の凄さなのだということにしておいてほしい。しろ。

王とて、最初から王として生まれたわけではない。

あの仙台の郊外のまちで、七北田の一人の少年だった時があって、同じくらいとまではいかなくても、同じような可能性と未来を信じて目標を共にした仲間がたぶんいて、でも彼だけが一つ一つの可能性を着実に自分のものとし、五輪を二連覇する偉業を成し遂げ10万8千人が彼だけの為に集まるあの景色を見る事が出来た。王として故郷に凱旋し、希望を与えるのみならず、実際に報奨金等の寄付、パレードグッズの売上による利益の還元までしている。

 

一人の少年がそんな風になるまでの物語の断片を私はあの街で感じ、そして、

そっか。と思った。

そうなんだよな。と思った。

そうなんだよな。

人間はある日スーパースターとして生まれるわけではなくて、あの時この時あの日この日の積み重ねの結果として今がある。

羽生くんの積み重ねた23年間はあの晴れ舞台で、

私の積み重ねた25年間はこのザマである。

どこから。何が。どの瞬間からちがって。

 

 

ということで私は、泉中央から仙台駅へ戻る頃には、すっかりセンチメンタルな気分に陥っていたのであった。つくづく、羽生くんを追うというのは激しい感情の起伏運動である。

そんな気分(と疲れきった足)を引きずったせいでそのまま二時間ほど、充電をするために入ったモスから離れる事ができず、それでも、(俺はまたこのまま仙台のモスで時間を無駄にするのか…?)という思いで重い腰をあげ、牛タンを食し、

 

(妄想してんじゃねえかって思われるだろうが、これは割と結構凹んでたので無理に気分をあげようとしたやつなんだ…)

 

 

羽生くんの本や雑誌のポスターが飾られたあゆみBOOKS

 

 

 

 で、地方の書店へ入った時の一応習慣として、弊レーベルの本がどの程度の扱いなのかを確認…

 

…したところで、私はそういえば職場への土産を買ってなかったことを思い出したのであった。(夜21時)

 

羽生くんは、自らの手で掴んだ報奨金1000万円をも故郷にポンと寄付するだけの力がある超人格者なのに、私に至っては、職場への土産を買う事すら夜中になるまで頭から完全忘却する。いや、朝の時点では買おうとは思っていたのだが、夜になる頃にはほんとに忘れていた。

…もう、(一人で)仙台の夜景を見ながら私の脳内にはこれが無限リピートでしたね。

 

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取り急ぎ、帰京後、私は自省と敬意を込めて羽生くんを羽生さんと呼ぶことにした。何故か余計にキモさが増した気がするが、まあいい。

夢女としては敗北だったが、仙台に行った事は全く後悔していない。行ってよかったと心から思っているし、当初の予感通り、人生で一番幸せな4月だった。

これほど、生きててよかったと何度も思った4月はなかった。

疲れているであろうにずっと笑顔で手を振り続ける羽生さんは王子&王子&王子にほかならなかったし、くるくると向きを変える後ろ姿すら可愛かったし、正直沿道の前を通りすぎっていったとき羽生くんがどんな顔をしていたのか、感極まりすぎて&手を振るのに必死すぎてろくに覚えていないのだが、羽生さんの姿が見えた時の「もうここで死んでもいい」という幸福感と周囲の熱狂の様子だけは強く記憶に焼きついている。自分のテンションが上がりすぎて見れたもんじゃない動画も残す事ができたし、皆が羽生を待ち望むあの空気を体感できたことは本当によかったし、もちろん仙台の町を歩くのは楽しかった。行かなければ分からない事は沢山あった。

決して羽生さんのようにはなれないが、 少しでも、自分が誇れるような人生を、生き方を、仕事を。そうこれは、現実に立ち戻るための旅だったのだ。

 

 

…と決意した直後のツイート。

 

 

 

 

妄想の方向性が余計におかしくなっただけじゃねえか。

 

「アイは無視してくださいね、春」

 

Continues ~with Wings~2日めを生で見た今のお気持ち①

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Continues ~with Wings~2日めを生で見た今のお気持ち②

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アイなんて無視できねえよ、春

 

 ――――食べログで一人称が“小生”のおっさん並に、本題に入るまでのどうでもいい前置きと自分語りがクソ長い代物である事をご留意下さい――――

 

 

俺は一体あと何回羽生結弦を見くびれば学習するのか。

 

十数年にわたり中二病をこじらせている結果、300人のキャパも埋まらないインディーズバンドとか生まれた田舎町の本屋じゃぜんぜん売っていない漫画なんかが好きだったクソサブカルブス時代が長すぎて、どうにも、

「推しが政府公認」「推しが社会現象」

であることの意味を、それがどういう事態を呼ぶかを理解できていなかった節のある私が、四月に入ってから幾度も口にした台詞である。

 

 日本橋高島屋で開催されている羽生結弦展、初日に数千人も並んだらしい事を知ったとき。

キャンバスアートなんかあるのか~値段安いなー、どんな感じなのかちょっと仕事の参考としても見に行こーみたいなクソぬるい気持ちを抱いていたら、初日で即完売入荷無し状態になった事を知ったとき。

 

そう、次元がちげえんだよ。てめえの小さい物差しで物事を考えるな。

 

って、何度も学習していたはずなのに、私は4月14日の朝、過去最大音量で同じ台詞を叫ぶ羽目になった。

スマホのアラームが鳴ったので半分寝ぼけて止めてロック解除したら、この画面が目に入ってしまったからである。

 

 

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かわいい。

 

そうじゃない。

問題はそこではない。

問題は、私が、この度のCiに万全の状態で臨むために、13日の夕方からTwitterのTLやリストを追うのを断っていたことにある。これはネット中毒の自分にはなかなか辛い所業であったが、しかしTwitterを見ることを自らに禁じたのである。

一切のネタバレを断って、真っさらな気持ちで鑑賞するために。

 

というのは、この素晴らしき“ユヅルオンアイス”のモブとして、羽生くんを見るたびに、「時間だけは不可逆」であることの意味をひしひしと実感していたからだ。

つまり、知らなかったことを知ることはできるが、知ってしまったあとで知らなかった状態には決して、決して戻れない。

既に知ってしまったあとになってしまっては、もし○○を知らなかった場合、自分がどう思うか、どのくらい心を動かされたのか、どういう感情を持ったのか、というIFだけは、絶対に分かりようも戻りようもないのだ。

たとえば、羽生が金メダルを獲るという事を、どういう演技をするかを、知った後になってからまたその演技の細かいところを振り返り着目する楽しみは何度も何度も繰り返すことができるが、まだ、これから羽生がどういう演技をするか、結果どうなるかを、“知らない”状態でそれを見る気持ちだけは、最初の一回しかなく不可逆なのだ。

 

であるならば。選択として。

“知らない”という状態にだけは戻れない以上、“知らない”という状態を自分で作っていくのがよかろう。

 

だが現実は残酷であった。

以下二コマ漫画。

 

 

 

 

俺は一体あと何回羽生結弦を見くびれば学習するのか。

 もはや、この世界に生きている限り羽生情報を遮断するのは不可能なのか。スマホ捨てて一人で独房にでも篭っていないと無理なのか。

 

いや羽生が佐野稔と立ってるだけの画像じゃんって思うかもしれないけどさ、だってどんな服着るのかなってだけでも楽しみだったし、だってこの衣装的に稔滑るじゃんってのも分かっちゃったし、氷上って見出しについてるって事は多少なりとも滑るのかもって…別にニュースを責めているわけでは全然ない。羽生を見くびっていた私が悪い。

彼は社会現象なのだ。

 

 

ということで、若干の後悔を引きずりながら向かったCiであったが、公演を見終わった帰り道、今度はとても嬉しい気持ちでまた同じ台詞を噛み締めることとなったのである。

 

正直なところを言えば、このチケットをとるとき、羽生は最初と最後にチラッと出て喋るだけでも仕方ないかなとか思っていたのだ。

それでも少しでも姿が見られるだけで、何円だって払う意味があると思っていた。忙しいだろうし、治療やリハビリも大変だろうし、出し惜しみしたっていい、むしろ出し惜しみすべきほどの価値のある人だし。

しかし。

どうやら私はまた、羽生を見くびっていたようだ。

自身が自身の最高の演出家であり脚本家である圧倒的なスターたる羽生選手を、何よりも本人がスケオタである羽生くんのスケート愛を、そして羽生プロデューサーとしての力量を。

会場に行けない事情のあるファンへの配慮としてのテレビ放送に加え、全国映画館でのライビュ実施、グッズの通販決定、というような神対応というだけでなく、五輪二連覇の凱旋公演として、イベントとしても、これ以上ないくらいの神イベント。

 

そして まさかこんなに羽生くんが何度も舞台に出てくれるとは。出し惜しみなく、喋る、喋る、喋る、しかもその内容も、五輪のフリーのコレオシークエンスで笑っていた理由とか、ファンにとっても、そうなんだ!という知りたかったものばかり。スケーターとの対談、羽生の技解説や、羽生自身による五輪演技解説、などコーナーも盛り沢山。しかも出演スケーターの出る前には、羽生による「このスケーターと自分のつながり」説明動画も準備されている。(しかし、プルの動画で、「スケート人生を左右した存在」みたいなかっこいいテロップにセクボン映像をかぶせているの、別に羽生くんが作ったわけではないだろうけどもそれでも羽生くんのセンスが滲み出ている感じでマジでよかった)

で何より。

すべらないショーではなかった…!のだ…!!

怪我をして万全でない中で、過去プロを3つも続けて、そして3日間とも違う内容を準備するなんて、どんだけ大変なのか……けど彼は、皆の前で滑る決断を……

 

 

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しかも、ただ羽生くんが、準備に心を砕き自らを出し惜しみしないばかりでなく、ファンが(つうか私が)卒倒しそうな神発言も幾度も飛び出て、私はなんかもう、いっそ俺を殺してくれよ…という心境にまで至るほどであった。

 

たとえば、羽生によるセルフ解説、私は、前も書いたとおり自分のことを自分でかっこいいという羽生が何よりも好きだし、公演前も、

 

とか抜かしていたのだが、五輪の映像こそ大人の事情で流せなかったものの、実際、

 

(SEIMEIの映像みて)羽生「かっこいー」  そういうとこやぞ! Take.1

 

「4Sと4T、4S+3Tを決めた時にはノーミスきたなこれって思って」 そういうとこやぞ!! Take.2

 

「(コレオシークエンスについて)ウィニングランだなこれは」 そういうとこやぞ!!!Take.3

(あそこで笑ってたの、私はリアルタイムで観ていたときめちゃくちゃグッと来たのだが、「皆みてーー!!」って気持ちだったらしいですね。そんなかわいい理由だったのか…)

 

(4Tをミスった後指をぐっと掴んだのは、コンボつけられる回数数えてた+得点高いジャンプ何か判断した) ってのを受けて司会の人が「どんな頭してるんですか?」って聞いたときの答え

「スーパーコンピュータとか入ってるんでしょうね」 そういうとこやぞ!!!!Take.4

 

 

もう何から何まで羽生節全開すぎるありがとうありがとうそしてありがとう。生きていてくれてありがとう。

 

 

 更に更に、オタクの妄想としか思えないあれやこれ

南に向かって軽く一礼して身体を戻したと思ったら、またバッ!と振り返ってニコッっと笑う羽生  ぎゃああああああ Take.1

 

フィナーレからはけるときに両手で投げキッスする羽生  ぎゃあああああああああ Take.2

 

羽生「僕を愛してくれてありがとう」  ぎゃあああああああああああああああああ!! Take.3

 

 羽生「調教されてますね」   私「いっそ殺してくれ…」Take.4  

 

 いや嘘。全然死にたくない。これまで生きていた自分ありがとう。

 

 と、よく分からないがこの世の生きとし生けるものすべてに圧倒的感謝をせざるを得ないショーだったわけだけれども、一方で、なるほど羽生くんらしいなと思ったのは、イベントの構成や見せ方自体は、五輪二連覇の凱旋公演にも関わらず、圧倒的感謝、とか無駄に感動を煽ったり押し付けたりするつくりではなく、どちらかというと、一人のスケートファン、フィギュアスケート選手である羽生としての面が出ていた事だった。

五輪を振り返るくだりでも、「SEIMEIのジャッジ前のクロスロールは、どうやって能や狂言的な要素を表現しようかと考えたときに、肩のラインと骨盤が平行なまま動く振りがいいのではないかと」とか、おそらくスケオタも、へえそうなんだ、と思う内容であったし、

そして、他スケーターの出演前の解説動画でも、「何故このスケーターをオファーしたか」という事に関して、無良くんと自分のジャンプの違いと、それゆえの影響であったり、ジョニーのパンケーキスピンについての説明だったり、結構細かく理由、というか自らに繋がる理屈を言ってくれている。

 

でも、だから、そういう作りだったことこそがむしろ、とてもエモかった。これはマジで何から目線なんだ?という感じの感覚ではあるが、

自分がこれまで好きで憧れていた世界のトップスケーターを自分のためのショーに呼ぶ事ができて、見せ方を考える事ができて、羽生くんは本当に、ひとりのスケオタ冥利に、スケーター冥利に尽きるだろうなあと思ったのだ。漫画が好きな人だったら、自分が好きな漫画家ばかりで雑誌を作ることを、映画が好きな人だったら、自分が好きな俳優と監督とスタッフで映画を作ることを、一度は夢見ると思うけれど、そんなことが出来る人は、とってもとっても限られている。羽生くんは今はそれが出来る。それは彼自身が並々ならぬ努力と才能で世界のトップに立ったから。何から目線なのかよくわからないが、けれども私はそのことが何より一番嬉しかったし、そのことを考えると本当に胸がいっぱいになるし、その観点から捉えれば実はやはり、非常にエモーショナルな作りではあるのだ。

 

 

オープニング前、SEIMEIの音楽が終わり、いよいよ登場か!?と思いきや始まる「4歳のときスケートを始め…」みたいなまさかの羽生人生ダイジェスト動画。はじめは、

 

(結婚式か…!?)

 

とか思い、

 

満を持して始まったオープニングで、すっと前に出たプル様がステージの羽生に向かって腕を広げるのを見て、

 

(結婚式だ…)

 

という確信を得たのだが、まあそれは半分冗談としても、そんなオープニングから始まり、一部の最後を飾るのはプルシェンコ

プルシェンコについての解説動画のくだりで羽生は、彼が信じて待っていてくれた事が嬉しかったと語る。怪我をした羽生について、『羽生選手は他の選手と滑りがまったく違う。これは決して、褒めているわけではなく、事実なのだ』と述べるプルの映像が流れる。

そして、プルシェンコの伝説的プロ、ニジンスキーが始まるのだ。

 

ああ、伝説は伝説に繋がったのだ。と。

私はこの素晴らしい構成にいたく感銘した。

プルシェンコに憧れた一人の少年が、世界のトップに立ち、憧れの存在だった人にあんな言葉をかけてもらえるまでになり、今はこうして自身のショーに来てもらうまでに、そんな(実際はぜんぶ見てもいない)ドラマチックな人生が走馬灯のようにさあっと心に押し寄せてくるような。

 

本人が、「プルシェンコニジンスキーを生で見て、つい自分の人生を振り返って号泣した」のもさもありなんである。

 

佐野稔氏の出演だって、発表されたのが4月1日だったのもあって、「エイプリルフール?」とか半分皆笑っていたけれど、しかし、佐野稔が仙台でスケート教室を開き、そこに羽生選手のお姉さんが通った事で、羽生選手もスケートを始めた…という経緯を鑑みれば、ああ、全ては、つながっていたんだという感動が胸に広がる。 

まさに、羽生自身がこのショーの名前とテーマとした、「コンティニュー」の物語であり、我々はここにきて、「継承」という言葉に立ち返るのだ。

 

 何という練られた構成だろう。

 

 

 私はこれまで、実際アイスショーで見た事があるくせに、それでもやはり、

羽生結弦って本当に実在しているんだろうか。孤独なオタクによる悪い夢なのではないか。

という疑念を抱いていたが、終わってみればそれはそれで、やはりさっきのはあまりに素晴らしすぎて孤独なオタクの夢だったような気がする。本当に羽生くんって実在しているんだろうか!?!? 既にとっくに世界はハニュウ惑星によって侵略されていて、これは人類が見ている最後の集団幻想とかじゃない!?!?(以下無限ループ)

それは、羽生の口から「調教されてますね」というオタクの妄想のような台詞が発せられた事とか調教されてますねという夢のような台詞が発せられた事とか調k……

……単にスケートが世界一巧いだけでなく(“単に”とは?)、ビジュアルも可愛く、テレビの仕事でも十分活躍できるトーク力もあって、トークでも、無良くんが多少うーんと回答に詰まれば、更に質問を重ねたり助け舟を出すMC力すらあり、本人に圧倒的な華があるにも関わらず裏方としてのプロデューサー的気質と力量をも持ち合わせている。

ここで、羽生先生が、自身の羽生物語の最高の演出家兼脚本家であるばかりでなく、他人気物語を集めて編んで効果的な魅せ方をするアンソロジーも作れちゃう編集(P)的能力もあるらしい事が分かってしまった意味はでかいんじゃないか。ファンにとっては一種の光明であるしスポンサーだって黙っちゃいないだろう。

 

いや、逆にさ。

逆に聞くけどさ。

何なら出来ないの? 何なら苦手??

 

 

この、「持ち合わせている」という事に関して、羽生くんはこれまでも、また今回も無良くんに「技術と芸術両方を持ち合わせている」とか言われていたけれど、

(しかしここで「低いところでね」とか返す羽生くん、確実に「ワタシハスケートチョットデキル」芸人としてのプルの血を受け継いでいますよね…)

今回改めて、ああ、なるほどなと一つ気付いたのは、羽生くんは、理屈も感情も人より“高いレベルで”両立している人間なんだなということだった。

技術論とエモさの同居。

 

 「アンナチュラル」でも、感情的に理屈を見つけ出す…みたいな台詞があったけれど、ところで私は前々から、論理的に考えられる事の方が「上」で価値あるものであり、感情的である事は「下」で唾棄すべきものみたいな捉え方って、なんだかなあと思っていたのだ。

その二つがまるで二項対立的であるかのような一般論も。

そうかなあ。そんなに感情ってくだらなくて唾棄すべきものかなあ。

もちろん、感情だけでは何もならないのだが、悔しいとか勝ちたいとか強い感情がなければ、それを何とかするための理論や方法を模索しようと思えないんじゃないか。強い感情があるからこそ見つけられた理屈はあるんじゃないか。

 

私は今回の、スケート技術の話をふんだんにしながらも、しかし感極まる構成である「Continues ~with Wings~」を見て、そして、最後に「皆の目が僕にとっては星みたいに輝いて」とか、すべての羽生記者に負けず劣らずのポエマーぷりを振りまく羽生くんを見て、ああやはり。二項対立なんかじゃないのだと思った。

世界を構成する論理が見えてしまい言葉として思考できる論理的な人間でありながら、理詰めであることを愛しながら、同時に強い感情と感受性を持つことは、両立し得るのだと。そういう人はいるのだと。

たぶんそれゆえに、辛い事は沢山あるのだろう。上手くいかない時も幾度もあるのだろう。余計に傷付く事があるんだろう。

だけれどもそれこそが、彼の強みであるような気もするのだ。そういう羽生くん自身の人間性が、構成や言動から、はっと、伝わってくるショーであった事もとってもよかった。

 

と共に、ってかポエマーとしても俺は羽生に圧倒的に負けてる…!と涙を呑みながら歯ぎしりをする羽目になった。(そこは競うとこなのか?)

精進しねえとなあ。何をだ。

 

きっと何者にもなれないお前たちに告げる。

 

祭りは終わり王は凱旋した。

まだSPが始まる前、前回のソチ五輪が「羽生結弦 伝説誕生」なら今回は「羽生結弦 王の凱旋」とか抜かしていたが、まさしくその通りになったわけである。

(※っていう感じの事を書いた友人のツイートがバズって私がそれを、やっぱ皆考えてることは同じかーと何気なくRTした結果、互いに別アカウントがバレるという不幸な事故も今回勃発したらしい)

圧倒的な絶対王者を前にした庶民の反応はどこの王国でも同じであり(?)

 

 

 今回の平昌で、新たにそんな王国民落ちしそうな人のために、「必見羽生結弦演技ベスト3」の話でもしようかと思ったんですけど、まあ当然のように無理だったので、無理っていうのは、羽生くんはその時その時が全て最高なので、っていうかその時だからこそ最高なので、ベストとか決められるわけないからです。(※前回の記事と大いに矛盾する発言)

 

 

例えば羽生結弦を語る際に外せない、もはや伝説となっている「2012年世界選手権FS」のロミジュリは、そりゃ演技自体の出来の話をしちゃえば、今の羽生くんと比べたらステップや滑り、全てが荒いし後半なんか本当にヘロヘロなんだけども、だからこそ荒削りな魅力があるし、凄い勢いでスターダムにのし上がっていく羽生くんの物語と演技が伝える印象とがピタッと合致していてだから感動的だ。

パリの散歩道をことごとく焼き付くし沼落ちが数多続出したであろうソチ五輪のSPも、少年と青年の狭間にいるようなあの時の羽生くんがやったからこそ、そして、この先真の意味で世界の絶対王者としての伝説を刻んでいく男の、始まりの瞬間と勢いを感じられるからこそ、より深くぐっと来るっていうのもある。

同じプログラムをやっていても、世界王者としての名を確固たるものにしていた2015年の羽生の鬼気迫る演技と、怪我をして万全ではない中、それでも王者として舞台に立ち、やり遂げた喜び滑る喜び、笑うような表情すら見せる2018平昌の羽生じゃやはり全然違う。

だから見る順番も重要だしね。

 

ということで、余裕で無理だったので、突然ですが平昌五輪ベスト羽生でも発表しますね。(突然語彙力とIQが著しく低下します)

 

 

https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/picture/dailysports/m_20180225025.jpg

ショートケーキのティッシュケースがこんなに似合う23歳男性存在していいの!?!?!? しかもこのケース、プーがついていたらしいじゃないですか。何だよそのプーに対する謎の情熱は。(まファンや誰かからのプレゼントだろうけどさあ)

 

 

可愛さの権化。

f:id:syosenningen:20180301233458j:plain


 

 

可愛さの暴力。

f:id:syosenningen:20180301233810j:plain

 

 

 

カメラロール見たらマジでこの画像それぞれ別のタイミングで3回も保存してた。

http://www.sanspo.com/pyeongchang2018/images/20180222/pye18022220130072-p1.jpg

 

 

 

ひょーーーーーひゃーーーーーー

http://www.hochi.co.jp/photo/20180218/20180218-OHT1I50047-T.jpg

 

 

あーーーーーー羽生くんが可愛くてつらい。羽生くんが可愛い画像を見つける度に羽生くんに「かわいいの飽和状態」「かわいいの化身」とか送りつけて逐一既読無視されたい。たまに「かっこいい」とコメント付けた時だけ「でしょ」と返ってきて欲しい。「自分でかっこいいって思ってる」っていじったら、同じ質問を中居くんに訊かれて「思ってます」って返した時の羽生くんのスクショを自分自身で送って来てくれるお茶目さが欲しい。

 

 

……ああ、そうである。あの羽生は最高だった。

 

 

色々あるが最高の羽生圧倒的1位

:「中居くんに、『自分のことかっこいいと思ってる?』と訊かれて「思ってます」と笑う羽生」

 

「世界よ、これが羽生だ」 っていうキャッチ付けて叫びまわりたいくらい好きな羽生。羽生くんの羽生み(?)がこれ以上ないくらい全開フルスロットル、最高すぎる。

 

世界よ、これが羽生だ!!!!!!!!

 

羽生結弦新興宗教なので、

従ってこればかりは要は宗派の違いであり、分からない奴には永久に分からないのだろうと仕方ないんだけど、こういう羽生を見てナルシストかよとか叩く各位へ。

羽生くんがナルシストだったら一体何だってんだよ。

 

いや実際、世界で一番の実力と実績を持つ羽生くんが自分凄いとか思っちゃダメってことだったら、

何にせよあらゆる物に於いて世界でせいぜい3000000000番目くらいのものしか持たない我々の自尊心や自意識なんてもはや1ミクロンの欠片もなく崩壊すべきってことになりません?

 

…っていうド正論はさておいてでも、

俺は素敵俺はかっこいい俺は凄い、俺はやる、んだというオーラを全身から放ちそして実際に見事やり遂げてしまうというかっこよさ。

そこがいいんだろうがよ。だからいいんだろうがよ。

しかし羽生くんはたとえナルシストにせよ、周りを見ず自分にのめり込む自己陶酔型では決してないというあたりもポイントだ。むしろ、通常の人間より、恐ろしいほど自己に対する客観性と周囲への観察眼があるように思える。この例え何回も使っているけれど、羽生くんは、「羽生結弦物語」の最高の脚本家であり演出家なのだ。だからそこには客観も観察も必要なのである。

羽生物語の脚本家であり演出家。自分の思い描く「羽生劇場」に周囲や状況の方をグッと引き込んでしまう、圧倒的羽生力。

普通の人は、俺の描く最高にかっこいい俺を実現なんてできやしない。だからこそ、そこに痺れる憧れるのだ!!!

 

って色々御託を述べたが、何にせよ、私は羽生くんのこういうところが大好きである。多分かっこいいと思ってると答えた方が面白いんだろうなって思って言ってる面もあるのも含めてね。

 

 

2位:自分が「そっち側」だと分かっている羽生最高過ぎる

http://www.sankei.com/photo/images/news/180224/sty1802240008-f2.jpg

  

ゆづるお姉さまと呼ばせて!!!!!!!!!!

 

 

3位:五輪パリピグラサン(?)をかけ記念撮影しようとする際、「ショーマクン」と宇野を呼ぶハビちゃんからの、「おいで」という羽生くんの声色の優しさ。

 

www.youtube.com

 

これについては、「宇野選手のことは、可愛いわんこみたいに思っている」という羽生くんの発言とあわせると尚更悶絶である。

つまり……「可愛いわんこ」を呼び寄せる時の声色なんですね…!!!

ひょーーーーひゃーーーーーーーーーーー(また言う)

 

 

…って3日前までは終始こういうテンションで、

何ならそのハイテンションのまま調子に乗って狂気の妄想総集編まで投下しちゃったりして↓

www.pixiv.net

 

…たのだが、帰国後の会見で私は羽生結弦という男に心底恐怖心のようなものを抱くこととなったのだった。

羽生くんは決してかっこよくて可愛いだけの男ではない。当然だが。知ってたが。

 

 

(今度はテンションが著しく低下します) 

 

たとえばそれは、

日本=スポーツを通じて、周りへの感謝や思いやりの心を持てる

世界=勝てばいいみたいな風潮

というクソのような二項対立を前提に、安易な日本人論に着地させようとする記者に対して、決してその前提に乗らず、そういうのは性格の問題、とやんわりと記者の前提を否定し、たとえとしてマイケル・ジョーダンの話をさっと持ち出した上で、

「自分は、(絶対に勝ちたい人間だし絶対に勝つと思ったときの方がパフォーマンスを発揮できるので)あまり楽しい気持ちとか、またはリスペクトをしながら感謝をしながらニコニコしながら演技をするというのは向いていない」

と言い切る羽生くんの凄まじい話術、回答の技量、負けず嫌い節全開、そしてパブリックイメージ的に何かに感謝とか優等生的回答が求められている事は分かった上で、それを裏切る切れ味に震えた事だったりもする。

 

(全文はここで読んでくれ↓)

logmi.jp

 

しかし一番は、宇野くんに対して訊かれたときのくだりである。

 

ところで、今回の平昌では、羽生くんが金、宇野くんが銀を獲ったことや、羽生くんがグリグリと宇野くんの頭を撫でていたり盛んに構っていたりしたことも含め、(別に腐女子に限らず)この二人にモエモエしていた人は多いと思うし、まあ当然の如く私もしていた。萌えていた事は認める。

 

しかし、その一方で、この二人、表面上の「可愛さ」ほどは、可愛い関係性ではないのではなかろうか…?と、やや語弊はあるが多少の薄ら怖さのようなものを感じ取っていたのもまた然り。

果たして、宇野くんと羽生くんの、この拭いきれない「距離感」のようなものは、何なんだろうか?というような事を一方では考えていたのだった。

 

 

無論、これまでも、宇野くんが本当に憧れているのは高橋大輔の方っていうのも知っていたし、例えば、自分は高橋大輔みたいに人を惹きつけ心を打つような表現面を磨いていきたいというスタンスだったりなんかして、羽生くん程には、絶対何が何でも自分が勝つみたいな風でもなさげなのかなとも思っていたりした。(※という言い方だと誤解を与えるかもしれないので付け加えるが、もちろん宇野くんだって常人の100倍は負けず嫌いだろうし、もちろん羽生くんは表現面でもピカ一ですよ、それは大前提として、その上で)

で今回は、結構そのスタンスというか心構えの違いみたいなものが、割と顕著に出ていたように思う。

 

 

話が変わるようだが、羽生くんと違い?私は結構、“たられば”について考えることは好きだ。

何でかっていうと、あらゆる“たられば”について想いを巡らせることで、「しかし、そうはならなかった今ここにある現実」が一層浮き立つような気がするからだ。

もしかしたら、ああいう可能性もあった、こういう可能性もあった、でもそうはならなかった。そうはならなかった、というところにこそ真実がある、気がする。

 

目下のところの最大のたられば。

もし、羽生結弦という宇宙人がこの時代に存在していなければ。

 

宇野くんは、この命題について本当のとこはどう思っているんだろうなあ、ということを私は男子FSが終わった後から今日に至るまで、何だかずっと考えてしまっていたのである。

 

もちろん、その人が本当はどう思っているかなんて、他人が分かるわけはないのであるが。

更に言えば、本人が“本当に”思ったこと、と言った時の“本当”なんてものはもしかしたら存在しないのかもしれない。とも思う。

今回の五輪後のインタビューなんかをずっと聞いていて、なるほどなあと思ったのは、やはり、あらゆる局や人から同じような質問をされ、同じような受け答えをしていくうちに、回答がだんだんと「洗練」されていくんですよね。

「洗練」される、という事はつまり、洗練されていなかった部分はその人の答えや思考から無くなっていくということ。

“本当”ならばあったはずの、自分でもまとまりきらない雑多な考えや感情、思い。

しかし何かを思考するにせよ、それを誰かに伝えるにせよ、まず言葉が必要なのである。その人が“本当に”思った、感じた事のうち、うまく言語化できる感情なんてほんの一部なのじゃないかと思うけれど、この時点で、言葉に出来なかった思いは存在できなくなる。更に、思考や伝達に必要な、筋道と論理。ある筋道、論理から逸れるような雑多な考えはまたどんどんと削ぎ落とされていく。

そして、自分なりに言語化して筋道立てた考えに、他者の反応や「こういうことなんですね」という解釈の言葉が加わり、「なるほどこう言えばいいのか」「こういうことなのかも」と他者の反応や解釈に多少は影響された「完成回答」が、できてくる。

そのうちに、その「完成回答」が自分の考えとして脳内に定着する。

 

だから結局のところは、どうしたってわかりようがないことだし、これから書く私の話だって、そうして切り取られたごく一部でしかなくって、多分思った事の半分も伝えきれないのだろうが、が、しかし考えてしまう。

五輪で銀メダルなんて、本当だったら十分に本当に十分に物凄いことなのに(だって、高橋大輔だってバンクーバーで獲ったのは銅メダルだし、浅田真央だって銀なのだよ)、五輪は抜きにしても、そもそも宇野くんだって、世界ランク2位の凄い選手なのに、同じ時代に、羽生くんがいるせいで言葉は悪いが注目がどうしてもそっちへ行ってしまう。

 

もちろん、羽生結弦がいなければなんて問いにも意味はないのだ。だって、いるから。圧倒的なスターとして存在してしまっているから。

しかし、宇野くん自身はそれを、そんなに気にしていないように見える。

もしかしたらーー初めて、羽生に勝てるチャンスだったかもしれない事も、気にしていないように見える。

言葉でも「負けたのは悔しくない、実力の差なので仕方ない」と言う。それが真実なのかもしれない。色々な“たられば”はある、けれども羽生くんが勝ったというこの現実にこそ。

けれども、そんなに気にしていないように見えるからこそ、私は凄く気になってしまっていたのだった。

 

自分が圧倒的王者に成り代わりたいと思っているのか。

それとも、羽生くんが圧倒的存在でいてくれる事がむしろ助かっているのか。

つまり宇野くん自身が口にするように、メディアや世間の期待を一手に背負う存在が他にいてくれる事がプレッシャーからの解放に繋がるということだったり、「○○になら負けても仕方ない」という絶対王者が君臨している事は心の重荷を少し減らすのかもしれない(そこが、1位と2位以下の差であると私は思う)。

 

そういうことを数日間色々考えてやはり思ったのは、

これはどちらが強いとかどちらが凄いとかどちらが正しいとかそういう事ではなくて、何というか、向いている方向として、

実際のところ、宇野くんは、羽生くんを超えようとは思っていないんじゃなかろうか。

 

 

というのは、宇野くんからの羽生くんへの想いの勝手な想像だけども、この度の帰国会見で、何か羽生くん側から宇野くんへのアンサーのようなものが垣間見えて、

私は恐怖に打ち震えた。

…恐怖? 恐怖と言って差し支えがあれば、「畏怖」とでも言おうか。

下記は、記者に宇野選手について訊かれた時の羽生の回答である。

 

まず、1つ言っておきたいのは、僕はもうあの時点で勝利を確信していたので、彼が4回転ループを本当にきれいに決めていたとしても、まず点差的に負けることはなかったなと、まず言っておきます。

(笑)ね。すごい突っ込まれてたし、ファンの方々もあんまりよく思っていない方もいらっしゃったかもしれないんで、まず前提として。

やっぱり後輩が強い。まあそんなにいっぱいいるわけでもないんですけどね、フィギュアスケーターは。まあ自分を追い抜かそうとは本音では思っていないかもしれないんですけれども、近づきたいって思ってくれる存在。そして、なんだろう……それが自分の国の代表としている。それは非常に心強いことだなと。

考えてみれば、まだ引退するとは言わないんですけど、言ってないし引退する気持ちも全然ないしやることありますけど。ただ、「引退します」ってかんたんに言っちゃえば、彼に任せられるというか、そいう頼もしさは感じています。

ただ、まだもうちょっと……人前に出る時に寝るとか(笑)、そういうことはもうちょっと学ばなきゃいけないのかなと。

もうちょっと面倒を見なきゃいけないのかなっていうふうに思っています(笑)。

 

 ……いや、めちゃめちゃこわないですか????

めちゃくちゃ怖くないですか????

恐怖のあまり、マジで、ヒュウ…!という声が出た。

まあ、勝手にふるえてろ。って感じですけど、はい。

(念のため、「怖い」っていうのは悪口ではないですよ)

 

この言葉に対して「羽生くんって結構怖い男だな」と思ったポイントは色々ある。

 

①地味にアンチを牽制している点

「ファンの方々もあんまりよく思っていない方もいらっしゃったかもしれないんで」と言った時の、「ファンの方」が、

・宇野くんが最初のジャンプ決めてればなーと思っている宇野くんファンの方

なのか、

・↑って一部のメディアや羽生アンチが言っているという事に対して、いやジャンプ決まってても羽生が勝ちだわとよく思っていない羽生くんファンの方

なのか、私の読解力では掴みかねている(多分後者だろうけど)んだけど、いずれにせよ、地味にアンチを…牽制している…! このアンチやメディアへの牽制は今回の平昌で何回も見られたが…!

 

(しかし羽生くん、一体いつそんなエゴサする時間あるんだろう…羽生情報収集部隊でも抱えているんだろうか…)

 

②宇野くんが、色々なインタビューで「完璧な演技をすれば自分が勝てると思ったけれど、最初のジャンプを失敗した時点でもう駄目だと思った。だから後は自分の演技をしようと」「結果には満足している」みたいな話をしているのを、羽生くんは何度も隣でニコニコと聞いていた…という点

という事を鑑みると、羽生は、宇野くんの話を、「僕はもうあの時点で勝利を確信していたので」と思いながら聞いてたって事ですよ。ずっと。あなたが最初の4ループを綺麗に飛ぼうが、俺が勝っていたけどと思いながら。

この「あの時点」とはどの時点なのかこれもいまいち判断がつきかねるんだけども、これを、「自分がフリーを滑り終わった時点」とすると、超怖いのである。

念の為言っておくと、宇野くん自身も、自分が4ループを成功させようが羽生くんに勝てなかったのは分かっているしそう言っている。けれどそれはこの話の本質ではない。つまり言いたいのは、点数差的に、宇野くんが4回転ループを成功させようがさせまいが、羽生くんに勝つ事は無かった、っていうのはあくまで「結果論」だということである。羽生くんが滑り終わった時点では、宇野くんがどうなるかはまだ不確定だったはずだ。実際、宇野くんがPBと同じようなスコアを出せば羽生くんを上回る可能性はあったにも関わらず。(※これも念の為言っておくと、勿論宇野くんの構成はPBを出した試合より基礎点自体が下がっているというのはあるけれど)

 

つまり、羽生くんは、

宇野くんはここで、PBに近いスコアを出せないだろうと。

「完璧な演技」は出来ないだろうと。

或いは、出来たところで自分を越えられないだろうと。

 

そう思っていたのだ。そこにこの話の恐ろしさがある。

ジャンプの成功とかそういう話ではなくて。そもそもの、「フィギュアスケーターとしての力量」として、羽生くんは自身の勝利を確信していたのである。

更に、この点を踏まえた上で、着目したいのが、

 

③「引退後」は任せられると言っている点

 こういう言葉尻で揚げ足を取るのは多分羽生くんは嫌なんだろうけども、「引退したら」任せられるって言うってことは、裏返せば「引退するまでは」自分が一番って思ってるって事だ。

 私はむしろ、一見いい話のようであるここにこそ、最も羽生くんの本音があるように思った。要は……宇野くんの事をライバルだと思ってない。「今のところは」とかじゃなくて、自分がやめない限り、(少なくとも国内に於いては)自分が一番だと思ってるのではなかろうか、羽生くんは。

そして私は、羽生くんはそう思っていると思っていたけれども、実際にこうして本人から言葉としてアンサーを突きつけられると、やはり少し怖いものがあったわけである。

 

しかし、上記に書いた点は、言ってみれば、まあ、でしょうねという感じで大した問題ではないのだ。実際のところ、羽生結弦が完璧な演技をすればまだ世界の誰も勝てないのは事実なのだから。

けれど、宇野くんに対するアンサーとして、私が一番ゾッとしたのは、羽生くんがさらりと漏らした、

「自分を追い抜かそうとは本音では思っていないかもしれないんですけれど」

という言葉だ。

 

先程、「宇野くんは羽生くんを超えようとは思っていないのではないか」と書いた。

これは決して、宇野くんは羽生くんに追いつく事を「諦めてる」と言いたいわけではない。勝ちたいと思っていないと言いたいわけではない。競技の「結果として」、もしかしたら順位や点数が越える事はこの先あるのかもしれない。が、しかし。

宇野くんが目指す先に、はなから羽生くんはいないのではないだろうか?

 

 

そのことを、羽生くんは察しているのである。

 怖い。

何が怖いのだろう。色々考えてはみたけれど、この感情が一番言語化が難しい。この感情をうまく伝えることが難しい。

 

根本のところでは俺を追い越そうと思っていない事があなたが俺に勝てない理由だと言っているようにも聞こえるからか、 羽生くんと宇野くんの関係性が、自分がうっすらと思っていた通りのものであった事の怖さか、それとも、

この決定的な所で分かり合っていないし互いを見ていないし別に互いに分かり合おうともしていない感じに対してか。

仲が悪いとかそういう事を言いたいんじゃない。決して仲が悪いわけでも嫌いなわけでもないだろうし、羽生くんが宇野くんを可愛い、面倒を見たいという気持ちも、宇野くんが羽生くんを凄いなと思う気持ちも、偽物ではないだろう、そういうことではなくて。そういう表面上の話ではなくて。

羽生くんが、宇野くんの事をライバルとして見ていないのと同様に、たぶん宇野くんの方も羽生くんの背中を見つめてはいない。見つめてはいない事を羽生くんは知っている。その上で、「自分を追い抜かそうとは本音では思っていないかもしれないんですけれども」という言葉には、ある種、突き放した諦めのようなものも感じてしまう。

あなたが俺のところに来ようとしてくれないのは知っているけど、それでもいいよ。

そんな。

 

 

 

自分を追い抜かしてくれる誰かを、羽生くんはずっと待っていたんだろうか。待っていたけど誰も来てくれないから、期待するのをやめたんだろうか。

それとも、誰も自分のところに来て欲しくはないんだろうか。自分がいつまでも一番でいたいから自分が一番であることを表明し続けるんだろうか。

分からない。私は世界一になった事がないから分からない。たぶん他の誰も。

きっと私はそれが少し寂しいのかもしれない。分かると言うのは傲慢であり勘違いだが、分かりたいという思いを止めたくはないんだよ。 

 

羽生結弦に関するクソのようなまとまりのないポエム

 

 私には友達がいないので同級生の情報とか軽く3、4年は更新されないのだけれど、ごくたまに「今度○○が結婚するんだって」と聞いて、へえあの時付き合っていた人と遂に結婚するのかと思うと高確率でそれとはぜんぜん違う人とで慄く。

羽生くんがソチ五輪に出て次の平昌五輪に出る間。

つまり伝説が誕生し王が凱旋するまでの間(バーフバリ観たばかりなのでこんなテンション)。同級生は誰かと別れまた別の誰かを見つけ結婚する。私はというと4年間大体同じテンションで羽生くんと結婚する妄想をしている。クソのような人生である。

 

2014年↓

blog.livedoor.jp

 

2017年↓

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

4年前は多分、世間の多くの人は、浅田真央ちゃんの方を注目していて、羽生結弦がオリンピックで金メダルを取れるような選手だとは知らなかったであろうということを鑑みると、羽生くん自身の状況もこの4年で大きく変わったのだと思うのだけれど、同じくらいに、男子フィギュア界の状況もガラリと変わった。

羽生くんがソチで金メダルを取った時の総合得点は、280.09である。

勿論単純な比較は出来ないけども、 これは平昌だと6位ということになる点数。4年前またそれ以前は、4回転について、トウループサルコウが成功するか否か?というところが勝負の分かれ目だったような気がするのだけど、フリップやループ、ルッツといった高難度のクワドを飛ぶ選手が現れた事により、今ではもうこれはもうトップ選手なら成功させて当たり前みたいな扱いになっている感がある。

国際大会であっても、2位が260点とか270点、みたいな時代は終わり、290点「程度」では表彰台にのぼれるかも状況次第では怪しい感じ。の時代。

 

4年というのは私の人生を激変させるにはあまりにも短かったが、誰かの人生が、或いは世界ががらりと変わるのには十分な時間なのかもしれない。

そして、各々の選手にとってのフィギュアスケート人生に於いては、きっととても長い時間なのだろう。とも思う。

それは上記のように、フィギュア自体の状況(もしかしたらルールとかも)がらっと変わる可能性というのもあるし、4年間のうちにめちゃくちゃ手強いライバルが台頭してくるかもしれないということでもあるけれど、本人自体の加齢、能力、限界という意味に於いても。

ピアニストみたいな芸術家とは違って、あるフィギュア選手が本人の持つ、万全の体力で万全の実力で万全の技術で万全の表現ができる期間というのは、物凄く限られている。そして私たちがそれを見ることができる時間というのも。

 

ってこれは何度も言っている話だけど、だから私は羽生くんが好きというのとはたぶん少し違って、羽生結弦を見る時の感情の本質は、「恐怖」なのだ。ゆえに怖いからほんとうは見たくない。見たくないのだ。

実際平昌のSPは結局怖すぎてリアルタイムで観る事が出来なかった。

勿論、それは失敗するかもという恐怖でもある。

今回の場合、ケガをして以降氷上に立てない期間が長かった上まだケガは未完治、かつロステレを最後に一切の試合に出ることなく本番を迎えたという状況を考えれば、例えば最初の4Sが抜けたりなんかして金どころかSPを終え10位…みたいな可能性だってきっとあって、っていう結果を見たくないので見なかったというのはある。演技時間が終わったというのも分かっていても、自分の大学の合格発表を見る時より怖くて結局あらゆるネットは開かないことにした。

(まあ会社の人がヤフーニュースみて「羽生くんノーミスで1位だって」と漏らしたので知ってしまったが)

 

しかし何というか、私は羽生くんが成功しても怖い。成功した羽生くんを見るのも怖い。勿論物凄く嬉しいし興奮も感銘もするけれど。それでも。

 

本人が自分で「今これだけ幸せって事は、これからまた辛い時期が来るのかも」

みたいな事を平昌後の会見で言っていたけれど。

圧倒的な成功や幸福というのは、どうして次の瞬間、これがずっと続くわけではないという転落の予感を心によぎらせてしまうのだろうか。

 

上に書いたように、フィギュアスケートの競技人生は決して長いものではない。

いつかはピークを過ぎる時がやって来てしまう。

問題はそれが、いつ、なのか。どの瞬間なのか。いつなのか、私たちには、多分本人にも、分からないのかもしれない。

私は最高の羽生くんを目にした時、喜びと同時に、「これが“最高”の羽生くんだったのかも」という哀しさをも、どうしても抱いてしまう。もうこれを越える羽生くんはこれから来なくて、さっきのあれが“最高”の到達点だった。だからもうあれより凄いものはこの先見る事が出来ないかも、という。

 

 

だからこそ、私はできれば羽生くんを見たくないし、しかし羽生くんを見なければいけないのだ。

次のこの瞬間が、今この場面が、最高の羽生くんかもしれないから。

 

 

だがしかし、羽生くんはやった。そんな凡人の杞憂なんか乗り越えて。

おそらくは、大丈夫か羽生?という空気に自分も呑み込まれないために、強気な発言を繰り返し、競技後になってから足がまだ治っていない事を明かしたものの、競技が始まる前はそれを口にすることなく、思えば韓国に姿を現した時から完全に「王の帰還」という空気を作り上げていた。

ノーミスだったSPでは、まるで身体から音が奏でられているかというほど絶妙にスピードを変化させているスピンだけではなく、滑り終えた後の、「見たか俺を」と言わんばかりの動作の緩急までも、全てがコントロールされていて完璧で、王者として場を支配していたし、

FSで4S、4Tを決めた時にはもう皆、まだ全然演技は終わっていないのに、「これは、ひょっとするとひょっとするのでは?」と勝利をほとんど確信していただろう。

たとえ調子が悪い時があったとしても、絶対に勝たねばいけないところでは見事に勝つ。彼はスターだった。凄まじい強さだった。

本人が「全ての選手がベストな演技をしたら勝てていなかった、まだその程度までしか自分の状態は戻っていない」というような事を言っていたけれど、それは一つの事実としてしかし結局勝者は羽生結弦だったという事にこそ、意味と羽生の強さがあるのだ。あそこで勝てることにこそ。そこに羽生くんの稀有さがある。

 

五輪は、別にフィギュアファンではない多くの国民が手に汗を握り見つめる。

たとえばGPFなんかは見ない知人、親からまで今回「羽生くん凄かったね」なんて連絡が来たりした。こういう言い方はしたくない、本当にこういう言い方はしたくないけれど、なのでここで負ければ「怪我をしたせいで最後は尻すぼみで終わってしまった人」になってしまうし、勝てば「怪我をしたけれど見事に復活し圧倒的な強さを見せつけた王者」となる。

勝てないと意味がないなんて言いたくないし私はそんなこと思っていないけれど、でも勝てないと意味がなかった。そこで勝てる凄まじさ。あのジャンプが成功していればとかたらればなんてのはいくらでも言える。でも結果的に勝ったことこそが羽生くんがスターたる所以なのだ。と我々は改めて突きつけられてしまった。

 

スター。圧倒的に規格外のスター。

私は羽生くんを形容する時、勿論本当はアスリートというのが適切なのだろうけど、やっぱりスターというのが一番しっくりくる気がしている。

先程、見たいけど見たくないと書いた事に、それは自分だって、「じゃあ見なきゃいいだろ」とは思う。私が見たって見なくたって羽生くんには全く何の関係もない。勝手に見なきゃいい。あるいは見ればいい。

見ればいいのだ。羽生くんが失敗しようが成功しようが、それは単に羽生くんの人生の話であって、自分の人生にはマジで1ミリも関係がないのだ。

そう頭では分かっていても、彼と自分の人生には1ミリも関係も影響も無いと理解していても、それでもやはり、羽生くんの成功があるいは失敗が、自分の人生の好転もしくは暗転、自分の幸福もしくは悲劇のように感じてしまう。うまくいけば自分の人生が少しはよくなった気がするし、うまくいかなければ自分もうまくいかないように、どうしても思ってしまう。何の関係もないのに。だから怖いのかもしれない。無関係だと言い聞かせてSPを観ようとしたけれど、やっぱり無理だった。

 

本当は切り離すべきだ。しかしこの思い入れをどうしても切り離す事ができないのである。

そして無論肯定すべきことではないけれど、それこそが“スター”という存在そのものなのだろうとも思う。数多の無関係の人間の人生を、勝手に背負わされる存在というのが。本人は自分のやるべきことをやっているだけでも、周りの胸をざわざわさせ騒がせ無関係の人間の人生をどんどんと背負わされる。

 

果たしてそれが彼にとって良い事なのか悪い事なのかも、今ではよく分からなくなってしまった。

羽生くんについて「ナルシストっぽい」という人がいて、私は割と過激派なのでこれまでその度に「そこがいいんだろバカかよ」と返していた。

けれども、今回のインタビューを色々見たり、例えば中国杯の事を思い出したりなんかすると、「ナルシスト」というよりは、彼自身がこの凄まじい「羽生結弦物語」の最高の脚本家であり演出家なのだ、といった方が適切ではないだろうかなんてことを考える。

俺はやる、という空気を見事に作り上げ、周りとそして自分を彼の描く「羽生結弦物語」に寄せていく。

だから彼の前では全てが「羽生結弦物語」のための舞台装置となり、だから羽生くんにはオーディエンスこそが必要なのかもしれない。

それが羽生くんの凄いところであって、でこれも勝手に、少し心配しているところでもある。

 

羽生くんがスターであることが私は嬉しくて悲しい。羽生くんはもうスターを降りて穏やかに歩んでほしいという気持ちと、圧倒的スターであって欲しい、圧倒的スターである羽生くんを見続けたいという気持ち。

もうここで勝利の記憶を世間に与えて終わりでいいんじゃないかという思いと、平昌を見て、全然まだまだやれるじゃないかこれからもっと進化できるじゃないかという期待。

楽しみであり恐怖。きっとこれからの何年間かも、そんな風に勝手に胸をざわざわさせながら過ごしてしまうのだろう。

過ごさせてほしい。そんな勝手な願望なんかとは決して交わらないところで、彼は彼の人生を歩むことで。

 

 

4年前、ソチ五輪が終わった時、私はぼんやりと、

もしかしたら4年後はもう、羽生くんは勝てなくなってしまっていたら、どうしようなんて失礼な事を考えていた。今となっては馬鹿みたいだ。

4年間という時間は、誰かの人生やフィギュアやそして世界が変わるのには十分な期間だが、世界がそんな規格外の怪物を作り出すにはあまりにも短いのだから。

 

だって世界が、フィギュアで五輪二連覇する人間を作ってからまた新たに生み出すのに、66年もかかったのだ。

 

 

 また次に生み出されるまでには、あと何十年かかるのだろう。クソのように退屈で凡庸な自分の人生だが、同時代に同年代として羽生結弦のいる世界にたまたま生まれてしまったことだけは、人生における幸福でありまた不幸なのだった。

 

【複数回観ると】HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION【脳を焼かれる】

 

遂に…遂に始まってしまいましたね、2017年最後の“祭り”が……

何がって、「高&低 最後の作戦」(TAKAHIRO風)に決まってるだろ!!!!!!!

 

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eiga.com

 

…って始まる前から、今後1ヶ月はハイローの話をし続ける気まんまんだったのだけども、率直なところを言うと、1回目鑑賞時は正直若干の肩透かし感があった。

いや確かに面白かったしかなり笑えたんだけど、これは純粋な意味での面白さではなく、

 

前作であんなに死ぬピンチ感を出していた広斗が予想の1000倍全く大したことなく何らノーダメージでピンピンしていた事の面白さ、あまりに全然大したこと無かったのが面白すぎて驚きすぎて冒頭20分くらい全く話入ってこなかった、とか、

よりにもよって、観客が悲しみで涙涙するであろうあのタイミングで出てくる「爆破セレモニー」という字面の反則さとか(もう爆破セレモニーって文字が出てくるだけで誰が死んでても何やっても面白いから駄目。反則過ぎる。っていうか爆破セレモニーって単なる宣伝文句的なあれかと思ってたら、劇中でマジで言ってたしマジで爆破セレモニーをやっていたのがもうヤバい。頭おかしい)、

シリーズを追っていた我々も初耳だった九龍グループそれぞれの各担当(金庫番とか掃除屋とか)が、まるで既知の情報であるかのように出てくる紹介映像とかも、あ…そうだったんですかwww!?って感じで面白いし、

西郷に何故か「お前らのSWORD」とか言われてたけど、よく考えてみれば別に昔も今もSWORDの人間ではない、よそ者のはずの雨宮兄弟が、当然のような顔をしてSWORDの中心にボスみたいな態度で立っている(そして何故か皆当たり前のようにそれを受け入れてる。何でお前らが仕切るのとか流石に言い出しそうな日向すら普通に受け入れてる)、っていうかボスというよりどっちかというとレディースの番長みたいな感じで腕組んで立ってる広斗という画の面白さもかなりヤバいし、

 

一番限界だったのは、結構皆首を捻っていた、おそらくSWORDの各トップ+ヤマトノボルが、コブラを助けに行く様子であろう謎の近カメラ縦揺れ映像ですよ。

正確には、その縦揺れ映像後のシーンで、何かここで皆がコブラを助けに!!みたいに感動を煽るようでいて、実際に助けに現れたのがそこには映っていない全然別の人達だったとこですよ。実際に助けに来たのは全然違う某で、その後、さっきコブラ救出に奔走していた奴等がどうなったかは映らないので分かんないんすよ。

え…ならさっきのシーンは一体…!?!? 何だったんだ!?!?

とほんとに腹筋が限界だった、ストーリーラインがちぐはぐじゃないですか琥珀さん!!!!

ってこれ、言ってみれば若干ディスってる方の「面白さ」であって、

 

全体としては、

あれ? ハイローザム2はあんなにあんなに大傑作だったのに、また何かハイローの悪いとこ出ちゃってるよ? と思ったわけですよ。

 

ハイローの悪いとこつまり、

ドラマパートが完全に無茶苦茶(まあいつものことだが)で、

いやそれはおかしいだろうというツッコミどころが1000個ぐらいあり(まあいつものことだが)、

観客の場面が盛り上がりそうなところでいちいち無駄に回想を挟むことでテンションをくじく(まあいつものことだが)、

挙句、今回は最終章ゆえそれがSWORD+α全員分あるので、つまりポエム&回想パートが同じ場面で少なくとも同じように5回繰り返されるので、長えよ!!って感じであり、

ドラマ部分が完全に所謂「アダルトビデオにおける、セックスに至るまでのドラマパート並みの茶番とクオリティとくだらなさ」全開の繋ぎみたいになってる(いつものことだが)(まあアクションまでの繋ぎだからいいのか別に)挙句、ここに来て、これまでのUSBを巡る戦いは何だったんだ…みたいな(一応ドラマで捨てっぱなしになっていた設定が回収された状だが、あまりにも伏線感が無かったので突飛な後出しの印象が強い)情報が次々出されるのでそっちの情報処理の方に時間がかかるので乗り切れず、

ってか尊龍兄ちゃんはそれで死んでんだぞ雨宮兄弟よくその辺放置してた警察と仲間になれるよなー

 

いやそれはでも、ザム2のみがやや改善されていただけで、いつものハイローなんですよ。

いつものハイローなんだけど、それが今回ザム3に至っては何故皆引っ掛かるのかというと、勿論ザム2の出来が良かったからというのもあるだろうけども、「けどハイローが好き」と言えるような、そんな数多のマイナス面を上回るプラス要素が弱い

 

ーーってこれ、正確には「アクションが少ない」からじゃなくて、別にアクションは少なくないと思うんだけど、単純に「萌え」と「軸となるラブストーリー」が少なかったらーー少ないように見えるからなんじゃないかと。

 

萌えっていうのは、瞬間的な萌え、例えば一つには、「魅力的な敵キャラ(ジェシーとか源治とか)」とかですよね。ザム3は、基本アクションでやっつけるのはモブばっかなので、魅力的な敵キャラという萌え要素が少ない。

あと、そうした魅力的なキャラ同士の化学反応ーーザム1におけるスモーキーと広斗の共闘とか、みたいな掛け合わせの物語が生む萌えも割と少なくて、メイン軸で進行するストーリー(九龍潰すためのミッション)を消化していく方に人物の動きとシーンが費やされてしまうので、それぞれの人間が話が進むための単純な駒っぽくなってしまっている節がややある。

で、広義のラブストーリー、ハイローザム1では、琥珀さん・九十九さん・亡きタツヤさんという三者関係のラブストーリーが、レッレでは雨宮三兄弟のラブストーリーが繰り広げられていたわけで、たとえ、「表面上」で流れる物語自体が荒唐無稽でも、我々はそうした「根底」の物語を読み取る事によって感銘出来たわけですけども、私なんか完全にそういう楽しみ方をしていたわけですけども、ハイロー界のフェーズが既に(俺-お前の関係が世界の崩壊に繋がる)「セカイ系」を脱出してしまったというのもあり、というより、「セカイ系からの離脱」こそをテーマにしているというのもあり、そうした「軸」となる関係性やドラマみたいなのが少し読み取りにくい。

 

※ハイローがセカイ系であるという話と、三者関係のラブストーリーがうますぎるという話は過去記事参照ください

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

…って思ってたんだけども、確かに思ってたんだけど、物凄い不思議な現象で、ハイローザム3を2回観たら、めちゃくちゃ面白いんですよ。

普通、2回目の方がアラに気付いちゃったりするじゃないですか。そうじゃないんですよ。2回目の方が、1回目に、んんん???って思ってたとことか、いやこの演出はダセえと思ったとことかほぼ全て消えて素直に、

え!!!!面白いよ!!!!面白い!!!!かっこいい!!!!最高!!!

って……何故……これがハイローに脳を焼かれるということなのか……

 

思うに、多分1回目は、公害だ隠蔽だなんだウィルスだなんだと次々出てくる情報(と設定ガバガバゆえに人物が「つまり隠蔽を…」とか真面目に喋ってるのが余計バカバカしく見える面白さを我慢するの)に脳の処理が追いついてなかっただけだと思うんすよね。それを追う方に頭を取られて、ハイローの良いとこを楽しむ容量が少なくなっていただけなのだ。

ハイローは悪くない。脳の処理速度が遅い俺が悪い。

初回は、流石に次々場面変わりすぎでは?と思っていたラストスパートまでの流れも、次々場面が変わる中で皆がそれぞれ目的に向かって色々なものをなぎ倒していくという盛り上がりっつーか、うわーーかっこいいーーーテンション上がるーーーと評価が一変したし、もうあんなんさ、琥珀+ルードのあわせ技からの、パルクールを駆使するルードによる追い詰めからの、雨宮兄弟VS源治、そして割と悲惨な爆破、そこに巻き込まれる人々にとっては凄惨な爆破と楽しそうに外部から眺める役人とマスコミ、みたいな対比映像、そして祭り好きならではの達磨のもうこれ以上無い達磨らしさっぷりも含め、最後に至るまでの息つく間もない怒涛の流れ、完璧でしょあんなん。完璧でしょ。

むしろあの辺は、後半が冗長でダレたザム2より良い。

序盤の、廃ビルでの琥珀&九十九&雨宮兄弟が各階で戦っている場面、雅貴が蹴りで敵を下階にガンッと落とした後、それぞれの位置関係がわかるようにカメラが縦にぐわああっと移動するところなんか、めちゃくちゃかっこいいし…!!!

 

更に、最後の作戦(?)が完了した後の、コブラちゃんの台詞とそこに被せられる映像なんかもうこれ以上ないくらい、シリーズの集大成として完璧ですよね。

最後、九龍に対して、コブラは、

「大人の喧嘩は生きるか死ぬかなんだろ、俺達は今ここで生きてる」という勝利宣言をするんだけれど、その台詞にかぶせて琥珀&雨宮&エリが映る。

つまりここで映るのって、琥珀・エリ・雨宮兄弟 っていう、これまでのシリーズに於いて「大切な人を亡くし」、けどそれでも「今、生きている」側の人たちなんですよ。

じゃあ死んだ人たちは負けなのかっていうと、負けっていうと酷ではあるんだけども、「負けた」人達への強い想いがあるからこそ、彼らには、亡き大切な人の意志を継ぐという決心があり、生きねばならない理由があり…だから強く生きていける、「今ここで生きてる」のだ。

これを、雨宮兄弟の「兄貴、見ててくれ」「俺達は強く生きる」という、そのもう少し前のシーンで出てきた台詞と併せると、というより、その台詞と想いを踏まえた上でのこのシーンなわけで、だからもう感涙ですよこんなん!!!!!

って色々言ったけどこういう感動って言葉じゃねえんだよ、言葉じゃ伝わらないんだ!!! 言葉では無い、もっと拡がりを持ったドラマがさあ!!!

 

まあだから、琥珀さんと九十九さんが最後別行動だったのって、(外からは「雨宮」って一緒くたにされ←そして二人とも振り向く 自分たちも「俺達」って一緒が前提みたいな)いつでもニコイチの雨宮兄弟との対比・違い、という面(別チームを任せるという形での信頼関係)もあるんだろうけど、それ以上に、ラストのこの構造を生み出すためだと思って、こういうところがねーハイローは上手いんだよねー。上手いんだよねー!!!!!

 

 

いや勿論、映画全体のストーリー自体は何回観ようが荒唐無稽ですよ。

あんだけ「大人の喧嘩見せてやる」とかメンチ切ってた割には、当初山王に対してやっていることが別に相変わらず「下っ端による襲撃」という、ん…?だったらそれまでの喧嘩と同じでは…??感全開なのもよく分からんし、

そもそも情報も何もあいつら結構いつでもどこにでも現れるんだから、ノボルが本来のキャラを取り戻そうと?知性派ぶって「重要なのは情報だ…」とか言ってるのなんか無駄に正面顔アップになる演出のダサさも相まって噴飯モノだし、

2であれだけ重要ワードぽく出てきた「SWORD協定」なるものが、3では一度たりとして出てこないという繋がりのなさ…っていうかさーホワイトラスカルズはいつまで「女を守る…」とか言ってるんだよもう女とかいねーじゃんな関係ないじゃんな、前回コブラに助けて貰ったんだからその借りを返すでいいじゃんって感じだし、いいじゃんっていうか2を踏まえての流れでいけばむしろそっちであるべきだし、あんだけSWORD協定とか言ってたんだから、家族を失ったルードはともかく、またそれ以外の各チームがわざわざ各々の闘う理由を改めて述べるのは冗長だし、その闘う理由ってか言ってる事も女だ祭りだなんだと結局ドラマ時代とそんなに変わらんのも、シリーズの集大成としてどうなん?これまでの話や積み上げてきた絆は何だったんだ?感あるし、

後出しのように、ザム1で無名街がよく燃えたことについて、「実はあれは証拠を隠蔽するためにダウトを使って…」て話が出てきたけど、今回また爆破セレモニーしないといけないなら特に何も隠蔽できてねえのでは?って感じだし、

レッレで「強く生きろ」とか演説していた尊龍が真っ先に自ら死にに行くみたいなアレを今回もまたもや繰り返し、「諦めるな」とか言ってるスモーキーが一番諦めてる感あるという矛盾、

第一、公害の被害者という証拠になり得るから消されたはずのスモーキーの死体が、そのまま放置されてるのもおかしいし(焼いて灰にするなりコンクリ詰めで海に投げるなり文字通り「消す」までが任務のはずで、家村会は仕事が雑ってそういうとこやでマジで…)、

証拠となり得る唯一の資料をまだ警察は見てすらない状態で、今からこの人(一般人)が証言します!!これが証拠です!!○○は実は××だった!!!って、けしかけ、逮捕劇をマスコミで繰り広げるとか有り得ないっていうか、うーんこの国の司法制度は一体どうなっているんだろう…日本じゃないのかな…あの時点では咳ゴホゴホしてるだけの子供の言葉が証拠として力を持つ(ただの演技派子役かもしんなくない?)のもちょっと謎だし、

爆破セレモニーのために仕掛けられた爆発物?受信機?の近くに、警備とか誰もいないのもあるわけないし、

その一方で、一応建前上は、ヤクザとの繋がりを隠しているという設定にも関わらず、セレモニー会場付近には九龍の奴らが堂々とうようよしているのも意味不明だし、

 

いや、そういうところをいちいち突っ込んでったらマジでキリ無いですよ。っていうか、おかしくないところの方が少ないですよ。

でもさーそういうことじゃないじゃないですか、そういうことじゃないんですよハイローは…そんなのはどうでもいいんだよ!!!! 

っていうか、そういうのを気にするタイプは、はなからハイローに向いてないんだよ!!! ツッコミどころに100個言及するよりハッとする超かっけー瞬間を1000個語れ!!!

 

 

 無茶苦茶というかちぐはぐなストーリーラインの中に、きらりと光る、ハッとするような滅茶苦茶カッコいい映像や、グッと来る瞬間が挟まれる…そして、「描かれない」物語こそを読む楽しみ…何も考えていないようでいて実は結構巧みに考えられているのではないかという構造を見つけ出す面白さ…

これこそがハイロー…!!!!

 

対源治戦で、チェーンで強化して?再度源治に向かう時に、刀をよけた余波でぶわっと風が吹くようにして前髪があがった時の雅貴の、びっくりするような奇跡的なかっこよさとか、 雨宮兄弟が立ち上がって向かっていく時にSINが流れるタイミング!!!!! 超かっけーーーーー!!!!!、

スモーキーの意図を理解し、「スモーキー…」と震えるような声を出す…それでもスモーキーの意志を汲んでその場を後にするまでの佐野玲於くんの演技とか、幾つかハッとするような瞬間はあるんだけども、

何故かこれ誰も指摘していないのが不思議な、グッと来る瞬間、そして「ハイロー」シリーズに於いて実は結構大きな変化なんじゃないかというところがあって、最終決戦に乗り込む際のララの決意するような表情、これが凄くいい。凄くいいのだ。

初めから喧嘩強いセイラは別枠として、ハイローってそれまで基本、「待つ女」「守られる女」「見守る女」しか出てこなかったというか、そこが一部のフェミ的にはうーん?ポイントでもあったと思うんだけども、今回初めて、一人の仲間として、役割を持って最終決戦に臨む一員として、ララが乗り込んでいく場面があったじゃないですか。

私はそこがめちゃくちゃグッときたし、これはハイローシリーズに於ける変化というか進化じゃないかと思うんだけども…

 

で、変化ということでいけば、そもそもハイローシリーズ自体の一貫したテーマというのが、「変化」なわけですよね。

ハイローっていうと一見、マイルドヤンキー向け映画のようではあるけど、実際のとこはマイルドヤンキー的な精神とは真逆なんですよ。真逆、というか、マイルドヤンキー的なものからの卒業こそを描いているというべきか。

「変われない人間は死ぬ」というのをずっと徹底して描いてる。

 

今回のハイローザム3では、そうした“変化”の一つとして、現在公開中の「マイティ・ソー ラグナロク」にも通じるような、「大切な人と出会った場というのはあくまでも単なる場所に過ぎないのであって、いつまでもその場所に固執しなくてもいい、肝心なのは“人”の方である」というメッセージを伝えている。

それは、テッツの実家の銭湯のエピソードであったり、ルードボーイズが「無名街」の外に出ていく事を通じて描かれているんだけど、仲間達へ街の外へ出る事を説いたスモーキー自体は、今回で命を落としてしまうわけです。(窪田正孝のスケジュール)

 

ハイローザム3は、ドラマで捨てっぱなしになっていた設定が実は伏線でしたみたいな、これまでのファンへの目配せみたいなところあるんだけど、そうした目配せ要素のうち、かなり心を打たれたところは、このスモーキーの死の後の雨宮兄弟のやり取り。

無名街の廃工場?みたいなところに作られたスモーキーの墓を見て、雅貴が、

「ほんとにこんなところでいいのかよ、もうすぐ爆破されんだぞ」と言うと、広斗は、

「きっとここがいいんだ、ここがあいつにとっては天国みたいなもんなんだ」

というような事を返す。

「ここがあいつにとっては天国」なんて、それだけ切り取るとごく当たり前のような台詞ではあるけれど、これは完全に、「HiGH&LOW THE MOVIE」と「HiGH&LOW THE RED RAIN」を踏まえた上でのもので、だからずっとシリーズを追っていた人にとっては、雨宮兄弟的にも、広スモ的にも、物凄く胸に来るとこなんですよ。

「HiGH&LOW THE MOVIE」と「HiGH&LOW THE RED RAIN」があってこそ、この台詞は真に生きるのである。

 

「HiGH&LOW THE MOVIE」では、広斗とスモーキーの共闘シーンがあったり、協力関係的なものを築いていたわけだけど、そうした利害以外に、広斗とスモーキーにはある種の共通項のようなものがあって、つまり、2人とも、血の繋がった家族は既におらず、そんな中で、血の繋がらない家族関係に救われ、血の繋がらない家族の存在によって生きる意味を持ててきた人間じゃないですか。

だから、ここで、ほかでもない広斗が、ほかでもない「雅貴に対して」あの台詞を口にする事の意味というのは、(広義の)家族と生きてきた場所こそがスモーキーの天国なのだと理解しているーー何故分かるかというと、自分もそうだから、と雅貴に間接的に表明するようなものであって、だからこそ、そこに感慨が生まれるんである。

 

更に、スモーキーのそうした精神性を実は根本で強く理解してるのは広斗であるって構造も、ハイローザム1に立ち戻る感じでその感動もあるんだけども、広斗とスモーキーのもう一つの共通項として、「内向的」というのがあるじゃないですか。暗い、ということではなくて、内に閉じている、という意味で。

中の人は守るが余所者に厳しい?ルード自体の特徴でもあるけども、スモーキーは、内部には慕う家族は沢山いるけど、外部に対する閉鎖性が強いわけですよ。袂を分かった二階堂にも「お前には分からないだろう」って言うじゃないですか。つまり、「お前には分からないだろうな」でいい人なんですよ。広斗も広斗で、家族以外の人間に対してはまるで心開いていないとこがあった。

そういうある種の閉鎖性というか孤独みたいなのを、お互いに閉じた2人同士が、お互いに閉じているが故に共有している、互いに唯一の、外部にいる理解者となり得た存在同士、というような関係性も良くて、

「分からない人には分からなくていい」というようなスモーキーの閉鎖性を、同じような精神性をしている広斗は、でも・だから「分かる」というこの構造、関係性…この二人の、仲間ではないからこそのシンパシー的な絆がある事が伝わるという意味でも、凄くグッとくる台詞である。

 

けれど、その上で。

その上で。

 

まーこれ何回も言っているが、私はハイローを、雅貴の視線で広斗の成長譚として見続けているので(←?) これ以降は雨宮の腐女子の戯言として聞いて欲しいんだけど、

 

広斗には「HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION」に於いておそらく一つ変化、成長があって、ザム2では、「お前の一番信頼できる人って…」とか、自分以外に雅貴の信頼にあたる人物がいた事に散々ぶつくさふてくされてた節ありましたけど、今回ちゃんと琥珀さんの言うこととか素直にきいて、SWORDとかと協力してたじゃないですか。なんかドラマでは、「よくもまあ群れやがって…」とか言ってた広斗が、ちゃんと群れてるんすよ。(いや素直に話きいてくれないと尺が無いだけだろうけど)

 

まあそれは、私が雅貴の視線で広斗の成長譚として見続けているからそう思うだけだろうけど、それはそれとして、しかし確かに、こうした「外部に自らを開く」という「変化」ーー成長の形は、ザム3でもう一つのテーマとしてあると思っていて、その辺が明確に現れているのが、コブラですよね。

コブラって、ムゲン時代と山王時代で何か結構キャラ変しとるんだけど、ザム3というここにきて、琥珀さんが助けに来てくれた瞬間、「後輩」のコブラの顔に戻るんですよ。ここもなーーーめちゃくちゃいいんだよなーーーーこれはかなり岩ちゃんさんの名演だよなーーー

琥珀さん亡き後(死んでない)、俺たちが、俺がこの街を守るのだとずっとずっと気を張っていたのが、ザム2では一応SWORDの協力を求めようとはするけども、最終的には結局一人で突っ走ってしまったコブラが、ここに来て遂に、どうすればいいんですか琥珀さん、と弱音を吐き琥珀さんの力や知恵を借りようとする。

これは決して退化ではなくて、それこそが「成長」であり、かつもう一つの「変化」の形として、ハイローザム3で描きたかった事だと捉えていいと思うんだよね。

自分の或いは自分たちの中だけで世界を完結させるのではなくて、世界は自分たちだけのものでもなければ、自分たちだけの力で何とかなるものでもなくて、だからこそ、「大人になる」というのは、他者が存在するということを受け入れたり、他者へ自分を開いたり、時には他者を頼る事であるーーだからこそここで、自分の無力を認め、琥珀さんを「頼った」のは、それだけコブラが大人になったからなんじゃないか、と。

 

 他者へ開くことは、ネバーランドの終焉という痛みを伴う成長である、「HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION」って、そういう話じゃないですか。

 

だから繰り返しになるけれど、ハイローって、マイルドヤンキー的なものからの卒業こそが描かれているわけで、その意味で、少年の成長譚として非常に真摯でよく出来た構造を持っているんだけども、如何せん、演じている中の人たちが大体アラサーなので、少年というには流石に無理があり過ぎて、おめえら十分大人だよ!!!!感が強いのも、面白ポイントになってしまう節はある。

 岩ちゃん演じるコブラが、「こんな俺らでも、いつかは大人にならないといけない時が…」とか言ってたのとかもうおもしろすぎるもんな、まだ子供のつもりだったんだ!!!

 

 

【鑑賞日:2017年11月11日&12日】

次は無意味な結弦の妄想~サイゼリヤでデート篇・夏の思い出捏造篇・2017ロステレ後チャック篇・クリエイティビティの敗北篇~

 

■これまでの羽生妄想シリーズ

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毎年この時期になると、「すごい速さで夏は過ぎたがララララララ~」というandymoriの「すごい速さ」が脳内で流れるわたくしですが、夏つまり新潟のアイスショーを経てから開幕に至るシーズンオフの期間も、

クソのようなコラを作ったり、

 

 

あまりにも似合いすぎる袴姿に無事死んだり、

 

Twitterで定期的に勃発する「デートでサイゼリヤはアリなのか」という話題で結論として落ち着きがちな、「好きな人とならどこでも楽しいはず」という命題に乗っかり、羽生くんとならサイゼは素敵レストランと化すか…? とか考え始めたら思いの外妄想が長くなったり、

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(この後1週間くらい妄想が続いた後、食べたくなって結局一人でサイゼに行く)

 頭沸いてるから「実際羽生くんがサイゼ行ったら何を頼むのか」って考えるだけで延々時間が潰せるんだが「小エビのカクテルサラダ美味しそう、あとピザも、カプレーゼ…」って感じの羽生くんを(珍しくはしゃいでる…可愛い…)って思いたいし結局「食べて?」って10分の9くらいこっちが食わされたい。

 

こっちが10分の9くらい食べてるそばから「あ、ケーキある」って頼みだして、いやお前マジか…マジか…って顔したら、流石に「ごめんね」ってまっったく悪びれずに言うので「テレビ用の感じで、このケーキ美味しい~って言うあざと羽生Ver.やってくれたら許そう」って言って、あ?って顔されたい。

 

10分の9くらい食べてる横で一応私へリップサービスなのか「僕少食だからさー食事に行った時に僕が食べきれなさそうにしてるのに気付いて代わりに食べてくれる人とかに惚れそうになっちゃう、沢山食べる人っていいよね~」とか言い出してこれは羽生くんが頼んだんだろ!ってしょうもない喧嘩をしたい。

 

お前が頼んだんだろ!と珍しく半ギレしたら「だってなんか、ファミレスで食べ物シェアとか、楽しくなってきて…」とかボソボソ言い出して、くそ!そんな可愛い顔しても無駄だからなあーーでも可愛い可愛い「可愛い5億点!」って声に出してしまい「ほんとあんたちょろいなー」って棒読みで言われたい。

 

度重なる羽生くんの理不尽さに、別にそんなに怒ってはないけどわざとらしく怒った振りして「マジなんなんだよなー」ってぶうっと頬を膨らませたら口先だけでせせら笑われたあと「可愛くないよ」って言われたい。

 

羽生くんが全然食べないので一人でほぼ平らげたあと、家で「もう駄目だめっちゃお腹出てる気がする」って死にかけてたら羽生くんがおもむろに私の腹をむにゅと摘まんで「めっちゃつまめるね」ってやや蔑んだ目で見て欲しいし、「僕はねえ、全然つまめない」って謎に腹を半分出して自分の筋肉アピール(いるよなこういう奴…)をしてきてほしいし、(いるよなこういう奴…)と思いながら黙って指で羽生くんの腹を押したら「ちょっと!セクハラやめて!!」って払いのけてくるあまりの理不尽さが欲しい。

 

 

 

夏の思い出を完全に捏造

このままだと夏の思い出があまりに無さすぎるから羽生くんと花火をした思い出でも捏造しようかな(なお、羽生くん以外とも花火をしたことなどここ10年以上ない模様)

 

街を歩いていると羽生くんに似合いそうな浴衣を見つけたので買って帰り
「浴衣買ったよ!! 羽生くんの! 着て着て!!」って見せびらかしたら
「…何のために? 別に浴衣着る用ないでしょ!?」
「何のために…? 何のために……私が見たいから」
「フォトショで合成してろ」と呆れられたけど

結局、花火をやろう(花火大会は人が多いから行きたくない)という浴衣のために花火をやるという本末転倒感溢れる感じでやったんだけど、私が完全普段着で行こうとしたら、
「えっ、なんで自分は私服なの!?」
「だって持ってないし」
「……いやじゃあ自分の買えば? なんで僕のだけ買った!?」

「いや、だから私が見たいからだけど……私はいらないし……」
「……」
「…あっ、もしかして羽生くんも私の浴衣を見た」
「別に見たくない」ってコンマ一秒で言われたい。

 

「別に見たくない」と即答されたのでそのまま花火をしに行って(どこでやるんだろう)、思いの外テンション上がった感じの羽生くんに、
「ねえねえ、『羽生くんの方が綺麗だよ』って言いたいから花火見て『きれいだね』って言って!!」って頼んだら私の方を向いて
「うざいね」って言われた(い)

 

と言いつつも残り本数が減るにつれて羽生くんはなかなか手つけなくなり代わりにベラベラお喋りが増え、まだやりたいのかなーと思いつつも最後の一本に
「羽生くんやっていいよ」
「うん…」 とちょっと口数が少なくなるので
「寂しい?」(花火が終るの)(夏が終るの)(もうすぐカナダへ帰るの)

と訊くと顔を逸らして
「別にぃ?」って口を少し尖らせるその口調と表情に萌えすぎて動揺して火傷しかけたい。

 

動揺しすぎてカメラ連写しながら「ちょっ、ちょっ、今のめっちゃ可愛かったもっかいやってもっかい」って言ったら
「今すぐこの花火で○ちゃんのスマホ焼きたい」とか悪態をつくけども、帰り道なんだかんだで
「○ちゃんて何色が好き? ピンク?」
「え何藪から棒に」
「…だって、っていうかかれsっ……男……僕だけ浴衣着てるとか恥ずかしいからこれ!! 」
って早歩きになる羽生くんにその時は??ってなるけど10秒くらい遅れて、え、 あ、今度買ってくれるって事か!?って私も照れた(い)

 

浴衣はどうでもよくて、思わず彼氏と口走ってしまったのに照れる羽生くんこそがポイントです!!!!

 

 

していたら割とすぐに終わってしまった。因みに現実世界での夏の思い出は特に無い。

幸せは自分の心が作る。(←?)

 

 

2017年ロステレにまつわる普通の日記(普通の話なので読み飛ばしていいよ)

 

という全く以て無生産極まる夏を経て、羽生結弦のシーズンカレンダーもばっちり買いまして、とうとう本格的に始まった感のある2017‐18シーズン、

羽生はどうせシーズン序盤はそんな調子良くないしな~とか多分マスコミも含めて皆が油断していたらジャンプの構成予定より落としているのにいきなりSP世界最高得点を更新したりする番狂わせ(これ番狂わせというのか?)が起こった先月のオータムクラシックを経て、遂にGPS開幕

4ループに加え、試合初挑戦となる4ループにも果敢に挑戦し見事加点付きで成功させたロステレは見ましたか!!!!

皆さん見ましたか!!!!!

 

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(ほんとは会社で使おうと思ったのだが思ったよりデカくて主張しすぎていたのでやめた結果、家に置き場所があんまりなかった)

 

不運にも、10月20日(金)というのは、私が勤めている部で一ヶ月最も忙しい日にあたっており、20時50分頃になってもまだ全員いるという状況に加え、隣の先輩は体調悪そうだし二つ隣の先輩は電話しているのでこりゃ手の空く年下組が私しかいないからあんまり帰るとマズいかなというプレッシャーはあったのですが、申し訳ないと思いつつも羽生くんへの愛の方が優ったのでやっぱダッシュで帰ってしまいましたYO

しかも、なんか中央線か何かで人身事故が起こったのか東西線総武線と直通運転中止、ダイヤ乱れというトラップ、落合か何かで「間隔調整のため二分ほど停車します」とか言い出して、おいおいおいマジでふざけんなボケとか思いつつ、ようやくついた駅からアパートまで5億年ぶりの猛ダッシュをした結果、何か生放送じゃなかったのか帰宅してテレビつけたらネイサンと羽生の対決を煽るテレ朝VTRみたいのが流れていたとこでした。なんだよ。

 

翌日(21日)も出勤日だったんですが、

「正直フィギア見たいから早く帰りたいんですよね~昨日も猛ダッシュで帰って…」ってやる気の無いゆとり社員丸出しの台詞をうっかり言ってしまったら、

「あーだから昨日帰るの早かったんだ」ってちくちく返されたけど、よく考えて欲しい。20時50分は別に早くない……! のでは…!?

私だってほんとは全部みたかったけど妥協してこの時間なんだ…!

 

予約しろとかどうせあとで動画見れるだろとかまあアべマTVでもやるしどうせあとでま100回観るんだけど、そういう問題じゃないんだよなーーまあ別に厳密には生放送じゃなくてもいいんだけど、できれば、

「この演技がどうなるか、どういうものになるのか、どんな歴史が残ろうとしているのか、まだ何も分かっていない」

まっさらの状態で見たいんだよなーーースポーツ鑑賞の面白さってそこじゃないですか。

ということで、映画のネタバレはかなり許容するタイプというか何なら先にオチまで自ら調べたりする方なんですが、フィギュアのネタバレは極力見たくないわけです。

使用曲こそ、バラード第一番は3シーズンめ、SEIMEIは2シーズンめなわけですけど、これは声を大にして言いたいんですけど、フィギュアの試合は一度たりとして…「同じ」試合は、「同じ」演技は…無いから…そこがフィギュアの面白さだから…!!

 

例えばこういう言い方をするとやや語弊はあるが、「同じ歌を歌う」のとかと大きく違うのは(まあ歌を歌うのが簡単とは言いませんが…)、かなり技術的に難しく体力を消耗することをやっているがために、その時々の体調とか精神状態とか周囲環境とか集中力とかその他諸々の要素により、ジャンプが成功するか否かとか、そのジャンプが綺麗な加点のつくものかとか、プログラム全体の流れにマッチして全体として素晴らしい“作品”になるかどうかとか…って、本当に見るまでわからない。

故に同じものを滑っていても演技自体の出来とか印象とかって毎回違う、

この羽生が羽生至上最高の羽生になる可能性もあるし、ならない可能性もある、

そして最高の羽生になった場合、それがどれくらい強く素晴らしいものなのか、羽生くん自身も含めて現時点のこの世界の私たち誰もまだ知らないわけですよ、当然の論理として、<過去の最高を越える最高>はまだ誰も見たことないわけだから。

私たちはこれからそれを目撃できるのか否か…!? という緊張感と期待とそれから恐怖を以て、私は羽生くんを見たいんだ…!!!(ポエム)

 

まあ今回は、羽生くん比では「そこまで悪くはない」(例年GPシリーズの初戦ではもっとボロボロだったことを鑑みるとむしろ序盤から結構点数が出ている方なのかも)という感じで、

SPは、ジャンプは転んだにせよ途中までは、お?これはいけるか?という感じだった悪くはないものにせよ(しかし安定の3Aさんは流石安定の3Aでしたね!)、ちょっと動きとかスピンの回転なんかも遅いかな…?という印象ではあったものの、

FSはまあ回転が抜けたり2回転になったりコンボがつけられなかったりしたことで点数が伸びなかったっつうのはあるけども、

2年前はまだそれでも「月に攫われそうな」繊細さというか儚さみたいな雰囲気の方が強かったけれども、2017年Ver.は、俺が王者だ!!!俺がやるんだ!!!!というような動きや視線の気迫全開で心打たれ、

観客の大歓声も相まって王者感つうか、出てきた瞬間からさながら映画で遂にラスボス登場!!のワンシーンのようだし、緩急や盛り上がり方が素晴らしい曲の編集の仕方とそこに当てはめるジャンプやステップなどの要素のハメ方が絶妙にマッチしているというか本当にドラマチックで、これは改めてオリンピックシーズンにふさわしい心打たれる恰好の名プロだなあと思いましたよ

なんていうんですかね、曲の奏でるドラマと、ジャンプやステップ、スピンなどの要素が伝えていくドラマと、今ここの「羽生結弦のドラマ」がピタッと合って盛り上がっていくような感動を与えるプログラムっていうんですかね。

 

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 (待ち受けにしてみたんだけど、どうにもグーグルでエロ動画とか検索するときの罪悪感が半端なくなるという深刻な弊害がある)

 

 先述した、ゆとり丸出しで帰社した長い言い訳はさておくとしても、そもそもとして、フリーの4回転ジャンプが、2種類3本から4種類5本になっているとか構成内容自体も2シーズン前とは大きく違うわけなんですけど、この、5本の4回転が入る部分、もし予定通りに成功した場合、

 

ラスボス感溢れる気迫の表情と例のSEIMEIポーズ(SEIMEIポース?)から、太鼓の音がさながら心拍にあわせて緊張感を醸し出す序盤、ここで、

今シーズンから挑戦する高難度の技、4回転ルッツ

「果たして4回転ルッツが成功するのか…!?」を固唾を飲んで見守ることになるわけです、このルッツが成功するかどうかが演技全体の印象や記憶を左右するといっても過言ではないところ

そして、小太鼓や重音が重なり、次いでまたしても難しいジャンプである4回転ループ

まずはこの2つが成功するか!?というところが、技術的や得点的、演技全体の出来的にも重要なわけですがそのあたりの緊張感が、ドン、ドン、という太鼓のリズムや徐々に楽器が重なっていく音が奏でる気分に非常に融合している感じ

 

でもこれはまだ序盤、

飛び上がるような3Fを経て、スピンと共に始まるSEIMEIの主題旋律、結弦という名の通り(?)ステップ直前の弓を引くような動作(?)の美しさ!!

…から入るステップはおそらく、陰陽師たる晴明が悪霊を祓う儀式みたいなものを表現しているんだろうけど、この力強くも深遠な振りとステップがここで入ることにより、序盤2つの4回転が成功していてもしなくても、さながら「これから怒涛のように続くジャンプ」が上手くいくための、何か邪気を祓う儀式のようなおまじないのような印象を与えます(ところで、この部分の、ジャッジ席付近で足を前にクロスさせながらまるで歩くようにスー、スーっと滑っていくとこの動作すげえ好きなんだけど伝わりますか?)

 

そして曲調が一転、ここからが怒涛のジャンプが続いていく

 この、体力を消耗しているはずの後半に、静謐で吸い込まれるような振りと音楽から、再び曲調が変わり徐々に壮大になっていき、そんな音楽に乗って、

 4回転サルコウ+3回転トウループ

4回転トウループ+1回転ループ+3回転サルコウ

4回転トウループ

……と次々に4回転が繰り出される構成がね…ここも、曲が盛り上がっていくところと観客の心の盛り上がりと、要素の魅せ方が最高に重なっていって、もしこれ全部成功できたらもう!!!もう!!!絶対に感涙モノだろうという!!!!!

 そしてコーラスと共に浄化するようなスピン、からの(これ2015年のGPFの上からカメラの感じ良かったっすよね~)

ダッダッダンッって手を振り上げて両手を回すとこ!!! ここもいい!!!!

主題に戻った音楽は荘厳さを増し羽生くんと観客の想いを乗せていくような伸びやかなハイドロ、イナバウアー…こうしたラストまでの流れの素晴らしさ!!!!

 

もうねー演技そのもの自体が映画ですよこれは!!!!!!!!

いやもうちょっとマジで説明するのにあまりにも語彙が足りなさすぎるから今後のNHK杯など直接見てくれ。語彙が足りなさすぎる。

台詞を喋らなくても歌がなくても、物語、ドラマというのは作れるんだなあというね、そういう感動がね……!!!!

しかも、こうした要素がどれだけ成功するか否かというそれこそが、今ここの羽生結弦のドラマであるわけですしね…!

 

【追記:というような事を書いていたが、後で他の選手含め最初から全部見たら、めっちゃ今更だけど、ジャンプの高さ、振りや動きの密度、スケーティング、羽生くんのあまりの段違いのうまさに改めて(※改めてって30回目くらいの改めて)びっくりしました。今更。トップ選手ばっか見てるとちょっと分からなくなるが…】

 

と、珍しく真面目に話をしているようではあるが、VTRが終わったあと試合会場に戻った映像を見たあとの私の第一声(一人暮らしなのにテレビに向かって一人で喋るタイプ)

「観客日本人ばっかだな…」

羽生くんとほぼ同年齢でこの世界に生を受けたことにつまり歴史を目の当たりをできることには圧倒的感謝ではあるんですが、ほぼ同年齢で生を受けてしまったがために、羽生くんに頭を撫でられる子どもにもなれないし、ロシアでも何でも遠征にいく財力強おばさんにもなれないことにテレビの前で歯ぎしりをしていた次第である。

 

 

しかし、言っていいすか、私…私…

 

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GPF8日当たってるんですよね!!!!!!!!

 

生で!!!!SEIMEIを!!!!観れる!!!!!!!

どうにもこのチケット争奪戦で運を使い果たしたのか、この当選メール日は2人も会社休んでそのとばっちりがめっちゃ来て深夜残業だったり、そのとばっちりでせっかくよかれと思って代わりにやったことが上手く伝わってなかった(つうか、やっときましたって書類に付箋つけてその人の机に置いといたらそれがどっかいったらしく、同じことをその人がやった後に気付いて、二度手間じゃん!ってキレられたっつうか)とか、悪いことが続きまくったものの、

そんなことは全然許せる心の余裕があるのだ。だって生で羽生くんの試合観れるんだから!!!!! いいんだよその程度のことは!!!!

 

しかし、何故か私が当選直後まずやったことが、「羽生くんへの貢物を調べるためにzozotownを開く」だった(何でゾゾだよ、というのは男性物とかブランド名からしてまず全然知らないためとりあえず傾向からというか…)

結局客のプレゼントってどうなるか知らんのだけど、こういうのは気持ちの問題っていうか、何ならデパートとかに行って、「彼氏へのプレゼントを買いに来た女」という体で、「170センチ強くらいで~細身で…」とかいうプレイをやりてえ。まあやらんけど。

一番やりたいのはこれですけど↓ 

 

 

 

2017年ロステレ例のチャック妄想

 

 ところでロステレのSP後、Twitterで大盛り上がりしてたのはこれ↓

news.livedoor.com

 

ジャージを口で噛んで脱ぐのがセクシー過ぎると話題になっていたんですが、こんなのさーー妄想力を掻き立てられないわけねーーーーねーーーー

 ということで徐々に暴走していく俺の妄想。

 

羽生くんが家に帰ってきたら、(今日は襟を口にくわえる脱ぎ方やってくれるかな!?)って期待の視線でじっと眺めたいし、そんな視線に気付いてるのでわざと無視してめっちゃ普通に脱いで欲しいし、めげずに脱ぎ捨てた上着を、「あの脱ぎ方やって!」ってもっかい着せようとしたら「は?」って追い払われたい。 

 「やってよー!」って追いかける私と、「何で脱いだのまた着んだよ!」ってまさしく正論を言って逃げる羽生くんとで追いかけっこになって、部屋10周くらいしたあと「何やってんだろ馬鹿らし」って座り込んだ羽生くんの隙を狙って着せようとしたら、逆に隙を取られて上着で手首縛られ「お願いだから大人しくしてて」って放置されたい。

何故か全然ほどけないので「ってかなんでそんな結び方知ってんの? やらしー!」っていじりにいったら「エロ漫画脳のあんたと一緒にしないでくれますか?」って蔑まれたいし、「まあ(それが)お仕事ですからね、make mo…いやmake love?」とか全然通じないジェシーの物真似して全然通じないから二時間無視されたい。 (下ネタやめろよおばさん!!)

 羽生くんにマジで二時間無視されたあとようやく、「もううるさくしない?」「…はい」「よし」って三歳に言い聞かせるみたいな言い方でほどいてもらって「三歳児じゃねえんだから…」ってボソッと言ったら「三歳児なら可愛いからまだマシなんだけど」「…どういう意味や!?」みたいな会話をしたい。

っていうあたりでなんかちょっとひらめいて、「じゃあもういいよ、口でチャック開けなくていいから、『お口にチャックして』って私に言って!そしたら静かにする!」って請願したいし「25歳うるさい」って怒られたい。 

 

 まだ24歳だもん!!!!!(誰に言ってるんだ?)

 

 

【追記:2017年10月24日】

……てなことを勢い勇んで日曜日に書いてしまったわけですが…すっかり油断していましたね…まさか…まさかエキシビションでまだ更に爆弾が沢山投下される羽目になるとは……

ロステレ2017は、フラワーボーイ?と絡む羽生天使過ぎ問題とか、ジャージの脱ぎ方エロ過ぎ問題とかあったわけですけども、エキシビションに至って更に、

これらの実際の写真や動画なんかは現地観戦した人たちとかが女神のごとくTwitterなどにアップしてくれているから頑張って検索して欲しいんだけども、

 

【縄跳びの貸し借りをするメドベちゃん&羽生可愛すぎ問題】羽生くんはロシア女子とセットだとなんであんなに可愛いんだろう…お互いに何かぎこちなくお辞儀するとこ可愛すぎでしょ…

 

【リフトされるのも勿論だが金テープと格闘していた結果、集合写真に入れず後ろでわたわたする羽生激可愛すぎ問題】何あの動き…!!何あの動き……!!!!!何あの動き!!!!!!!

 

【(リフトしてくれた)ホタレックの腕を抱く羽生小悪魔過ぎ絶対惚れてまう問題】

 

ここまででもかなりヤバいが、最後の大爆弾はこれ、これ!!!!!

【金テープくるくる羽生の破壊力凄まじすぎ問題】

togetter.com

 

ミーシャに金テープで悪戯される写真が完全に天女なのもさりながら、そんなテープを取るために、氷の上でさながらプリンセスの変身シーンのごとく、くるくるとスピンする姿のあまりの愛らしさを動画で見た瞬間、私は、

「かっ…かっ…かわ……」

みたいな声にならない謎の奇声を発しながらベッドから落ちた。マジでめっちゃ動揺した。

え、何これ天使???天使????

 

あまりの破壊力の萌えという喜びに震えると同時に、しかしこの金テープくるくる羽生を見た瞬間、私は自らの敗北を認めざるを得ない悔しさに打ちひしがれたわけですよ。

というのは、何千字もつらつらと羽生妄想していた自分のクリエイティビティなんてのは、現実の羽生結弦という破壊力の前では全くの敗北を喫する事がよく分かったのだから…!!!

そうだよ、当たり前の話だよそれは、凡人の想像の範囲に収まるような人間があんな何万人も虜にするわけねえんだよな。

ってそんな、我々の想像を遥かに超え婦女子を次々と死屍累々、屍にしていく羽生結弦は今シーズンまだまだ見られると思うから、予めそんな時のお気持ち表明用に準備しておくことにした。萌死して屍になった時に各自使ってくれ。

 

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それにしても、なんというか今回は久しぶりに、「ただの天使」の羽生くんを見た気がしないでしょうか。私の観測頻度が低いだけかもしらんが。

いや言うまでもなく羽生くんはいついかなる時でも何をしていても天使であることには違いないんだけども、たとえ「うるせえな25歳」とか言ってたって天使なんだけども(それはお前の妄想)、

そういう広義の「天使」ではなく、狭義の意味でいけば、最近はもっとこう、力強くキリッとしていたりハキハキと大人ぽかったり、強い目力のラスボス戦闘モードだったりする事の方が多かったわけじゃないですか。体つきや顔つきも結構男らしくなっていたりなどして。勿論、プーさんで手振ったり猫耳にゃんにゃんしたり(←?)、みたいな事はあれど、それって「お前らこういうの好きなんだろ」的なある種あざとさの上というか、そういうあざといところも好きなんだけどそれはともかく、まあそんな感じじゃないですか。

それが今回は…結構…ただの天使…(勿論この「ただの」というのは普通のという意味ではなくめちゃくちゃ殺傷力が高いのは言うまでもなく、ただのというのは「純粋なる、それ以外の何でもない」というような意に近い)

いや日頃、「表では好青年の羽生くんが気を許した人の前ではめっちゃ塩対応だと萌える」みたいな感じの妄想ばっかしてる俺だけど、結局こういう天使の羽生が好きなんじゃんみたいな、結局お前もそこじゃんみたいな、原点に戻った感じがしましたよ

ってか16、7歳頃ならともかく22歳になってもそうした振る舞いに全く違和感ない羽生やばないですか。

 

っていうかすげえ今更な事言うけど、羽生結弦ってもう何、名前の字面からずるいじゃん。
羽が生えて弦を結うって何それもうまんま天使じゃん。天使じゃん。

あーーーーーーーあーーーーーーー