センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた24歳。吾妻ひでお、山田花子、真造圭伍、九井諒子などが好きです。ボーイズラブの話多し。

「紅桜篇」で一番大事なシーンカットだと!?――「実写 銀魂」感想

公開初日である金曜日(14日)に、仕事が終わるハーフハーフの可能性にかけて実はチケットを取っていたがやはり終わらなかったので月曜日に取り直して観てきました、「銀魂」の実写版!!

 

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私(24歳)世代のオタクであればほぼ絶対に一度は通ってきた「銀魂」であり、ゆえにこの世代のオタクの特徴として、「銀魂喋り」――「ってオイイイイイ」みたいなノリツッコミをする、「○○ですかコノヤロー」とか言っちゃう――という言葉があるくらい影響を与えてきた作品ではありますが、

一応私のスタンスを最初に記しておくと、「中学~高校の時に漫画読んでいた、アニメも少し観ていた」程度なので、原作の世界観やキャラクターは知っているが、そこまで強い原作厨というわけでもない。

そしておそらくは、今回の「実写 銀魂」はそのくらいの人が見るのが一番ちょうどいいのではないかと。

あまりに思い入れが強すぎると些細な違いが気になるだろうし、後に詳細を記すけど、そもそも「おいおいおいおい皆、紅桜篇ってアレを観に来てんだろうが!!!!!!!!」ってシーンが見事にカットだし、逆に全然知らない人が見ても、各キャラクターの詳細や関係性はそこまで説明されないのでよく分からないかもしれない。

 

とはいえ、「万事屋って何なのかとか神楽などが何で万事屋にいるのかとか」みたいな基本設定の説明を映像としてはせず、原作でも人気が高くアニメ映画化もした1エピソードをやるっていうのは正解だと思いますよね。

(アニメ映画の方だと最初の説明をもっとバッサリ切ってて、天人が江戸にやってきて攘夷志士がうんたらくらいのところで「どっから説明するつもりだよ?こんなの原作ファンしか観に来ねえんだからいいんだよ!」って終わらせてますが)

だって長い原作でそれやってたら、「ダイジェストかな??」ってなっちゃいますからね、ほらあの超ダイジェスト映画「寄生獣」の実写みたいにね…

 

ということで、これは対象としては、「中学生の時にちょっと読んでたくらい、原作の世界観やキャラクターは知っているが、そこまで強い原作厨というわけでもない」層、

で、スタンスとしては「超豪華俳優による学芸会」として観に行くのがいいかと思った。

つまり、あの!!!橋本環奈様が神楽をやっている!!!!神楽をやるとあんな感じなのか!!!!っていうのを確認しにいくみたいな楽しみ方というか。

その意味では全然観に行く価値はあるんですけど、

泣ける?友情感動アクション映画として観るとすっっっげぇちゃちいし安っぽいので微妙すぎるし、ギャグ映画としてはそこまでギャグに振り切れているわけでもないし大体テンポ悪いし、そもそも(アニメですら寒い時あるのに)三次元の人間が銀魂のあのノリをやると凄い寒いし、ぶっちゃけ一本の映画の出来としてはすこぶる…微妙なんじゃないかと……

 

 

とは言え良かった点①「役者たちの好演」

 

 とは言え良かった点としてはこれはもう、「役者達の好演」に尽きるのではないか?と。

原作ファンは分からないけど、私個人としては、「こいつ全然駄目じゃん、全然ちげえし」みたいな役者は一人もいなかった気します。

新八が菅田将暉ってカッコよすぎるのでは?と心配していたけど、ちゃんと新八っぽくなっているし、同じくイケメン過ぎでは枠の桂(@岡田将生)も、岡田将生がカッコよすぎることで後半のとある大事な登場シーンが、めちゃくちゃキマってる!!

最初役者が発表された時に、ちょっと違うんじゃ…?って思っていた高杉晋助(@堂本剛)も、下手をするとどうにも「ただの痛い人」になりそうな高杉晋助を、いい感じの退廃感と姫感(姫感?)と流石の貫禄で演じていたのと、映画全編を通じて私が一番「おっ!」と思ったというかグッと来たシーンは、これたぶん予告の37秒あたりにもあるけど

 

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高杉が刀抜いて銀さんに向かっていく時の、この、肩がゆらっと揺れる感じの歩き……分かりますか!? 細かいんですけど。佇まいがねえ、いいんですよねえ。

 

で、そんな中でも特に私的に好演していたと思うのが、神楽を演じている橋本環奈様と、俺の推し沖田総悟を演ずる吉沢亮なんじゃないかと。

ちゅうかあれよ、この2人に関しては、3次元の人間が「○○でさァ」とか「○○アル」とか言っててバカみたいじゃない、って言う時点でもう凄いでしょ。違和感がそんなないんだよね。

特に橋本環奈様に関しては、他のキャストはともかく橋本環奈がいなかったらそもそも銀魂実写ある程度の成功しなかったのではレベルでの貢献度じゃないですか!?

最初、橋本環奈様に何やらせる気だよ!?って思ったけどもうむしろ、橋本環奈以外に出来なかったでしょ!!と今は思いますよね!

声とか喋り方の感じが思いの外、神楽っぽかったのとか先述の通り「アル」とか言ってて違和感ないのも凄いけど、オレンジ髪が全然似合ってて何をしてもどんな角度から見てもめちゃくちゃ美少女っていうこの(白目になっているとこはさておき…)…何をしてもどんな角度から見てもめちゃくちゃ美少女じゃないと、多分もっとコスプレ感満載になるし何より嫌な痛々しさとか見てられなさみたいなのが絶対出ると思うんですよね。若い女の子が頑張っちゃってる感みたいな痛々しさとか可哀想感。

あのレベルのクオリティで神楽をやれる(プラス○○に何やらせてんだよ!って面白さの前提になる程度の知名度がある)若い女の子って、現状というか、少なくともここ10年間くらいのスパンで見ても橋本環奈様以外にいなかったのでは…ってくらいナイスキャストと貢献(って意味では最も適切な実写タイミングだったとも言える)。流石1000年さん…

 

で吉沢沖田に関しては…元々私が銀魂では完全に沖田推しなのもあるが…もう完全に心を持って行かれた…

顔というより、佇まいとか雰囲気が、ねえ!!!!(つうか、顔だけだったら沖田はもっと童顔なのでもっと寄ってた人色々いたんだろうけど、これはビジュアルより雰囲気とか佇まいの沖田っぽさとか存在感を優先して大正解と思う)

あの、銀さんが質屋から出てきた時に「探し物ですかい、旦那?」って壁に寄りかかって現れたところで、ぎゃあああああと私はズキュンとやられちまった。

とは言え、真選組メインの話ではないからか全体的に、実写沖田、「お前は映画の時だけいい奴になるジャイアンか?」って感じに、銀さんの心配したり結構素直で真面目な言動をしていたり、

「どうしたんだよ総悟!?」と言いたくなるほど普通にいい人だったので、沖田のアイデンティティであるドSぷりとかクズっぷりがあまり目立っておらず私はその点物足りなく思ったものの、

一応、ちゃんと土方を犠牲にして逃亡するクズさが残っていて本当に良かった…やはり沖田には土方の命をつけ狙ってもらわないと…

そんで、土方を犠牲にして逃げる時の、あの親指をグッとあげる感じも良かったね…あれ二番目に好きなシーン…

 

 

とは言え良かった点②「実写オリジナルのギャグシーン(の一部)」

 

 とは言え、いくら役者たちが好演していても、これはもう誰が悪いとかではなくて、30分くらいのミニドラマならまだしも、銀魂のノリって漫画で読んだら面白くても三次元の役者が大スクリーンでやるとどうしても寒さが否めないんすよね…

例えばおしとやかに見えるお妙さんが、時としてめちゃくちゃ凶暴になる、みたいなキャラ設定とかって、いかにも漫画的で、実際にやると(中学二年生の痛いオタクのオタクごっこかな?)みたいになっちゃうじゃないですか。

一番あっちゃ~~って思ったのは、原作漫画だと11巻終わりの引きになっている、

「宇宙一バカな侍だコノヤロー!!」ってとこね…

あれ小栗旬「ちわ~」とか言わない方がまだ良かったんじゃないの…(原作やアニメだと言ってないしね)

もうこの、「コノヤロー」というワードの寒さと、普段はおちゃらけてるけどやるときゃやりまっせ、みたいなこれまた漫画的なあれと、過剰でわざとらしい「おちゃらけ」部分のアピールの寒さとが相まってもうね…

 

しかも、よりにもよってED後あそこを繰り返すじゃないですか!!

一番寒いとこ繰り返してんじゃねえっていうのと、(一度目のEDで一応テンドン的にふざけてるとはいえ)ED後のふざけシーンがなくて何が銀魂じゃ!!ってのとで余計残念感が…

 

ちゅうことで、原作に忠実ぽいギャグとかは逆に微妙な感じあるんすけど、なので面白かったところとか会場に笑いが起こってたところって、主に実写オリジナルのギャグシーンっすよね。(勿論全部が全部面白いわけではなくこれも寒いとこのが多いんだけど)

 

1000年さんの1000年写真(神楽Ver.)が出てきたところとか、ナウシカって言ってるのを全部音消されてるところとか、あと一番面白かったと思うのはムロツヨシのシーンな…

ガンダムが出てきて、銀さんが「これ欲しい!絶対勝てるじゃん!」って言うところや、反撃したムロツヨシ(もはや役名を忘れた)が思いの外強いっていうシーンはめっちゃ笑った。

 

 

残念だった点①「ギャグが長い、しつこい」

 

でここからは残念だった点の話なんだけど、しかし、面白かったのってそんくらいで、これ個人的な好みの問題かもしれないけど、全体的には、そもそも私、福田雄一のギャグが好きじゃないのかもしれないな…というのをつくづく感じた。

いや「アオイホノオ」とかは全然好きなんだけど…

 

今回強く思ったのは、

「スーパーサラリーマン左江内氏」でも薄々感じていたことではあるが、福田雄一って、ギャグがしつこいっていうか「長い」ですよね??

「スーパーサラリーマン左江内氏」なんか、これいつ終わんの?ってギャグシーン多くて、最初は笑えても長すぎてダレてきたり、完全に話のテンポを殺していたとことか結構あったと思うんだけど、実写銀魂でもその悪い部分がすっげえ出てた気がする。

 

原作やアニメと、実写を比較するとわかると思うけど、平均として実写の方が、ギャグ会話の応酬が「4、5往復くらい多い」んすよ。

なので絶妙にテンポが悪い。

漫画だと、さっと終わらせてたり一往復で済ませてるとこでも、結構引っ張ってる。エリザベスが何のために来たか分からないとこのシーンの応酬とか、刀打ってて鉄矢が銀時の呼び声に気付かないとことか、兄者には耳元でしゃべらないと、のとことか、また子のパンツが云々と神楽が煽るくだりとか、新八が何とか船に忍び込もうとするとこのくだりとか、色々あるけど。漫画だとあんなに長くないじゃないですか。で、耳元で喋ればと言われたから呼び掛けた途端殴られるみたいな、長くない(次の瞬間殴られてる)から面白いところというのもあるのに、わざわざ会話やギャグを付け足してる。

しかも、漫画なら3秒くらいで読めるわけですけど、映像にすると演者が喋っているのを全部聞かないといけないわけなので、そもそもがどうしても尚更長くなるわけですよ。メディアの違い上、ただでさえ観客の体感時間が長くなってしまうところを、更に長くしている。

これが、引っ張ってて面白かったり付け加えたところが面白ければ全然いいんだけど、完全に話の流れを殺してる感と、回避できたかもしれない余計な寒さ感が付け加わってめちゃくちゃマイナスの方向に働いてる気がする。

オリジナル部分でも、ナウシカが出てきて、鉄子が、何回も、本当にいいのか?とか繰り返すとことか完全にしつこいし(逆に突っ込まない方が面白いレベルに)

 

これが福田雄一の作家性かもしれないけど、私はこの感じは凄く苦手だと思った。

ゆえに、原作とか関係無い一本のギャグ映画として見ても、別に面白くねえなって感じである。

 

 

残念だった点②「アクション映画としてはマイナス1億点レベル」

 

まあそもそもアクション映画ではないんですけど。

 

それにしても船やCGとかの安っぽさ、もうちょいなんとかならなかった…のか…紅桜から生える触手?とかさ、なんだあれ。なんだあれ。

天人なんか、MAN WITH A MISSION以下のクオリティだし。どうぶつさんたちだいしゅうごうだわいわいとか歌いだしそうなレベルだし。

勿論、あれば敢えてクオリティを最低にしていることで、これは学芸会ギャグ映画なんですよってことを示しているんだとは思うので、それはいいんだけども、私は今回、画面や合成技術のクオリティといったことのほかにも、

 

「例えば同じ、コミック原作が元になっているマーベル映画とかとも比べて、何故邦画の漫画原作映画がやけにバカバカしく見えるのか?」

 という理由の一端を悟ったような気がした。(製作費)

 

あのですね、多分、戦闘シーンに於ける、「主要登場人物以外の扱い」が理由の一つなんじゃないか?と。

実写銀魂に限っては、「今戦っている人(重要な人)」以外、完全に棒立ちですよね??? これ、めっちゃ、めっちゃ気になるのよ!!!!

だって、そんなわけあります??? 普通、大事な人がやられそうになっていたら助けに行ったり助太刀したりしますよね??? ボーッと見てるだけとか、あります???

しかも真っ直ぐ突っ立ってるだけなんですけど????

ジョジョかよ???(この例え通じる?) いやジョジョは、見てるだけのキャラはちゃんと戦闘の解説役という役割を担ってるだけまだマシですよ、

この、ボーッと突っ立ってる主要人物以外、が画面から目に入ることで、バカバカしさ度と学芸会感がめっちゃ増してんのよ!!!!

 

これはおそらく何ていうか、

「男の戦いはタイマンであるべきだ」(ゆえに、主要キャラが同じく主要キャラと戦う場合に、2対1だったりするのは卑怯)的なジャンプ的価値観なのかもしらんけども、だから、そのジャンプ的価値観と、ボーッとつっ立ってない状況を並立させるために、

「助けに行こうとしているけどほかの誰かに止められてる」(例えば、橋のシーンなんか漫画だと新八は助けに行こうとしてるけどエリザベスに止められてますよね)とか、「手負い状態」とか、一番よくあるのは、

「雑魚キャラがわっと出てきて皆がそれぞれの相手をしている」

とか方法は色々あるわけじゃないですか。

それぞれが各々の場所で自分らの特性を生かした戦いをしつつ、次々にカットが変わることでスピード感は失われていないのに誰が何どんな戦いをしているのかもちゃんと分かり、かつ、特性同士を合わせて共闘したりするシーンもアツいアベンジャーズ1000回観ろ!!!!

 

で、これがタイトルの、「「紅桜篇」で一番大事なシーンカットだと!?―」に繋がるんだけども、ラストの、高杉VS銀時 のシーン、桂、何してんのあれ??? 何しに来たの??(何もしてないって意味だが)

っつーかさ、つーかさ、つーかさああ、「紅桜篇」で皆何観に来てるかって、

 

 

 

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これだろうが!!!!!!!!!!!!

 

 

 いやまあ、事情は分かりますよ。

堂本剛出した以上は、高杉VS銀時がなきゃね、みたいなあれはね、だから別にそこを変えたことはいいし、さっきも書いたけど、劇中で一番好きなのは、高杉が剣を抜いてゆらっと歩いてくるとこだし。

でもそのシーン(のバックに)、「天人」「また子&武市」と「桂」が棒立ちで突っ立ってることで、こいつら何してんの??感が、特に桂なんか、お前何しに来たの?感がやばい。だったらこの場面にはいない方が良かったくらい扱いが可哀想すぎる。

ちゅーか天人も何しに来たんだよ。手組んだんじゃねえのかよ。何黙って眺めてるんだよ。

 

いや、変えたことはいいって言ったけどやっぱよくねえな。だってここが、三人の関係性を表すのに一番重要っちゅうか普通に一番熱い萌える(燃える)シーンじゃないっすか。ってこれは本質的には三人の話なわけじゃないですか。

以降は原作Ver.の話で映画ではカットされていたけれど、

それぞれ向いている方向はバラバラの三人、個性もバラバラ、「友一人変えることもままならん」という真っ直ぐな桂と、「お前に友達なんかいたのか?それは勘違いだ」みたいな憎まれ口を叩きつつも肝心な時には来てくれる銀時、

「お前を斬るのは骨が折れそうだから変わってくれるな」と言う桂と、「お前が変わった時は俺が真っ先に叩き斬ってやる」という銀時、

そうなんすよ、つまり「AKIRA」(またAKIRAの話かよ)なんですよ。つまり、「仲間だから」「俺たちが斬ってやる」なんですよ!!

で、あればだよ。いくら小栗旬が主役とはいえど、ここで桂と銀時の行動レベルに差を付けちゃ駄目なんじゃないのか??

  

 

残念だった点③「真選組も何してんの?」

 

これに関しては、私が圧倒的土沖推しなのでというのもあるが、それにしても…

劇場版なので無理やり真選組も介入させたという大人の事情によるものだろうけども…途中から完全フェードアウトしてましたよね…命張った戦いとか言ってたのは何だったんだよ…

あいつら、最後の戦闘に向けて新八と神楽を都合よくフェードアウトさせることにしか役立ってないのでは…(何で、高杉とか桂を捕まえる職務を全うせず割と素直にずこずこ帰るのかもよくわかんないし…)

 

で、こっちはむしろ、実写映画の祭りなんだからもっと祭り感出して、万事屋組と共闘したりしてくれてもよかったんじゃないのかね?

とか思ったりして。(何回も言うが土沖贔屓なので言ってるだけです)

(本来なら沖田回であるはずの←?)カブト狩りだって、もっと、台詞の応酬によっては、「近藤、土方、沖田のキャラ説明(近藤はともかく、今回の映画だと、土方も沖田も割とただのいい人ぽいとこしか殆どないのよね)」「神楽と沖田の敵対関係」「土方と銀時の基本的には仲が悪い、が保護者組として時に結託した感じになる関係」みたいなあたりを説明する機能を果たせれた気もするんだけど、ってか、他のシーンで余計な台詞加えてる分をこっちに回してくれればよかったのにとか思うんだけど。

そこで、基本的にはあんまり仲が良くないというのを見せておいてからの、舟での共闘シーンなんかあったら、実写的には祭り感あって燃えた(萌えた)はずなんだが、

元々出番が無かったところを中途半端に入れたせいで、一体こいつらは何をしに?的な、なんとも微妙な感じになっているあたりが少々残念。

 

dTVを観ろってことか!?!?!?!?(土沖派的には神回のミツバ篇一番好きなので観る決心つかねーーーーーー)

 

 

 

蛇足・ありそうでなかったパロディ

 

・橋本環奈様がマシンガンをぶっぱなしたあと、「カイ…カン…」とか言いそうだったけど言わなかった

 

・カブト狩りのくだりで、「ここをキャンプ地とする」とか言いそうだったけど言わなかった

 

 

因みになんだけど、私はエンドロールみて始めて、え、安田顕ってどこに出てたの!?ってガチで思ってしまいました。

 

現実として現れるであろうあらゆる羽生結弦との恋のためのプロレゴメナ

Hello, I Love You,皆さんお元気だろうか。

私は死んでいる。

6月18日のFaOI新潟で羽生くんが実在して生きているのを目にしてしまったからだ。

 

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これが意味することは2つある。

一つは文字通り、生の羽生結弦という威力に負けて無事死んだということと、もう一つは、これで人生のと言っては言い過ぎであれば私の中の今年の一大イベントが終わってしまったのでしばらく生きる意味がなくなるという意である。(GPFやNHK杯のチケット争奪戦に勝てば別だが…)

 

私は、四六時中ボーイズラブのことを考えているというか四六時中ボーイズラブのことしか考えていない筋金入りの腐女子だけれども、唯一羽生くんだけは別で、だいぶ頭がイってる感じの痛過ぎる夢女子と化し、

これまで、

 

22:16 - 2014年12月25日
因みに私から羽生くんへのプレゼントは、キャラ作りなことが分かっていて+ファンから山ほど貰って飽和状態なのが分かっていて、敢えてのプーさんぬいぐるみと、プーさんの着ぐるみ(一昔前のギャルが着ていたやつ)で、「これ着て踊ってよ!!ファン大絶叫CM増えて収入倍増大間違いなし!」とか煽ったら、普通に、「マジでいらない!」とか怒られたいし、「人気アップ間違いなしなのに…」と言ったら、怒った勢いで「そんな事でこれ以上忙しくなったら、もっと会えな」ってところで 我に返って、自分の発言に照れて照れ隠しでむっとしたように黙って欲しいし、「会えな?かーらーのー??」って更に煽ると、プーさんのぬいぐるみに向かって「ほんとにうざいですよねーこの人ーねーうざいよねー」とか一人で喋って欲しい。

 

などと頭の湧いた妄想集や↓

blog.livedoor.jp

 

もはや人外レベルの突出した才能を持ってしまったおかげで常に勝ち続けねばならなくなった羽生結弦という人生について考えていたら(何だそれ)、自ずと思い浮かんでしまった一万字くらいのポエム小説などを書いてみたりしたし、つまり羽生くんという存在はそれほど自分のクリエイティビティと言語中枢を刺激する存在だったはずだし、

大好きなバラワンプロなんか動画で100回くらい見ているはずなので、

なので日曜日が来る前までは、FaOI新潟での羽生くんの一挙一動、演技の素晴らしさについて存分に語るつもり満々だったのだが、まあ、無理でしたね。

 

無理でしたね!!!!!

 

オープニングのキャッツアイで、なんか腹アハーンってやってたりステップの途中で転んでしまった流れで氷にべたあって倒れて周りのおばさまが超萌えてたり、素人目にも歴然と、羽生くんジャンプが凄い高い!!って思ったりやはり最後数人のスケーターの前をスーっと横切り、ちゃっかりプル様の横に割り込んだりしてた気するけど、

 

「うわーーーーー羽生くんだーーーーー」

 

って思っていたら終わっていたしなので何も覚えていない。

実在の羽生くんを目にしては、言語機能と思考力と記憶力とIQが2くらいにまで低下することが分かった。

 

 

でも、流石にプーさんの着ぐるみは着ないが、マジでプーさんの耳?ヘアバンド?をつけて最後出てきていました。

羽生くんはスターだなァとつくづく<体感>したのは、彼が出てきた途端、観客のテンションと何とか彼を目に焼き付かんとする情熱がほんとに100倍くらいアップするというだけではなく、プーさんのヘアバンドをつけてラスト出てきたおかげで、総立ちの観客がめいめいに興奮を発露した結果、アイスショーのために組み立てられた座席がマジで揺れたのだった。まさに<体感>である。

周りの人たちも、「地震?」みたいに戸惑ってましたからね、割と命の危険を感じるレベルで揺れていた…。

 

ということで、言語機能と思考力と記憶力とIQが2くらいにまで低下した結果、レポートすることが何も無いししばらく生きる意味も無くなるので、代わりに(何が代わりだよ)、約2年半ぶりに、

羽生結弦妄想集~2017年~」を自分だけのために(あとで私がニヤニヤするために)まとめようと思います!!!!!!

まあ別に言わなくても分かると思うけど全部ただの妄想なので羽生くんはそんな人じゃないのは知っています!!!!

(どうでもいいんだけど、別に「私」も全くこんな人間ではないので、じゃあ誰と誰の何のための妄想なんだろうなこれは…)

 

 

2017年4月3日(月) 21:37

羽生くん明日日本に戻ってきたら何したい?って聞いたら「カラオケ」(何故ならばテレビの前では口パクだけで熱唱できないから)って返ってきたんだけど、羽生くんは、私が歌ってる時はずっとゲームやってるくせに自分が歌ってる時に聞いてないと不機嫌になるタイプだといいし、自分は人の歌に入ってくるくせに私が入ると「歌うな音程がずれる!」って怒る理不尽な人間だといいし、けど羽生くんの方が音程が狂ってることにはきっと気が付いていないと可愛いし。

 

2017年4月3日(月) 21:44

 羽生くん日本に戻ってきたら何したい?って聞いたら「カラオケ」って返ってきたので、DVD鑑賞できるカラオケボックスに連れ込んで「私選・羽生ベスト演技集」を延々流し胸熱ポイントをマイクで演説したいし、「お願いだからそろそろ歌わせて…」ってうんざりした顔で言われたい。

 

2017年4月3日(月) 21:49

そろそろ歌わせて…と言われたので、「そう言うと思ってこんな映像も用意したんですよ!」と、秘蔵の羽生・口パク熱唱集を得意げに出したいし、「これに合わせて歌っていいよ!」とマイクを向けたら、心底嫌そうな顔で「バカじゃないの?」って言われたい。

 

2017年4月3日(月) 22:39

因みに羽生くんのカラオケ採点ベストは、61.2点なんだけど、この度64.6点出たので「やりました!羽生が羽生を越えた!パーソナルベスト!」みたいに実況をしたら、「いちいち点数覚えてるのマジで気持ち悪い」って蔑まれたい。 

 

 2017年4月3日(月)22:45 

 私がトイレ行ってる隙に羽生くんが「恋」を歌い踊っているのを終盤あたりに目にしたいし、「なんで私がトイレいくタイミングでそれ歌っちゃうの!?」と詰めよってみたいし、柄にもなく「…恥ずかしいから」とか返してほしいし、「何十万もRTされたのに今更恥ずかしいわけあるかよ!!」と言い返したら、「…なんか…タイトルが…」「タイトルが何!?タイトルが何で!?」「もーー分かってるくせに詰問しないで!!!」などと珍しく照れる羽生くんを見たい。 

  

仕事を終えて帰宅すると、読みかけの漫画を抱えたまま私のベッドで寝落ちている羽生くんがいてほしいし、ほっぺをつついて起こすと、私のベッドで寝ていた気まずさを抱えたむっつりとした顔で「7巻は?」と訊き、「今出てるのそこまで」と答えると残念そうに演技がかった大仰な口調で、「まじかあーーこれでまたここに戻らないといけない理由が出来てしまったー」とか言ってほしいし、戻ってくる理由をつけないとここに来れない男心に素知らぬ顔をして「新刊出たら送るよ」と返したいし、「…わざと言ってるでしょ」ってぷいとそのまま背を向けふて寝する羽生くんがない夜なんかに価値はない。

 

飲み会の予定があるから○日は遅くなるので一人で待っててと言ったらその時は興味も無さそうに、うんという羽生くんだが、いざ○日に飲み会を終え帰宅したら羽生くんは家におらず、二時間後くらいに何故か酔っぱらって帰ってきて「あれ?飲みに行ったの?」と聞いたら「一人で家で待つの嫌だもん…」ってめちゃくちゃ甘えてきて私は爆発四散したい。

 

2017年6月19日(月)22:26 

アイスショー後の興奮が冷めず午前3時になっても寝付けない羽生くんが早くまた滑りたいとイメトレを始めたのが加熱し、狭いベッドの上で実際に腕をシュッッとやった拍子に肘が私の身体にヒットしそのまま床に転げ落ちたいし「あ、ごめんどいてて」って目も合わさず言われたいし「酷い!」って返したら、「ごめんねー痛かったねーよしよし(棒)」って感情のこもってない声で撫でてくれたのに萌えたい。

 

アイスショーを観に行ったら羽生くんと目が合うんだけどわざと私の四席くらい隣に外して投げキスして欲しいし、終わったあと「なんでなんでなんで」って肩を掴んで首をガクガクしたいし、しばらくは「うるせーなー」って顔をするんだけど目を逸らしながら小さく「別に○○ちゃんには"投げ"なくていいでしょ」とか言って欲しい。

 

2017年6月19日(月)22:32

日本に滞在している羽生くんとディズニーに行って「見てみてープーさんの耳だよ!つけて!!」って言い終わる前に「嫌だ」って即答で断られたいし「新潟ではつけてたじゃん!」と食い下がったら「僕がそんなのつけたら目立ってしょうがないでしょ」と返され「あっ…ハイソウッスネ…」と論破されたい。 

 

二人で外食に行った帰りに「コンビニ寄っていい? アイス食べたい」と羽生くんが言い、羽生くんはアイスケースの前で、食後のハーゲンダッツを何味にするか熟考するんだけど、最終的にパッと閃いたように、両方を持ちながら「僕がストロベリー味買うから○○ちゃんはキャラメル味買って、はんぶんこしよ」とか言い出して、

(いや、別に私はアイスいらんし…ってかそれは多分、「相手が」何味にするか悩んでる時に言う台詞だし…)と内心思いつつも、笑顔でハーゲンを持つ羽生くんの愛らしさに、「うん♡両方買ったげるね♥♥」って光速で財布を取りだしレジに向かいたい。

 

2017年6月19日(月)23:29

約2メートルの距離にいるのに、漫画を読んでる羽生くんを双眼鏡でガン見し続けたいし、突っ込み待ちの私と面倒だから絶対に突っ込みたくない羽生くんとの無言の戦いになるんだけど、最終的に根負けした羽生くんに「うるさい」って枕を投げつけられたいし「何も喋ってないのに」と返したら「存在がうるさい」って言われたい。

 

羽生くんに流行ってる新しいゲームを教えて対戦したら初めは私が勝ってしまい、負けず嫌いの羽生くんはむっちゃ不機嫌になるんだけど、また後日改めて対戦したら、今度は羽生くんが強くなっていて「凄いね!」と言ったらそれはそれで「すぐ勝つのもつまんない!」って怒り出す理不尽さを持って欲しいし、「○○ちゃんももっと練習して!!もっと、勝つか負けるか分かんないくらいの強さでやって!!」とか子どもみたいなことを言い出して、普段うざいとか気持ち悪いとか鬱陶しいとか言うのは羽生くん側だがそのときばかりは私が「うわーめんどくせー」って言いたい。

 

 2017年6月19日(月)23:09

水族館で、周りの小さい子たちに釣られてうっかり「ねーこれ見てママ」って言ってしまった羽生くんにひとしきり爆笑したあと、ことあるごとに散々「ママ疲れたからジュース飲んでいい?」「ゆづくんママの後ついてきてる?」とかいじり倒しまくりたいし、「僕のお母さんはあんたみたいなしょーもない人じゃない」って怒られたい。

 

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ちなみにこれは、18日あまりに新潟に早く着きすぎたので、私が一人で行ったマリンピア日本海の画像なんですけど、周りが見事に「ママーこれ見てー」「パパ来てみてー」ってほんとに言ってる小さい子ばっかで堪えました。

この年になると、周りがカップルばかりより、周りがファミリーばかりの方がダメージが大きいというか肩身が狭いことが分かった。

「いい年して、子ども(だけ)が喜ぶような場所に一人で来てる私とは…?」というのと、下手をすると不審者だからだ。

 

というのはさておき、ここからが本題なんだけど(これまでのは?)、上記の妄想において、私は羽生くんの「日本での愛人」という設定である(結婚していないのに愛人とはこれ如何に?)

何故かというと、いざ「羽生結弦との結婚」を現実的に妄想した場合(完全に破綻した文章)、そもそも羽生結弦との結婚というワードが全く以て現実的じゃないんだけどっていうのは重々承知しているのでこの先一切突っ込まないで欲しいのだが、

 

例えば、「城を抜け出した羽生くんがベンチでウトウトしてしまったのを介抱した」とか、「道端で助けたお婆さんが羽生くんの祖母だった」とか「周りがキャーキャー言ってる中、一人だけ興味のない顔をしている私を見た羽生くんが「お前、面白いな」以下跡部様」とか、なんかそんな感じの何かで結婚したとして、果たして、私の貧困な妄想力では、「その先の幸せな未来」が全く想像できん。

というのは、「いくら羽生くんと結婚しようが、別に私がいきなりオードリー・ヘップバーンになるわけではない」という限界ゆえである。

シンデレラというのは、はなっから美人で気立ての優しい娘(=王子と結婚すべき素晴らしい女性)だったのであって、決してガラスの靴を履いたからそうなったわけではないという話だ。

 

こっからの妄想は完全に冗談で書いているんだけど(※頭の湧いた人だと思われないためのしつこい保険)

 

例えば、羽生くんはトロントに住んでいるので、結婚すれば当然カナダに行くことになるだろう。

しかし、私の英語の偏差値は42なのでまず語学力という壁がある。

英語も喋れないので、当然、海外で働けるわけはなく、すると妻の役割として「夫のアスリート生活を支える」必要が生じるのだろうが、羽生くんには既に、生まれたときから彼を支え続けている「お母さん」という大きな存在がいる。ただでさえ、勤務中5分に1回「雑」or「もっと気をきかせろ」と怒られているような全くサポート業に向いていない私が、お母さんに勝つことができるか? 否である。嫁姑戦争にもならない。

ついでに私は、一人暮らし歴6年半にも関わらず、未だに料理や掃除などの家事は一切できない。卵焼きすら作れるか怪しい。

里田まい知名度や容姿をもってさえ、あんなに素晴らしい料理を作らなければ、「マー君の愛妻」として世間に認めてもらえないのに、里田まいを1万回殴った顔をしている私が許される理由があるだろうか?

この時点で既に、「愛想をつかされ二秒で追い出される」ENDである。

愛想をつかされ追い出されるENDを迎えないためには、勤務中5分に1回は「雑」or「もっと気をきかせろ」と怒られるような性根を叩き直し家庭にいてさえ気を張り続けねばならないだろうが、そもそもが、私は別にわざと雑にしているわけではなくて、「何で雑って言われてるかよく分からない」レベルで雑な人間なのである。神経質な人とはもはや基準が違うのだ。よって、いつ怒られるか常にビクビクする羽目になるだろう。

そして、追い出されるENDを迎えてしまった場合、日本に戻らないといけないことになる。既に日本での仕事は辞めてしまっているはずなので、再就職活動を行わねばならないだろう。「羽生結弦の妻」は職歴になるだろうか…!?

 

既にもはや不幸しか見えないが、マゾヒズム心を存分に発揮してもう少し考えてみると、ほかにも、

もしパパラッチ盗撮その他で、「羽生結弦の妻(一般女性・24歳)」として顔面が世間に出てしまった場合、「なんでこんなブスと」「何このデブスwwwww」と国民総叩きにあい、「羽生くんの妻の顔wwwwwwww」みたいなスレが乱立する恐れがあるし、

それはまあともかく、羽生くんはおそらく、沢山の人びとと会う機会が多いのだろうけど、何らかのパーティや偉い人達との会合に、「妻」として出席した場合にも、「何だこのちんちくりんは?」と羽生くんに恥をかかせるであろう。

しかも、初対面の人には(何なら別に初対面の人でなくても)「あ…」「ハイ…」以外の言葉を発することが出来ないハイパーコミュ障なので完全に詰んでいる。

 

というあたりまで考えたところで、これらのおそるべき低スペックの数々、別に結婚云々以前に、普通に人間として人生が詰んでいることに気が付いた。

 

 

ー終 了ー

 

 

しかし、逆に考えるとだよ。(逆もクソもあるかボケ)

逆に考えると、これは、「羽生くんと婚約が決まった準備期間」という妄想脳内設定を頭に組み込むことで、英語の勉強、社交力や家事力の向上、ダイエット等にやる気が出て、少しはマシな人間になれるチャンスかもしれないのではないか!?

その前に黄色い救急車に運ばれる可能性の方が大きそうだが。

美術館BL

美術館ナンパを勧める炎上記事からインスピレーションを得た美術館BLを書きました!!

因みに私は絵画にはまったく無知なので画家名とかは架空です!!

news.nicovideo.jp

 

 「お父さんさ、分かんないなら無理しなくていいから。つーか、美術館でベラベラ喋んないでよ…もう帰れば?」

 絵美はうんざりした顔で私の話を遮ると、こっからは別行動で、と有無を言わせない足取りで何か湖畔のようなものが描かれた絵の方向へ去っていった。もちろん、いくら私だって途中から、付け焼刃丸出しの話に彼女が苛々し始めているなというのは気付き始めていたけれども、およそ5年ぶりに会った娘との間を持たせるには話し続けるしかなかったのだったし、話題も娘の好きな絵の話くらいしか思い浮かばなかった。私と娘の唯一の共通知識といったら妻くらいだけれども、その妻だって2年前に家を出ていってしまった。

 一週間前、東京で働いている娘から週末に帰省すると連絡があったとき、いよいよ結婚の報告でもしてくれるのだろうかとぬか喜びをしたものだけれど、そうではなく、「ナントカ展が近くで開催されるから」ということだった。先に東京でやっていたけれども、その時は忙しくて行けなかったのだという。電話口で話す娘の口調に、直接口には出さないにせよ「どうせ(田舎者の)お父さんは分からないだろうけど」と私を小馬鹿にした態度が見てとれた(いや電話なので見てはいないが)ので、お前だって田舎出身のくせに、誰が東京の大学に行かせてやったと思ってるんだと内心噴き上がったが確かにそのナントカが何なのかは全然見当もつかなかった。

 なので、本屋で検索機にかけて出てきた本を購入した程度の一夜漬け知識を頭に詰め込んだのは、娘との話題が特に見つからなさそうだという懸念もあったが、俺だってその程度の教養はあるのだという見栄の方が大きかったのかもしれない。

 しかし絵美にはそんな父親の思惑などお見通しのようで、とうとう別行動を宣言されてしまったのだった。「あと、それ俗説ってか都市伝説で1997年の論文でとっくに否定されてるやつだから」という言葉を残して。

 

 置いてけぼりを食らってから、しばらく一人でギャラリーをぶらぶらしていたものの、やっぱり私には絵を見て何が楽しいのかはよく分からなかった。もちろん上手いなあとかこんな細かい絵よくかけるなあとは感心するけども、それ以上でもそれ以下でもない。車や野球は動くし変化があるから面白いけども、絵は動かないし。早々に展示室を出て、ロビーへと戻る。どこか腰掛けるところはと探したが、休日なのもありどの椅子も満員のようだった。

 このまま娘を待つべきか、もう帰れと言われたくらいなのだから、さっさと帰ってしまおうかーー

 と、その時、斜め後ろの方から

「もう嫌!!!」

と、美術館内でどうにか黙認されそうな限度ギリギリくらいの大きさで叫ぶ女の声が聞こえた。その声に、私だけでなく近くにいた人々が何事かと目を向ける。見ると、早足に外への出口へと向かう若い女性を、男がおろおろしながら追いかけている。

「待ち時間も超長いし、人多いからよく見えないし、おまけにあんたが絵見てる時間も長いし!!! もー我慢できない!」

 女はまくし立て続けながら歩く。ああ、遊園地とかでよくあるやつだな、と私は苦笑してその男女から視線を外す。むかし、まだ絵美が小さかったとき、よかれと思って遊園地に連れていったらあんな感じでもう帰ると騒がれたことがあった。あのときはあまり忍耐のない子供だったのに、いつのまにこんな絵をみていつまでもじっと出来るような人間になったのだろうーー嬉しいような、哀しいような気分になる。

と、後ろから、ガツンと人が勢いよくぶつかる感覚。すみません!と、謝りながら男はバランスを崩して膝を床に落としてしまう。女性を追いかけていた男の方であった。

 しかし、何故か男はそのまま女を追わず何かを探している様子だったので、私もつられて周りをきょろきょろ視線を動かすとーーああ眼鏡を落としたのかーー拾って手渡した時には、既に女性は美術館の外であった。

 すみませんでした、と立ち上がった男はもう一度言い、はあーーと長い溜息を吐いた。

「いいんですか追いかけなくて?」

 余計なお世話かと思ったが思わず訊ねてしまう。

「…もういいんです、彼女が楽しくなかったことに気がつかなった僕が悪いんです」

と気まずそうに眼鏡のブリッジ部分を触る男をよく見ると、背丈もあって鼻筋もしゅっとした中々の美青年であった。年の頃は娘と同じか少し年下くらいだろうか。

「……私と逆ですね」

 青年は怪訝な顔をしてこちらを見る。

「私はねえ、娘から、興味ないなら帰ればって突き放されましたよ。あなたは、同行者が帰ってしまって、私は同行者に帰れって言われて、ははは」

 なんとなく変な連帯感のようなものを感じてそんなことを言う。若干の下心ーーもしかして、わが娘と気が合うのではーーみたいな目論見もないでもなかった。周りの同年代の同僚や友人がどんどん、今度息子が結婚することになってねとか孫が生まれたとか、お嫁さんがね、などと楽しげに話すのをそろそろ普通の気持ちでは聞き流せなくなっていたのだった。

「あなたの同行者が、私の娘だったら良かったかもしれませんね。趣味が合ってーー今日は娘の趣味で来たのでまあ、私にはよく分からないけども、グザヴィエだとかアルモド…」

「へええ、渋い」

「なんとか話を合わせようと、付け焼刃の知識を総動員したけど、それ論文で否定されてるとか両断されましたよ」

「ははは、凄いですね」

 むかし、いきなり知らない人に話しかけないでよ恥ずかしいから、年寄りっぽい。と怒られたことがあったのを思い出したが、青年が少し食いついてくれているというのが分かったので、調子に乗って喋ってしまう。第一、私はもうそろそろ実際年寄りの範疇でいいはずであるし。

「ほんとにねえ、画集とか出すような出版社に勤めてるくせに、更に週末は美術館…絵を見るために海外まで行ったとか言うくらいで…もうすぐ30になるのに結婚もしないでそんなことばっか」

「素敵じゃないですか、好きなことがあってそれを楽しめる体力や財力があって、素敵なことです…あ」

 青年と同じ方向に目を向けると、ロビーの椅子が空いたのが見えた。立ち話もなんですから、と彼は私を椅子に座らせてくれる。

 ーー素敵じゃないですか。

 私は心の中で、先程の青年と同じ台詞をひとりごちた。老人にーー自分に老人という単語を当てはめたくはあまりないのだがーー老人に対する気遣いもあるし、生意気な娘だけれどやはり他人から自分の子を褒めてもらうのは気分が良い。こんな青年が自分の義理の息子になったら少しは人生に華やぎがでるかもしれない…我が思考はますます飛躍しプレゼンにも拍車がかかる。

「でも、寂しくないのかねえ、いつまでもどこでも一人で、そんな…」

「…え」

 それまで比較的和やかな表情をしていた青年の顔が、すこし、曇ったような気がした。あ、しまった、と私は思う。さすがにこれは、意図が露骨過ぎただろうか。どうにか取り繕おうと言葉を探す。青年の方も、次の言葉を紡ぎだそうとするように口を少しもごもごする。

「ーーあなたは、あなたが寂しいんですね」

「……え?」今度は私が聞き返す番であった。

「娘さんの人生から自分の居場所が無くなっていくみたいで」

「………」

「あ、いや、知ったような口きいて、すみません…」

 私の沈黙を怒りと捉えたのか、青年はそう謝ると斜め下の方へ俯く。

「いや……そうなのかもしれませんね……かっこ悪いけども…娘に構って貰いたくて、認めて欲しくて興味もない絵の本なんか読んだりまでして…自分が知らない楽しいことを娘はどんどん知っていく分、自分のことなんかどうでもよくなっていくのが、寂しいんだろうか、ね」

「……でも、僕は…僕は娘さんが羨ましいですよ。そうやって話を合わせようとしてくれる人がいて……僕はことごとく、意味わかんないって逃げられますから」

 おいてけぼりの男二人はそうして顔を見合わせて笑った。どうです、この辺りにーーそんな言葉がごく自然に口をついて出た。美味しい肉を出す店があるんです。良かったら私にあなたが知っている絵のお話を教えてください。

 しかし、青年は微笑んで首を振る。

「せっかくですけど、娘さんがいるんでしょう。置いて帰っちゃあ…」

「ーーいいんですよ、私なんか娘には邪魔なだけなんですから」

「……放浪の画家アルモドはですね」青年は突然そんなことを言い始める。

「ある時期ーー奥さんが若くして亡くなってからしばらく経った以降の絵には、全部自分の自画像をどこかに入れてるんですよね、ほらこれとか」

「……はあ」

 青年は持っていたパンフレットの表紙を指差す。指先を見ると、背景として小さく描かれている農夫。私の訝しげな顔を青年は全く気にしていないようだった。この調子で女の子にも絵の話を喋っているのかもしれない。

ウォーリーを探せみたいで面白いんですけどーーもっと面白いのは、近くに小さく書かれた文字がアナグラムになってるんですね、このパンフレットの絵じゃよく見えないんですが、これだと農夫が持ってる斧に刻まれた字ーー入れ替えると、アルジャントゥイユーーで何ヵ月か後、彼はアルジャントゥイユに住むんですね」

「何のためにそんな?」

「このウォーリーを探せ状態を発見したのは、フランスの研究者バルトなんですけど、バルトは、「実際に探して欲しかったんじゃないか」って言ってるんですよね」

「探して欲しかった?」

「アルモドには放浪癖があって、息子や娘もまだいるのに、制作に煮詰まると家を出ちゃうんですねーーでも実は、ちゃんとどこに行くかって前以て予告はしてたんですよ、絵の中で。だから俺を探してくれよ、というメッセージなんです。

ただ、彼が死ぬまで家族は誰も一回もそのメッセージに気付いてなかった、とされています。見つけてくれないのでそのうち彼は自分で帰るんです。で、また同じ試みを…」

「ーー面倒な人ですねえ、構ってちゃん?っていうのかな。そんな回りくどいことーー」

「そうなんですけどねえ」

 そう言ってから私は、自分の言葉にはっとした。青年が何故今こんな話をしたのかを悟った。私も、その画家と似たようなものだーー家族に直接的なコミュニケーションをとるのが何となく気恥ずかしくて、変な回りくどい方法をとり、そして余計に疎ましがられ……

「いやいや、面白かった」

 私はしかし、青年の意図に気づいたことを青年に"気付かれたくなくて"、わざとらしいほど鷹揚な態度で言った。若人の前で素直になるには年を取りすぎてしまった。それでも彼にはきっとお見通しだったかもしれない。それでも今日くらいは、東京の話を君の話を聞かせてくれと娘に言ってみてもいいかもしれないせめて一年に一回くらいは顔を見せてほしいと頼んでみてもいいかもしれない。

「今日は君のお陰で楽しかったし絵に興味も出てきましたよ。良かったら、また会ってくれませんか」

 私は胸ポケットからメモ帳を取り出すと、切れはしに自分の電話番号を書いて渡した。たぶん電話はかかってこないだろう。それでもいい。私はこれからきっと美術館に足を運ぶのだろうし、そうしていれば彼にもまた会えるかもしれない。57歳になって明日のこの先がこれほど楽しみになるとは思わなかった。

 

 

 ようやく美術館を出てきた娘を捕まえると、私は早速今日会った青年と青年が話してくれた話をする。

 娘は珍しく、しかし含みのある笑顔を見せると、

「その説はそれはそれで面白いんだけど、実は近年、彼の日記が見つかったことから分かった新説もあってね」

「新説?」

「アルモドには男の恋人がいたらしいのね、元弟子のーーもちろん世間的には秘密にしておかなきゃなんだけど…だから、あれは恋人に次の逢い引きの場所を伝えてたんだ、という…」

「なんだそれは」

「ロマンチックでしょう?」 

 

 

5月読んだ中で面白かったおすすめBL漫画6選・記録用(2017年5月)

食べログにレビュー書く一部のおっさんって、何でいちいち、(自分はどういう食物が好きで云々みたいな)自己紹介とか、そのレストランに入るまでの用事や過程とかを無駄に詳細に書くの??? 俺は食べ物の感想が聞きたいんだよ!! てめーの自己紹介はどうでもいいっつの!!!」

 

とか常日頃思っているけれど、自分も本や映画の感想を書くとき完全に同じことやっているな、と気付いた今日この頃です。

 

ということで前置きは省きます。(これ自体が既に前置きなのではという気も…)

 5月は割と様々なジャンル(ジャンルって全部BLだろうが)の作品に出会えたのではないかと思い、それぞれ、【エロ】【ギャグ】【ファンタジー】【ニアホモ】【シリアス】【ほのぼの】と付けております。

 

 

『もみチュパ雄っぱぶ♂タイム』/イクヤス (フロンティアワークス) 【エロ】

 

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renta.papy.co.jp

 

『ガチイキ挑発ナイト』の時も思ったけど、イクヤス先生、

タイトルの語呂があまりにも、あまりにも良すぎる…ッッ

 

2017年『声に出して読みたいBL漫画タイトル』ナンバーワンかな?????

 

というのはさておき、さておきっていうかこんな良すぎるタイトル付けられた時点で既に勝利は手にされたもんだと思うけどひとまずさておき、5月に読んだ中で個人的に「ヌきBL」として最高峰だと思いました。

 BLを読むテンションって大雑把に2種類あって、すなわち、

「オトコ同士の深い関係性の物語(ドラマ)が読みたい…」という時と、

「エロい漫画が読みたい」っつー時である。

 

この「エロい漫画が読みたい」というのはしかし難しく、ただひたすらあんあんヤっていればいいという問題でもない。肝心なのはエロにいたるまでのそしてエロ中の緩急(?)である。

のだが、緩急の緩部分が長すぎても駄目というか、こればかりは、肉まん食べたい気分の時にいざ一口食べてみたらあんマンだったらめちゃくちゃテンション下がるのと同じで、エロ本が読みたいのに、いつまでもいつまでーーーも、

(俺…あいつのこと好きなのかな…)とか(男同士なのに…)とかウダウダウダウダやられちゃあ、いいからはよヤレよ!!!どーせくっ付くんだからしょーもないことでいちいち葛藤すんな!!!!と苛々したりするのだ。

 

(そのくせ、ストーリー漫画が読みたいモードの時だと、あんまりすぐくっつくと、「薄っぺらい話!」とか文句つけたりする。読者の感想なんてのはその程度の勝手なもんであるから相手にしない方がよい)

 

というわけで、この緩急バランスと、攻め方、受けの感じ度合い、魅せ方…色々の条件…が揃った「エロい」BLこそが、「ヌきBL」です。

「雄っぱぶタイム」とタイトルにあるように、お金に困っている主人公がひょんなことから「男性向けおっぱいパブ」で働くことになり…という内容なのだが、

 個人的に、元々「乳首攻め」ジャンルが好きなのもあるが、

最近ジョジョ二部の「ジョジョ×シーザー」にときめいたのと、「マグニフィセントセブン」のクリプラにずきゅんとやられて以来、「ガチムチ筋肉受け」ジャンルに目覚めつつあるので、イクヤス先生の描くガチムチ気味エロは、いい…いいよ!!

 

 

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クリプラ、ガーディアンズオブギャラクシーを観た時はそんなに何とも思わなかったが、腕とか太腿がムチっとしているのがエロくていい。

クリプラの話になってないか?

 

 

『VIVA LA VIDA!!』/あびるあびい (東京漫画社) 【ギャグ】

 

(既刊もだけど)表紙が…オシャレ…! オシャレだな!!!

 

表紙はPOPな色使いで、中の漫画の絵柄は何となく松本大洋を彷彿させるけども、

サブカル漫画にありがちなポエミー雰囲気漫画でも主人公らが無闇にひねくれて面倒な感じでも浅野いにお漫画に出てくるようなあざとい感じでもなく、

【ギャグ】って書いたとおり、主要登場人物たちは、割と気持ちのいいほど真っ直ぐだったりして、表紙から受ける印象とは裏腹に思いのほか全体の雰囲気としては結構ハイテンションである。

まァ、脇の人物の造型とか、こういうの面白いやろ??面白いやろ??みたいなあざとさは無きにしもあらずでその辺鼻につく人は鼻につきそうだけれども、

しかし、そのハイテンションぶりと、BL漫画にあるまじき変顔のオンパレードに負けていちいち笑ってしまう。

何故か時々楳図かずおみたいなのが入るし…

 

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とはいえ、その独特な画風とかややぶっ飛んでいる個性的な登場人物とは裏腹に、物語展開としては、「普通のBL」なのがいいですね。

「普通のBL」というのは、ありふれた陳腐なBLというマイナスな意味ではなくて、様々な友人、仲間たちとワイワイする飲み会、アルバイト、アパートの隣人、男の子たちが生活している日常の中である人と出会い、交流が深まり、ふとした瞬間に見せるギャップに心が動かされ、己の嫉妬心のようなものに気付き、彼が特別な存在になっていることを悟る…私たちの生活にある普遍的な恋愛を無理なく描いたBLというか

(お前の生活には恋愛はねーだろ?っていうのはともかく…)

 

そういう、生活の中にある普遍的な「普通の恋愛」を描くには、おそらく日常パートにもページを多少割く必要があって

このバランス――「攻めと受けの存在或いは攻め(受け)にとっての受け(攻め)が(物語の中で)特別でなければならない」というBL漫画がBLたる条件と、「世界に攻めと受けしかおらんのか?」「攻め受け以外の人物が使い捨てのモブ」みたいな、血の通っていない物語「ではない」ーー間のバランスを取らねばならず、そんなに成功している作品って少ないのだが(日高ショーコ先生とかはこのバランスが上手い)、

あびるあびい先生も、凄く、「普通のBL」が描ける人なんじゃないでしょうか。とこれを読んで思った。

 

 

 

『その世のどこか、地図にない国』/鯛野ニッケ (ジュリアンパブリッシング) 【ファンタジー】

 

ボーイズラブっていうのは基本、「主人公(受けor攻め)と、主人公が出会う男(攻めor受け)が最終的にくっつく、或いはくっつくまではいかずとも惹かれあう」物語で、それが安心感でもあり、退屈でもあるわけである。

何だかんだいって好きになるんでしょ? 結ばれるんでしょっていうのが読者は最初から分かりきっているからだ。

 

しかし、その意味でこの「その世のどこか、地図にない国」っていうのは割と珍しいBLっていうか、主人公を含めて3人ほど主要な登場人物が出てくるのだけれど、終盤になるまで誰と誰がどのような形(どのような攻め受けで)結ばれるのか、読めなかったりする。(彩景でりこのみたいに3人でカップル←トリプル?になるというわけでもなく)

 

物語の導入としては、冒険好きの主人公が、どこの国とも一切交流を持たない秘境である謎の小国に侵入し、そこで、かつてはその国の王族だった貴族の子どもと彼に付き従う美しい従者と出会う

そんな中で、国内に蔓延する風土病、風土病の治療として交わされる「キス」の風習、病を持った主人(子ども)に治療の「キス」をした後、熱く昂る従者の姿を目にし…

みたいな感じなのだが、一見、「BLのための(深くは突っ込まない)トンデモファンタジー」のようでいて、

意外とちゃんと伏線等が回収されていたり理由等が説明されていたり、「風土病」「←とその解決」が物語の大きな軸と「主人公が主人公である理由」になっているので読みごたえあり。

 

(まあ「だってまおうさまは彼が嫌い」の山田二丁目先生みたいに「BLのためのトンデモファンタジー」を芸に昇華できるのもそれはそれで才能なのだが…)

 

更に主人公が…っていうと一番面白いポイントがネタバレになるから読んで欲しいんだけど、個人的にはどんどんこういう、最初のうちは誰と誰がどういう関係になるか分からないBL作品増えてもいいと思う。

主人公のキャラクター造形も良くて、冒険好きで物怖じせず、コミュ強気味でノリは軽いんだけど決める時は決める、雰囲気でいうと、「花は咲くか」の藤本が主人公みたいな感じですけど(ネタバレじゃねーか)、主人公が軽めのキャラクターのおかげで、恋愛を巡る後の展開にも読者は(主人公に感情移入・同一視するあまり)深刻なダメージを負う、ということがさほどない(ネタバレじゃねーか)のもうまいなあ

 

 

『ストレンジ』/つゆきゆるこ (リイド社) 【ニアホモ】

 

まあ厳密にはBLじゃないんですけど、男性同士の出会いや関係や交流を描いた短編集なのでニアホモ枠に入れてもいいことにしよう、吉祥寺のジュンク堂では完全にBL棚に置かれてたし…

短編のオムニバス形式で、

 

・男子高校生が、女装バーで働くゴツいゲイの男性と出会う話

・オンラインゲームを通じて仲良くなっていく、ヤンキー気味の高校生とドンくさい眼鏡の同級生

・娘の結婚を控え落ち込むおじさんが、渡航先のハワイで、ガイドを名乗る明るい青年に連れ回される話

・それぞれ別の意味でクラスで浮いている、優等生の少年と問題児の少年が友達になり喧嘩をしまた友達になる話

・動物仲間として仲良くなっていく、高校教師と生徒

・生意気な中学生の甥を預かることになりあたふたする伯父

 

6組12人の男たちの物語が描かれている。

彼は、彼に出会ったことで、出会う前とは少しずつ何かー世界の見え方、世界の捉え方ーーが、変わっていくのである。

 

私はこういう、友情以上恋愛未満ーーというより、「友情」とも「恋愛」とも規定できない関係性(男同士に限らず)を描いた作品に弱い。この世には、友情でも恋愛でもないのに互いが特別な存在である関係というのが確かにあってしかし、にも関わらずその絆を呼称するための名前はまだ無いような気がしている。(ブロマンスっていうのもまた違って)

なので、そんな名前のない関係がぶわあっと心に浮き上がってくるような物語に弱くそれこそが、ドラマ性ってやつだよなあと思う。

 

ということで、所謂BLでは無いしBLでは無いのが良さだとは思うのだが、個人的には、

「PRETTY!」(動物仲間として仲良くなっていく、高校教師と生徒の話)で、先生が他の生徒とも動物の話をしていたのを見たあとの、ヤンキー気味の高校生の台詞

 

「…なんつかすげーダサいんですけど 先生はそういうの秘密にしてるんだと思ってたんですよね。…まあそうだと嬉しかったと言イマスカ」

 

「…どういうことですか」

 

「国語の先生ならわかってよ」

 

この「国語の先生ならわかってよ」に最高に萌えた!!!

自分だけが先生の好きなものを知っている自分だけが特別な関係だと思っていた生徒の独占欲、嫉妬心みたいな、言葉で説明すると野暮になるような感情を、

「国語の先生ならわかってよ」でまとめるーー読者側に呈示する手法、しびれるねえ。

 

 

にいちゃん/はらだ (プランタン出版) 【シリアス】

 

みんな大好き(或いは大嫌い)はらだ先生のこれまためっちゃ賛否両論、波紋を起こしそうなアレ。

これをBLと称していいのかは微妙で、

「小学生(主人公)が、近所のお兄ちゃんにレイプされそうになる」

ところから始まる、半分っつーか8割方犯罪っす。犯罪です。

成長しても高校生だしな…

まあ流石に読ませるというか面白いし、あとはらだ先生って、コマ割が独特でいいのだが…

(普通漫画のコマ割って、縦に三分割、横に二分割を基本形にしつつ絵によって小さくしたり増やしたり見せ場を大きくしたりするのだが、変形パターンとして、すごい細かく割ったコマの中に身体の部分を大きく拡大した絵を入れたものを続けて、何が起きているのかを想像させる風にしたり、絵のコマとコマの間に黒地のモノローグコマを入れて読む人のテンポ感を支配したりして、こんなコマ割よく思いつくな~と感心してしまう)

 

 

ところで、このところエロ本やBL本出している版元では、「東京オリンピックが近いですからねー」というのが半ば口癖みたいになっていて、諸外国の目を気にしてなのか、所謂、都条例ーー東京都青少年の健全な育成に関する条例による締め付け・検閲が厳しくなっているとの噂、ゆえに出版社はいつ都条例に引っかかって出版停止や回収騒ぎになるかビクビクしているわけです。

 

この都条例って何なのかっていうと何年か前、一時期オタク達の間で騒ぎになっていたから知っていると思うけど、

 

第7条(図書類等の販売及び興行の自主規制) 

図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催するもの及び興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当するものと認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は閲覧させないように努めなければならない。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの。

二 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの。

 

これですね。

なので、13歳未満への性行為は強姦罪なので、「刑罰法規に触れる性交」って事になりそうだし、大人が18歳未満に手を出すのもモノによってはアウトかもしらんけれど、一概にショタは駄目ってことでもなく、「不当に賛美し又は誇張~」しているのが駄目なのであって正直この辺の基準は曖昧である。

だから出版社側も、「高校生が主人公の場合、挿入は…」みたいな自主規制で対応しているような状況なのだけれど、だから正直これ、

 

編集者、よく出したな…!

 

という感じですよ。私なんかは、

(早く買わないと青少年ナントカの犬に見つかって回収されるのでは…)

と慌てて買いに走ったくらいです。というのは誇張表現で買ったのは5月に入ってからだが、しかし、そのうち回収されるのでは…と思ったのは事実である。

 

法や規制や或いは世間の風潮っていうのは恐ろしいもんで、ディストピアを描いた傑作「1984」では、

 

「自白は裏切りじゃない。何を言おうと何をしようと、それは問題にならない。感情が問題なんだ。かれらの手によって君に対するぼくの愛が消えるようなことがあれば、それこそが裏切りというものだろう」
(中略)
「かれらにそんなことができるはずないわ。さすがにそれだけはかれらにもできっこない。どんなことでも――あることないこと何でも――言わせることはできるわ。でも信じさせることはできない。人の心のなかにまで入り込めはしないもの」
(中略)
「かれらも人の心のなかにまでは入りこめない。もし人間らしさを失わずにいることは、たとえ何の結果を生み出さなくとも、それだけの価値があると本気で感じられるならば、かれらを打ち負かしたことになる」

 

っていうやりとりがあるのだけれど、しかし、『国家の体制に疑問を抱いていた主人公は、とうとう思想警察に捕まり、尋問と拷問を受ける中、最後には、心から、党と当の支配者を、「愛するように」なる。

法や慣習や世間一般に信じられる倫理その他というのは、構成員の「思考の枠組み」みたいなのを形作っていく、と言いますか、

 

何が言いたいかというと、ということで最近の私は、「確かに実際にやれば犯罪だけど思想の自由が保障されている限り頭の中で考える分には自由だろ」 というのも一方で真とは思いつつも、妄想や頭の中でのBLストーリーがことごとくもう一方の自分ーー(これはレイプでは?)(これは倫理的にNGでは?)(未成年に大人が手を出すのは…) に邪魔されたりする。

端的に言うと、妄想の中でさえ、ショタやロリやレイプ物が大好きで興奮する自分と、条例・学習・知識その他に形作られつつある倫理的自己が葛藤し最近では後者の方が勝ちつつあるのであるが、

 

しかしそんな私でも、意外と「にいちゃん」の読後感は悪くなかった。

 

小さい頃に、近所に住む青年にレイプされかけた主人公ゆいは、しかしその後も、青年ーー「にいちゃん」を忘れられず彼を探し求める中で、再会することができる。

再会後、あの時逃げられた復讐とばかりに、性交中の写真撮影の強要その他凄惨なプレイを要求されるゆいは、大好きなにいちゃんに求められているのが嬉しい一方で、彼はもう自分のことが好きではないのだ、本当は昔みたいに可愛がられたい、愛されたいのにと思う。

そんな中、ある日ゆいは、「にいちゃん」もまた、かつて小さい頃に大人と性的関係を持ったことがあることを知る。そして、大人側が逮捕されることでその関係に終止符を打たれ、かつ「僕はおじさんと愛し合っていた」という言葉に誰も耳を貸さず異常者扱いされた過去があったために、そのはけ口を、自分も子どもと性的関係を持つことに求めた、ということも悟る。

しかし、自分をはけ口にしているということが分かったゆいは、ならば喜んで「代わり」になってあげようと、「おじさんの代わりに愛してあげる」と、今度は自分が「にいちゃん」を抱くことを決め…

 

というような、全体を通じて、

世間的に「祝福されない」もしくは、法的ないしは倫理的にNGである愛は、普通でない愛は、「本当の愛」ではないのか?

みたいなことを問うている内容である。

 

私自身は、いくら子ども側がOKといっていても、まだ判断のつかない幼い子と性的関係を結び、ゆえに、子ども側がその、快楽または、自分にはこの人しかいないという気持ち、或いは恐怖心の裏返し、等を、「愛」と錯覚してしまうことを、

「愛」と認め賛美して良い、っていう捉え方は非常に懐疑的というか考え方として無理(先程レイプ物が好きでショタコンと書いたが、あくまでレイプはレイプであって最終的にヤられたショタが「好きになっちゃった…」みたいな感じで終わるのは無理)なのだけれど、

 

しかし「読後感は悪くない」というのは、本作品では、でも、でも間違ってるんだよね、ってのを最後に暗示しているから。

という意味で、都条例に引っ掛かる条件である、「不当に賛美し」に該当するかは判断が分かれるというか、この作品が、ハッピーエンドと捉えるべきか、実は問題は解決していないバッドエンドと捉えるべきかというのも、ラストによって解釈が分かれるんじゃないか。

 

人によっては、「せっかく二人が愛を認め結ばれて終わったのに、あの描き下ろしがあったせいで後味が悪くなった」って人もいるようだけれど、

私としては、あれは「バッドエンド」寄りだと思うんだけど、バッドエンドだからこそ、後味が悪くなくなった。

逆に、自分も小さい頃同じようなことがあったからって、或いは相手側の「愛」という名によって、性的加害が許されて終わり、「これって愛だよね」みたいな感じのまままとめられた方が、ええ??と読後感の悪さを引きずってしまっていたと思う。

(その意味では、同じくらいの時期に発売された佐倉リコの「五月の花はまだ咲かない」の方が、最後に、母親が自分の再婚相手と息子(高校生)の関係を認めている分、後味がすげえ悪かった)

 

因みに蛇足なんだけど、先程、編集者これよく出したなと書いたが、

この前、文乃ゆき先生のtweetで知ったんだが、このCannaの編集担当って、

もうすぐ実写映画が公開になる傑作ボーイズラブ漫画、文乃ゆき先生「ひだまりが聴こえる」や、糸井のぞ「グレーとブルーのあいまで」、高津「おかえりオーレオール」、朝田ねむい「Loved Circus」…私が最近、プランタン出版の中で面白い!!!と思った作品全部ことごとく担当してる人なんすね…

凄い才能である…

 

 

『オーマイヒーロー!』/ココミ (ジュリアンパブリッシング) 【ほのぼの】

 

上のはらだ先生の作品のすぐ後に読んだせいで余計に心洗われたっつーか、日頃どちらかというと重めの話の方が好きな私だが、

なんか…ボーイズラブはこういうのでいいよもう…幸せハッピーほのぼので…辛いのは嫌だよ…

みたいな気分になった。。

ヒーローショーのアルバイトをしている青年が、ショーによく来てくれている父子とひょんなことから仲良くなり、そのうちお父さんに惹かれ、みたいなまあ王道の話でそんなに突飛な事も起きないのだが、とりあえず登場人物が皆可愛い

 

ココミ先生は、10月にも、下記の記事で紹介していて、この時はまだコミックスとして出ている本が1冊もなかったけれど、今年5月、この「オーマイヒーロー!」で満を持して単行本デビューである。

下の記事で、「短編BLのお手本みたい」とベタ褒めしていた「仰げば恋し」も収録されているので、「仰げば恋し」を読むためだけでも是非手に取って欲しい

っていうか「仰げば恋し」が超いいという理由だけでこの一冊を5月おすすめ漫画に入れたので!!!

 

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

突然小学5年生の作文みたいな哲学ポエム語り出すのマジやめろよー「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」

面白かった映画より、つまらなかった映画の話をする時の方が10倍くらい話が長いの、如何にも自分の人生の狭さを顕現しているようでマジ何とかしなきゃって思うんだけど、

5月21日は、新宿ピカデリーに篭もりっきりで「帝一の國」や皆大好き「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」も観たにも関わらず私はいま真っ先に「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の話をしたい。

 

eiga.com

 

ってつまりクソつまんなかったって事なんだけど、いやつまらない以前に、松田龍平とか池松壮亮とか出して2時間もかけて「何一つ内容やドラマがない」という驚きの空虚さなんだけど、

「都会の空虚」とか抜かす前に、映画の内容の空虚さをもっと心配した方がいいよ。

東京で、なんとなく人生に欠乏を抱えた男女が、BL漫画も真っ青の「偶然の再会」を駆使しまくり何度か遭遇するうちに恋愛なんだかよく分からない絆が生まれ、「恋愛すると人って凡庸になるのね」みたいな馬鹿げた禅問答を延々繰り広げてなんか松田龍平が突然死したりして低レベルの哲学ポエムを散々披露してなんだかくっついて終わる。

合間合間に、「震災」とか「自殺」とか「東京」とか「恋愛教」とか何となく出せば社会批判っぽくなりそうな、それっぽいワードを表面だけの薄っぺらーーーい陳腐な感じで出してきてダセえのなんの。

 

言葉遊びが達者な会話劇になってる「カルテット」的な感じならともかく、この映画での禅問答って全て、いやマジで「全て」、

パキスタン地震は報道しないのに、日本やロサンゼルスで震災が起こったら報道するでしょ?毎日人はどこかで死んでるのに」

レベルっすよ。陳腐にもほどがある。小学5年生の作文ですか?

 

あと便宜的に問答って書いちゃったけど別に全然問答はしてないんである。

登場人物がなんか突然上記のような小学5年生の作文みたいなことを言い出して、それに対して別の人物の反応は

「黙れ」か「何言ってんの?」か「知らない」

以上、である。

 

まあ確かに、村上春樹の世界でもあるまいし実際そんなこと突然喋りだす奴いたら「何言ってんの?」って返すだろうけどさ、そうだけどさ、

それにしても「何言ってんの?」で会話終わらせすぎっていうか会話を続ける気ZEROかよ?っていうか社交性の無い人物しかいねえのかこの街には!って感じでこの会話続ける気ZEROの人物しか出てこないことが、内容とドラマの無さ度に尚更拍車をかけている。

一昨年くらいに観に行った学生映画祭の作品のがまだ内容があった。

 

っつーか松田龍平殺すなよボケ!

 

というのは冗談として、しかしこればっかりは私が悪いんですよ。

だって予告からしてそんな感じしかしないし、そもそもお前、なんか雰囲気と哲学ポエム的禅問答で誤魔化すが内容に一切のドラマ性が無い、(単館系映画館で2週間くらい上映されていそうな)ショボ邦画いちばん嫌いじゃん?

観る前から絶対そんな感じって分かってたじゃん? なまじ有名俳優が出て石井裕也だから新宿ピカデリーでもやっちゃうけどさ。

 

観るなよ。

 

でも、思っていたより100倍くらい「そんな感じ」だったのでびっくりしたのでこうして書いている。

本気で、私が嫌いなタイプの映画の嫌いな部分を二時間煎じ詰めたみたいな映画だった。

驚くべきポイントとしては、普通「そんな感じ」の映画って、とは言っても映像は綺麗だったりするわけじゃないですか。映像の雰囲気で誤魔化したりするわけだから。山戸結希とか

それが、この映画ではそうじゃないんですよ。映像までダサいんですよ。びっくりですよ。

 

例えば、

女主人公の「飛行船は誰も見ていないのに飛んでいる」的なモノローグに合わせた映像で流れるのは、

「バス停で並んでいる人々が全員一心にスマホを眺めている」(主人公だけは見ていない)

今時、「皆スマホの画面ばかり見ている」みたいな風刺が「風刺」になると思っている時点でもうね、もうね…

ってのはさておき、これは実際に観てもらうことでしか分からないニュアンスなんだけど、この「スマホの画面を全員見ている」映像にしたって、撮る人が撮ったらもっと自然にかつ効果的に出来たはずなんだけど、これが壮絶に、なんていうかなあ、「そんなわけあるかいな」みたいな画なんである。

如何にも、「スマホを全員みている」映像を撮るために「スマホを全員見ました」感じの画、というか。異様なダサさが生じている。

 

「そんなわけあるかいな」ポイントで言えば、

女主人公は看護師という設定なので(その設定全然生かされてないけど)、病院では死に直面したりするのだけれど、

ある女の人が死んだときに、夫は哀しみで号泣しているが、息子二人はよく分かっていないのか運ばれていく母親の死体の隣で玩具でチャンバラごっこして遊んでるみたいな場面がある。

でもこの息子って、下はともかく上の子は少なくとも小学校2、3年生くらいに見えるのよ。

 

いやいやいやいや、わかるでしょ!!

流石にそれは子供舐めすぎだって!!

3歳くらいならともかくさあ。

 

私の祖父が死んだとき、私は小学校3年生で妹は保育園の年長だったが、妹も、ちゃんと死を理解して哀しみ泣いてましたよ。

勿論個人差っていうのはあるんだろうけど、5歳くらいであれば分かるって…。

わからなくても、大人が混乱したり哀しんでいる異様な雰囲気に呑まれれば、子どもはただ事じゃないと不安にはなるでしょ。

 

祖父が死んで15年くらい経つけど、倒れたという連絡が来たとき何をしていたか、蘇生のときの様子、医者が何を言っていたか、父親になかなか電話が繋がらず母親が焦っていたこと、いつもは私に対して当たりのキッつい母が「なんで電話繋がらないんだろうねえ、ねえ」と口調が優しくて人が死ぬと人は性格が一時的に変わるのかと思ったこと、

葬式で母が泣いていてびっくりしたこと、父が「まだ信じられない、今にもひょっこり帰ってきそうな気がする」と言ってたこと、棺桶に湯呑入れたらと言ったら、「燃えないものは入れられないから」と祖母に止められたこと、

等など、私は今でもはっきりと覚えている。

 

つまり、子どもにとっても身内が死ぬっていうのは、それほど強烈な体験として心に刻まれるわけで、あのくらいの年の子が、

「母の死体の隣で死んだことが分からず弟とチャンバラごっこしてる」

映像って、人が死ぬってことと、子どもをあまりにも馬鹿にし過ぎっつーか、一応、

「死」が一つの軸になっている(らしい)テーマの映画としてはお粗末なんじゃないかと思うのだよ。

 

リアリティはデティールにこそ宿るとはいったもので、

たとえ一瞬の細かいことではあっても、こういう「心に引っ掛かる(悪い意味で)」お粗末で適当な場面が出てくると、途端に作品が「駄作」として記憶に残っちゃうもんで、だからこそ些末にこそ気を配るべきっていうのをつくづくと実感した次第。

 

 

あと映像という観点で、私が一番「うわあああ…」ってなったのは、

さっき、“合間合間に、「震災」とか「自殺」とか「東京」とか「恋愛教」とか何となく出せば社会批判っぽくなりそうな、それっぽいワードを表面だけの薄っぺらーーーい陳腐な感じで出してきてダセえ”

って書いたけど、これね、ほんとにワードが文字になって空に浮かび上がるシーンがあるんですよ!!

 

文字が浮かびあがってカッコイイのは「SHERLOCK」だけだから!!

 

池松壮亮演じる男の方の主人公が、水道代等の請求書に溜息をついたあと部屋から夜空を眺める。

「水道代3000円」「ガス代2000円」「家賃65000円」…

みたいなモノローグと共に、↑の文字も文字として夜空に浮かび上がってくるわけ。

ってこれだけなら、息をするだけで毎月何万円も支払支払支払の待つ人生って世知辛いよねみたいな話なんですけど、

徐々に、「震災」とか「シリア内戦」とか合間合間に「社会派」っぽいワードが挟まれる。文字で。

っていうか公式サイトの予告文にあったわ。

 

「携帯、9,700円。ガス代、3,261円。電気、2,386円。家賃 65,000円、シリア、テロリズム
食費 25,000円、ガールズバー 18,000円、震災、トモユキが死んだ、イラクで56人死んだ、
薬害エイズ訴訟、制汗スプレー 750円、安保法案、少子高齢化......、会いたい」

 

ダッサ!!!!!!!

なんだそれ!!!!!

おまけにフォントまでダサい!!!!!

 

 

って私は語彙力が無いのでさっきから「ダサい」しか言ってないけど、この映画の好きになれなさっつーか、ピンと来なさは、やっぱりそこに集約されると思っていて、つまり言ってしまえば、この主人公たちが抱えるある種の空虚さっていうか、孤独感・虚無感みたいな雰囲気自体が、もう結構若者の持つ空気やリアリティとして「時代遅れ」だと思うんですよ。

 

原作(と言うべきなのか?)は、気鋭の若手詩人である最果タヒだし雰囲気や目的としては多分、「現代の若者の中でも特に感受性の強い若者」が捉える時代の気分、みたいなのを目指したかったんでしょうね、系映画だからこそ、

この絶望的な「時代遅れ」感は本当に救いようがない。時代遅れだったら意味ないもん。

 

何ていうかなあ、これ観て思ったのは私はつくづく、この映画だけに限らず

「この街では呼吸も上手くできない」

みたいな、「東京」をやたらと“逆”神聖視している感じとか、「都会の空虚」的センチメンタリズムを無闇に「東京」というワードに集約させていく感じとか、

ほんとすっっっごい嫌いって実感したんだけど、

東京をそんな特別な場所だと思ってんじゃねーよ、てめえがつまらなくて社会性に欠ける人間なのを東京のせいにすんなボケが、東京の人間だけが生きづらくて繊細なわけねえだろバカって感じなんだけど、

 

そういう個人的好き嫌いはさておいても、

こういう「東京の虚無的センチメンタリズム」ってもう、古くないっすか?

なんかよく分からんけど、そういう、東京には大事なものは何もないのでは的な厭世観や不安感って、「完全自殺マニュアル」とかが流行った90年代くらいまでのもんっしょ?

まだある程度、モノが飽和していた裕福な時代の若者が抱えるやつっしょ?

 

だって!

心の空虚とか虚無とか以前に!!実際に金や食べ物が無いんですよ!?もう結構物理的に「空」で「無」な時代に突入しちゃってんすよ!?

「虚」じゃないんだよ!マジでねえんだよ!!

 

 

 

ちょっと話が逸れるけども、何年か前、「完全自殺マニュアル」を読んだとき、結構衝撃を受けて、っていうか多分現代の若者が読んだら激怒すらすると思うんだけど、このまえがき部分。

 

前にも書いたけど、生きてたって、どうせなにも変わらない。エスパーじゃなくても、だいたいこれからどの程度のことが、世の中や自分の身に怒るのかもわかってる。「将来、将来!」なんていくら力説してもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。

 こういう状況のなかで、もうただ生きてることに大した意味なんてない。もしかしたら生きてるんじゃなくて、ブロイラーみたいに“生かされている”だけなのかもしれない

 

だから死にたいらしい。何を呑気なこと言ってんだって感じだけど、

幸せな時代だなア…いや皮肉じゃなくて…

 

で、25年くらい経った現在において、上みたいな生活を送れるなんて人はもはや「勝ち組」ですらあって、将来の見通しなんか全然ないというかむしろ悪くなる一方な若者が少なからず数を占めているっていうのは誰でも分かってると思うんだけど、

この25年で日本の若者の状況ってのはそれほどガラっと変わってしまったのに、「若者の抱える閉塞感」みたいなのが、この25年前の「若者」が言っていたようなことと同じなわけがねえんである。

 

勿論その辺りはこの映画の制作者だって分かっていて、

だから池松壮亮演じる主人公は、日雇いの工事現場労働者で年収は200万いくかいかないかで年金も払えず、同僚は身体壊したらもう明日食う金も他に働く場所もないから自殺するしかないかもみたいな状況で、同じアパートの独居老人は電気代も払えず蒸し暑い部屋の中で孤独死する。

 

しかしこの貧困の扱い方も物凄く表面的っていうか、

この映画の最大の失敗ポイントは、

の、くせに、

どっちかっていうと主人公たちの於かれてる状況は、地方疲弊映画「国道20号線」みたいなアレのくせに、にも関わらず、舞台は新宿や渋谷で、センチメンタルな東京で、

やってることは、「ねぇ、恋愛すると人間が凡庸になるって本当かな」「どうせ捨てられるって分かってるのになんで恋愛なんか」みたいな、くだらないにも程がある禅問答ばっかなあたりである。いやまあ問答はしてないんだけど。

 

つまり、主人公たちが実際に於かれている状況という設定と、主人公たちが抱えている空気や悩みや映画の雰囲気というのが、全然合ってないんである。

だからマジで観ていると苛々する。

 

実際に人が死んだり、ガールズバーの1万円にも困窮するから凄い決意がいる状況なのに、漠然とした不安について延々グダグダグダグダ喋ってる場合かっつーの。

漠然とした不安じゃねえよ!!!

漠然としてねえんだよ、お前らが抱えているのは、明日の食費あるかっていう具体的な不安だろ!!!

かく言う私もこれを書いてる時点で給料日まで3000円しかないけど!!!

 

 

 

というとこで締められればよかったが、映画の本筋とは関係ないけどもう一つ書かせて欲しい。

この映画では「震災」という言葉がやたら意味ありげに出てきて実は大した深い意味も話もされていないが、

震災という言葉とあと「東京」というワードに関してもう一つ気付いたというか前から思っていたことがあった。

これを言うと物凄く私が心ない非国民みたいなのであんまり書きたくないんだけど、

 

あのね、上手くニュアンスを伝えられないんだが、

ぶっちゃけ、2011年に西日本に住んでる(た)人にとって「東日本大震災」って、

「震災以前」「震災以後」

みたいに、<思想や価値観にコペルニクス的転回>が起こるほど、○○「以前」「以後」ってことのほどのことじゃなかったんじゃないか?

 

ほら今非国民って思っただろ。私も思ったけど。

無論、これについては、2011年の3月時点、私は高校を卒業し大学入学を待つばかりの何者でもない期間(紙面上では高校生なのだろうが、実質的にはニート)だったので生活に何一つ実害が無かったということも大きいのかもしれないし、

あまりにショックが大きかったので、逆に「たいしたことない」と思おうとする反動形成的な何かかもしれない。

 

しかし実際、西日本の人間の生活は、TVが報道ばかりという他は別に割と通常営業で実施されていて、3月12日も普通に私は奈良へ物件を観に行ったし不動産屋の人も普通に働いていた。

勿論、テレビや新聞やネットのニュースを見て心を痛めたり、逐一情報を追ったり、募金をしたりはした。した、し、別に東日本に住んでない多くの日本人も同様に、ショックや衝撃を受けたし鮮烈に記憶に残ったこととは思う。

 

しかしあくまでそれって、「テレビの映像」を観てなんですよ、言い方は物凄く悪いけど、実質的には対岸上の火事であって、「リアル」に自分が体験したわけじゃないんですよ、西日本の人間は。取引に影響が出た人はいただろうけど。

東北の人が被災者なのは言うまでもないが、これが「東京」だとまだ、電車が止まったり会社が休みになったり停電になったり実際に生活が「異常事態」だった記憶があるのだと思う。

東京に住んでいた元同僚も、「震災の時仕事がずっと休みになって、いつ再開されるかも分からなくて不安で鬱みたいになりかけて…」みたいなことを言っていたりした。

 

私は、この「違い」が生み出すものを、

震災当時は愛知に住んでおり(愛知も結構揺れた)、それから2011年から2015年までは奈良にいて、2015年から東京に居を移した、からこそ、なんとなーく感じることが出来た。気がする。

というのは、東京の人って、結構、

「震災の頃」「あれは震災の前だから…」って言い方をする。

関西にいた頃は、そういう風に言う人ってあんまりいなかった気がする。

この「違い」を、人びとの持つ空気や感覚としてちゃんと捉えるのって、それこそ西日本と東日本両方にある程度の期間住んだことが無いと分かんないのだと思うけど、

 

つまり、リアルに震災を体験している東京以東の人にとったら、東日本大震災は、「震災の頃」であり「震災の前」か後という人生の転換点であり、「震災以前」「震災以後」という思想のコペルニクス大転回を起こした歴史上の基準点、となっているのだろうし、

しかし、西日本の人間はその東日本の人間が有しているのであろう感覚を、本当に理解するのって難しいのではないか。

その体験は、テレビの前で泣き叫ぶ人への哀しみの共感や、「おおごとだと思わなければいけない」という良心や倫理観が生み出した擬似的なものでしかない

逆に「東京」の人も、西に住んでいる人間は、実は自分たちが抱えているほどの「大転換」を東日本大震災に有していないという、感覚の違いをたぶん、「分かっていない」

何故ならば彼らはずっと東京に住んでいるし東京が「日本」だと思っているし東京のリアルが日本のリアルであるから

 

このことが、何を生み出すかというと、

っていうか、私がここで何を言いたいかというと、

現状、出版社やキー局や所謂大手マスコミって、全部東京にあるってことです。

東京にあって東京の人間が作っている。

同じ言葉を繰り返すと、彼らはずっと東京に住んでいるし東京が「日本」だと思っているし東京のリアルが日本のリアルであるから、自分たちが震災という「体験」と「言葉」に持っているあれやこれや(記憶・思想・考え方・感覚etc.)を日本人全員が持っているものだという前提で、話をする。報道する。作品を作る。

「震災」って言っただけで、何かを伝えた気になる。何か日本人にとって特別な共通意味を持ったマジックワードとして使う。

で世に流通するマスメディアはほぼ全てがそんな感じなので、実はピンと来ていない我々も、「伝わった」気にならなければいけないような気がして伝わった振りをする。

 

つまり、いや、分かんねえからね、ってことなんだよ。

「震災」って言葉だけじゃ、君らの言いたいことや君らの感覚、実は全部は伝わってないんじゃないか?ってことなんだよ。

マスメディアの人間は、いい加減こういう、無意識の東京ナチュラ中華思想やめなよ

 

…ってとこまで書いたとこでたまたま公式サイト開いて知ったけど、

「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」って公開から結構経ってた気がしたけど、これまだ、全国公開してなくて、東京の2館でしかやってなかったんですね…

あ、新宿や渋谷に簡単に行ける人じゃないと観れないんですねまだ…なんか道理で感想流れてこないと思ったわ…

 

自分が一番ナチュラ中華思想じゃん…

 

 

正月はとっくに終わったが2016年にハマったものでも振り返る。(※ようやく「ユーリ!!! on ICE」の話)

前回、「正月で暇だし2016年にハマったものでも振り返る。」とかいって、ユーリの画像をこれ見よがしに出しておきつつ、

 

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

結局延々ハイローの話しかしなかった私だが、何というかねえ、ユーリについてはずっと書きたいと思っていたんですけど、書くべき事が多すぎてねえ、どうすればいいか…どっから書けばいいのか、分かんないんすよ…

 

あれだけオタク界で盛り上がっていたのだからと意気揚々とコミケカタログを開いたのに、全然スペースがなかったハイローとは異なり、

「この行列何だ!?」と思ったら、大体ユーリの法則、というのを目に見えて体感出来たくらいなので、既に大盛り上がり。

面白いのは皆知っているわけだし、今更なあという感はある。

なので、面白いのは皆知っているから、かなり個人的な、自分のフィギュアやBLに対する思いを中心に語りたいと思う。

 

ところで、2016年に大ハマリしたもののうち、「まさかハマるとは思っていなかった」のがハイローだとすれば、始まる前から「絶対にハマるに決まっている気がしていた」のが「ユーリ!!! on ICE」である。

 

というのは元々、スケオタまではいかないまでも、結構フィギュアスケート好きなんですよね。

しかも、フィギュアを好きになったきっかけというのが、かのプルシェンコなので、どう見てもプルシェンコに寄せてるっぽいロシア人のキャラクターがいるっていうのはかなりポイントが高かった。

更に、私の、「フィギュアスケートが好き」っていう思いには、後で説明するが、「見たいんだけど見たくない」と表現すべきような、色々アンビバレントな思いが入り混じっているのだが、

キャラ設定やPVを見た時点で、この「ユーリ!!! on ICE」というアニメは、私が抱いているフィギュアへの想いと、フィギュアを好きな理由、更に私が萌えるやおい的関係性のパターンをかなり汲み取ってくれているような作品なんじゃないかという気がしたのですよ。

 

www.youtube.com

 

結論から言うとその想像はある程度裏切られたわけだけれど、裏切った上で、目からウロコが落ちるような「男同士のラブのあり方」を示してくれたように思う。

というのは、後に詳しく記述するとして、先に、フィギュアに対する想いの話。

 

 

フィギュアという残酷スポーツと私が当初想像していた「ユーリ!!! on ICE」

 

冒頭に載せた記事の登坂広臣に関するくだりでも延々この言葉について語ったので、お前、どんだけ「残酷」って言葉好きやねんって感じではあるが、

私がフィギュアスケートや羽生くんを好きなのは、端的に言えば、それが美しいと同時に非常に残酷なスポーツだからである。

 

残酷さという言葉が意味するものは色々あるが、第一には、個人の才能や力の差とそれらの限界が、この上なく歴然と現れてしまう、という点にある。

頑張れば何とかなるとか、途中までは負けてても後で一点取り返せば勝ちとかそういう話ではない、「個人」の力と才能こそが一番物を言う世界。

 

考えてみれば、「勝生勇利って、GPFに出られるだけで相当すごいじゃないか」っていうの以前に、全日本に出るような選手というのでさえ、その地域では一番の、親や友人や地域の人に「すごいすごい」と褒められ存分に期待をされ、四六時中練習に打ち込み、人生の殆どをフィギュアに注ぎ込んだような人間のはずである。しかし、その殆どがTVでは無名扱いで放送されなかったりもする。

GPSに出るようなトップの選手でさえ、たとえば羽生くんとはトータルで100点くらい差があったりする。そしてたぶん、彼らは一生かかっても羽生くんには追いつけないのである。

もっと残酷なのは、ノービス時代やジュニア時代は、羽生くんと肩を並べていた、一緒に練習していた、ないしは一緒に表彰台に乗ることもあっただろう選手が、現在ではもう天と地ほどレベルがかけ離れてしまっている場合。

 

私は、羽生くんを見るとき、彼の裏に数多いるだろう、かつては彼と同じくらい可能性があったことを信じていた、或いはもう信じられないのにそれでも四六時中練習に打ち込まざるを得ない人たちのことをつい考えてしまう。

それで、羨望と同時に、もっと彼の、常人では決して到達できない才能を見てみたいという思いと同時に、よく知らないのに何となく胸がギュッと掴まれるような哀しさがよぎる。

論理的順合性のない非常に不可解な心理だが、「だから」私はフィギュアや羽生くんが好きなのだ。好きと言うのは正確ではないかもしれなくて、この「影の予感」によってどうしても胸がざわざわする感じが、彼を見ざるを得ない一つの大きな理由になっている。

 

ということで、初めにPVを見た時点で、っていうか一話の途中まで、私はこれ、てっきり「絶対王者であるヴィクトルと、彼に憧れる勇利が氷上で戦う話」だとばかり思っていたのだった。

であるならば、「ヴィクトルと一緒にGPFで金メダルを目指したいです」って台詞はちょっと変なのだから気が付けよって感じだけれど、これ「ライバルとして金メダルを目標に一緒に戦おう」ということだと捉えたのである。

 

だからこそ、最初のGPFでボロ負けした勇利が、ヴィクトルから、「記念写真、いいよ」と声を掛けられるシーンは物凄くゾクッとした。いいシーンだと思った。

同じ氷上で戦っていても、この時点では、ライバルとさえ認定されていなかった。GPFに出ること自体、勝生勇利にとっては「記念」に過ぎないものだと、ヴィクトル側は捉えている、二人のそもそものポテンシャルや才能が圧倒的に違うことを、天才的才能を持つ者の無邪気な傲慢を、そして、上記に書いたようなフィギュアスケートというスポーツが持つ残酷さを、一言で表現するような大変良い台詞。

 

なので、ここから描かれるべきは、圧倒的存在ヴィクトルに勇利がどうにかして追いつこうとし、

だからこその、「一緒に金メダルを目指す」つまり、来年はライバルとして認めてくれっつー展開かと思っていた。

そして、そこで更に描かれるものは、というより描かれるべきは、私にとっては、「憧れを超えてしまうことの喜びと哀しみ」であるはずなのだった。

 

 

憧れを超えてしまうことの喜びと哀しみ

 

フィギュアスケートというスポーツが持つ残酷なあと二つの点は、

「最高の瞬間が非常に短いこと」と、「天才への期待値はインフレ化する」ということだ、と思っている。

 

例えば、同じく個人の才能が物を言うであろうピアノみたいな芸術と違うのは、肉体的ピークが表現的ピークとだいたい重なるというあたりである。つまり、身体能力を極限まで酷使した上に生まれる「美しさ」ゆえに、その美しさを個人の持つ最高レベルに表現できる時期はごくごく短い。

そして、たぶんジャンプなんかは、物凄く細かいところで調整が上手くいった時に初めて成功するものであるため、肉体的なものや精神的なものに左右されやすく、私たちはいつでも彼らの最高の演技が見られるってわけでもない。

前回は良かったが今回は良くないかもしれない。でも前回よりも良いかもしれない。同じプログラムを滑っていても、フィギュアは一度だって同じ演技は有り得ないのである。

最高の瞬間は次かもしれないし、もし次に最高の瞬間が来れば、その次はもう下っていくばかりなのかもしれない。

 

なんていうか例えるならば、もし桜が一年中咲いていたらあなたは桜を見ますか、っていうことなんですが、

 これも、私の中にある非常にアンビバレントな感情かつ傍観者ゆえのエゴで、「だからこそ」、こうした「死の予感」こそが、私がフィギュアを見てしまうもうひとつの理由になっているのだが、

「だからこそ」もう一方では、羽生くんを見たくないのである。怖いからである。次の瞬間はもう最高を過ぎているかもしれないからである。

 

こうした面は、実際のユーリの本編でも示されていて、だから、「俺はこの容姿でいられる時間が短い」「僕たちの競技人生は短い」というくだりは、そうなんだよなあと思わず涙ぐんでしまったが、

本編が始まる前、こうしたフィギュアに対する、「見たいけど見たくない」という感情は、競技者でありながら、かつヴィクトルの大ファンでもある勝生勇利にとっての、「越えたいが越えたくない」という葛藤で表現されるのだと想像していた。

 

憧れを越えることは競技者としては喜びである一方で、哀しみでもあるはずなのだ。

彼を越えるということは彼が最高でなくなったということだからだ。

 

 しかし、これは他人のエゴイズムであり、天才側にとってみれば、悲惨な重圧である。

羽生くんが、先日のNHK杯で、「106点しかない」みたいなことを自分で言っていたのが記憶にある人はピンと来るだろうが、「天才への期待値はインフレ化する」。

彼が観客に呈示した「最高」の質や点が高ければ高いほど、「次はもっとすごいかもしれない」の「凄い」レベルがどんどん上がっていくわけである。そのインフレ化した「凄い」を自分で越えることが出来なければ、大衆は、「がっかり」する。駄目になったと決め付ける。

常に自分を越え続けなければならないそれは酷いプレッシャーであり、ゆえに圧倒的な天才は孤独である理由はそこにある。

戦うのは敵ではなく自己や他人の中にある「過去の自分」という記憶であり、言い換えれば敵は自分の中にしかないからである。向き合うものは自分しかいないからである。

 

だからこそ、天才側に視点を移せば、

「越えられることは悔しさであり、かつ喜びである」

ということだと思うのだ。

 

……って話かと思ってたんですよ。で個人的嗜好を言えば、こういう関係こそが、私が一番好きなやおいなんですよ。

っていうか、途中まで多分敢えてそういうミスリードをしていたわけじゃないですか。

「いつか勇利くんがヴィクトルと一緒に戦っているとこ見たい」みたいな台詞とか、勇利も、ユーリをTVで見てその才能に焦ったあと、

「絶対にいつかまた、ヴィクトルと同じ氷上で」って言ってるし。

だから、ハマるに違いないという確信があったのだった。

 

いやー違いましたねーーいやもしかしたらヴィクトルも競技に復帰することだし二期はそういう話になるかもですけど、まさかヴィクトルが勇利のコーチになる話だとはねーーなんかねーもっと純粋なラブストーリーでしたねー

いや勿論、ヴィクトルは上に書いたような天才の孤独と苦悩を持っていたわけだし、

少なくとも国内には一緒に戦う仲間がライバルがいなかったというかいなくなっていった勇利や(優子ちゃんについて「昔はスケートがうまかった」っていうシーンや、「失っていったもの」というモノローグで、かつては一緒にスケートをしていた優子ちゃんや西郡の姿が消えていくシーンでも、それは表されている。昔のリンクメイトを自分だけがどんどん越えて、一緒の次元で戦える相手が身近にいなくなっていく過程があるからこその、「一人で戦っている」っていう想いに繋がるわけよね)、同世代にはライバルがいなかったユーリ、それぞれが孤独だったっていう描写はあったけれども

そういう意味で半分はそういう話だったんだけど、でも半分は違ったわけである。

でも結果的にハマったんですよねー

 

ハマった理由はもちろん、腐女子歓喜のサービスシーンが一話に一度は挟まれるのでアドレナリン大放出っていうのもあるし、

 

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(一話に一回は挟まれるサービスシーン…)

 

ところどころで、上記に書いたような、私がフィギュアに抱いている思いみたいなのが要素として散りばめられていた(競技人生のピークが短いことや、全力を出して自己ベストを叩き出したとしても勝てない相手はいること、ヴィクトルの持つ天才の苦悩と孤独、そして、生徒としてヴィクトルに期待することと、ファンとしてヴィクトルに期待すること、競技者としてヴィクトルに期待することが、それぞれ相矛盾するがゆえの葛藤、など)

というのも大きいが、一番は、私みたいな素人がそうして「想像する物語」からの裏切り方が凄い、という点のような気がする。

 

「ユーリ!!! on ICE」はいつも、私を驚かせる天才だっt…ていうかね 、一視聴者が容易に考えつくような話をやってちゃあ駄目ってことなんですけどね普通に!!

 

 

「ユーリ!!! on ICE」のミスリード

 

「ユーリ!!! on ICE」のミスリードは、(少なくとも一期に於いては)「ヴィクトルと勇利がライバルとして戦う話」ではないという他にも何個かあって、大きいところを羅列すると、

 

■勇利のSP曲で描かれる物語―色男が町一番の美女に目を付け、美女は色男に溺れるが、男は最後街を去ってしまう―とその物語の「暗示」が、「ユーリ!!!」の本編の物語にトレース「されない」

 

■7話での、ミッキーとサーラの話―ミッキーの精神的依存先であるサーラが離れることで、ミッキーが良い演技ができた―が、同じく、一時的に離れる状況にあったヴィクトルと勇利の関係に適用「されない」

 

■あれだけ、基礎点の高いジャンプを飛ぶJJに勝つには~と、対・JJ戦を煽っといて、JJがラスボス「ではない」

 

劇中劇が本編を暗示するって、フィクションではよくある手法だと思うんですが、暗示してないんですよ「ユーリ!!! on ICE」は!!

で、その裏切りが「拍子抜け」ではなく、より効果的に演出として働いているのが凄いんですよね。

 

7話では、あの例の月9名シーンを生み出しましたし、GPFの魔物に飲まれたJJの不調とそこから立ち上がるシーンは劇中屈指の号泣ポイントだったと思う。

ライバルに勝つシーンは、そのライバルが強ければ強いほど燃えるわけなので、JJ対策をどうするかを、「JJがミス連発」にするっていうのは下手をすると拍子抜けになってしまうのに、それを単にJJが強い、よりもっと心に響く演出に持っていく力量。

ジャンプが抜けに抜けまくって、それでも、4回転に挑戦するあのシーンや、ボロボロの演技を終えたあと、それでも笑顔を作り、「イッツJJスタイル!」とポーズを決めるまでの流れ、自分が求めているJJのために、世界が求めているJJのために、立ち止まることは、挑戦しないことは、落胆することは許されないのだと、立ち上がらなければいけないのだという決意が伝わってきてもう号泣メンですよ、ってかあそこで一番泣きましたよ。

 

しかし、私が一番驚いたのは、勇利のSPで表現される物語がミスリードだったというあたりである。

ヴィクトルがまだ何を考えているのかよく分からなかった3話時点であれを見れば、誰でも、ああ、この勇利のSPで描かれる物語が本編でのヴィクトル―勇利 間の関係に適用されると思っちゃうわけじゃないですか。

色男は女を翻弄したあと街を去る、つまり、ヴィクトルと勇利の別れの予感ですよ。

しかしこれは本編にトレースされず、結局2人は離れずに傍にいたわけですよね。

かつ、構造上もう一つミスリードが含まれていて、10話のどんでん返しで、勇利は美女を翻弄する男側だったことが判明したという。

実は、先にヴィクトルに「Be My Coach」と誘い、誘っていながらそのことを完全に忘れており、近づこうとする(物理的に)ヴィクトルから遠ざかったり、絶対に僕から離れないでみたいな熱烈アプローチをしたり、お揃いの指輪をくれてその気にさせたかと思えば、次の日には「GPFで終わりにしよう」とか別れ話をする、

 

もうね、何、「いきなり現れた憧れの人に振り回されるヒロイン」ぶってんだよ勝生勇利!!!って感じですよ!!

お前がヴィクトルを翻弄しまくりじゃねえかよ!!!

しかも怒られると結構逆ギレするしな!!!

自分が勝手に放牧宣言したせいでヴィクトルが泣いてんのに、「ヴィクトルでも泣くんだー」って髪かき分けて顔をマジマジと見たり、自分が泣いて怒鳴ってヴィクトルをおろおろさせたことに対して、「僕が急に泣き出した時のヴィクトルの顔面白かったなー」とか笑ってんですよ、クソサイコ野郎ですよ!!

だがそれがいい

だがそれがいい

このね、勇利が全然、内向的で大人しくて純粋無垢のヒロイン・ポジションではなく、大人しそうなのは見かけだけで、トップアスリートかつ表現者ならではのエゴ全開の超自己中男というキャラ設定が、非常にこのアニメの魅力になっている。

 

 

勝生・サイコパス・勇利とユーリ・不憫・プリセツキーの話

 

通して見るとよく分かるのだが、このアニメ、世界の頂点で戦うトップアスリートかつ一人で氷上を舞い表現するフィギュアスケーターという性質もあってなのか、

「○○なのは(○○ができるのは)世界中で僕だけ」

という台詞がかなり頻出である。

そうした唯一無二性を至上とする価値観なので多分基本的には、俺が目立ちたい!人間ばかりで、そんな中にあって、なかなか自ら自己主張できず、自分への自信の無さから本番では上手くいかない勝生勇利という主人公が、ヴィクトルと練習や生活を共にすることで、「彼と一緒にいたい」「彼を驚かせたい」という思いをスケートに乗せ表現できるようになっていく…

 

みたいな話と見せかけて、いやそんな話なんだけどさ、半分は違うんだよ。

だってさ、これも通して見るとよく分かるけど、勇利って基本的に、自分とヴィクトル(厳密には、ヴィクトルと一緒にいたいという自分の気持ち)のことしか興味ない奴じゃないですか。

 

中四国大会の説明の際に、三姉妹に「あ、でも南健次郎くんが出るよ」みたいに教えてもらってるはずなのに、翌話ではそのことをすっかり忘れ、南くんに話しかけられたあと、「南健次郎選手」って名前が呼ばれても、全然ピンと来てないし。

 

で、まさしく、久保ミツロウ漫画の童貞主人公の系譜を受け継いでると思うのは、

「自分に自信がない」という状況が、こういう、基本的に自分にしか興味が無いことの裏返しとして現れているというあたりで、

勇利って、

「○○って思われたらどうしよう~」とか、「絶対○○って言われるよ~」(こんな写真出回ったら絶対遊んでるって思われるよ~とか)、みたいな台詞が非常に多い。結構何回も出てくる。

これは厳密な意味で他人そのものを気にしているんじゃなくて、「他人の鏡に映っている自分」を物凄く気にしちゃってるってことですよね。こう思われたらどうしようとか、ああ言われたらどうしようとか、「他人の鏡」を強く内面化しているので、だからこそ、なかなか自信が持てない。(自分に絶対的な自信がないから他人の鏡を過剰に気にするとも言えるが)

端的に言うと、自意識過剰型ってことで、こういう人って、自分が取るに足らない存在だと思っているから自分に自信が持てないんじゃなくて、自分に強く興味を持っている(自分への関心が強い)から、引っ込みがちになるんですよ。

ほんとに取るに足らない存在だと思ってたら、ああ言われたらどうしよう~とか気にしませんから。

 

で、そんな基本的に、自分とヴィクトルのことしか考えてない勝生勇利の一番の被害者だと思うのが、ユーリ・プリセツキーで、もう私は本当にユーリが不憫で不憫で…

 

だって、ユーリは最初っから、勇利のことをかなり気にしてますよね。

一話でのトイレのシーン、あれ多分わざわざ、勇利の姿を見かけたから追いかけってってるじゃないですかユーリは。

何故か、惹かれてしまった男。同世代では敵無しだったユーリが、多分、可能性みたいなのを感じてもしかしたらライバルになるのかもしれないと気になったんだろう。

それが、情けなく泣いていたから、俺のライバルになるかもしれない男がボロボロ泣いてんじゃねえよ、というがっかりした気持ちと、(ユーリなりに)発破をかけたかったからのあの台詞で、その後も、ユーリは勇利にライバル心全開なわけです。

見てろカツ丼とかどうだカツ丼俺の滑りはとか、いちいち勇利を意識して滑っているし、それでありながら、勇利が失敗しそうになると思わず応援しそうになり思い入れぶり、勇利が表彰台のぼれなかった時は、(何故か知っている)誕生日プレゼントとか称して、カツ丼ピロシキをあげて元気づけようとしてくれている。

 

なのに、この、ユーリの勇利に対する思い入れっぷりに対して、勇利、あんまユーリのこと気にしていないのである。

っていうか、正確な意味で、「ライバル」だとあまり思っていなさそうな節がある。

 

例えば、

ユーリが、ヤコフの元奥さんに教わっているらしいみたいな報告を優子ちゃんから受けても、「あーそうなんだ」ですよ! まるで興味無し!!

ユーリが滑りを終えて、どうだカツ丼俺の滑りは!って時にも、ヴィクトルといちゃいちゃしてるだけだし。子供の運動会に来た夫婦みたいに呑気に「ダバーイ」とか言ってるだけだし。

 

あと、ロシア大会でのシーン。勇利は、

「この間の中国大会と違って仲良い選手いないんだよな~」とか言っているが、つまりこの台詞、一応一定期間、寝食を共にして面識あるはずのユーリは、勇利にとって「仲良い」枠には全く入れられてなかったっつーことである。

 

その後の流れも大概アレで、エレベーターで一緒になったユーリに、勇利は、

「お互い頑張ろうね~」とかのほほんと声を掛け、

「あ? お前はここでボロ負けすんだよ」とか返されているわけだが、ここまで勇利はニコニコと微笑んでいるわけ。

ユーリにお前はボロ負けすんだよと言われた時には微笑んでいるのに、それが、

「お前は負けてヴィクトルはこのままロシアに残る」みたいな台詞で初めて、表情が曇る。

  

そうなのだ!!

繰り返しになるが、勇利は本当に「ヴィクトルと一緒にいられるか」しか気にしてないんである。

滑っている時のモノローグも、ユーリはあんなに勇利を意識してるのに、当の勇利は、ここで勝たないとヴィクトルと一緒にいられない~とか、ヴィクトルを驚かせたい~とかヴィクトルの想像を越えられる~とかヴィクトルばっかである。

もちろん、ユーリに対して、焦燥とか敵対心みたいな感情を抱くことはあったけれど、その根底になっているのは、「ユーリに負けたらヴィクトルが自分の元から離れることになるから」なのであって、厳密な意味で、「ユーリ自身に負けたくない」からじゃあなかった。

 

っていうか、それは対・ユーリだけではなくて、本編を通してほぼずっとっていうか、負けず嫌いと言いつつ、それはむしろ、「誰よりも自分が美しいと見せつけたい」みたいな表現欲であって、「特定の誰かに勝ちたい」みたいな闘争心とか「特定の誰か」を絶対に勝ちたいライバルとして分析し目に焼き付け執着したりとか、あんまりそういうシーンがない。

スケートを続けたいのは、より良い表現ができるための根底にあるのは、ヴィクトルと一緒にいたいとかヴィクトルを驚かせたいとか、そういう気持ちのが強い。

 

で、このことはおそらく非常に重要なポイントだと思っていて、

だからこそ、あのラストに意味と感動があるのだ。

 

ヴィクトルは、勇利の、スケートを続けたいとか表現したいという欲望の強い原動になっていたわけだけれど、スポーツにもう一つ重要な「勝ちたい」という闘争心の部分に火を付けることができたのは、ユーリの方だった。

あそこで初めて勇利は、ユーリに振り向いたんですよ。

勇利が、本当の意味で誰かに「勝ちたい」と思った瞬間ですよ。

 

思えば、実は2話でもその片鱗は出ていて、ヴィクトルに、

「勇利はどうしたい?」と聞かれた時に、「ヴィクトルと一緒にカツ丼食べたい」って答えるシーンがある。

初めて見たときよく分からなかったけど、

つまり、カツ丼=勝たないと食べられない食べ物

という前提を踏まえた台詞であって、だからあれは、勇利が

「勝ちたい」と声に出すことが出来たってことなのだな。

 

それまで、シニアデビュー初年なのに、金メダル獲るとかガンガン宣言し勝利に対する欲望を隠さないユーリに気圧されていた勇利が、ちゃんと自分も、

「勝ちたい」と声に出して宣言出来るようになったシーンなわけである。

 

この、

スケートへの愛情や表現欲=ヴィクトル 闘争心=ユーリ という人物配置は、表現の美しさと肉体的限界ギリギリの大技成功両方がポイントとなる、芸術とスポーツ、二つの側面がある「フィギュアスケート」という競技でこそ生きてくる配置なのであって、だからあのラストは、ユリオ報われてよかったねええという感動と同時に、フィギュアスケートアニメであるという意味を生かした良く出来た構造だなあと思った

 

 

 で、この主要三人の構造について更に気が付いたんですが、これ怒らないで聞いて欲しいんですけど、「ユーリ!!! on ICE」=ハイロー説。

というのは、このアニメに於いて、

ヴィクトル=伝説 であり、ユーリ=希望 として象徴されているように思うのだ。

ユーリのGPFの演技を見て、ヤコフがジュニア時代のヴィクトルの影を見たように、ユーリは、未来であり、これからまだ沢山の可能性がある希望なのである。

そして、伝説に影響を受け、希望に闘志を与えたのが中間の世代にいる勇利、という構造。

まさに「Hope&Legacy」の物語、すなわち、ハイローじゃないか!!

 

っつーのは冗談として、そういう風に、2人のユーリである、勝生勇利とユーリ・プリセツキーの関係、或いは、クリスとヴィクトルの関係なんかが、羨望と対抗心、嫉妬や友情など様々な感情から成る非常に「やおい」的である一方で、物語の軸となるヴィクトルと勇利の関係は、私が当初思っていたより、もうずっとずっとラブストーリー的ですよね。

「憎」や「妬」がないわけ。

 

ヴィクトルと勇利について、「BANANA FISH」の英二とアッシュを彷彿とさせるみたいなことを書いていた人がいたが、天才的な外国人と朴訥とした日本人みたいな表面上のスペック以上に、理由として大きいのはそこだと思う。

BANANA FISH」は、アッシュと英二以外にも色々、男同士の深い関係性みたいなのが出てくるんだが、それは殆どが、男同士の「愛憎」劇なわけである。

アッシュを執拗に追う、コルシカ・マフィアのボス、ディノ、チャイニーズ・マフィアを支配する李家の末弟である月龍、チャイニーズの不良少年グループのボスであるシン、など、アッシュに執着するないしは敵対する男たちは皆、基本的に、彼のことを、強く憎んでいる。自分には到底持ち得ない物を持っていることの憎しみ。絶対に自分のモノにはならないことからなる憎しみ。すなわち、憎んでいるという言葉が同時に、<愛している>という意味にもなる、羨望と憧憬の裏返しとしての執着であり嫉妬心であり憎悪なのである。
しかし、そんな、アッシュを軸とする複数の「ブロマンス」の交錯の中にあって、「ラブロマンス」が一つだけ描かれている。
それが、もう一人の主人公、日本人の青年、英二との関係である。

 

この、アッシュと英二の間にある絆だけは、非常に、<ラブロマンス>的で、互いが、一緒にいたいから一緒にいたい、関係のための関係、というような間柄として描かれている。

 

「ユーリ!!! on ICE」が新しいのは、一つには、スポーツ物やバディ物で、男同士の深い関係性を「やおい」的に描く物語っていうのは今までも沢山あってその関係性を腐女子は、恋愛に読み替えて同人誌を作ったりしてきたわけだけど、「ユーリ!!!」はね、スポーツ物かつ純粋な(広義の)「ラブストーリー」をやってんですよ。

それも、「戦う男が、頂点を目指す男が彼を応援してくれる女の子に恋をする物語」サブストーリーではなく、彼の、彼に対する想いこそがメインという形で。

 

「弟の夫」という漫画に、男同士の夫婦について、姪っ子に「どっちが奥さんなの?」と聞かれ、それについて、

「どっちもhusbandだよ」と答えるシーンがあるんですが、私はこの「どっちもhusbandだ」という台詞を思い出した。

 

ヴィクトルも、当初は、自分のライバルを作りたいとか、何より「自分ができること」に自分でも飽きてしまったような状況にあって、本当は自分が一番何かに驚きたかったのだろう中にあって、何か自分を驚かせてくれるものをみたいな気持ちとか、要するに自分のためみたいなところはあっただろうけど、どんどん、勇利に惹かれて勇利とこのまま一緒にいたいみたいな気持ちの方が強くなっていってしまう。

自分が一番だった男が、競技者たる自分の可能性を殺してまでも、コーチとして勇利の傍にいたいというところまでいくわけですよ。

 

 

あ、スポーツ物で、かつラブストーリーって、出来るのか! やってもいいんだ!

っていうのが一つ大きな発見である。

しかも巧いのが、関係が深くなっていっているのとか時間経過を、勇利の口調の変化(途中からタメ口になっている)や、態度の変化(自分からヴィクトルにグイグイいったり、なんか対応が杜撰になっていっている)で表現してるとこ、

5話でいきなりヴィクトルへの態度が杜撰になっているのは多分時間経過だとして、中国大会の時にはシングルずつだったはずの部屋が、ロシアでは当然のようにツインになっているのは、間に何かあったと踏んでるんだけど…

 

という腐女子的邪推はともかく、更にもう一つ凄いのは、劇中でそうした男同士の恋愛めいた関係性を「突っ込んで」ないところですよね。「違和感のあるもの」として表現されていないと言ってもいい。

 

当事者たるヴィクトルも勇利も、そもそも、「男同士なのに…」「男なのにキモいって思われないかな」みたいなことを一切考えないのはおろか、

ヴィクトルと勇利が、お揃いの指輪をしているのを見て、ピチットくんが、

「皆ー僕の親友が結婚しましたー!」

と即座に祝福していたりする。

これも何気に良いと思ったのは、その後登場するJJまでも、

「残念ながら金メダルを取って結婚するのはこの俺だ」

って言っているところ。

つまり、自分(JJ)とフィアンセ(女性)の婚約・結婚と、ヴィクトルと勇利の婚約・結婚ちゃんと「同列」に、「同じ次元の話」として扱ってるんですよ。

 

これって凄いことで、

今までこういうのって、何となく「劇中で突っ込みを入れなければいけない」みたいな不文律があったわけじゃないですか。

キモいとかお前らそっちなの?みたいな「茶化し」とか「デキてるんかい!」みたいに「笑い」に変えたり、それは流石にしないまでも、

商業BL漫画であってさえしても、これまでゲイを公言していなかった男同士が何の葛藤もなく普通にお揃いの指輪つけてたら「それは、どうなんでしょう、やっぱり人の目が気になるでしょうし他人も、え?って思うのでは」みたいなツッコミが多分編集から入るし、

「俺達…男同士なのに…」みたいな葛藤とか、「ゲイじゃなかったはずなのに…何でこいつに惹かれるんだろう」という思索とかを描くことが、むしろ、「深いBLの物語」みたいになっていたわけじゃないですか。

そうでなければ、「俺はゲイで」みたいな「理由付け」が必要必至だったわけじゃないですか。

っていうか、ユーリファンでさえ、

「この作品はただのホモじゃなくて、もっとこう壮大な師弟愛とか…」

みたいに言うじゃないですか。そういう言い方って非常に差別的じゃないかとは思うけども、差別心の他にも、そもそもの、なんかさあ、性愛的関係が、師弟愛とか家族愛とか友情よりも下、みたいなさあ。そういうさあ。

 

 でも、そういう気持ちは私にもあったのである。

恋愛を下に見る気持ちとか、男同士の葛藤が描かれているものこそ深い物語だ、みたいな考え方。

私は「ユーリ!!!」を見て、考え直した

むしろ、現実もこういう世界であるべきだと。

 何で、男同士なら、茶化したり或いは葛藤しないといけないのか?

「理由」がいるのか?

悩むべきものでも突っ込むべきものでも特別な理由が必要なものでも珍しいものでもはたまた素晴らしいものでもなく、JJとフィアンセの結婚と自然と「同列」に扱われる世界、これって物凄くポリコレ的に正しいっていうか、ああ、それでいいんだ! と目からウロコ。

という意味で、自分のBL観がガラリと変わった作品でもあるのであった。

 

 

…でもやっぱ、ライバル萌えクラスタとしては、ヴィクトルと勇利がバチバチに戦ってるとこも見たいや。

 

正月で暇だし2016年にハマったものでも振り返る。(※今回はハイローの話しかしません)

私の2016年を構成したもの。

 

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 以上。

(ところで私は2016年の前半、何を楽しみに生きていたんだろう…火アリかな…あれも工と窪田正孝が出ていた…)

 

 

申年ということで年女でもあった2016年は私にとってはかなり変化の年で、新卒で入った(ブラック)会社と激モメして無職になったりそれまでに2度話し合いの場を設けられたり向こうが社労士なんかを出してきたりこっちも労働基準監督署や法テラスに駆け込む事態となったりしたのだが、所詮、20代前半程度の小娘如きがいくら、労働基準法を遵守しろ労働者の権利を守れなんて騒ぎ立てたところで世界は動くわけもなく逆に「会社なんて理不尽なことがあるのが当たり前だよ」なんて説教されたりなんかして、結局のところ、東大で美人でユーモアもあって電通でそして死ななきゃダメだったのだった。革命にはジャンヌ・ダルクが必要なのだった。死んだ後に世界が変わったって自分はそれを見られないんだから何の意味もねえ。糞喰らえだ。

2016年前半にジャンヌ・ダルクにならなくて良かった(なれないだろうが)と思ったのは、死んでたらユーリが見られなかったとかそういうことでもなくて(そういうことでもあるが)、2016年前半で自己の歴史をシャットダウンしていたら、きっと出会えなかったであろう自己に出会えたからだ。

去年時点の自分は、まさか一年後、今の会社で今の職についていることを想定もしていなかっただろうし、マイルドヤンキーについての卒論を書き散々EXILE的な文化をdisりまくった自分が↓

 

blog.livedoor.jp

 

よもやその約1年半後、登坂くーん!!!!とかきゃあきゃあ言って、カラオケで三代目JSBの歌をノリノリで歌うような人間になるとは思っていなかった。人生は分からない。

 

いきなり話が矮小になった。

 

 

ハイローの話。

 

ところで、矮小な話は続きますが、2016年年末、意気揚々と冬コミのカタログを開いた私は愕然としました。

 

「どうなってるんすか琥珀さん! オタク界でハイロー盛り上がったんじゃないんですか琥珀さん!! 全然スペースないじゃないですか琥珀さん!!!!!」

 

「ユーリなんて、どうせ銀盤もあるし通販で出るし後でもいいんだよ!! 雨宮兄弟や●代目やハ●羽●がなくて何が冬コミじゃ!!!!!!」

(※ユーリ本10冊以上買ってる奴が言うことではない)

 

これは結局のところ、支持層の問題で、アニメオタクよりもジャニーズファンの方が数は多いかもしれないが(わからんが)、絵心ある人は、とうらぶだの松だのユーリだのに密集しがちのため、同人のクオリティは前者の方が格段に高いみたいなそういうことなのかもしれない。

でも私は絵心ある人にもハイローにハマって欲しいので、これまで散々、腐女子的に何故ハイローが素晴らしいかをプレゼンしてきたわけだが、

 

 

①ハイロームービーの応援上映にいき、「今は亡きタツヤさんの影が離れない琥珀さんに、愛は自分の方に向いていないと分かっていながらも、それでも彼のためになれればと黙って寄り添い続けた九十九さんが、最終的には、何とか琥珀さんを自分の方へ必死で振り向かせようとするトライアングル・ラブストーリー」という構造に心を打たれる話↓

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

②雨宮兄弟が三兄弟という設定にしたことが、如何に物語に深みを与えているかと、登坂広臣のアイドル映画としては1億点ということを語っている話。私は確実にここで、クールでマイペースでツンデレっぽいのに根は甘え上手っぽい可愛さを併せ持つ登坂にオチた↓

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

③延々、雨宮広斗のことしか考えられなくなった結果の補完妄想

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

2017年もしつこくハイローの話をしたい(決意表明)。

もちろん、相変わらず「ハイロー?なんかEXILEが出てるやつでしょ笑」と一笑に付す周りの奴らに布教するための、映画版円盤の予約もバッチリである。

なにせ、ドラマ版は20話もあるし、後半なんか、ファンでさえ、「これ、いる???」ってくらい回想回想しつこい回想ばっかでダルくなってきたりもするので、順番としては、

 

2時間ダイジェストで何となく世界観を把握できる映画を観る→各々の掘り下げがあったり、ムゲンの過去がわかるドラマを観る→ここに至るまでの流れを把握した上で映画を観る→詳細やストーリーを理解した上で、細かいやり取りや設定に目を向けたり萌えたりするためにドラマを観る→その上で出た疑問を解消するために映画を→以下ムゲンループ

 

ということで、元旦からhuluにて、ドラマ版ハイローをもう一巡してみたわけだけれど、そこでようやく気付いたこと、そして③を書いた時点から現在までに生まれた、もう少し語っておきたいことなどを書いていきたい。

どれも、 私が如何に、ハイローを真面目に見てなかったかよく分かる話だが…

 

 

ようやく気付いたこと ①コブラの職業

 

これほんと、 お前、今更かよ!?って感じ満載だが、あの、コブラって、ガソリンスタンド屋だったんですね…

山王連合会は、主に商店街の息子を中心とする構成で、ヤマトはバイクの整備屋、テッツは銭湯、ダンはコンビニ?みたいな商店、とかそれぞれ職があったけれど、総長であるコブラは何してんだろとか思っちゃってたわけですよ。まさか総長が無職じゃカッコつかんし。

と思ったら、全然映ってましたね。コブラが一人黄昏ていることの多いあの場所、家なんすね、ガソリンスタンド屋なんですね…

 

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1話で、山王連合会の奴らがたむろっていた(そしてそのすぐ後に割られた)あの車、コブラんちのやつなんですね…理解理解(遅い)

 

しかし、ようやくコブラの職業を理解した故に、私の中では新たな疑問とそこから導き出される邪推が生まれることとなった。

 

疑問というのは、幼少時コブラの「俺んちも、夜まで仕事なんだ」という台詞。

いやまあおかしくはないのだけれど、仮に、コブラの親もガソスタ屋だったとすれば、あんな職住近接型なら、一応、家に帰っても親の顔くらいは見れそうなもんである。

ITOKANに見られるように、さほど公私がきっちりと分かれていないところが、山王商店街のカラーではあるのだから、親が商売をしているすぐ近くで、子供が遊んでいるみたいなことがあってもおかしくはない。だからヤマトの場合は、「母ちゃんパチンコ」というアリバイをわざわざ持たせているわけじゃないか?

しかし、コブラの口ぶりだと、「家帰っても親は仕事だから誰もいない」みたいな感じ。更によく考えると、コブラの両親は劇中に登場していない。

過去軸だけでなく、現在軸でも。

 

そしてこれは前から不思議に思っていたことだが、コブラにまつわるもう一つの大きな疑問は、山王時代とムゲン時代での大きなキャラ変である。

してみるとこれは、「EXILE紀年」(なんだそれ)とは、時間軸が逆である気がする。

というのは、コブラを演じている岩ちゃん(岩田剛典)という人は、元々、色黒でゴツいゴリラみたいな風貌だったのを、HIROさんに、「岩ちゃんは笑ってた方がいいよ」と言われたのや、世間の需要に合わせて、キラキラ爽やかでワンコのような愛くるしい笑顔が魅力的な王子さまキャラに変更した結果バカ売れした人間である。らしい。

あまりにもパスポートの写真と人相が変わりすぎていて、登坂と一緒にロス旅行に行った時に、出国審査や入国審査といった審査の度に止められたみたいな話をしていた。

 

しかし、ハイロー世界では、

過去であるところのムゲン時代は、如何にも明るくて無邪気なカワイイ後輩ワンコ系、自分のサインを書いちゃうようなお茶目な一面を持っているキャラクターであった。

 

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しかし、山王連合会時代になると、皆が騒いでいるのを黙って聞いているような、たまーに喋る時も眼光鋭くドスのききまくった低い声であるような、クール系のキャラと変貌する。

私もHIROさんと同じく、「岩ちゃんは笑ってた方がいいよ」派なので、ムゲン時代のコブラカムバーーーックって感じではあるのだけれど、

(しかし岩ちゃん自身の魅力は、ずっと陽のあたる勝ち組人生を歩んできた者ゆえの常にどこか余裕綽綽の感じと、一方で、俺は本来たかがJSBパフォーマー如きで終わる男じゃないという闘志というか野望というか選民意識というか生来の負けず嫌いさが言動ににじみ出ているのを隠しきれていないところにある。と思っている。)

 

とはいえ、このキャラ変には何か意味があるはずで、そのうちスピンオフで描かれることに期待したい。そして、この空白に、「岩田がコブラをやっている意味」と「家に誰もいない(家族が描かれない)謎」が生きてくるのではないか。

 

岩田がコブラをやっているという意味というのは勿論、

世間の需要に合わせてキャラ変(ついでに人相もかなり変わった)した岩田というEXILE紀元での物語が、おそらくは、「山王や街を守るために、自らに“総長”というキャラクターを付していった」コブラの物語にトレースされるのだろうし、

その“きっかけ”は、多分、実の家族絡みの気がする。

 

いやーでもなー家族絡みは雨宮兄弟でやったからなーネタ被りするからどうだろうなー

と思ったけど、チハル裏切りや美保ダウトで働くの理由も、両方「父親の借金」でネタ被りさせたハイローだから分からん。

何なら、雨宮兄弟だって言ってしまえば「親の借金」ネタだし。

困ったときのクルマ突っ込みと親の借金。

 

このように、ハイローの大きな魅力の一つは、描かれないことが多いゆえに意味と空白を考察する楽しみがあるのだが、しかし、適当にその場のノリで作っているように見えて、この正月のドラマ一巡で、実は設定や配役には結構ちゃんと意味と必然性があることに今更気が付いた。

 

 

ようやく気付いたこと ②配役の意味

 

先程、「コブラを岩田がやっている意味」と書いた。

最初見た時はLDH所属のアーティストに全然詳しくないからよく分からなかったのだが、っていうかこれまでに何百人も指摘しているだろうけど、ここにきて、配役の意味に気が付いて感銘した。これも、今更?って話。

 

なるほど、琥珀さんはAKIRAでなければいけないしコブラは岩ちゃんでなければいけないし、「RED RAIN」で、雨宮雅貴が大事なUSBを託したのが、琥珀さんである理由もすんなり呑み込める。あれは、ハイローの「物語」として理解しようとするから「???」なのであって、EXILE紀年の物語として捉えれば、絶対にああでなければならないのがわかる。

いや配役といったが正確には配役ではなかった。「役」があって「役を演じる人物」が割り当てられるのではなく、はじめに「人物」がいて、それから「役」が作られたはずだ。

 

琥珀(AKIRA)とタツヤが二人で始めた「ムゲン」というグループは、いつしか巨大・強大化する中で、統率が取れなくなっていく。ヤマトなどムゲンの古参メンバーからも「昔はこんなんじゃなかった」「知らない奴が増えた」などという不満が出るようになる一方で、ムゲンを創設したタツヤや最初に仲間になった太田などが、それぞれ自分の生きる道を見つけ、大人になっていき、取り残された琥珀だけが楽しかった頃の「ムゲン」という居場所に執着していく。

家村会によるタツヤの死や九十九の昏睡をきっかけに、ムゲンは解散し、そのメンバーとスピリットを継ぐのが、コブラ(岩田)率いる山王連合会である。

 

なるほど!!!EXILEじゃん!!!

「昔はこんなんじゃなかった」「知らない奴が増えた」そして、古参メンバーはどんどん去っていく。

でもな、生き残るためには、変わっていかなければいけないんだぜ!変わることと仲間を捨てることは全然違う!というのがHIROさんが突きつけるアンサーか

そもそも、三代目のオフィシャルサイトのTOPも、

EXILEの想い・信念を受け継ぐ伝説的ダンス&ヴォーカルグループ」

って、結局単純にあれっすね、「伝説的」とか「受け継ぐ」とかが好きなんすね

 

というのはさておき、そう考えると、

ムゲンの総長が、EXILEパフォーマーで最も知名度が高いだろうAKIRAで、その後を継ぐコブラが、三代目JSBのパフォマー1の人気者、岩ちゃんだっていうのも納得がいく。

 

ムゲンと因縁の深い雨宮兄弟が、TAKAHIROと登坂広臣なのも同じ理由か。EXILEのボーカルと三代目JSBのボーカルってことか!!なるほどね!!(遅い)

更に、この理屈でいけば、ムゲンと雨宮兄弟に因縁が深く、最後は、AKIRAとTAKAHIROがタイマンで戦っているのも、レッレで雨宮雅貴(TAKAHIRO)が琥珀さん(AKIRA)にUSBを渡しているのも必然性がある。

EXILEの、パフォーマーの要と、ボーカルの要、この二人が力を合わせて、迫り来る苦難や脅威(文春砲とか)と戦う、これ以上ベストな布陣があるか!?

 

更に更に、この「ハイローを、ハイローの物語ではなくEXILE TRIBEの話として捉える」手法を当てはめていくと、私があれだけ萌え萌えしていた、映画での

「広斗×スモーキー」にも、大きな意味と必然があったことが分かった。

っていうかそもそも、これも初めて気がついたのだが、私の見逃しだったら恐縮だが、あれ、「ドラマ時点」では、雨宮兄弟がSWORDを再来したのは、「いなくなった長男を探していたから」だと、まだ説明されていなかったのか!

あいつらは長男を探している、という先入観が強すぎて気が付かなかった。

 

ということで、「THE MOVIE」で初めて、雨宮次男と三男は、長男を探すためにSWORDをウロウロしていたことが分かった、ということが分かったのだが、雨宮兄弟の末っ子である広斗は、長男がどうやら無名街に顔を出していたらしいという情報を掴み、ルードボーイズのリーダーであるスモーキーに会いに行く。

そんな中で、ダウト等との抗争に巻き込まれたりなんやりしているうちに、広斗とスモーキーの交流が深まっていくわけで、それが大変萌えるのだが、ハイローの「シナリオ」的には実はこの交流、「萌える」という以外にそんなに意味がなかった。(勿論萌えるというのは大きな意味だが)

というのは、スモーキーの妹であるララを助けることを引換に、広斗はスモーキーから兄に対する情報を得ようとするのだが、結局、一年前?くらいに顔を出していたらしいみたいなあやふや情報以外は特に有力なことを聞けず、「RED RAIN」でその情報が生きたかっつーと別にそんなにだったはずだ。

 

じゃあ、あれは何だったんだよ??

という疑問が出てくるのだが、エグザイルトライブ的にはちゃんと意味があったのだ。

 

というのはですね、ドラマで、コブラはね、確かスモーキーだけ攻略してないんですよ!!! 乙女ゲー的な意味で!!!!

 

これも、私はそんなにハイローを真面目に見てなかったことがよくわかったので見逃しだったら申し訳ないが、確かそうだったはずである。

考えてみれば、鬼邪高校の頭である村山さんは、割と最初からコブラちゃん大好きであった。

最初ITOKANにやってきた時も、「コブラちゃんいないなら意味ねえ」とかいって帰っちゃってるし、そんな楽しみにしていたコブラちゃんが遂に高校にやって来てくれた時には、テンションブチ上がりで手叩いていたし、喧嘩後も、コブラちゃんの顔が思い浮かんだり、遂には会いに行っちゃったり、「またやろうぜ」とラブ・アプローチをしちゃっていたりする。

村山さんはコブラちゃん大好きなので、これは攻略済み。(乙女ゲー的な意味で)

 

ホワイトラスカルズのロッキーについても、ダウトから逃げた美保を匿ってもらったり何やりで、交流が生まれている。

あいつらそんな仲だったっけ? 男は拳で語り合うんだよ! ということで、ロッキーも攻略済みと言ってよかろう。

 

また、達磨一家の日向についても、一期のラストで熱いタイマンを張り、SWORD同士の狭い縄張り争い如きに自分らの力を消耗しあう不毛について説くコブラに、日向も一目置いたというか、日向が、自分のこれからを考え直すきっかけになったようである。

 

しかし、ルードボーイズのリーダーであるスモーキーだけが、コブラに攻略されていない。(確か。されてたらごめん。)

まあ窪田正孝のスケジュールの都合なのかもしれないが(ルードの登場シーンはやたら使い回しや回想が多かったり出てきてもスモーキーは病による不在だったりするのも)、それでも、無名街でスモーキーと直接対面を果たした時、山王側から出てきたのは、ヤマト・ダン・テッツであって、コブラは不在だった。

それも、スモーキーが途中で血吐いたりなんやりで曖昧になるし、この過程で、実は裏で糸を引いているのは家村会だというのが判明し、「SWORD同士で争ったらあいつらの思う壺だ!」ということになり、結局、直接対決にはならなかったはずだ。

 

コブラによる、SWORD各チーム攻略を、

LDHによる、スター●ストやワタ●ベエンターテインメントその他という他事務所を掌中に収めていくというのは言いすぎだが手を組んで(芸能界に於いて)勢力を拡大していく、打倒ジャ●ーズ!打倒バー●ング!

決意表明として見ると(論理の飛躍)

やっぱりここは、窪田正孝も攻略しておきたいところである。(論理の飛躍)

EXILE TRIBE的には、EXILE TRIBE側の誰かによって、というか厳密には、LDHの将来を担うスターグループたる三代目JSBの誰かによって、窪田正孝は攻略されねばならないのである。(論理の飛躍)

 

しかし、「THE MOVIE」のコブラには、琥珀さん説得という何よりの大きな役割と見せ場があるのであって、同じ映画の中で、琥珀さんも攻略し、窪田正孝までも攻略してしまっては、流石の岩ちゃんも持って行きすぎっていうか、話がとっちらかってしまう。いやまあ最初からとっちらかってるんだけど。

ってことで、白羽の矢が立ったのが、岩ちゃんと同じく、三代目のスターである登坂広臣だった、に違いない。(論理の飛躍)

あれは、これまでちょっとしか出てこなかった登坂広臣の見せ場を作るというのと同時に、「EXILE TRIBEによる窪田正孝攻略」という大役、という意味と必然があったのだ! たぶん!!

 

このように、ハイローという物語のシナリオ的には、一見不可解に思える展開も、「EXILE TRIBE」の話、として見ると途端に理解が明快になる。

 ただ、コブラ窪田正孝を攻略しなかったかについては、あんまり自信がないので円盤で確認したい…なんか、レッドラムの時は世話になったし云々みたいなこと言ってた気もする…(でもコブラいなかったよねあれ)

 

 

ようやく気付いたこと ③時間軸の崩壊

 

 ところで、これもようやく分かったんですけど、ムゲンが日向会をボコった頃って、コブラとかヤマトって高校生だったんですね…

というのは、ダン高校野球試合を観に行っている時や、ノボルと「もうすぐ高校卒業だなー」なんて話をしている時、コブラやヤマトが着用しているのは、Gジャンの次に、ムゲンが巨大化して以降着用されることになった革ジャンユニフォームだからだけど、これについて一点、不可解なことがある。

 

時系列を整理すると、

 

①タツヤと弟分だった、コブラとヤマトの加入 というシーンがあり、当初はタツヤと琥珀の二人だけだったムゲンが、7人体制になったことが語られる。

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②その、楽しかった7人時代から、話は「3年後」に飛び、

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③タツヤが、洋食屋をやりたいという話をし始め、ITOKAN創設のシーンとなる。この時点ではまだ、ムゲンのユニフォームはGジャンなのだが、

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 ④コブラやヤマトが、ノボルと「もうすぐ高校卒業だな~」と話している時点では、革ジャンになっていることが分かる。

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つまり、④の情報と、①~③の情報が噛み合わないのである。

18歳(高校三年生)時点では革ジャンとなっており、この一年の間に、Gジャン→革ジャンへの以降があったとしても、その「三年前」というのは、

中学三年生(15歳)なのでは…? バイクの免許取れないよね…?

まさか、こいつら、チハルをdisっといて自分たちは高校ダブってます…?

 

 

登坂広臣について。

 

と、やっぱり結構適当にその場で設定作ってるのでは…?

疑惑が出たところで、登坂広臣の話をさせてほしい。(藪から棒)

まるで繋がりがあるように書いたが、前項とは全く関係がない。登坂広臣の話をさせて欲しい。

 

実を言えば、登坂広臣という男に出逢ってしまったのは、ハイローが初めてではない。

というのは、2年くらい前、能年ちゃん主演の「ホットロード」という映画が公開される時、ふとした興味で予告編を見たことがあった。

その時、能年ちゃんの相手役・春山を演じていた男性を見て、衝撃を受けたのであった。

 

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誰…? この人誰…? 超雰囲気あるじゃん!!! すげえ新人だ!!!!

 

ということで即座に名前をググった。

しかし、調べてみると、若者に人気絶頂のグループ、三代目JSBとやらのメンバーだということが判明したのである。つまり、ゆらゆら帝国やミッシェル、嘘つきバービーや八十八ヶ所巡礼などを愛する、サブカル・トンガリキッズ(古い)であるところの私が、絶対に、絶対に一番ハマってはいけない相手である。

ということで当時の私は、「俺はサブカル好き俺はサブカル好き俺はサブカル好きEXILEは糞EXILEは糞」という後天的理性と知識によって、「春山…イイ男…」という本能を封印することにした。なのでホットロードも観なかった。馬鹿。

 

ホットロード自体は、最近になって観たが、凄まじく壮絶につまんなかったので(30分で観るのをやめたのでどうなったのか不明)観なくてよかったとは言えるのだが、もう、くだらぬプライドで本能に抗った当時の自分をタコ殴りしたい。

俺は間違っていなかった、イイ男だよ!!!!!!!!

 

まず、何より作画がいい。顔かよ!って感じだが、顔だよ!!!

いや、厳密には顔だけではなくて、立っているだけで、あ、これは常人とは違うなという、雰囲気や立ち振る舞いを含めた、容姿なのだが、とにもかくにも、スターにはそういう、「只者でない存在感」が必要不可欠である。観客の目を自分の方に惹きつけねばならないからだ。この人を見ていたいと思わせる力。

これはたぶん顔の造りの精巧さとか演技力とかそういう小手先の次元ではない、持って生まれた天性のもの。後で詳細を述べるが、私は、そういう、存在に圧倒的な力がある天性のものを持った人にすこぶる弱い。

 

ホットロード」がクソ作だったのは、(その後、「この世界の片隅に」までこれといった良い作品に恵まれなかった)能年玲奈にとってもかなり惜しいことではあるが、更に惜しむらくは、もし、「ホットロード」が、30分で観るのを断念するような壮絶クソ映画ではなく、傑作でありさえすれば、たぶん、世間に多大なる爪痕を残す、「登坂広臣発見映画」になり得たはずだということだ。いや、その頃既に三代目人気あっただろ? ってのは置いといてだな。

 

たとえば、

ヒミズ」での染谷将太、「共喰い」での菅田将暉、「ふがいない僕は空を見た」の窪田正孝、「渇き。」での小松菜奈 をはじめて見た時の衝撃。

誰なんだ、この人は!? という衝撃。びっくりしていたら、あれよと言う間にスターダムにのし上がっていった。俳優には、そういう衝撃的出世作もやっぱり必要だ。どんなにイケメンであっても、三流作品の量産型イケメン役で使い古されては、やっぱり三流俳優の域を出られないのである。

 

と御託を述べたが、まあ要は顔が良いって話です。この顔が良いっていうのは、単純にイケメンってことではなくて、まあイケメンなんだけど、上記に書いた諸々込みでの、「顔が良い」。

顔ファン過ぎて、紅白でもテレビの前で「光はいいから登坂を映せよ!!!!」とずっと叫んでいたくらいである。ほんとうに嫌な大人になったものだ。

目の下にホクロがあるのもセクシーでよいし、結構ガタイがいいくせに萌え袖率(あと肩から服が落ちてる率)が異様に高いのもポイント。

 

そんな作画のクオリティでいえば、三代目JSBのMVの中で一推しなのが、

「Eeny, meeny, miny, moe!」

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これは、曲もアップテンポかつスタイリッシュで一番好きなのだけれど、全員、顔が綺麗でうっとりする。

更にポイントは、横並びになって、登坂くんや今市くんも割と踊っているところ(いや他でも踊ってんだろうけど)

パフォーマーとボーカルに役割がわかれていることの多いEXILE TRIBEの中で、三代目はボーカルも割と踊っている気がする。

これが、全員が歌って踊るジャニーズのようなグループとは違う効果を観る人に対し生んでいて、本来、ダンスが専門ではないゆえに、「登坂くんが…踊ってる…」という謎の感動と、トップアーティストに対して言い方はめちゃくちゃ悪いが、我が子の学芸会を見守るが如き母性本能を呼び起こすのである。端的に言うと、きゅんとする。貴重ゆえに、「絶対に目に焼き付けねば!」と注視する羽目になる。

 

踊っているのにきゅんとする度で言えば、「J.S.B.DREAM」も捨てがたいが、この曲は腐女子的にもズキュンポイントがありまして、

 

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これ!!!! ここ!!!!

全員が踊りながら前に出てくるところ、岩ちゃん(だよね?←サングラスかけてるから顔の見分けに不安が残っている)の肩を、グッと抱き寄せるところから、

 

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フレーズの終わりに合わせて腕を組むまでの流れ!

すげえ、いい!! ちくしょう語彙力がない!!

 

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で、一億三千万分の一億二千九百九十九万九千九百九十九人にとってはどうでもいい情報だが、私の好きな男は大まかにいって、

「寝起きが悪そうな男」と「圧倒的な力や陽のあたる人生を歩み続けてきたゆえに自分に絶対的な自信がある男」の二種類に分かれる。

松田龍平染谷将太なんかは前者だが、羽生くんや、セクゾンの中島健人くんなんかは後者である。

登坂くんが醸し出す雰囲気からは、何故か、めっちゃ寝起きが悪そうかつ、陽のあたる人生を歩み続けてきた感がある。

 

雨宮広斗とまではいかないまでも、おそらく本人も結構、そんなにベラベラ喋るタイプではなくて、クールでマイペース寄りなんだろうけれど、一方で、「モテ期は幼稚園から中学までだった、幼稚園の頃はバレンタインチョコを下駄箱から溢れるほど貰った」とかアパレル店員時代も「売れない服でも登坂が着れば売れた」という陽のあたりっぷり、ずっとモテモテで生きてきたことに(つまり自分は他人から拒絶されないだろうという自信に)裏打ちされた愛嬌というか、甘え上手の感じがあるのが凄くよい!

 

番組の、ゲームとかに失敗すると、何故かすぐ人の肩を抱きにいくのとか!!

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めちゃくちゃ可愛かったのはっていうか今のところ俺的ベストオブ登坂広臣は、「メンバーの中で甘えん坊なのは誰?」みたいな話になった時に、登坂くんが真っ先に、「岩ちゃん」と(何故か)抱きつきにいくのだけれど、他メンバー全員に口々に、

「いや臣でしょ」「臣ちゃん」と言われ、「え、俺?」となっていたところ。

でも何故か岩ちゃんから身体を離さない。なるほど甘えん坊である。

 

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なので、肩が当たったとかバイクを蹴られたくらいで人を再起不能なほどボコボコにしても、お兄ちゃんの話を全く聞かなくても、チッうるせえなとか言ってても、どっか弟的可愛さが残る、雨宮広斗というキャラクターは、こういう、登坂広臣という人間ありきなんですよね!

ゆえに、「RED RAIN」は、登坂広臣のポテンシャルと魅力を存分に引き出した、アイドル映画としては一億点ってことなんですよ!

その意味で、外からもたらされた、既存の役柄に人を当てはめるのではなく、まず人があって、それから役が生み出される、自分達で映画作ればいいじゃん的HIROさんの発想は、プロデュース的には非常に正しいわけですよね!! 私も一億円あったら絶対やりたい!!!

一億円じゃ足りないか!レコード大賞くらいしか取れないか!!!

 

 

三代目とマイルドヤンキーの話。

 

 ところで、三代目の中でもう一人、圧倒的陽のあたる人生を歩んできた感のある人物といえば、我らが(我らが?)岩ちゃんである。

面白いのは、というか、「三代目 J Soul Brothers」というグループの面白さだと思うのは、岩ちゃんの陽のあたりっぷりは他とレベルが違う。

一つには学歴による分断というのもあって、この言葉は、後でひっくり返すのを予め宣言しておくので許して欲しいが、いくらモテたって所詮、EXILE TRIBEという場がなければ、中学の時モテてていたカッコいいヤンキーの先輩の人生、郊外のマイルドヤンキー的人生テンプレの域を出なかったであろう登坂くんや他と違って、岩ちゃんは普通に生きていてもこの日本社会の上層エリートだったような人だ。

実家は社長、地方出身なのに中等部から慶應に行くような(行かせるような)教育・文化的資本と金銭もあり、単に学歴エリートというだけでなく、慶應でも有名なダンスサークルを仕切ったり、ミスターコンテストに出たり、素人時代から、小林直己なんかと知り合える場所にいたくらいなのだから、そういう芸能関係とも人脈が築けた位置にいる、所謂、大企業の内定がバンバン出るタイプのリア充。なろうと思えば、彼らを使うテレビ局側にもなれた。

(っていうか今でも、後々はHIROさん側になりたいんだろうなって野望が言動に見え隠れしているのがとても良い)

 

というわけで、

フリーターや肉体労働者あがりのメンバーにとっては、EXILEオーディションというのは、自分が成り上がるためのほぼ唯一といっていい「希望」であり「夢」だが、岩ちゃんにとってのみは、その時点ではむしろ、「転落」ないしは「これまでの努力と人生が無駄になる」可能性の方が高かったわけである。

 

っていう「EXILE TRIBE」という場がなければ、かなり違う人生を歩む可能性のあった、日本社会では通常、階層が分断されている人たちが、同じグループに集っているというのは、「物語的」な面白さもあって、

これは櫻井くんのいる嵐なんかも近いような気がするが、ジャニーズは、言っても10代半ばくらいから芸能界で活動しているので、やはり、20代もう人生が決まりかけている時にスターになった三代目とは違う。

 

こうしたバックボーンを背負っていることは一見、「夢」のある話のように思えるが、でもなあ、まあ考えてみれば当たり前の話ではあるのだが、やっぱりその辺のマイルドヤンキー共とは違うんだよ。彼らはやはり選ばれし者なんだよ。

それは無論、「自分の人生を変えたい」とある日決意し実現のため努力するというマインドの問題でもあるし、ボーカル二人で言えば、三万人の中の2人に選ばれるためのカリスマ性とかイケメン力とかそういうことでもある(※昔数えてみたことがあるが、東大に入れるのは同年代の中の0.2%だし旧帝~慶應レベルまでいけば2%くらいなので、確率でいえば東大に入るより希少なことにはなる。毎年試験やってるわけじゃあないしな)、

そういうことでもあるので、「天性の存在感という圧倒的な力」が持つある種の、こちら側が突き放されるような「残酷さ」に弱い私としては、たまらんのである。(この話は、ユーリのくだりでもしたい。)

私はそういう、「残酷さ」をどうしても突きつけられざるを得ないところが、三代目のっていうか、登坂くんの魅力であるよなあと思っている。大仰な物言いをすれば、それこそが、美しい者が持つ魔力。

強い光は影を生み出しその光が強ければ強いほど影が濃くなる…(なんかそんなナレーションあったよな) というのは結構その通りで、概念的な言い方だが、私は、強い光という存在は、その裏にある暗い影の予感を示唆する故に、惹かれてしまうのだ。

 

でなかなか大仰でポエミーな話になってきましたが、種類は違えど、「マイルドヤンキーに親和性が高いように見えて、実はギリギリのところで突き放している」残酷さっていうのは、たぶん、ハイローの世界も持ち合わせていて、結局のところあれは、マインドとしては、

 

「Change or die」

 

なんですよね。

ハイロー世界は、そもそも借金だの人さらいだの殴り合いだの治安が超絶に悪いっていうほかに、社会学の場なんかで語られる「下層社会」の特徴っていうのが割と表現されていて、だから、そういう価値観をベースにした社会に生きていない人にとっては最初、非常に馴染みにくいのだと思う。

例えば、「サラリーマンが殆ど(つうか全く?)出てこない、手に職的自営業主義」「親世代の生き方や職業のトレースという再生産」「血縁・知人間の絆は強固だがそれ以外は過剰に敵対視する身内の絆至上主義」「法や司法に頼らず争いの制裁や報復を自分たちで行う自治・私刑主義」

言い方は悪いが、どれも、いかにも、ザ・下層社会の特徴って感じだ。

 

その上で、でも、根幹を成すのは、「変革さもなければ死」なのである。

ムゲンや琥珀にまつわる描写では、学生時代の幼馴染的友人たちといつまでも終わらない日常をダラダラと楽しく過ごす世界は有り得ないと突きつけている。ヤンキーたちはいつかネバーランドから卒業し、自分の道を見つけなければならない。劇中で一番、マイルドヤンキー的世界に近い山王連合会のコブラでさえ、「そうして、いつか下の世代に受け継がねばならない」と言っている。

 

 

生き残るためには変わらなければならない。

私は今年、自らの嗜好を決定するのに、業界内や支持層みからの評価や立ち位置みたいな指針から逃れられない糞サブカル的自己を若干、若干捨て、登坂くんーーー素敵ーー!!と言えるようになった自分になれてよかったと思う。

 

いきなり話が矮小になった。

 

 

(本当はユーリの話もしたかったのだが予想以上に長くなったのでまた今度)