センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた24歳。吾妻ひでお、山田花子、真造圭伍、九井諒子などが好きです。ボーイズラブの話多し。

【神に】この夏最高のお祭り映画!!!! HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY【感謝しろよ?】

 

 

昨年何故かうっかりハイローにハマった結果、これまで何度も長々と「HiGH&LOW」について語ってきていたわけですが、

 

↓これまでの記事

【映画一作目の感想】

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

【RED RAINの感想】

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

【RED RAINを受けての雨宮兄弟妄想】

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 【ドラマを一巡して気付いたことの話】

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

ぶっちゃけ、今言いたいのはこれだけだ。

御託はいい!!!!!! つべこべ言わずとっとと観ろ!!!!!!!!

この間の金曜ロードショーは視聴者舐めてんのか!?って感じに本当に心底クソだったけどあれは忘れて、今すぐ観ろ!!!!!!

これまでのあらすじは冒頭で説明されるから大丈夫だ!!!!

 

(あるいは初見用にこの映像で説明されている!!)

 

www.youtube.com

 

 

私は、公開日は土曜出勤日だったけどやっぱりどうしても観たくて夜に新宿ピカデリーに行きあまりの面白さに深夜大興奮で帰宅したものの

 

 

 あまりにも見所が多すぎてというか全編見所で脳内処理しきれなかったため日曜に今度は丸の内ピカデリーでもう一回観に行った

しかし先程の「とにかく観ろとしか言いようがない」という言葉と矛盾するようだが、これは本当に全部感想を語ろうと思ったら、DVDで20秒ごとに止めて「今のここさー!!!」ってやり方をしなければならない。

そのくらい語りたいポイントが、

雨宮兄弟の関係性萌えや心臓が止まるかと思うくらい萌えた雨宮兄弟の超ハイパーご褒美シーンについては三時間くらい語りたいし、今回初登場のなおなおコンビの素晴らしさについても語りたいし、ジェシーの登場シーンや「神に感謝しろよ♥」の魅力についても語りたいし、他にも九十九さん不死身すぎ問題とか、村山さんが相変わらずコブラちゃんを好きすぎる問題とかもう、もう…っっっっていうか広斗ーーーーーーーー!!!!!!!! 広斗ーーーーーーーー!!!!!!

あんな状態で11月11日までお預けなんてどうすればいいんですか!?!?!?!?

11月11日、羽生くんのNHK杯とハイロー新作っていう今の私の全生きがいが同時に来ちゃうなんて、クリスマスと誕生日と正月が一緒に来たみたいな、っていうか11月11日って実際にリアルに私の誕生日なんですけどね取り乱しました

 

f:id:syosenningen:20170820194113j:plain

 

あまりの大興奮と衝撃に取り乱しましたが、

車やバイクが飛び交う(いや比喩ではなくほんとに飛び交っている)派手なアクションシーンにテンションぶちアゲの音楽、顔が綺麗な男たち、観ているだけで脳内アドレナリンがドバドバと出てくるのが分かる楽しさもさりながら、映画の出来としてもこれは前評判通り「HiGH&LOW THE MOVIE」や「RED RAIN」よりも格段に面白くなっていると思いました。

それはもう冒頭の映像から顕著で、最初はルードボーイズの無名街から始まるんですが、今回は幸いなことにいきなり爆破されたりはしませんが、あの工場跡だか何だか分からない無名街全体プラス街の外までがかなり高いところから俯瞰でぐわああっと映る。

そうなんですよね、たぶん気のせいじゃないと思うけど、いつもより高いんだよね!!!!

その、普段より高さマシマシのところから、街の中で人さらい(素朴な疑問なんだけどハイロー界の人さらいって、いつもなんであんな白昼堂々とやっちゃうんですかね…「ルードだ!!」じゃねえよ、見つかるに決まってんだろ)を発見したルードボーイズの面々たちが、パイプや柱などを伝って下までガーーーっと下ってく、凄い。もうここでテンション上がる。

 

という最初からテンション爆上げのルードの映像から、例の各チームのお馴染みテーマソングと共に、「達磨一家」「鬼邪高校」「White Rascals」そして「山王連合会」、各チームの映像が順に流れていく。もうずっとニヤニヤしっぱなし、ここから雨宮兄弟が出てくるまで本当にずっとニヤニヤしていた気がする。

だからこれは、よっ!!!待ってました!!!! っていう各クラスタのテンションを最高潮まで高める意味もあるのだけど、

このシーンで、「SWORDの各チームがSWORD外の奴らによって迷惑や被害を被っている」ということを示した上で、コブラ発案で各チームが集まり「外の勢力に対抗するためにSWORDで協定を結ばないか」という流れを作ったことが、最後の乱闘の(ストーリー的)「妥当性」にちゃんと繋がってくわけですよね。

(いや喧嘩することの妥当性という意味ではなく、話の流れとしての妥当性…)

 

これは一つの、ハイローザム1からの脚本上の進化だと思っていて、

つまり映画一作目って、これを言うのは野暮ってもんなんだけどぶっちゃけ、コブラたち山王連合会以外のチームが最後の大乱闘スマッシュブラザーズっていうか、琥珀さん棒倒しに「参加する理由」、というより「参加できた理由」がいまいち分からなかったじゃないですか。

何で日時を知っていた(そしてタイミングよく現れることが出来た)のかも分からないし、山王連合会以外は、確かに外のやつらに迷惑を被っていたけどもだからって別に琥珀さんを止めるゲームに参加する理由や、琥珀さんが倒れたからといって喧嘩をやめる理由も(だってそれじゃあ別に解決してないし)無かったわけじゃないですか。

 

っていうストーリーの欠点が前作にはあったわけだけど、今回、「HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY」ではその辺がちゃんと改善されている上、

「SWORDの各チームが大乱闘に参加してくれるか」はイコール「冒頭でコブラが提示したSWORD協定に賛成してくれるか」ということであるため、乱闘参加の可否がちゃんとひとつの物語展開のポイントとして機能している。

 

ということだから最後に乱闘に現れてくれた達磨一家&日向の、

ラスカルズに喧嘩売ったってことは、SWORDに喧嘩売ったのと同じ、これがSWORD協定じゃあ!!!」

って台詞への一種の感動になるわけですよね

(しかし、前回の「車のボンネットに乗って登場」という伝説の名シーンを残した日向(林遣都)、今回も「ターザン」からのアタックという名シーンを残し、登場のインパクトへのこだわりに余念が無さすぎる)

 

 

というように、前評判通りこれまでの作品より進化というか改善している要素が結構あって、

まあ画面の情報量があまりにも多すぎて全部は二回観た程度じゃとてもとても追いきれていないんだけど、大まかに言うと、

 

・「あんたら確実に殺しに行ってますよね? っていうアクション」

・「格段にセンスのよくなった音楽の使い方」

・「戦闘中に謎回想をやたらと挟まない」

・「カットするところは潔くカットする」

・「決着を精神論(琥珀さん改心パンチとか)で終わらせない」

 

 

とかじゃあないかなあと思う。

 

 

あんたら確実に殺しに行ってますよね? っていうアクションの進化

 

今回のハイロー2を観てびっくりしたというか大きな変化だなと思ったのは、

ハイロー界がどんどん良い意味でも悪い意味でも「俺ーお前 の関係が世界=SWORDの平和に関わる」的「セカイ系」から脱却していき、外の世界との関係性をも描くようになった関係上、

人を殴っていてもどうにも牧歌的な感じのあった(ドラマの最後なんか、SWORDの皆がノボル説得のためにコブラ&ヤマトが視聴者でさえタルくなるほど長々と喋るのをちゃんと待っていたりしてくれるし)これまでとは違って、

今作の琥珀&九十九さん、雨宮兄弟、新キャラである不死身のアサシンというかもはやホラーなターミネーター源治(小林直己)をマジで「殺しに」いってますよね!?

これは結構驚いた。 

 

一応、殴るのはいいけど殺しはアカンみたいな不文律があった気がする(レッドレインだって、一応避けてるだけで殺そうとはしてない)これまでと違って、今回、三、四階?から突き落としたり海に車ごと突き落としたり、誰が見ても確実に、いや流石にそれは死ぬぞ!!!! っていう感じのことを琥珀さんらが躊躇なくやってるシーンが幾つか出てきて、それがただ人を殴るだけではないアクションや映像の面白さと緊張・緊迫感、車やバイクがガンガン飛び交う(比喩ではないです)迫力に繋がっている。

まあ死なねーんだけど…

 

 

ところで、いくら脚本上に改善が見られるとはいえ、脚本にツッコミどころが「無い」とは言えず、まァ誰しもが絶対に思うであろう一番のツッコミどころは、

 

「っていうか、重要なのは中のデータなのであって別にUSBそのもの(物理)ではねえから!!!!!」

 

というあたりで、要するに今回、

レッドレインで、雨宮長男が手に入れ最終的には次男琥珀さんに預けた「SWORD地区のカジノ誘致の利権に関わる情報」が入ったUSBを、何とか世に公表される前に九龍たち(プラス金銭の授受や便宜をはかった情報が出るとマズい政治家や警察など)は奪い返そうと暗殺者を送り込んだりするわけです。

つまりこれって、もし雨宮or琥珀側が既にデータのバックアップを取っていたりすれば(そんな知能があれば)、別にいくらUSB(物理)自体を奪い返しても特に意味は無いわけですし、USBを巡る追走劇と秘匿データの公開ってなんとなく、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」を思い出す感じですし絶対に影響受けてると思うんだけども、ウィンター・ソルジャーだって確か別に公開したのはUSBに入っていたそのものの情報じゃあないわけで

 

そんなことはともかく、中盤、このUSBを巡り

九龍の一つであるヤクザが送り込んだアサシン、源治(暗殺者っていうか普通に若頭なんだけど…でも暗殺者だよね…)と、琥珀&九十九、雨宮兄弟の間で派手なバドンリレー&旗取り合戦バイク&カーチェイスが繰り広げられるわけですよね

 

でもまあここを、バドンリレー&旗取り合戦、要はUSB(物理)を取った人が勝ちっていう単純な話にしたのは、正解だと思う

「何をすれば勝ち」が単純化されることで、誰が「何のために」「何をしている」のかがとても分かりやすくなるのもあるし、だって、このシーン&このシーンの後を見るためだけに1万円払ってもいいくらいだし!!!!!!!!!!

 

これはもう文字で読むと伝わりづらいので直接映像を観てもらうしかないんだけども、

車を一瞬見逃したと思ったらちょっと溜めて走り出した勢いでからだごと車のフロントガラスを割って乗り込む九十九さんとか、バイクから車の上に飛び乗った上、車の上にいる人物を蹴り落とす雅貴とか、車の上に飛び乗ってそのまま刀を突き刺す源治とか、刀で襲いかかってくる源治を振り落とす広斗のバイクさばきとか、車の後ろに手だけ掴まったまま引きずられている琥珀が、あとちょっとで後続の車に轢かれるっていうところから身体を空中で前転させて戻るところとか、そのほか諸々の、LDHの身体能力あまりにも高過ぎでしょなアクションの数々、緊迫感、

車がバイクに突っ込む→バイクが回転→後続の車たちがそれにぶつかって更に火花を散らし回転していくシーンの画の派手さ、

などなどアクションシーンがパワーアップしているのは言うまでもない

(副作用としては、ここで彼らが完全に殺しにいってる&画面が派手なため、一番最後の乱闘より中盤のこっちの方がアクション的に盛り上がってる感が否めない点…)

 

 

いいから雨宮兄弟の話をさせろ。

 

でこれは個人的な蛇足なんだけど、

雨宮の腐女子への配慮(萌え)どころも盛りだくさん!!!

もう雨宮の腐女子は死んでも観に行くべき。どうせ観たあと萌え過ぎて死ぬし。

というのはですね、陽動のために、雅貴が実はUSB(本物)ではなく別のハコをバイクで走っている広斗にバトンタッチする描写があるんだけども、

この、何も言わなくても瞬時に阿吽の呼吸でそれが出来る雨宮兄弟ね!!!!!!!

これって多分、これまで運び屋の仕事を一緒にやってたからできるんでしょうね、同じことをやってたんでしょうね、これまで、っていう設定も生かされている!!!!

 

っていうところだけでも感涙モノなんだけども、それらUSBを巡る争いが終わったあとの、例のハイパーご褒美胸ときめき萌えマックスシーンな!!!!!!!

あの無愛想で基本的にお兄ちゃんの話を聞いていない広斗が、雅貴を立ち上がらせてあげるために手を差し伸べる(!!!!!!)っていうだけでもうホントに心臓止まるかと思うくらい萌えたんだけど、その後、雅貴が凄く嬉しそうに、広斗の手をぐっと引き止めて長く握り続けるーーからの、照れたように顔を逸らしてサングラスをかける広斗までの流れの素晴らしさについては正直あと3時間くらい語り続けたい。

 

だってあれはね、レッレでは、雅貴が最後に尊龍に拳を重ねることができなかったことを鑑みると、物凄く切なくて胸熱なシーンなわけですよ。

 

金曜ロードショーでは雨宮兄弟のトライアングル関係を示す重要な台詞がカットされていたし、あるいはまだレッレを観ていない原始人のためにここで雨宮兄弟の関係性についての前提をおさらいしておくと

 

(下記の過程は主に「RED RAIN」で描かれている) 

 

 

・雨宮雅貴と広斗は、親の再婚によって兄弟になった、義理の兄弟である(雅貴と尊龍は元々の本当の兄弟)

・広斗は、尊龍(長男・斎藤工)のことは尊敬し憧れているが当初雅貴には喧嘩売ってたりした(ってキャラ紹介に書いてあった)。尊龍のことは「兄貴」と呼ぶけど、雅貴については、おねだりする時以外は基本「雅貴」(今回、二回ほど「おまえ」にグレードダウンしていて笑った)

・↑については雅貴も認識しており、レッレで「広斗の扱いは、兄貴の方が上手かった」とモノローグしていることからも、そこにちょっとした寂しさのようなものを感じているのが分かる。(このモノローグ金曜ロードショーで削ったの本当に許さない。三人の関係を示すすごく大事な台詞なのに、全然分かってない!!)

・なので、広斗にとっての「兄貴」というのは、まだ尊龍のことだと思っているから、「お兄ちゃんの言うことを~」と、お兄ちゃんぶりたがる(のだと思う)

⇒因みにこれは重要なポイントだけど、これ私の勝手な解釈だと思ってたけど実際にTAKAHIROがインタビューでそう言ってっから!!!!! 公式だから!!!

music-book.jp

 

・ けれども雅貴は、「RED RAIN」で、「兄」にも「弟」にもなりきれなかった描写がある。つまり、両親が死んだとき、取り乱す弟を宥めたのでは兄である尊龍の方であり、かつ、最後に尊龍が死んだ際も、拳を合わせることが間に合わなかった。その際、傍にいたのは義理の弟である広斗の方である。しかも、広斗の方が、尊龍の意志を継いだーような描写がある

・だから、雅貴はよく考えると、「自分が本当の弟なのに」と、広斗のことを複雑に思ってもいいはず、なのだけれど、それでも、広斗の「兄」になろうとしている

 

まあ上記にはやや私の妄想も含まれているけどもこの前提と関係性を踏まえるとですね、

今作、ここでちゃんと、「弟として」兄貴(尊龍)の意志を受け継いで、かつ「兄として」無事に弟の手を取ることができたことが、レッレでは兄にも弟にもなりきれなかった雅貴にとってどんなに、どんなに、どんなに嬉しかったかって考えると…だからあんなに嬉しそうに広斗の手を握り続けたのだと考えると…またラストを引きずってしまうんだけど…

 

っていうかハイロー2を観たあとでの気付きとしては、自分、

完全に雨宮雅貴に一番強く感情移入してハイロー見てますね…

 

 

格段にセンスの良くなった音楽の使い方

 

これに関しては、単純に私がハイローの各音楽に強い思い入れが出来た&慣れたっていうだけかもしんないので自信ないんですけど、

これまでのハイローで私が気になってたのは、映像としては凄くカッコイイアクションとか盛り上がりそうなシーンなのに、バックの歌が流れた途端曲のあまりのダサさにズコーーーーーっとなって萎えるみたいなとこが結構あったんだけど、

 今回はほとんどそれが!!ない!!! っていうかむしろカッコいい!!!!!

まあ私が慣れただけなのかもしんないけど、映画館を大興奮で出た大きな要素としては、音楽の使い方が良かったっていう要素はたぶんデカい。

 

おそらく前作までと比較した際、ターミネーター源治の登場シーンも(ターミネーターが枕詞みたいになってる…)そうなんだけども、結構、重要なアクションシーンとかスピード感や緊迫感全開の戦闘シーンで、無理に歌が入っている曲を使用せずに、ちゃんと映像に合わせたBGMを使っているんだよね

なのであんま、曲のせいでズコーーっと気持ちの盛り上がりの邪魔をしないどころか、音楽がより観客のアドレナリンを増幅させている! 

勿論これまでのお馴染みの各テーマソングも使っているのだけど、これが、歌なしのBGMで盛り上げたあとに、すごく効果的に、例えば先述のカーチェイス時に建物から雨宮兄弟がバイクでバッと二人で飛び出してくるタイミングでかかり出したりするから、

キターーーーー!!!!的感動がより増し増しとなる

 

で、BGMのセンスと同様に、タイミングのセンスも良くなっていて、

個人的には私、岩ちゃんのコブラ演技がそんなに好きではない(ムゲン時代のコブラちゃんは好き)んですが、唯一、ジェシーとタイマン張っているときの、

 

「寄せ集めのお前らに」「そんな覚悟があるか?」

 

みたいな台詞のところは物凄く良かった。

この物凄く良かったと思った理由として、演技や言い方も大きいけど、バックの曲のリズムタイミングが完璧だったっていうのもある気がする

 

 

 と、全体的にそういう、(LDHのアーティストや曲の宣伝という意図も兼ねている以上)元々のドラマ時代からしてある種のミュージカル映画というか音楽要素もデカいハイロー映画ですけども、

今作の個人的MVPは、NAOTO演じるジェシーさんの登場シーンでかかってたあれっすね…手を挙げてくださいよ、よ、よよってやつ…本当に今日ずっと頭から離れん一刻も早く音源化してほしい…

今作で満を持して登場したなおなおの素晴らしさについては誰もが認めることと思うしこれについてもあと3時間くらい喋りたいんだけども、特にこのジェシーの登場シーンね!!!!!!!! ほっっんとうに良い!!!!!

曲のカッコよさと、ジェシーを演じるNAOTOさんの表情、直線的な動きがかなり不気味な源治(特にあの立ち上がるとことかほんと怖い)の方とは対照的に、飄々としているけどどこか食えない色気のあるキャラクターを象徴するような、ゆらあっと歩いてくる立ち振る舞い、本当に心をノックダウンされる登場シーンじゃないですかあれは

やっぱり、ダンスをやっている人にはこういう「身体」での強い説得力があるんだろうかね??

 

そのほか、ジェシーに関しては、「神に感謝しろよ?」(あれはほんっといい!!!!!)とか「なんだよ、やきもちか?」とか素晴らしい台詞が多々あるんだけども、

今作ではドラマ時代なんかに比べたらだいぶ和らいではいたけども(特にロッキーなんかだいぶ普通になった)、元々、中二病患者が考えたみたいな嘘臭いキャラが満載のハイロー界に於いて、ジェシーは良い意味で肩の力が抜けてるっていうか、割といそうな実在感とオタクが好きな設定とのバランスの取れたキャラ感があって、あれですね、絶対こっから人気出るやつっすね

「やきもちか?」については、NAOTOさんのアドリブらしいんだけども、確かにあそこで、ジェシーコブラに「おい、よそ見すんな」って殴られた後に言う台詞として、これ以上ないくらいに「ジェシー」らしいジェシーを体現しすぎている台詞っていうかいやお前はジェシーの何なんだよって感じなんだけど、これぞ本来実在しないはずの「キャラクター」の方が演技者に降臨している妙というか、ハイローってそういうとこあっていいですよね。

 

また話が逸れたね。

 

 

戦闘中に謎回想をやたら挟まない

 

これも誰もが認めることだろうけども、ザム1の時の「応援上映」で、「回想入りまーす」とか「回想の回想入りまーす」とか散々揶揄されていたハイロー「回想」が今回は、当社比で少なくなっている!!!(当社比)(無いとは言わない)

まあこれはエゴサして散々突っ込まれてるから改善したんだろうけども、ドラマ版も含めて、これまでのハイローの最大の欠点であったわけじゃないですか。観客のテンションが盛り上がりそうな肝心なところですぐ回想に入ってしまうので(しかも何回もある)、話が中だるみしまくって「なっげーんだよ!!!!」って思ってしまうの。

しかも、「回想の回想←回想していることを回想している」という謎の技まである摩訶不思議時空間と化しているシーンも結構あったりして、全然話運びがスムーズでなかったんだけれども、

今回、先述した「音楽」についての話と合わせて、お?っと思ったのは、回想に入る時でも、「例の回想の音楽」を使用せずに、「今進んでいる話で流れているBGM」をそのまま流し続けたまま、ワンカットで回想映像がパッ、パッと切り替わったりしてテンポを殺してなかったりするんですよね

 

雅貴が、遂に例のUSBを公開せんとする時でも、多分レッレまでだったら絶対もっとゆったり回想をダラダラ流し続けた気するんだけども、今回は、カーチェイスの音楽を流したまま映像のスピードを殺さずに「強く」「強く」「生きろ」という台詞の区切りで回想カットをどんどん切り替えてたりして、このあたりは本当に進化だなあと思いました。

 

かつ、回想と共に、こちらもハイロー名物「パンチする前に泣きながら長々と喋るアレ」(琥珀さん説得パンチやノボル説得パンチや…)も殆どやらなかったじゃないですか。

最終乱闘の、蘭丸VSロッキー戦で素晴らしいと思ったのは、互いの思想みたいなんを長々と喋る説得合戦なんかにはせずに、代わりに「拳がぶつかる」映像で、両者の違いを、両者が抱えているものの違いを、演者に「語らせ」る手法を取ったこと

映画が語るものは、語れるものは何も台詞だけじゃあない

観客への信頼もあるけれども、演者の身体性と「拳」の説得力への信頼ですよねこれは。

 

 

 

カットするところは潔くカットする

 

これも、回想や説得パンチを挟まない話に関連するんだけども、回想や説得パンチで語らない代わりに、「拳で語る」ことも含め、結構、スマートな映像的手法が増えた気するんですよね今回。

例えば、ダウトやプリズンギャング達に、ホワイトラスカルズの面々がやられるっていうところがあるんだけども、ここの描き方もある種思い切ったというか、凄いですよね

というのは、NAOTOとロッキーの戦闘シーンをも、映してないわけですよ。

映さないことが、逆に何が起こったかを観客に想像させる効果を出している。小説でも漫画でもそうだけど、実は「描く」よりも、効果的に「描かない」事の方が難しいんじゃないかと思うんだけども、今回この「描かない」手法を効果的に取り入れていたりして。

 

戦闘シーンを垂れ流しにし続けるのではなく、

ダウトらがやってくる⇒ホワイトラスカルズの一部が追う⇒追っていったホワイトラスカルズが、ダウトらにボコボコにやられている仲間らを目にする⇒またその追っていったホワイトラスカルズの面々がボコボコになっている⇒…

っていう映像を何度か切り替え、あ、ラスカルズ次々超負けてるっていうのを提示した上で、ジェシーがロッキーの元に乗り込んでくる画を映す

 

ジェシーとロッキー戦がどうなったか?は、

ジェシーがロッキーの杖(折れてる)を持ってダウトの元にやって来ている

ことで画として示されていて、だからそれを見た蘭丸が「ロッキーやったのお前か」って察したわけですよね

かつ、それを受けて、「やっぱりあいつがロッキーか、道理でつえーわけだ」とジェシーが手こずってはいたのだろうことも間接的に示される

 

まあもしかしたら戦闘できない何かしらの事情があったのかもしれんけども、それでもここの見せ方はスマートだなあと思ったし、

他にも、「立ち上がれなくなったらいつでも呼べよ」というコブラの台詞を、最後の大乱闘時、蘭丸にやられて実際立ち上がれなくなってるロッキーの手を、助けにやってきたコブラが取って立ち上がらせる、っていう映像で(映像だけで)ちゃんと回収していたりそういう映画的な見せ方も増えていてこれも大きな改善ポイントの気がします

 

 

決着を精神論で終わらせない

 

正直これに関しては、どういう解釈をしていいのかまだ自分の中で消化しきれていないんですけど…

これまでとの大きな違いは、今回に限っては(広義の意味での)「ラブストーリー」ではないんですよ!!!

いや私が腐女子だからそう思うとかじゃなくて、ハイローの基本構造ってこれまで、トライアングルラブストーリーだったはずなのに!!!

 

ラブストーリーというのは大袈裟な言い方かもしれないけれども、つまり男同士の強い情動的関係。

ドラマシーズン1では、コブラ・ヤマト・ノボルの関係が、シーズン2とザムではタツヤ・琥珀・九十九の関係が、レッレでは雨宮三兄弟の関係がメイン軸であったわけですよ

なので今回の琥珀&九十九と雨宮兄弟の共闘、「前々作と前作で成立した二つのカップルが4人同時に出てくる」BL漫画描き下ろしの番外編みたいな感じになってて面白かったけど、そこから気付いたのは、今回のハイロー映画に限っては、ラブストーリーじゃ…ないんだよ!

 

まあ、ラスカルズにせよ敵役のダウトにせよ、抱えている背景や思想や事情がどうにも薄っぺらいので(ダウトなんか、殆ど記号的な機能しか持ってないし)男同士の強い心理的関係性を描きようがないというのもあるのだろうが、

だから、良くも悪くも、琥珀さん説得パンチでは話が終わらないんだな。

良くも、というのは、なので先述したことと同じく、中だるみしたり観るのがかったるくならないという効果はある

 

悪くも、というのは、そのことがーー「説得パンチ」では「終われな」くなったことが、この物語そして今後の展開上何を意味しているか、と考えるとということで、つまり以前私はハイローザム1を、“セカイ系”って書いたけども、ザム1はまさしく、セカイ系の世界だったわけじゃないですか。

琥珀さん”と“タツヤ”(ないしは、九十九やコブラ達)の関係にケリを付けることが、(何故かどういうわけだか)そのまま、大乱闘の決着に繋がり、SWORD地区の平和と均衡に繋がるーーこの時には彼らの世界はSWORD地区だったのであり、だから、俺とお前の関係が世界の平和に直接繋がるセカイ系だったんですよ

という意味で、ラブストーリーなんですよ

 

それが、レッレになると、(おそらく初めて)「SWORD地区の外」から見たときのSWORD地区、など相対化(客観化)されている描写が出てきて、どんどんセカイ系世界は終焉に向かっていき、今作では遂に、「大乱闘を終わらせた」のは、「外」の勢力である九龍の乱入によるものになったわけです

 

これをポジティブに捉えれば、

今回に限ってはラブストーリーつまり、男同士の狭くて強い心理的関係性ではなく、

もっと別の種類の、「つるむだけが仲間じゃない」「俺たちは元々つるむ様なダチじゃないわな」ーー仲良しこよしではないけども、立ち上がれなくなったら手を差し伸べるもう少しクールな信頼関係みたいな、友情でも愛情でも、しかし完全なビジネスライクってわけでもない絆関係を描きたかったということなのかもしれない

ポジティブな「世界」の拡がりーー“俺”と“お前”の狭くて強い関係性以外の、もっと広い繋がり、にコブラ達は目を向け始めた、それは、コブラが商店街の上に立って言う、「ここに立つと、この街だけでなくそのずっと先まで見える気がして」みたいな台詞にも象徴されていて、そこが一つ、今回、「自分たちに手に負えない九龍云々の話よりも、商店街や自分たちの店の利益を優先する」ダンやテッツらとの決裂や差異として描かれていたわけじゃないですか(まあ今作のコブラ勢、あんま好感持てねーんだけど)

 

しかしこの、「“セカイ系”の終焉」をもう少しネガティブに(ここでのネガティブ、というのは、私が「否定的」に捉えているということではなくて、物語上の役割として「ポジティブ」な意味を持っているのか「ネガティブ」な意味を暗示しているのか、ということです)考えれば、

喧嘩ばっかしてまあある意味楽しかったSWORDの日々が終わってしまう、ガキの喧嘩はするけど殺しはしないような、喧嘩に勝てば何かが解決するような牧歌的世界が終わるっていう展開になっていくのであろうということですよね

コブラ達は、今後「この街だけではなくそのずっと先まで見る」ためにはーー「大人になる」ためには、これまでのように喧嘩(パンチ)だけでは、何も解決しない、という事を呑み込んでいかねばならなくなる…

 

まさに、今回のザム2ではそんな、END OF SKYー青春の終わり、が描かれているわけで…まあSKYにそんな意味があるのかはさておき…っていうか、END OF THE SKYだろっていうのはさておき…

 

 

 

その他まとまらなかったまとまりのない細かい感想(メモ)

 

 ■ケンカっぱやくて基本的にお兄ちゃんの話をほとんど聞いてない広斗だが、今回はちゃんと「広斗!」って雅貴に止められたらちゃんと言うことを聞いていた描写があって、あれ、成長している…と感動した。

 

で思ったんだけど、そもそもですね、何で雨宮兄弟とムゲンがケンカしてたかって、ムゲンを名乗る下っ端が広斗にしょうもない喧嘩を売って、雅貴がくだらねえからという感じで止めてんのに広斗が殴り返したのが発端のはずなんすよ

その後、怒りが収まらんのか広斗がムゲン本拠地に乗り込むわけだけど、雅貴は別にそれ最初は渋々付いていってあげてただけで、雅貴はそもそもムゲンにそんな強い恨みなんか持ってなかったわけだから琥珀のことをどうにも昔馴染みの喧嘩友達くらいに思ってるのはある意味さもありなんという感じだけど、

何なら、よく考えたら、本来最初のVS雨宮喧嘩の発端には直接関係ないはずの琥珀なんか、九龍とは因縁あるとはいえ、USB預けられて殺されかけてんの割ととばっちり…なのでは…ないだろうか…

 

 

■「連絡くらい寄越せっつーんだよなあ、なあ?」と、広斗の同意を求める雅貴の言い方と、基本返事をしない広斗が相変わらずで萌え死んだ

 

■グールになったりしているせいか窪田正孝が忙しすぎてスモーキー、SWORDトップの話し合いや大乱闘など肝心な場面には全く登場せず今回「ただ空を眺めていた」だけの人になってる問題(スケジュールの都合上次作でマジで死ぬんじゃないかと若干心配している)

 

■↑に対して、日向が「あの貧弱野郎とうとう死んだか」とか、やっぱり日向は結構スモーキーのこと気にしててほっこりする。

逆に日向(林遣都)は思いのほか沢山出ているなと思った

 

■しかし、「窪田正孝が忙しすぎてスモーキーがどんどん病弱になっている問題」と「あのラスト」と「っていうかそういえばスモーキー、広斗にザム1の時の借り返してないのでは問題」を鑑みると、次作でスモーキーマジで死ぬんじゃねーのかという心配がある(広斗はどうせ死んでないだろうし)

 

■ドラマ版では一応、「バイクで事故って入院していた」とか「車に轢かれかけて長いこと昏睡状態にあった(助けたタツヤは死んだ)」という設定があったはずの九十九さんについて、今回、車で轢かれてもほぼ無傷どころか、車に乗ったまま車ごと三回転くらい横転してもあんまりダメージを食らった様子がなく、そのまま(おそらく)車と同じくらいのスピードで琥珀さん&雨宮次男に追いついている凄まじい超人ぷり、ハイロー界における「車で轢かれたら流石に入院する」というルールを完全無視しているが、

このことと、「結局、琥珀と九十九は海外に何しに行ってたの?」問題が今作では回収されていないことを鑑みると、海外で超人血清でも投与してもらった説が濃厚だと私は思う

 

■今回、「SWORDの近くには二つの刑務所がある」という設定が提示され、加えて、各刑務所は自分の身を守るためにどこかしらのチームに属さなければという設定、受刑者たちは互いに友達っぽい(日向と蘭丸、蘭丸とジェシー、など)設定があるらしいことを鑑みた時に浮上する、じゃノボル(&二階堂も同じか)はどこに収容されていたのだという疑問

(元受刑者たちがノボルのことを覚えていたり気にしている様子が特にない)

 

■ELLYとメンディーのビジュアルがやや被っている問題について、劇中でプリズンギャングについて「マイティウォリアーズみたいな奴らだな」というツッコミが実際入ってたのには笑った

 

 

 

【鑑賞日:2017年8月19日&20日】

俺のトムホ君の「スパイダーマン:ホームカミング」のためにMCU作品全部観て臨んだわけですが

 

クソ長い前置き

 

ところでここ二ヶ月ほど私はずっと、MCU漬けであった。

 

理由は勿論、SNSか何かで回ってきたトムホことトム・ホランド君に心を打ち抜かれて以来、これはもう絶対に絶対に俺のトムホ君のために「スパイダーマン ホームカミング」を観に行かねばと思ったからである。

 

f:id:syosenningen:20170812231106j:plain

 

 

しかし私は、MCUの映画はこれまで「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」と「ドクター・ストレンジ」しか観たことが無かった。

 

かつて「ドクター・ストレンジ」を映画館で観た時に、「他のマーベル作品を知ってる人は多分面白いんだろうネタ(たぶん)」で笑ってる観客が何人かおり、しかし私はよく分からないので何が面白いのか不明という経験があって、おそらく、「スパイダーマン ホームカミング」も幾つかそんな感じのネタが登場するかもしれないし、これまでの流れが分からないと理解できない部分もあるかもと思い、何なら全部観ておくことにしたんである。

 

これは割と苦痛の日々であった。

 

なぜかというと、私は元々中二病のサブカルクソ野郎気味なところがあるので(いやこのブログに書いてるのメジャー作品ばっかじゃん…)

所謂アメコミヒーロー映画があんまり好きではないからである。

(因みにドクター・ストレンジベネディクト・カンバーバッチマッツ・ミケルセンが出てたから観た)

しかしマジで「アイアンマン」から全部観た。

全ては俺のトムホ君のために!!!!

 

結論から言いましょう。

 

 

まあ別に……全部は観なくてもよかったの、かも……

(ってか、何でこのピーター・パーカーという男の子がクモの糸とか操れるようになったのかとか何で人助けするようになったのかとか所謂「ヒーロー誕生まで」の説明はほぼ無いのでむしろこれまでのスパイダーマンを観るべきなのかも…)

 

ということで完全に話がほぼ独立している「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」とか「ドクター・ストレンジ」ほどではないけども、一応、単体でも楽しめる作りにはなっているかなと思います。

 

 

いやもちろん、「他のマーベル作品を知ってる人は多分面白いんだろうネタ」は結構出てきますよ。

ハイスクールの教育における「キャプテン・アメリカ」の使い方(あんな使い方されてるのか笑!)は「キャプテン・アメリカ」というキャラを知ってればより面白いわけだし、

序盤の方で、顔隠し用にアベンジャーズ風のお面を被ったATM強盗と戦うスパイダーマンが、

「やあ、ハルク、ソー、初めまして」(もしくは、会いたかった?かな)

みたいな台詞を言うところがあるけれど、あれは、前回の「シビル・ウォー」でハルクとソーがハブられてる(映画に出てない)のを踏まえた台詞なので観たことない人は分かんないだろう。

そもそも、マーベル映画の知識がないと「何が分からないか分からない、というより何が「分からなくていい」かの区別ができない」ーーたとえば、「ブラック・ウィドウとデート~」みたいな台詞は別に聞き流してもいい台詞だけど、知らない人には、「え?? ブラック・ウィドウって誰??そんなんこの映画に出てきたっけ??」って方に気を取られてしまうので、そっちに思考を持っていかれることで映画本軸が楽しめなくなる可能性がある。

 

あとは、多分マーベル映画の知識が全く無い場合、割と重要に登場するロバート・ダウニー・Jr.演じるトニー・スターク(アイアンマン)について絶対、

「ってかこのおっさんは何者なんだよ」

ってなっただろうし…

なんか、金持ってていつも見守っててプレゼントくれる謎のあしながおじさんという認識しか持てないかもしれない(見事なあしながおじさんぷりだったよな…)

 

なので、別に全部を観る必要はそんなに無かったが、トニー・スタークとは一体何者かというところから描かれている「アイアンマン」の一作目と、マーベル映画の各キャラが集結している「アベンジャーズ」の一作目、

そして、この「スパイダーマン ホームカミング」に直接繋がっており、トムホ君演ずるスパイダーマンも登場する「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(最近観たばっかだけどこの時のトムホ君はほんと最高なんだよな~~~~)くらいは観といた方がいいかも。

でも、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」を理解するには(キャプテンは何でそもそもこのバッキーって男をそこまで守ろうとしてるのか?というあたり)、「キャプテン・アメリカ」シリーズ2作も見ないとわかんないだろうしな…やっぱ…全部観るべきかな…

 

というのはハードルが高いので、全部観るのが面倒な場合は、ググって、

トニー・スターク(アイアンマン)というのは、元は、武器等をつくって販売していた巨大軍需企業「スタークインダストリーズ」社長(超金持ち・有名人)であり、自らも色々設計する天才発明家だったが、(映画版だと)兵器のテストのためにアフガニスタンを訪れたところ、ゲリラに拉致され、そこから脱出するためにパワードスーツを作ったのがアイアンマンの始まりであり、

かつ、そこで自分達が作り売った武器がゲリラなどに使用されているのを目の当たりにし、「死の商人」たる自分の在り方を見直した結果、軍需産業からの撤退を決め「アイアンマン」スーツの開発とアイアンマンとしての活動に着手していく…

 

ということと、

「アイアンマン」とは別軸で、元々、神の国(っつか地球ではないどっかの宇宙人って認識でOK)アズガルドで、王の息子「ソー」と彼の義弟「ロキ」(皆大好きトムヒですね。こっちはトム“ヒ”)が王位を巡って内輪揉めみたいなことをしていたんだけど(という経緯は「マイティ・ソー」で描かれている)、あいかわず王位を付け狙う「ロキ」が、他の宇宙人チタウリと手を組みその内輪揉めっつうか兄弟喧嘩を地球に持ち込んだため、

この宇宙からの危機ーーつうかただの壮大な兄弟喧嘩ーーに対抗したのが、「アイアンマン」をはじめとして、「キャプテン・アメリカ」「ソー」「ハルク」など様々なスーパーヒーロー達が、S.H.I.E.L.D.という国際平和維持組織によって集められた「アベンジャーズ」というヒーローor超人軍団

 

ってくらいの知識を入れとけばいいけども、

 

その上で、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」はまあ実質的には「スパイダーマン ホームカミング」の「前作」でしょう

ここで、アベンジャーズに勃発したある内紛の「自分達側の戦力」として、トニー・スタークはピーター・パーカーをスカウトする過程や、

ピーターが「キャプテンの盾を奪った」と言っている戦闘が描かれている、というのもあるし、これを観ないと、

何故ピーターがあんなにスタークさんスタークさん言っているのかとか、自分もアベンジャーズで活躍したい!と思うようになったのかとか(つまり、ここで有名人たるスタークに声を掛けられて、戦闘に参加したのが嬉しくて仕方なくてはしゃいでいるという)

スタークがピーターにある種の「自分がスカウトしてしまった責任感」を感じているからあれほど気にかけているということなどもすぐには分からないだろうというのもあるし、

 

スタークに声を掛けられてテンションがあがって動揺しているトムホ君が最高っていうのもあるし、

アベンジャーズの初戦闘で、ベラベラ喋って「自己紹介は後でいい」みたいに諫められている感じの、ロバート・ダウニー・Jr.とトムホ君のやり取りが最高っていうのもあるし、

シビル・ウォーのトムホ君はとにかく最高なんだよ、なあ!

 初代のトビー・マグワイアのような、如何にも内向的ないじめられっ子の非リア青年という感じではなく、オタク系ギーク学生ではあるけども割とベラベラ喋るお調子者風にキャラ変しているのは、

ロバート・ダウニー・Jr.との掛け合いの面白さ・相性という意味でも、トムホ君の比較的甲高い声や喋り方や愛嬌、トムホ君自体の雰囲気・キャラクターを活かすという意味でも、そもそもひ弱でコンプレックスが強い内気なもやし風だと初期のスティーブ・ロジャース(キャプテン)と被ってますしねという意味でも

正解じゃないかなあと!! 

 

 

とやや話が逸れたが、

そして、これはもうホムカミの冒頭から顕著だけども、一つの軸になっている物語自体も、「シビル・ウォー」から繋がっているように思う。

すなわち、「ヒーローが活躍する、しかし一方その裏側では」という話ですよね。

その裏側ーーたとえば、子どもの頃、ウルトラマンとかを見ていて思ったであろう、

「っていうかこれいっぱいビルとか倒してるけど、中の人死んでないの?」

っていう、あれとかね。

 

 

「シビル・ウォー」ではまさに、「いやこれ中の人死んでんじゃん!!」のが問題視されていたのであった

最終的には何かどうも、キャプテン・アメリカが、永い間悪の組織(言い方…)に洗脳され悪事を働いていた昔の幼馴染バッキーを何とか助けたいという気持ちで行動する結果、バッキーを引き渡せ!っていうトニー・スターク側と揉めるみたいな感じになってるんだけど、

元々は、アベンジャーズ国際連合の監視下に置くかどうかみたいなとこから内紛が起こったのだった(ですよね…最終的に話どんどんずれてた感あるけど…)

何故そんな話になったかというと、

アベンジャーズが力を付け国境を越え戦闘することで、「その裏側」では、罪の無い一般人たちが巻き込まれて死んでいっている、というのが国際社会で問題になり、だから「今後は、いつどのように出動するか」等、アベンジャーズ国際連合の管理下におくべき、という流れである

 

これに対して、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』で散々S.H.I.E.L.D.に追われたり何やりして巨大組織みたいなものに不信感を持っているキャプテン・アメリカは、危険だと反対するけども、

かつて巨大軍需企業の社長という「死の商人」だった過去があり、かつ「自分たちが行った戦闘によって巻き込まれ死亡した青年」の母親から「あなたはそんなこと気にかけてもいないんでしょうね」と涙ながらに言われたトニー・スタークは、賛同する

 

ただこの二人の根本的な葛藤は類似しているのだろうと思う

キャプテン・アメリカは、何が正義側で何が悪側(何が追う側で何が追われる側になるか)みたいなのは、権力者の方針によってすぐに変わるーーからその判断を権力側に委ねるのは危険、だと思っているのだし、

トニー・スタークは、いくら悪を討つためとはいえ罪も無い人を犠牲にしてまで戦うーー暴れるーー自分たちは本当に正義と言えるのか、そもそも自分たちが常に正義側であると主張できる根拠はどこにあるのかそう思っているのはただのエゴではないのかーーだから第三者の判断を介入させようということなんだろうけども、

それはともかく、

 

だからここでトニー・スタークには、

「自分たちが“正義”の名の元に行っている裏側で巻き込まれる人びと」 に対して責任感というか罪悪感みたいなのを抱いているという前提があることが、無邪気に「活躍」しようとするピーター・パーカーに対しての、

「(君が起こした戦闘のせいで)誰かが死んだら君の責任になる」

という言葉の重みになっているのですよね

これはおそらくは、元々のスパイダーマンの有名な台詞である「大いなる力には大いなる責任が伴う」ともクロスされている「スパイダーマン」作品に欠かせない転換点としての意味もあるだろうけど、あのシーンはそういう「トニー・スタークの葛藤」も前提になっている

 

で繰り返しになるけれど、そんなスタークの台詞に象徴される、

「自分たちが正義の名の元に戦う裏で、巻き込まれる人々が沢山いるかもしれない。その人々にまで責任を持てるのか」(持てないのであれば、戦うべきではない)

というところも含め、ホムカミという作品自体が、「シビル・ウォー」で当初焦点になっていた「ヒーローが活躍する、一方その裏側では」ということがテーマになっている作品だと思う

 

 

ヒーローが活躍する、その裏側では

 

先程、「冒頭から顕著」と書いたけども、

ホムカミは、アベンジャーズが戦闘で破壊したビルの後片付けを担う業者たちが働いているシーンから始まっており、この、元は「後片付けをしていた業者」たちがメインで登場してくるのである

確かにアベンジャーズの本編では描かれないし我々ももしかしたら「気にも留めていない」けれど、破壊したからには、後片付けを行っている人たちがいるーーまさに、「裏側」です

 

この、元は片付けをしていた業者が、跡地には、アベンジャーズの武器等にも使われているような色んな宇宙由来の物質が残されているので外部に持ち出されたら困るみたいな理由(おそらくは)で、スタークに突然追い出され、

もちろん、そりゃこっちは生活がかかってるのにいきなり仕事を奪われたら困る!横暴だ!!となる

けど別に恨みを晴らしてやるみたいなところまではいかず、こっそり戦闘跡地から宇宙由来の物質を盗み出して強力な武器を密造し金儲けしてるのが、今作の悪役

 

「アイアンマン3」では、かつてスタークが気にもしなかった人が幾年かして巨大な敵として立ちはだかるみたいな感じだったけど、今回の場合、

一応悪役ではあるけども、別に宇宙を滅亡させる巨悪みたいな感じではなく、普段は普通のおじさん達である

 だから、本来は別にアベンジャーズと戦うつもりもないし、っていうか戦ったら絶対負けることは分かっているのであくまでも隠れたいのである

 

私はこの舞台設定とテーマ設定に、結構好感を持った

 

というのは、私がアメコミ映画が嫌いな理由の一つに、

「敵側の動機がいまいちピンと来ない」っていうのがあるからだ

ヒーロー映画のシリーズは、話が進むごとにどんどんスケールや敵役が壮大になっていくわけで、だんだん世界の滅亡とか銀河の滅亡みたいな話になってくるわけですよ

でも、世界を滅亡させるほどの動機のパターンって結構、真の平和とはとか難しい哲学ぽい話になってきたり、ナントカの巨大な陰謀がとかややこしくなってきたり、

或いは普通の地球人には理解しがたい感じーーエイジ・オブ・ウルトロンで、スタークがうっかり生み出してしまった人工知能の、世界平和を守るためには一度人類滅亡しなければみたいな話も私、実はよく分かっていないし、ドクター・ストレンジとか、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2の方の敵側の動機ーー不老不死?のためのパワーを得るための世界滅亡 とかもぜっんぜんピンと来ない。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの一作目は凄く面白い映画でMCUの中では断トツに好きだけども、2の方は、敵側の動機が全然ピンと来なくて乗り切れなかったんである

 

ということを踏まえると、もちろんこれはシリーズの一作目かつ今後の「アベンジャーズ」のための前日譚であるから規模が小さいというのもあるだろうけど、

本来、「アベンジャーズ」界に於いては裏側として描かれて来なかった部分の人々をメインに持ってきているが故に、良い意味で「スケールが小さい」ので、敵側の動機もすんなり呑み込めるし言っていることも納得出来る

 

あるいは、二つめのアメコミ映画が嫌いな理由として、

これは「話が壮大過ぎて敵側の動機がよく分からない」の逆ーー「スケールが小さすぎる結果、『大事な人を守る』みたいなメロドラマになる」というのもあるが、サム・ライミ版の「スパイダーマン」一作目では割とそのメロドラマ傾向が顕著じゃないですか

 

まあただの個人的な好みなんですけど、私はこういう、「大事な人を守る」みたいなヒロイズム?メロドラマ? すっげえ嫌い!!なんだよな!!!!個人的な好みっすけど!!!!!

MCUの中で一番こういう「メロドラマ」臭が酷いのは「インクレディブル・ハルク」で、これヒロイン役として出てくる女性の方も一応、優秀な科学者みたいな感じの設定があるはずだから、優秀な科学者としてもっと活躍できるはずだし、もっとそういう設定や共同実験者って部分を生かしていいはずなのに、単なる「守られる女」としてしか出てこないのがほんと腹立つんすよ

(だから、自分もガンガン戦うガモーラ様がヒロインのガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにはとても好感が持てる。あと今回全然ビッチじゃないMJは超クールで可愛い)

 

スパイダーマン ホームカミング」では、高校生の恋愛を描いてはいるし中盤好きな女の子を一度は助けるシーンもあるけれど別にそこがラストではなく、

逆に、自分が悪役を倒す選択を取ることがおそらくは結果として「好きな女の子を助けない」ことになるーーけれど、自分は「ヒーロー」として悪を討つことをとる、そこにある悪を見過ごしたくない自分をとるーースパイダーマンとしての「決意」が描かれている構図になっていたのも、とっても良かった

 

まあ、メロドラマの代わりに、スタークさん僕を認めてくれーーー!!!ってどうにもトニー・スタークとのラブストーリーになっているのはさておき…

 

こういう、「でも、そこにある悪を見逃したくない」というスパイダーマンの選択・スタンスが、MCUシリーズが進むにつれて問題になっていった「いくら悪を討つためとはいえ罪も無い人を犠牲にしてまで戦うーー暴れるーー自分たちは本当に正義と言えるのか、そもそも自分たちが常に正義側であると主張できる根拠はどこにあるのか」みたいな揺らぎに、回答とは言わないまでも一つの原点に立ち戻す効果もあったと思う

そして、ピーター・パーカー自身も、一度アベンジャーズの戦いに参加してしまった事で膨らんだ、もっと自分を認めて欲しいという自己顕示欲から、自分の原点に立ち戻ったのだと思う

というのは、敵役はピーターに、

「スタークに気にも留められていないという点では俺たちは本来同じところにいる」

「スタークだって本来武器商人だった、武器を売って金持ちになった」

というような事を言うのだけれど、それに対してピーターは、

「でも、盗むのは悪いことじゃん」

みたいに返すんすよね

この、「でも、盗むのは悪いことだし」って言う単純な正義感、

ピーターが、好きな女の子の幸福、好きな女の子「との」幸福を捨てて選択し、僕を認めて!!!という自己顕示欲ではないところにあるーーあったーー「だから見過ごしたくない」という思い

 願わくは、今後のアベンジャーズ作品で、こうしたピーターの原点としての正義感が、トニー・スタークのある種の「支え」みたいになってくれるといいですね。

まあ、シビル・ウォーで既に最終的にこの問いどうでもよくなってた感はあるんですけど…

 

 

で作品としてはどうだったかというと

 

で全体的な評価というか感想ですけど、

「俺のトムホ君はクソ最高、映像や作風は軽快で楽しめるし、敵側の正体が判明したところから、敵側に自分の正体がバレそうになるまでのシーンの緊張感やじわじわとくる恐怖感など、おっとなる映像もある。

「尋問モード」とかさりげない小ネタギャグの出し方ーーこのネタ、後で、車を借りるときに「声を太くしている」映像でもう一回さりげなく出してるみたいなのも含め、クールで面白い。この、ギャグの出し方がクールで寒くない(ダジャレ?)ってのは大きい。

私がアメコミ映画の嫌いな部分も結構解消されていて好感が持てる。ただ、設定や脚本、アクションシーンはちょっと雑」

って感じです。

 

 

アクションシーンは、アベンジャーズとかウィンター・ソルジャーレベルに視覚的に興奮する感じには及んでいないのはまあ規模感が違うからともかく、

アイアンマン3のような、何というか戦闘シーンの「これがこうなってこうだからこう」みたいなピタゴラスイッチ的面白さ・画面的凄さもあまりない。一応ピーターってかなり頭良い設定だから頭は回るはずだし、スタークから性能の良いスーツ貰ったんだから、アイアンマン3みたいな作戦のピタゴラスイッチ的面白さを追求してもいい気がするんだけども

 

かつ肝心のラスト戦闘が、画面の背景が暗くてなんかやたらと光が強くてスピードも速すぎて正直「何やってんのかあんまよく分からない」という致命的欠陥があるのは…どうなんですかね…私の目が悪いだけか…?

ピーターが飛行機の何かを何かして、「成功した?」って言ってるシーンがあるんだけど、何がどう成功したのか、画面が暗すぎて&速すぎてよく…わかんなかった…

あとどうかと思うのは、シビル・ウォーとの整合性っすよね

今回のスパイダーマンは、割と敵にガンガンやられてる失敗シーンが続き、ぶっちゃけ結構弱くて、もちろんそれは半人前ヒーローたるピーター・パーカーを描くためにはそうする必要があるのは分かる。そうでなければならないのは分かる。

が、

しかしだって、シビル・ウォーで結構、ファルコンとかバッキーとか相手に比較的対等に戦ってたやんね、スパイダーマン

 

グーがチョキに勝つ…みたいなジャンケンではないけど、

つまり、スパイダーマンが、前作で「ファルコンやバッキーと比較的対等に戦っていた」ということと、今回「普通のおじさんである奴等に結構負けてる感じ」ということを合わせると、「ファルコンやバッキーも今回の悪役よりやや弱めくらいの強さ」ってことに…なりませんか…?

いいんすかそれ…?

しかもそうだとすると、敵集団が「アベンジャーズと戦ったら負けるから奴らに見つからないよう隠れないと」とか言ってるのと整合性が取れなくなるし

 

という設定の雑さは、ピーター・パーカーを巡る人物設定みたいなところにもちょっとあって、

今作のピーターは、内向的ないじめられっ子みたいな感じではなく、ギークではあるけどベラベラ喋るお調子者感が強くてむしろそれは、ロバート・ダウニー・Jr.との掛け合いの相性やトムホ君自体の魅力との相乗効果が出て良い、と言ったし、

学園生活を次々切り取った映像で、

「好きなことや内輪では饒舌に盛り上がるけど、女の子やリア充を前にすると萎縮気味なダサめのオタク系ギーク学生」「ただ頭は良い」

という主人公像を観客に理解させる手法もスマートだし、こういうギーク系像ってのも如何にも現代的だと思うし、

親友のネッドなんかも、(これは私がアメコミ映画嫌いな3つめの理由だが)「ポリコレに配慮してアファーマティブアクション的に白人以外をとりあえず出しました」的添え物感が随分減って、ちゃんと血の通った魅力的な人物として登場するのも凄く良い

(マイティ・ソーキャプテン・アメリカでの、白人以外のその他大勢感とかマジ酷いもんね)

 

ただ一方では、これまでのスパイダーマンの「非リアの自分では手の届かない高嶺の花に恋をしている」「割と冴えない、リア充にバカにされたりしてる」みたいな部分を残しているのだけど、この描き方がなんとも中途半端なんすよね

っていうのは、だって、主人公の恋の相手も、「ペニス・パーカー」とか言ってるいじめっ子(なのか?)も、ピーターと同じ(文化系)クラブだしさー

いや、アメリカのリア充チアリーダーとアメフト部みたいなのって、偏見?? gleeの見過ぎ??

しかし、「見るからに、ひ弱っぽい主人公とは別の世界にいる高嶺の花の女の子&いじめっ子orリア充」感が見た目という意味でも、「設定(同じクラブだし、普通に喋ってるし)」という意味でも、ほぼZEROじゃないっすか?

でここで同じクラブにしたのは、学力大会でワシントンに行った際に塔が崩れかけるのを助けるシーン入れるために楽だからってだけっしょ多分

じゃあ別に中途半端にそんな設定残さなければいいのに、と思った、ギークの鬱屈が本質でもないんだしさ

  

 そこは細かい部分だからどうでもいいにしても、

物語の本軸に関わる脚本の雑さとして、

「ピーター・パーカーが一人で戦うことを描くために、スターク側が結構間抜けに見えてしまう」

ってのは…いいんだろうか……

勿論、あそこで一人で戦うからこそグッと来るわけだし、天井の下敷きになって思わず「誰か助けて…」って弱音を吐いてしまうピーターつかトムホ君は本当に可哀想で可哀想で涙を誘うし、でもそこからたった一人で立ち上がるシーンまでの流れはこの映画一番の名シーンとも言っていいし、だから一人で戦わねばならないのは分かりますよ

 

しかし、しかしだよ。

武器密造されてるってのを知っているはずなのに、ピーター側の連絡をまともに取り合わず結果的に飛行機破壊されてるハッピーとか、正直マジでクビになっても仕方ないレベルだし、

「(武器を密造している奴がいるというピーターの警告を)無視してるわけではない」とか言っていたトニー・スタークだって、それ以降何か対策してる感が無いっていうか自分たちの飛行機が狙われるまで事態が進行しているのに無策っていうか

どの口がアベンジャーズに任せろって言うかって感じじゃないっすか?

つうか今アベンジャーズってバラバラになってるんちゃうの?? キャプテンやバッキーいないし他のキャプテン陣営は捕まってる?逃亡中?だし、ローズ中佐は負傷中だし誰残ってんの??

(そもそも、アベンジャーズの一員!とか記者会見開いてる場合なんやろか…)

 

スパイダーマン」単作として見れば、スターク側が間抜けでも別にいいんだけども、これまでの流れを汲み今後も新しい作品が制作されていくMCU作品シリーズのうちの一つ、という位置づけからすると、そんな間抜けに見えちゃあマズい気するんだけど…

 

あとね、あんだけ、子どもはそんな大きな「責任」を負うべきではないって至極もっともな理屈でスパイダーマンを止めていたスタークが、自分らの飛行機救ってくれた(いやまあ壊してるけど)くらいでピーターのアベンジャーズ加入を認めるのも心変わりの理由としてよく分かんないし。

 だって別に、そもそもトニーがピーターを止めていたのは、「ピーターが弱い」とか「戦力として力がない」からではなかったですよね?

大きな力を行使するには責任が伴うことをこれまでの戦いで散々実感し、そんな責任を子どもが背負うべきではないと思っていたからですよね?

じゃあ別に、そこでスタークが、自分たちの危機を救ってくれたことでピーターに感謝をし力があるなと見直したとしても、アベンジャーズに加入を、となるのはちょっと流れとして微妙つうか脚本がやや雑な気するんだけど…

 

それとも、スタークは全て把握した上で、敵側が誰で何をしようとしているとか、ピーターがどちらをとるかとか、全部を把握した上で、全部が

「テスト」

だったんですかね??

それで、ピーターの決意に救われたということなんですかね??

まあ、その方がまだ納得出来るかもしれないし多分スタークなら可能なんでしょうね…

 

だってこの映画でのトニー・スターク、ピーター・パーカーの事を気に留めていないようでいて、会話の中でさりげなく

チュロスの女性とか」

とか言ってんですよね。つまりあれ、ピーターが毎日ハッピーの留守電に入れてる「報告」の内容をちゃんと聞いていてちゃんと覚えてるっていうシーンっすよね。

敵側は誤解していたが全然「気に留めていな」くないんですよねめっちゃ気にしてる!!!

全部を把握した上でのテスト、やりかねねーーー

 

 

「紅桜篇」で一番大事なシーンカットだと!?――「実写 銀魂」感想

公開初日である金曜日(14日)に、仕事が終わるハーフハーフの可能性にかけて実はチケットを取っていたがやはり終わらなかったので月曜日に取り直して観てきました、「銀魂」の実写版!!

 

eiga.com

 

私(24歳)世代のオタクであればほぼ絶対に一度は通ってきた「銀魂」であり、ゆえにこの世代のオタクの特徴として、「銀魂喋り」――「ってオイイイイイ」みたいなノリツッコミをする、「○○ですかコノヤロー」とか言っちゃう――という言葉があるくらい影響を与えてきた作品ではありますが、

一応私のスタンスを最初に記しておくと、「中学~高校の時に漫画読んでいた、アニメも少し観ていた」程度なので、原作の世界観やキャラクターは知っているが、そこまで強い原作厨というわけでもない。

そしておそらくは、今回の「実写 銀魂」はそのくらいの人が見るのが一番ちょうどいいのではないかと。

あまりに思い入れが強すぎると些細な違いが気になるだろうし、後に詳細を記すけど、そもそも「おいおいおいおい皆、紅桜篇ってアレを観に来てんだろうが!!!!!!!!」ってシーンが見事にカットだし、逆に全然知らない人が見ても、各キャラクターの詳細や関係性はそこまで説明されないのでよく分からないかもしれない。

 

とはいえ、「万事屋って何なのかとか神楽などが何で万事屋にいるのかとか」みたいな基本設定の説明を映像としてはせず、原作でも人気が高くアニメ映画化もした1エピソードをやるっていうのは正解だと思いますよね。

(アニメ映画の方だと最初の説明をもっとバッサリ切ってて、天人が江戸にやってきて攘夷志士がうんたらくらいのところで「どっから説明するつもりだよ?こんなの原作ファンしか観に来ねえんだからいいんだよ!」って終わらせてますが)

だって長い原作でそれやってたら、「ダイジェストかな??」ってなっちゃいますからね、ほらあの超ダイジェスト映画「寄生獣」の実写みたいにね…

 

ということで、これは対象としては、「中学生の時にちょっと読んでたくらい、原作の世界観やキャラクターは知っているが、そこまで強い原作厨というわけでもない」層、

で、スタンスとしては「超豪華俳優による学芸会」として観に行くのがいいかと思った。

つまり、あの!!!橋本環奈様が神楽をやっている!!!!神楽をやるとあんな感じなのか!!!!っていうのを確認しにいくみたいな楽しみ方というか。

その意味では全然観に行く価値はあるんですけど、

泣ける?友情感動アクション映画として観るとすっっっげぇちゃちいし安っぽいので微妙すぎるし、ギャグ映画としてはそこまでギャグに振り切れているわけでもないし大体テンポ悪いし、そもそも(アニメですら寒い時あるのに)三次元の人間が銀魂のあのノリをやると凄い寒いし、ぶっちゃけ一本の映画の出来としてはすこぶる…微妙なんじゃないかと……

 

 

とは言え良かった点①「役者たちの好演」

 

 とは言え良かった点としてはこれはもう、「役者達の好演」に尽きるのではないか?と。

原作ファンは分からないけど、私個人としては、「こいつ全然駄目じゃん、全然ちげえし」みたいな役者は一人もいなかった気します。

新八が菅田将暉ってカッコよすぎるのでは?と心配していたけど、ちゃんと新八っぽくなっているし、同じくイケメン過ぎでは枠の桂(@岡田将生)も、岡田将生がカッコよすぎることで後半のとある大事な登場シーンが、めちゃくちゃキマってる!!

最初役者が発表された時に、ちょっと違うんじゃ…?って思っていた高杉晋助(@堂本剛)も、下手をするとどうにも「ただの痛い人」になりそうな高杉晋助を、いい感じの退廃感と姫感(姫感?)と流石の貫禄で演じていたのと、映画全編を通じて私が一番「おっ!」と思ったというかグッと来たシーンは、これたぶん予告の37秒あたりにもあるけど

 

www.youtube.com

 

高杉が刀抜いて銀さんに向かっていく時の、この、肩がゆらっと揺れる感じの歩き……分かりますか!? 細かいんですけど。佇まいがねえ、いいんですよねえ。

 

で、そんな中でも特に私的に好演していたと思うのが、神楽を演じている橋本環奈様と、俺の推し沖田総悟を演ずる吉沢亮なんじゃないかと。

ちゅうかあれよ、この2人に関しては、3次元の人間が「○○でさァ」とか「○○アル」とか言っててバカみたいじゃない、って言う時点でもう凄いでしょ。違和感がそんなないんだよね。

特に橋本環奈様に関しては、他のキャストはともかく橋本環奈がいなかったらそもそも銀魂実写ある程度の成功しなかったのではレベルでの貢献度じゃないですか!?

最初、橋本環奈様に何やらせる気だよ!?って思ったけどもうむしろ、橋本環奈以外に出来なかったでしょ!!と今は思いますよね!

声とか喋り方の感じが思いの外、神楽っぽかったのとか先述の通り「アル」とか言ってて違和感ないのも凄いけど、オレンジ髪が全然似合ってて何をしてもどんな角度から見てもめちゃくちゃ美少女っていうこの(白目になっているとこはさておき…)…何をしてもどんな角度から見てもめちゃくちゃ美少女じゃないと、多分もっとコスプレ感満載になるし何より嫌な痛々しさとか見てられなさみたいなのが絶対出ると思うんですよね。若い女の子が頑張っちゃってる感みたいな痛々しさとか可哀想感。

あのレベルのクオリティで神楽をやれる(プラス○○に何やらせてんだよ!って面白さの前提になる程度の知名度がある)若い女の子って、現状というか、少なくともここ10年間くらいのスパンで見ても橋本環奈様以外にいなかったのでは…ってくらいナイスキャストと貢献(って意味では最も適切な実写タイミングだったとも言える)。流石1000年さん…

 

で吉沢沖田に関しては…元々私が銀魂では完全に沖田推しなのもあるが…もう完全に心を持って行かれた…

顔というより、佇まいとか雰囲気が、ねえ!!!!(つうか、顔だけだったら沖田はもっと童顔なのでもっと寄ってた人色々いたんだろうけど、これはビジュアルより雰囲気とか佇まいの沖田っぽさとか存在感を優先して大正解と思う)

あの、銀さんが質屋から出てきた時に「探し物ですかい、旦那?」って壁に寄りかかって現れたところで、ぎゃあああああと私はズキュンとやられちまった。

とは言え、真選組メインの話ではないからか全体的に、実写沖田、「お前は映画の時だけいい奴になるジャイアンか?」って感じに、銀さんの心配したり結構素直で真面目な言動をしていたり、

「どうしたんだよ総悟!?」と言いたくなるほど普通にいい人だったので、沖田のアイデンティティであるドSぷりとかクズっぷりがあまり目立っておらず私はその点物足りなく思ったものの、

一応、ちゃんと土方を犠牲にして逃亡するクズさが残っていて本当に良かった…やはり沖田には土方の命をつけ狙ってもらわないと…

そんで、土方を犠牲にして逃げる時の、あの親指をグッとあげる感じも良かったね…あれ二番目に好きなシーン…

 

 

とは言え良かった点②「実写オリジナルのギャグシーン(の一部)」

 

 とは言え、いくら役者たちが好演していても、これはもう誰が悪いとかではなくて、30分くらいのミニドラマならまだしも、銀魂のノリって漫画で読んだら面白くても三次元の役者が大スクリーンでやるとどうしても寒さが否めないんすよね…

例えばおしとやかに見えるお妙さんが、時としてめちゃくちゃ凶暴になる、みたいなキャラ設定とかって、いかにも漫画的で、実際にやると(中学二年生の痛いオタクのオタクごっこかな?)みたいになっちゃうじゃないですか。

一番あっちゃ~~って思ったのは、原作漫画だと11巻終わりの引きになっている、

「宇宙一バカな侍だコノヤロー!!」ってとこね…

あれ小栗旬「ちわ~」とか言わない方がまだ良かったんじゃないの…(原作やアニメだと言ってないしね)

もうこの、「コノヤロー」というワードの寒さと、普段はおちゃらけてるけどやるときゃやりまっせ、みたいなこれまた漫画的なあれと、過剰でわざとらしい「おちゃらけ」部分のアピールの寒さとが相まってもうね…

 

しかも、よりにもよってED後あそこを繰り返すじゃないですか!!

一番寒いとこ繰り返してんじゃねえっていうのと、(一度目のEDで一応テンドン的にふざけてるとはいえ)ED後のふざけシーンがなくて何が銀魂じゃ!!ってのとで余計残念感が…

 

ちゅうことで、原作に忠実ぽいギャグとかは逆に微妙な感じあるんすけど、なので面白かったところとか会場に笑いが起こってたところって、主に実写オリジナルのギャグシーンっすよね。(勿論全部が全部面白いわけではなくこれも寒いとこのが多いんだけど)

 

1000年さんの1000年写真(神楽Ver.)が出てきたところとか、ナウシカって言ってるのを全部音消されてるところとか、あと一番面白かったと思うのはムロツヨシのシーンな…

ガンダムが出てきて、銀さんが「これ欲しい!絶対勝てるじゃん!」って言うところや、反撃したムロツヨシ(もはや役名を忘れた)が思いの外強いっていうシーンはめっちゃ笑った。

 

 

残念だった点①「ギャグが長い、しつこい」

 

でここからは残念だった点の話なんだけど、しかし、面白かったのってそんくらいで、これ個人的な好みの問題かもしれないけど、全体的には、そもそも私、福田雄一のギャグが好きじゃないのかもしれないな…というのをつくづく感じた。

いや「アオイホノオ」とかは全然好きなんだけど…

 

今回強く思ったのは、

「スーパーサラリーマン左江内氏」でも薄々感じていたことではあるが、福田雄一って、ギャグがしつこいっていうか「長い」ですよね??

「スーパーサラリーマン左江内氏」なんか、これいつ終わんの?ってギャグシーン多くて、最初は笑えても長すぎてダレてきたり、完全に話のテンポを殺していたとことか結構あったと思うんだけど、実写銀魂でもその悪い部分がすっげえ出てた気がする。

 

原作やアニメと、実写を比較するとわかると思うけど、平均として実写の方が、ギャグ会話の応酬が「4、5往復くらい多い」んすよ。

なので絶妙にテンポが悪い。

漫画だと、さっと終わらせてたり一往復で済ませてるとこでも、結構引っ張ってる。エリザベスが何のために来たか分からないとこのシーンの応酬とか、刀打ってて鉄矢が銀時の呼び声に気付かないとことか、兄者には耳元でしゃべらないと、のとことか、また子のパンツが云々と神楽が煽るくだりとか、新八が何とか船に忍び込もうとするとこのくだりとか、色々あるけど。漫画だとあんなに長くないじゃないですか。で、耳元で喋ればと言われたから呼び掛けた途端殴られるみたいな、長くない(次の瞬間殴られてる)から面白いところというのもあるのに、わざわざ会話やギャグを付け足してる。

しかも、漫画なら3秒くらいで読めるわけですけど、映像にすると演者が喋っているのを全部聞かないといけないわけなので、そもそもがどうしても尚更長くなるわけですよ。メディアの違い上、ただでさえ観客の体感時間が長くなってしまうところを、更に長くしている。

これが、引っ張ってて面白かったり付け加えたところが面白ければ全然いいんだけど、完全に話の流れを殺してる感と、回避できたかもしれない余計な寒さ感が付け加わってめちゃくちゃマイナスの方向に働いてる気がする。

オリジナル部分でも、ナウシカが出てきて、鉄子が、何回も、本当にいいのか?とか繰り返すとことか完全にしつこいし(逆に突っ込まない方が面白いレベルに)

 

これが福田雄一の作家性かもしれないけど、私はこの感じは凄く苦手だと思った。

ゆえに、原作とか関係無い一本のギャグ映画として見ても、別に面白くねえなって感じである。

 

 

残念だった点②「アクション映画としてはマイナス1億点レベル」

 

まあそもそもアクション映画ではないんですけど。

 

それにしても船やCGとかの安っぽさ、もうちょいなんとかならなかった…のか…紅桜から生える触手?とかさ、なんだあれ。なんだあれ。

天人なんか、MAN WITH A MISSION以下のクオリティだし。どうぶつさんたちだいしゅうごうだわいわいとか歌いだしそうなレベルだし。

勿論、あれば敢えてクオリティを最低にしていることで、これは学芸会ギャグ映画なんですよってことを示しているんだとは思うので、それはいいんだけども、私は今回、画面や合成技術のクオリティといったことのほかにも、

 

「例えば同じ、コミック原作が元になっているマーベル映画とかとも比べて、何故邦画の漫画原作映画がやけにバカバカしく見えるのか?」

 という理由の一端を悟ったような気がした。(製作費)

 

あのですね、多分、戦闘シーンに於ける、「主要登場人物以外の扱い」が理由の一つなんじゃないか?と。

実写銀魂に限っては、「今戦っている人(重要な人)」以外、完全に棒立ちですよね??? これ、めっちゃ、めっちゃ気になるのよ!!!!

だって、そんなわけあります??? 普通、大事な人がやられそうになっていたら助けに行ったり助太刀したりしますよね??? ボーッと見てるだけとか、あります???

しかも真っ直ぐ突っ立ってるだけなんですけど????

ジョジョかよ???(この例え通じる?) いやジョジョは、見てるだけのキャラはちゃんと戦闘の解説役という役割を担ってるだけまだマシですよ、

この、ボーッと突っ立ってる主要人物以外、が画面から目に入ることで、バカバカしさ度と学芸会感がめっちゃ増してんのよ!!!!

 

これはおそらく何ていうか、

「男の戦いはタイマンであるべきだ」(ゆえに、主要キャラが同じく主要キャラと戦う場合に、2対1だったりするのは卑怯)的なジャンプ的価値観なのかもしらんけども、だから、そのジャンプ的価値観と、ボーッとつっ立ってない状況を並立させるために、

「助けに行こうとしているけどほかの誰かに止められてる」(例えば、橋のシーンなんか漫画だと新八は助けに行こうとしてるけどエリザベスに止められてますよね)とか、「手負い状態」とか、一番よくあるのは、

「雑魚キャラがわっと出てきて皆がそれぞれの相手をしている」

とか方法は色々あるわけじゃないですか。

それぞれが各々の場所で自分らの特性を生かした戦いをしつつ、次々にカットが変わることでスピード感は失われていないのに誰が何どんな戦いをしているのかもちゃんと分かり、かつ、特性同士を合わせて共闘したりするシーンもアツいアベンジャーズ1000回観ろ!!!!

 

で、これがタイトルの、「「紅桜篇」で一番大事なシーンカットだと!?―」に繋がるんだけども、ラストの、高杉VS銀時 のシーン、桂、何してんのあれ??? 何しに来たの??(何もしてないって意味だが)

っつーかさ、つーかさ、つーかさああ、「紅桜篇」で皆何観に来てるかって、

 

 

 

f:id:syosenningen:20170718004734j:plain

 

 

 

これだろうが!!!!!!!!!!!!

 

 

 いやまあ、事情は分かりますよ。

堂本剛出した以上は、高杉VS銀時がなきゃね、みたいなあれはね、だから別にそこを変えたことはいいし、さっきも書いたけど、劇中で一番好きなのは、高杉が剣を抜いてゆらっと歩いてくるとこだし。

でもそのシーン(のバックに)、「天人」「また子&武市」と「桂」が棒立ちで突っ立ってることで、こいつら何してんの??感が、特に桂なんか、お前何しに来たの?感がやばい。だったらこの場面にはいない方が良かったくらい扱いが可哀想すぎる。

ちゅーか天人も何しに来たんだよ。手組んだんじゃねえのかよ。何黙って眺めてるんだよ。

 

いや、変えたことはいいって言ったけどやっぱよくねえな。だってここが、三人の関係性を表すのに一番重要っちゅうか普通に一番熱い萌える(燃える)シーンじゃないっすか。ってこれは本質的には三人の話なわけじゃないですか。

以降は原作Ver.の話で映画ではカットされていたけれど、

それぞれ向いている方向はバラバラの三人、個性もバラバラ、「友一人変えることもままならん」という真っ直ぐな桂と、「お前に友達なんかいたのか?それは勘違いだ」みたいな憎まれ口を叩きつつも肝心な時には来てくれる銀時、

「お前を斬るのは骨が折れそうだから変わってくれるな」と言う桂と、「お前が変わった時は俺が真っ先に叩き斬ってやる」という銀時、

そうなんすよ、つまり「AKIRA」(またAKIRAの話かよ)なんですよ。つまり、「仲間だから」「俺たちが斬ってやる」なんですよ!!

で、あればだよ。いくら小栗旬が主役とはいえど、ここで桂と銀時の行動レベルに差を付けちゃ駄目なんじゃないのか??

  

 

残念だった点③「真選組も何してんの?」

 

これに関しては、私が圧倒的土沖推しなのでというのもあるが、それにしても…

劇場版なので無理やり真選組も介入させたという大人の事情によるものだろうけども…途中から完全フェードアウトしてましたよね…命張った戦いとか言ってたのは何だったんだよ…

あいつら、最後の戦闘に向けて新八と神楽を都合よくフェードアウトさせることにしか役立ってないのでは…(何で、高杉とか桂を捕まえる職務を全うせず割と素直にずこずこ帰るのかもよくわかんないし…)

 

で、こっちはむしろ、実写映画の祭りなんだからもっと祭り感出して、万事屋組と共闘したりしてくれてもよかったんじゃないのかね?

とか思ったりして。(何回も言うが土沖贔屓なので言ってるだけです)

(本来なら沖田回であるはずの←?)カブト狩りだって、もっと、台詞の応酬によっては、「近藤、土方、沖田のキャラ説明(近藤はともかく、今回の映画だと、土方も沖田も割とただのいい人ぽいとこしか殆どないのよね)」「神楽と沖田の敵対関係」「土方と銀時の基本的には仲が悪い、が保護者組として時に結託した感じになる関係」みたいなあたりを説明する機能を果たせれた気もするんだけど、ってか、他のシーンで余計な台詞加えてる分をこっちに回してくれればよかったのにとか思うんだけど。

そこで、基本的にはあんまり仲が良くないというのを見せておいてからの、舟での共闘シーンなんかあったら、実写的には祭り感あって燃えた(萌えた)はずなんだが、

元々出番が無かったところを中途半端に入れたせいで、一体こいつらは何をしに?的な、なんとも微妙な感じになっているあたりが少々残念。

 

dTVを観ろってことか!?!?!?!?(土沖派的には神回のミツバ篇一番好きなので観る決心つかねーーーーーー)

 

 

 

蛇足・ありそうでなかったパロディ

 

・橋本環奈様がマシンガンをぶっぱなしたあと、「カイ…カン…」とか言いそうだったけど言わなかった

 

・カブト狩りのくだりで、「ここをキャンプ地とする」とか言いそうだったけど言わなかった

 

 

因みになんだけど、私はエンドロールみて始めて、え、安田顕ってどこに出てたの!?ってガチで思ってしまいました。

 

現実として現れるであろうあらゆる羽生結弦との恋のためのプロレゴメナ

Hello, I Love You,皆さんお元気だろうか。

私は死んでいる。

6月18日のFaOI新潟で羽生くんが実在して生きているのを目にしてしまったからだ。

 

f:id:syosenningen:20170621215512j:plain

 

これが意味することは2つある。

一つは文字通り、生の羽生結弦という威力に負けて無事死んだということと、もう一つは、これで人生のと言っては言い過ぎであれば私の中の今年の一大イベントが終わってしまったのでしばらく生きる意味がなくなるという意である。(GPFやNHK杯のチケット争奪戦に勝てば別だが…)

 

私は、四六時中ボーイズラブのことを考えているというか四六時中ボーイズラブのことしか考えていない筋金入りの腐女子だけれども、唯一羽生くんだけは別で、だいぶ頭がイってる感じの痛過ぎる夢女子と化し、

これまで、

 

22:16 - 2014年12月25日
因みに私から羽生くんへのプレゼントは、キャラ作りなことが分かっていて+ファンから山ほど貰って飽和状態なのが分かっていて、敢えてのプーさんぬいぐるみと、プーさんの着ぐるみ(一昔前のギャルが着ていたやつ)で、「これ着て踊ってよ!!ファン大絶叫CM増えて収入倍増大間違いなし!」とか煽ったら、普通に、「マジでいらない!」とか怒られたいし、「人気アップ間違いなしなのに…」と言ったら、怒った勢いで「そんな事でこれ以上忙しくなったら、もっと会えな」ってところで 我に返って、自分の発言に照れて照れ隠しでむっとしたように黙って欲しいし、「会えな?かーらーのー??」って更に煽ると、プーさんのぬいぐるみに向かって「ほんとにうざいですよねーこの人ーねーうざいよねー」とか一人で喋って欲しい。

 

などと頭の湧いた妄想集や↓

blog.livedoor.jp

 

もはや人外レベルの突出した才能を持ってしまったおかげで常に勝ち続けねばならなくなった羽生結弦という人生について考えていたら(何だそれ)、自ずと思い浮かんでしまった一万字くらいのポエム小説などを書いてみたりしたし、つまり羽生くんという存在はそれほど自分のクリエイティビティと言語中枢を刺激する存在だったはずだし、

大好きなバラワンプロなんか動画で100回くらい見ているはずなので、

なので日曜日が来る前までは、FaOI新潟での羽生くんの一挙一動、演技の素晴らしさについて存分に語るつもり満々だったのだが、まあ、無理でしたね。

 

無理でしたね!!!!!

 

オープニングのキャッツアイで、なんか腹アハーンってやってたりステップの途中で転んでしまった流れで氷にべたあって倒れて周りのおばさまが超萌えてたり、素人目にも歴然と、羽生くんジャンプが凄い高い!!って思ったりやはり最後数人のスケーターの前をスーっと横切り、ちゃっかりプル様の横に割り込んだりしてた気するけど、

 

「うわーーーーー羽生くんだーーーーー」

 

って思っていたら終わっていたしなので何も覚えていない。

実在の羽生くんを目にしては、言語機能と思考力と記憶力とIQが2くらいにまで低下することが分かった。

 

 

でも、流石にプーさんの着ぐるみは着ないが、マジでプーさんの耳?ヘアバンド?をつけて最後出てきていました。

羽生くんはスターだなァとつくづく<体感>したのは、彼が出てきた途端、観客のテンションと何とか彼を目に焼き付かんとする情熱がほんとに100倍くらいアップするというだけではなく、プーさんのヘアバンドをつけてラスト出てきたおかげで、総立ちの観客がめいめいに興奮を発露した結果、アイスショーのために組み立てられた座席がマジで揺れたのだった。まさに<体感>である。

周りの人たちも、「地震?」みたいに戸惑ってましたからね、割と命の危険を感じるレベルで揺れていた…。

 

ということで、言語機能と思考力と記憶力とIQが2くらいにまで低下した結果、レポートすることが何も無いししばらく生きる意味も無くなるので、代わりに(何が代わりだよ)、約2年半ぶりに、

羽生結弦妄想集~2017年~」を自分だけのために(あとで私がニヤニヤするために)まとめようと思います!!!!!!

まあ別に言わなくても分かると思うけど全部ただの妄想なので羽生くんはそんな人じゃないのは知っています!!!!

(どうでもいいんだけど、別に「私」も全くこんな人間ではないので、じゃあ誰と誰の何のための妄想なんだろうなこれは…)

 

 

2017年4月3日(月) 21:37

羽生くん明日日本に戻ってきたら何したい?って聞いたら「カラオケ」(何故ならばテレビの前では口パクだけで熱唱できないから)って返ってきたんだけど、羽生くんは、私が歌ってる時はずっとゲームやってるくせに自分が歌ってる時に聞いてないと不機嫌になるタイプだといいし、自分は人の歌に入ってくるくせに私が入ると「歌うな音程がずれる!」って怒る理不尽な人間だといいし、けど羽生くんの方が音程が狂ってることにはきっと気が付いていないと可愛いし。

 

2017年4月3日(月) 21:44

 羽生くん日本に戻ってきたら何したい?って聞いたら「カラオケ」って返ってきたので、DVD鑑賞できるカラオケボックスに連れ込んで「私選・羽生ベスト演技集」を延々流し胸熱ポイントをマイクで演説したいし、「お願いだからそろそろ歌わせて…」ってうんざりした顔で言われたい。

 

2017年4月3日(月) 21:49

そろそろ歌わせて…と言われたので、「そう言うと思ってこんな映像も用意したんですよ!」と、秘蔵の羽生・口パク熱唱集を得意げに出したいし、「これに合わせて歌っていいよ!」とマイクを向けたら、心底嫌そうな顔で「バカじゃないの?」って言われたい。

 

2017年4月3日(月) 22:39

因みに羽生くんのカラオケ採点ベストは、61.2点なんだけど、この度64.6点出たので「やりました!羽生が羽生を越えた!パーソナルベスト!」みたいに実況をしたら、「いちいち点数覚えてるのマジで気持ち悪い」って蔑まれたい。 

 

 2017年4月3日(月)22:45 

 私がトイレ行ってる隙に羽生くんが「恋」を歌い踊っているのを終盤あたりに目にしたいし、「なんで私がトイレいくタイミングでそれ歌っちゃうの!?」と詰めよってみたいし、柄にもなく「…恥ずかしいから」とか返してほしいし、「何十万もRTされたのに今更恥ずかしいわけあるかよ!!」と言い返したら、「…なんか…タイトルが…」「タイトルが何!?タイトルが何で!?」「もーー分かってるくせに詰問しないで!!!」などと珍しく照れる羽生くんを見たい。 

  

仕事を終えて帰宅すると、読みかけの漫画を抱えたまま私のベッドで寝落ちている羽生くんがいてほしいし、ほっぺをつついて起こすと、私のベッドで寝ていた気まずさを抱えたむっつりとした顔で「7巻は?」と訊き、「今出てるのそこまで」と答えると残念そうに演技がかった大仰な口調で、「まじかあーーこれでまたここに戻らないといけない理由が出来てしまったー」とか言ってほしいし、戻ってくる理由をつけないとここに来れない男心に素知らぬ顔をして「新刊出たら送るよ」と返したいし、「…わざと言ってるでしょ」ってぷいとそのまま背を向けふて寝する羽生くんがない夜なんかに価値はない。

 

飲み会の予定があるから○日は遅くなるので一人で待っててと言ったらその時は興味も無さそうに、うんという羽生くんだが、いざ○日に飲み会を終え帰宅したら羽生くんは家におらず、二時間後くらいに何故か酔っぱらって帰ってきて「あれ?飲みに行ったの?」と聞いたら「一人で家で待つの嫌だもん…」ってめちゃくちゃ甘えてきて私は爆発四散したい。

 

2017年6月19日(月)22:26 

アイスショー後の興奮が冷めず午前3時になっても寝付けない羽生くんが早くまた滑りたいとイメトレを始めたのが加熱し、狭いベッドの上で実際に腕をシュッッとやった拍子に肘が私の身体にヒットしそのまま床に転げ落ちたいし「あ、ごめんどいてて」って目も合わさず言われたいし「酷い!」って返したら、「ごめんねー痛かったねーよしよし(棒)」って感情のこもってない声で撫でてくれたのに萌えたい。

 

アイスショーを観に行ったら羽生くんと目が合うんだけどわざと私の四席くらい隣に外して投げキスして欲しいし、終わったあと「なんでなんでなんで」って肩を掴んで首をガクガクしたいし、しばらくは「うるせーなー」って顔をするんだけど目を逸らしながら小さく「別に○○ちゃんには"投げ"なくていいでしょ」とか言って欲しい。

 

2017年6月19日(月)22:32

日本に滞在している羽生くんとディズニーに行って「見てみてープーさんの耳だよ!つけて!!」って言い終わる前に「嫌だ」って即答で断られたいし「新潟ではつけてたじゃん!」と食い下がったら「僕がそんなのつけたら目立ってしょうがないでしょ」と返され「あっ…ハイソウッスネ…」と論破されたい。 

 

二人で外食に行った帰りに「コンビニ寄っていい? アイス食べたい」と羽生くんが言い、羽生くんはアイスケースの前で、食後のハーゲンダッツを何味にするか熟考するんだけど、最終的にパッと閃いたように、両方を持ちながら「僕がストロベリー味買うから○○ちゃんはキャラメル味買って、はんぶんこしよ」とか言い出して、

(いや、別に私はアイスいらんし…ってかそれは多分、「相手が」何味にするか悩んでる時に言う台詞だし…)と内心思いつつも、笑顔でハーゲンを持つ羽生くんの愛らしさに、「うん♡両方買ったげるね♥♥」って光速で財布を取りだしレジに向かいたい。

 

2017年6月19日(月)23:29

約2メートルの距離にいるのに、漫画を読んでる羽生くんを双眼鏡でガン見し続けたいし、突っ込み待ちの私と面倒だから絶対に突っ込みたくない羽生くんとの無言の戦いになるんだけど、最終的に根負けした羽生くんに「うるさい」って枕を投げつけられたいし「何も喋ってないのに」と返したら「存在がうるさい」って言われたい。

 

羽生くんに流行ってる新しいゲームを教えて対戦したら初めは私が勝ってしまい、負けず嫌いの羽生くんはむっちゃ不機嫌になるんだけど、また後日改めて対戦したら、今度は羽生くんが強くなっていて「凄いね!」と言ったらそれはそれで「すぐ勝つのもつまんない!」って怒り出す理不尽さを持って欲しいし、「○○ちゃんももっと練習して!!もっと、勝つか負けるか分かんないくらいの強さでやって!!」とか子どもみたいなことを言い出して、普段うざいとか気持ち悪いとか鬱陶しいとか言うのは羽生くん側だがそのときばかりは私が「うわーめんどくせー」って言いたい。

 

 2017年6月19日(月)23:09

水族館で、周りの小さい子たちに釣られてうっかり「ねーこれ見てママ」って言ってしまった羽生くんにひとしきり爆笑したあと、ことあるごとに散々「ママ疲れたからジュース飲んでいい?」「ゆづくんママの後ついてきてる?」とかいじり倒しまくりたいし、「僕のお母さんはあんたみたいなしょーもない人じゃない」って怒られたい。

 

f:id:syosenningen:20170621215326j:plain

 

ちなみにこれは、18日あまりに新潟に早く着きすぎたので、私が一人で行ったマリンピア日本海の画像なんですけど、周りが見事に「ママーこれ見てー」「パパ来てみてー」ってほんとに言ってる小さい子ばっかで堪えました。

この年になると、周りがカップルばかりより、周りがファミリーばかりの方がダメージが大きいというか肩身が狭いことが分かった。

「いい年して、子ども(だけ)が喜ぶような場所に一人で来てる私とは…?」というのと、下手をすると不審者だからだ。

 

というのはさておき、ここからが本題なんだけど(これまでのは?)、上記の妄想において、私は羽生くんの「日本での愛人」という設定である(結婚していないのに愛人とはこれ如何に?)

何故かというと、いざ「羽生結弦との結婚」を現実的に妄想した場合(完全に破綻した文章)、そもそも羽生結弦との結婚というワードが全く以て現実的じゃないんだけどっていうのは重々承知しているのでこの先一切突っ込まないで欲しいのだが、

 

例えば、「城を抜け出した羽生くんがベンチでウトウトしてしまったのを介抱した」とか、「道端で助けたお婆さんが羽生くんの祖母だった」とか「周りがキャーキャー言ってる中、一人だけ興味のない顔をしている私を見た羽生くんが「お前、面白いな」以下跡部様」とか、なんかそんな感じの何かで結婚したとして、果たして、私の貧困な妄想力では、「その先の幸せな未来」が全く想像できん。

というのは、「いくら羽生くんと結婚しようが、別に私がいきなりオードリー・ヘップバーンになるわけではない」という限界ゆえである。

シンデレラというのは、はなっから美人で気立ての優しい娘(=王子と結婚すべき素晴らしい女性)だったのであって、決してガラスの靴を履いたからそうなったわけではないという話だ。

 

こっからの妄想は完全に冗談で書いているんだけど(※頭の湧いた人だと思われないためのしつこい保険)

 

例えば、羽生くんはトロントに住んでいるので、結婚すれば当然カナダに行くことになるだろう。

しかし、私の英語の偏差値は42なのでまず語学力という壁がある。

英語も喋れないので、当然、海外で働けるわけはなく、すると妻の役割として「夫のアスリート生活を支える」必要が生じるのだろうが、羽生くんには既に、生まれたときから彼を支え続けている「お母さん」という大きな存在がいる。ただでさえ、勤務中5分に1回「雑」or「もっと気をきかせろ」と怒られているような全くサポート業に向いていない私が、お母さんに勝つことができるか? 否である。嫁姑戦争にもならない。

ついでに私は、一人暮らし歴6年半にも関わらず、未だに料理や掃除などの家事は一切できない。卵焼きすら作れるか怪しい。

里田まい知名度や容姿をもってさえ、あんなに素晴らしい料理を作らなければ、「マー君の愛妻」として世間に認めてもらえないのに、里田まいを1万回殴った顔をしている私が許される理由があるだろうか?

この時点で既に、「愛想をつかされ二秒で追い出される」ENDである。

愛想をつかされ追い出されるENDを迎えないためには、勤務中5分に1回は「雑」or「もっと気をきかせろ」と怒られるような性根を叩き直し家庭にいてさえ気を張り続けねばならないだろうが、そもそもが、私は別にわざと雑にしているわけではなくて、「何で雑って言われてるかよく分からない」レベルで雑な人間なのである。神経質な人とはもはや基準が違うのだ。よって、いつ怒られるか常にビクビクする羽目になるだろう。

そして、追い出されるENDを迎えてしまった場合、日本に戻らないといけないことになる。既に日本での仕事は辞めてしまっているはずなので、再就職活動を行わねばならないだろう。「羽生結弦の妻」は職歴になるだろうか…!?

 

既にもはや不幸しか見えないが、マゾヒズム心を存分に発揮してもう少し考えてみると、ほかにも、

もしパパラッチ盗撮その他で、「羽生結弦の妻(一般女性・24歳)」として顔面が世間に出てしまった場合、「なんでこんなブスと」「何このデブスwwwww」と国民総叩きにあい、「羽生くんの妻の顔wwwwwwww」みたいなスレが乱立する恐れがあるし、

それはまあともかく、羽生くんはおそらく、沢山の人びとと会う機会が多いのだろうけど、何らかのパーティや偉い人達との会合に、「妻」として出席した場合にも、「何だこのちんちくりんは?」と羽生くんに恥をかかせるであろう。

しかも、初対面の人には(何なら別に初対面の人でなくても)「あ…」「ハイ…」以外の言葉を発することが出来ないハイパーコミュ障なので完全に詰んでいる。

 

というあたりまで考えたところで、これらのおそるべき低スペックの数々、別に結婚云々以前に、普通に人間として人生が詰んでいることに気が付いた。

 

 

ー終 了ー

 

 

しかし、逆に考えるとだよ。(逆もクソもあるかボケ)

逆に考えると、これは、「羽生くんと婚約が決まった準備期間」という妄想脳内設定を頭に組み込むことで、英語の勉強、社交力や家事力の向上、ダイエット等にやる気が出て、少しはマシな人間になれるチャンスかもしれないのではないか!?

その前に黄色い救急車に運ばれる可能性の方が大きそうだが。

美術館BL

美術館ナンパを勧める炎上記事からインスピレーションを得た美術館BLを書きました!!

因みに私は絵画にはまったく無知なので画家名とかは架空です!!

news.nicovideo.jp

 

 「お父さんさ、分かんないなら無理しなくていいから。つーか、美術館でベラベラ喋んないでよ…もう帰れば?」

 絵美はうんざりした顔で私の話を遮ると、こっからは別行動で、と有無を言わせない足取りで何か湖畔のようなものが描かれた絵の方向へ去っていった。もちろん、いくら私だって途中から、付け焼刃丸出しの話に彼女が苛々し始めているなというのは気付き始めていたけれども、およそ5年ぶりに会った娘との間を持たせるには話し続けるしかなかったのだったし、話題も娘の好きな絵の話くらいしか思い浮かばなかった。私と娘の唯一の共通知識といったら妻くらいだけれども、その妻だって2年前に家を出ていってしまった。

 一週間前、東京で働いている娘から週末に帰省すると連絡があったとき、いよいよ結婚の報告でもしてくれるのだろうかとぬか喜びをしたものだけれど、そうではなく、「ナントカ展が近くで開催されるから」ということだった。先に東京でやっていたけれども、その時は忙しくて行けなかったのだという。電話口で話す娘の口調に、直接口には出さないにせよ「どうせ(田舎者の)お父さんは分からないだろうけど」と私を小馬鹿にした態度が見てとれた(いや電話なので見てはいないが)ので、お前だって田舎出身のくせに、誰が東京の大学に行かせてやったと思ってるんだと内心噴き上がったが確かにそのナントカが何なのかは全然見当もつかなかった。

 なので、本屋で検索機にかけて出てきた本を購入した程度の一夜漬け知識を頭に詰め込んだのは、娘との話題が特に見つからなさそうだという懸念もあったが、俺だってその程度の教養はあるのだという見栄の方が大きかったのかもしれない。

 しかし絵美にはそんな父親の思惑などお見通しのようで、とうとう別行動を宣言されてしまったのだった。「あと、それ俗説ってか都市伝説で1997年の論文でとっくに否定されてるやつだから」という言葉を残して。

 

 置いてけぼりを食らってから、しばらく一人でギャラリーをぶらぶらしていたものの、やっぱり私には絵を見て何が楽しいのかはよく分からなかった。もちろん上手いなあとかこんな細かい絵よくかけるなあとは感心するけども、それ以上でもそれ以下でもない。車や野球は動くし変化があるから面白いけども、絵は動かないし。早々に展示室を出て、ロビーへと戻る。どこか腰掛けるところはと探したが、休日なのもありどの椅子も満員のようだった。

 このまま娘を待つべきか、もう帰れと言われたくらいなのだから、さっさと帰ってしまおうかーー

 と、その時、斜め後ろの方から

「もう嫌!!!」

と、美術館内でどうにか黙認されそうな限度ギリギリくらいの大きさで叫ぶ女の声が聞こえた。その声に、私だけでなく近くにいた人々が何事かと目を向ける。見ると、早足に外への出口へと向かう若い女性を、男がおろおろしながら追いかけている。

「待ち時間も超長いし、人多いからよく見えないし、おまけにあんたが絵見てる時間も長いし!!! もー我慢できない!」

 女はまくし立て続けながら歩く。ああ、遊園地とかでよくあるやつだな、と私は苦笑してその男女から視線を外す。むかし、まだ絵美が小さかったとき、よかれと思って遊園地に連れていったらあんな感じでもう帰ると騒がれたことがあった。あのときはあまり忍耐のない子供だったのに、いつのまにこんな絵をみていつまでもじっと出来るような人間になったのだろうーー嬉しいような、哀しいような気分になる。

と、後ろから、ガツンと人が勢いよくぶつかる感覚。すみません!と、謝りながら男はバランスを崩して膝を床に落としてしまう。女性を追いかけていた男の方であった。

 しかし、何故か男はそのまま女を追わず何かを探している様子だったので、私もつられて周りをきょろきょろ視線を動かすとーーああ眼鏡を落としたのかーー拾って手渡した時には、既に女性は美術館の外であった。

 すみませんでした、と立ち上がった男はもう一度言い、はあーーと長い溜息を吐いた。

「いいんですか追いかけなくて?」

 余計なお世話かと思ったが思わず訊ねてしまう。

「…もういいんです、彼女が楽しくなかったことに気がつかなった僕が悪いんです」

と気まずそうに眼鏡のブリッジ部分を触る男をよく見ると、背丈もあって鼻筋もしゅっとした中々の美青年であった。年の頃は娘と同じか少し年下くらいだろうか。

「……私と逆ですね」

 青年は怪訝な顔をしてこちらを見る。

「私はねえ、娘から、興味ないなら帰ればって突き放されましたよ。あなたは、同行者が帰ってしまって、私は同行者に帰れって言われて、ははは」

 なんとなく変な連帯感のようなものを感じてそんなことを言う。若干の下心ーーもしかして、わが娘と気が合うのではーーみたいな目論見もないでもなかった。周りの同年代の同僚や友人がどんどん、今度息子が結婚することになってねとか孫が生まれたとか、お嫁さんがね、などと楽しげに話すのをそろそろ普通の気持ちでは聞き流せなくなっていたのだった。

「あなたの同行者が、私の娘だったら良かったかもしれませんね。趣味が合ってーー今日は娘の趣味で来たのでまあ、私にはよく分からないけども、グザヴィエだとかアルモド…」

「へええ、渋い」

「なんとか話を合わせようと、付け焼刃の知識を総動員したけど、それ論文で否定されてるとか両断されましたよ」

「ははは、凄いですね」

 むかし、いきなり知らない人に話しかけないでよ恥ずかしいから、年寄りっぽい。と怒られたことがあったのを思い出したが、青年が少し食いついてくれているというのが分かったので、調子に乗って喋ってしまう。第一、私はもうそろそろ実際年寄りの範疇でいいはずであるし。

「ほんとにねえ、画集とか出すような出版社に勤めてるくせに、更に週末は美術館…絵を見るために海外まで行ったとか言うくらいで…もうすぐ30になるのに結婚もしないでそんなことばっか」

「素敵じゃないですか、好きなことがあってそれを楽しめる体力や財力があって、素敵なことです…あ」

 青年と同じ方向に目を向けると、ロビーの椅子が空いたのが見えた。立ち話もなんですから、と彼は私を椅子に座らせてくれる。

 ーー素敵じゃないですか。

 私は心の中で、先程の青年と同じ台詞をひとりごちた。老人にーー自分に老人という単語を当てはめたくはあまりないのだがーー老人に対する気遣いもあるし、生意気な娘だけれどやはり他人から自分の子を褒めてもらうのは気分が良い。こんな青年が自分の義理の息子になったら少しは人生に華やぎがでるかもしれない…我が思考はますます飛躍しプレゼンにも拍車がかかる。

「でも、寂しくないのかねえ、いつまでもどこでも一人で、そんな…」

「…え」

 それまで比較的和やかな表情をしていた青年の顔が、すこし、曇ったような気がした。あ、しまった、と私は思う。さすがにこれは、意図が露骨過ぎただろうか。どうにか取り繕おうと言葉を探す。青年の方も、次の言葉を紡ぎだそうとするように口を少しもごもごする。

「ーーあなたは、あなたが寂しいんですね」

「……え?」今度は私が聞き返す番であった。

「娘さんの人生から自分の居場所が無くなっていくみたいで」

「………」

「あ、いや、知ったような口きいて、すみません…」

 私の沈黙を怒りと捉えたのか、青年はそう謝ると斜め下の方へ俯く。

「いや……そうなのかもしれませんね……かっこ悪いけども…娘に構って貰いたくて、認めて欲しくて興味もない絵の本なんか読んだりまでして…自分が知らない楽しいことを娘はどんどん知っていく分、自分のことなんかどうでもよくなっていくのが、寂しいんだろうか、ね」

「……でも、僕は…僕は娘さんが羨ましいですよ。そうやって話を合わせようとしてくれる人がいて……僕はことごとく、意味わかんないって逃げられますから」

 おいてけぼりの男二人はそうして顔を見合わせて笑った。どうです、この辺りにーーそんな言葉がごく自然に口をついて出た。美味しい肉を出す店があるんです。良かったら私にあなたが知っている絵のお話を教えてください。

 しかし、青年は微笑んで首を振る。

「せっかくですけど、娘さんがいるんでしょう。置いて帰っちゃあ…」

「ーーいいんですよ、私なんか娘には邪魔なだけなんですから」

「……放浪の画家アルモドはですね」青年は突然そんなことを言い始める。

「ある時期ーー奥さんが若くして亡くなってからしばらく経った以降の絵には、全部自分の自画像をどこかに入れてるんですよね、ほらこれとか」

「……はあ」

 青年は持っていたパンフレットの表紙を指差す。指先を見ると、背景として小さく描かれている農夫。私の訝しげな顔を青年は全く気にしていないようだった。この調子で女の子にも絵の話を喋っているのかもしれない。

ウォーリーを探せみたいで面白いんですけどーーもっと面白いのは、近くに小さく書かれた文字がアナグラムになってるんですね、このパンフレットの絵じゃよく見えないんですが、これだと農夫が持ってる斧に刻まれた字ーー入れ替えると、アルジャントゥイユーーで何ヵ月か後、彼はアルジャントゥイユに住むんですね」

「何のためにそんな?」

「このウォーリーを探せ状態を発見したのは、フランスの研究者バルトなんですけど、バルトは、「実際に探して欲しかったんじゃないか」って言ってるんですよね」

「探して欲しかった?」

「アルモドには放浪癖があって、息子や娘もまだいるのに、制作に煮詰まると家を出ちゃうんですねーーでも実は、ちゃんとどこに行くかって前以て予告はしてたんですよ、絵の中で。だから俺を探してくれよ、というメッセージなんです。

ただ、彼が死ぬまで家族は誰も一回もそのメッセージに気付いてなかった、とされています。見つけてくれないのでそのうち彼は自分で帰るんです。で、また同じ試みを…」

「ーー面倒な人ですねえ、構ってちゃん?っていうのかな。そんな回りくどいことーー」

「そうなんですけどねえ」

 そう言ってから私は、自分の言葉にはっとした。青年が何故今こんな話をしたのかを悟った。私も、その画家と似たようなものだーー家族に直接的なコミュニケーションをとるのが何となく気恥ずかしくて、変な回りくどい方法をとり、そして余計に疎ましがられ……

「いやいや、面白かった」

 私はしかし、青年の意図に気づいたことを青年に"気付かれたくなくて"、わざとらしいほど鷹揚な態度で言った。若人の前で素直になるには年を取りすぎてしまった。それでも彼にはきっとお見通しだったかもしれない。それでも今日くらいは、東京の話を君の話を聞かせてくれと娘に言ってみてもいいかもしれないせめて一年に一回くらいは顔を見せてほしいと頼んでみてもいいかもしれない。

「今日は君のお陰で楽しかったし絵に興味も出てきましたよ。良かったら、また会ってくれませんか」

 私は胸ポケットからメモ帳を取り出すと、切れはしに自分の電話番号を書いて渡した。たぶん電話はかかってこないだろう。それでもいい。私はこれからきっと美術館に足を運ぶのだろうし、そうしていれば彼にもまた会えるかもしれない。57歳になって明日のこの先がこれほど楽しみになるとは思わなかった。

 

 

 ようやく美術館を出てきた娘を捕まえると、私は早速今日会った青年と青年が話してくれた話をする。

 娘は珍しく、しかし含みのある笑顔を見せると、

「その説はそれはそれで面白いんだけど、実は近年、彼の日記が見つかったことから分かった新説もあってね」

「新説?」

「アルモドには男の恋人がいたらしいのね、元弟子のーーもちろん世間的には秘密にしておかなきゃなんだけど…だから、あれは恋人に次の逢い引きの場所を伝えてたんだ、という…」

「なんだそれは」

「ロマンチックでしょう?」 

 

 

5月読んだ中で面白かったおすすめBL漫画6選・記録用(2017年5月)

食べログにレビュー書く一部のおっさんって、何でいちいち、(自分はどういう食物が好きで云々みたいな)自己紹介とか、そのレストランに入るまでの用事や過程とかを無駄に詳細に書くの??? 俺は食べ物の感想が聞きたいんだよ!! てめーの自己紹介はどうでもいいっつの!!!」

 

とか常日頃思っているけれど、自分も本や映画の感想を書くとき完全に同じことやっているな、と気付いた今日この頃です。

 

ということで前置きは省きます。(これ自体が既に前置きなのではという気も…)

 5月は割と様々なジャンル(ジャンルって全部BLだろうが)の作品に出会えたのではないかと思い、それぞれ、【エロ】【ギャグ】【ファンタジー】【ニアホモ】【シリアス】【ほのぼの】と付けております。

 

 

『もみチュパ雄っぱぶ♂タイム』/イクヤス (フロンティアワークス) 【エロ】

 

f:id:syosenningen:20170606210854j:plain

 

renta.papy.co.jp

 

『ガチイキ挑発ナイト』の時も思ったけど、イクヤス先生、

タイトルの語呂があまりにも、あまりにも良すぎる…ッッ

 

2017年『声に出して読みたいBL漫画タイトル』ナンバーワンかな?????

 

というのはさておき、さておきっていうかこんな良すぎるタイトル付けられた時点で既に勝利は手にされたもんだと思うけどひとまずさておき、5月に読んだ中で個人的に「ヌきBL」として最高峰だと思いました。

 BLを読むテンションって大雑把に2種類あって、すなわち、

「オトコ同士の深い関係性の物語(ドラマ)が読みたい…」という時と、

「エロい漫画が読みたい」っつー時である。

 

この「エロい漫画が読みたい」というのはしかし難しく、ただひたすらあんあんヤっていればいいという問題でもない。肝心なのはエロにいたるまでのそしてエロ中の緩急(?)である。

のだが、緩急の緩部分が長すぎても駄目というか、こればかりは、肉まん食べたい気分の時にいざ一口食べてみたらあんマンだったらめちゃくちゃテンション下がるのと同じで、エロ本が読みたいのに、いつまでもいつまでーーーも、

(俺…あいつのこと好きなのかな…)とか(男同士なのに…)とかウダウダウダウダやられちゃあ、いいからはよヤレよ!!!どーせくっ付くんだからしょーもないことでいちいち葛藤すんな!!!!と苛々したりするのだ。

 

(そのくせ、ストーリー漫画が読みたいモードの時だと、あんまりすぐくっつくと、「薄っぺらい話!」とか文句つけたりする。読者の感想なんてのはその程度の勝手なもんであるから相手にしない方がよい)

 

というわけで、この緩急バランスと、攻め方、受けの感じ度合い、魅せ方…色々の条件…が揃った「エロい」BLこそが、「ヌきBL」です。

「雄っぱぶタイム」とタイトルにあるように、お金に困っている主人公がひょんなことから「男性向けおっぱいパブ」で働くことになり…という内容なのだが、

 個人的に、元々「乳首攻め」ジャンルが好きなのもあるが、

最近ジョジョ二部の「ジョジョ×シーザー」にときめいたのと、「マグニフィセントセブン」のクリプラにずきゅんとやられて以来、「ガチムチ筋肉受け」ジャンルに目覚めつつあるので、イクヤス先生の描くガチムチ気味エロは、いい…いいよ!!

 

 

f:id:syosenningen:20170610222502j:plain

 

クリプラ、ガーディアンズオブギャラクシーを観た時はそんなに何とも思わなかったが、腕とか太腿がムチっとしているのがエロくていい。

クリプラの話になってないか?

 

 

『VIVA LA VIDA!!』/あびるあびい (東京漫画社) 【ギャグ】

 

(既刊もだけど)表紙が…オシャレ…! オシャレだな!!!

 

表紙はPOPな色使いで、中の漫画の絵柄は何となく松本大洋を彷彿させるけども、

サブカル漫画にありがちなポエミー雰囲気漫画でも主人公らが無闇にひねくれて面倒な感じでも浅野いにお漫画に出てくるようなあざとい感じでもなく、

【ギャグ】って書いたとおり、主要登場人物たちは、割と気持ちのいいほど真っ直ぐだったりして、表紙から受ける印象とは裏腹に思いのほか全体の雰囲気としては結構ハイテンションである。

まァ、脇の人物の造型とか、こういうの面白いやろ??面白いやろ??みたいなあざとさは無きにしもあらずでその辺鼻につく人は鼻につきそうだけれども、

しかし、そのハイテンションぶりと、BL漫画にあるまじき変顔のオンパレードに負けていちいち笑ってしまう。

何故か時々楳図かずおみたいなのが入るし…

 

f:id:syosenningen:20170606222830j:plain

 

 

f:id:syosenningen:20170606222930j:plain

 

 

f:id:syosenningen:20170606223129j:plain

 

f:id:syosenningen:20170606223152j:plain

 

とはいえ、その独特な画風とかややぶっ飛んでいる個性的な登場人物とは裏腹に、物語展開としては、「普通のBL」なのがいいですね。

「普通のBL」というのは、ありふれた陳腐なBLというマイナスな意味ではなくて、様々な友人、仲間たちとワイワイする飲み会、アルバイト、アパートの隣人、男の子たちが生活している日常の中である人と出会い、交流が深まり、ふとした瞬間に見せるギャップに心が動かされ、己の嫉妬心のようなものに気付き、彼が特別な存在になっていることを悟る…私たちの生活にある普遍的な恋愛を無理なく描いたBLというか

(お前の生活には恋愛はねーだろ?っていうのはともかく…)

 

そういう、生活の中にある普遍的な「普通の恋愛」を描くには、おそらく日常パートにもページを多少割く必要があって

このバランス――「攻めと受けの存在或いは攻め(受け)にとっての受け(攻め)が(物語の中で)特別でなければならない」というBL漫画がBLたる条件と、「世界に攻めと受けしかおらんのか?」「攻め受け以外の人物が使い捨てのモブ」みたいな、血の通っていない物語「ではない」ーー間のバランスを取らねばならず、そんなに成功している作品って少ないのだが(日高ショーコ先生とかはこのバランスが上手い)、

あびるあびい先生も、凄く、「普通のBL」が描ける人なんじゃないでしょうか。とこれを読んで思った。

 

 

 

『その世のどこか、地図にない国』/鯛野ニッケ (ジュリアンパブリッシング) 【ファンタジー】

 

ボーイズラブっていうのは基本、「主人公(受けor攻め)と、主人公が出会う男(攻めor受け)が最終的にくっつく、或いはくっつくまではいかずとも惹かれあう」物語で、それが安心感でもあり、退屈でもあるわけである。

何だかんだいって好きになるんでしょ? 結ばれるんでしょっていうのが読者は最初から分かりきっているからだ。

 

しかし、その意味でこの「その世のどこか、地図にない国」っていうのは割と珍しいBLっていうか、主人公を含めて3人ほど主要な登場人物が出てくるのだけれど、終盤になるまで誰と誰がどのような形(どのような攻め受けで)結ばれるのか、読めなかったりする。(彩景でりこのみたいに3人でカップル←トリプル?になるというわけでもなく)

 

物語の導入としては、冒険好きの主人公が、どこの国とも一切交流を持たない秘境である謎の小国に侵入し、そこで、かつてはその国の王族だった貴族の子どもと彼に付き従う美しい従者と出会う

そんな中で、国内に蔓延する風土病、風土病の治療として交わされる「キス」の風習、病を持った主人(子ども)に治療の「キス」をした後、熱く昂る従者の姿を目にし…

みたいな感じなのだが、一見、「BLのための(深くは突っ込まない)トンデモファンタジー」のようでいて、

意外とちゃんと伏線等が回収されていたり理由等が説明されていたり、「風土病」「←とその解決」が物語の大きな軸と「主人公が主人公である理由」になっているので読みごたえあり。

 

(まあ「だってまおうさまは彼が嫌い」の山田二丁目先生みたいに「BLのためのトンデモファンタジー」を芸に昇華できるのもそれはそれで才能なのだが…)

 

更に主人公が…っていうと一番面白いポイントがネタバレになるから読んで欲しいんだけど、個人的にはどんどんこういう、最初のうちは誰と誰がどういう関係になるか分からないBL作品増えてもいいと思う。

主人公のキャラクター造形も良くて、冒険好きで物怖じせず、コミュ強気味でノリは軽いんだけど決める時は決める、雰囲気でいうと、「花は咲くか」の藤本が主人公みたいな感じですけど(ネタバレじゃねーか)、主人公が軽めのキャラクターのおかげで、恋愛を巡る後の展開にも読者は(主人公に感情移入・同一視するあまり)深刻なダメージを負う、ということがさほどない(ネタバレじゃねーか)のもうまいなあ

 

 

『ストレンジ』/つゆきゆるこ (リイド社) 【ニアホモ】

 

まあ厳密にはBLじゃないんですけど、男性同士の出会いや関係や交流を描いた短編集なのでニアホモ枠に入れてもいいことにしよう、吉祥寺のジュンク堂では完全にBL棚に置かれてたし…

短編のオムニバス形式で、

 

・男子高校生が、女装バーで働くゴツいゲイの男性と出会う話

・オンラインゲームを通じて仲良くなっていく、ヤンキー気味の高校生とドンくさい眼鏡の同級生

・娘の結婚を控え落ち込むおじさんが、渡航先のハワイで、ガイドを名乗る明るい青年に連れ回される話

・それぞれ別の意味でクラスで浮いている、優等生の少年と問題児の少年が友達になり喧嘩をしまた友達になる話

・動物仲間として仲良くなっていく、高校教師と生徒

・生意気な中学生の甥を預かることになりあたふたする伯父

 

6組12人の男たちの物語が描かれている。

彼は、彼に出会ったことで、出会う前とは少しずつ何かー世界の見え方、世界の捉え方ーーが、変わっていくのである。

 

私はこういう、友情以上恋愛未満ーーというより、「友情」とも「恋愛」とも規定できない関係性(男同士に限らず)を描いた作品に弱い。この世には、友情でも恋愛でもないのに互いが特別な存在である関係というのが確かにあってしかし、にも関わらずその絆を呼称するための名前はまだ無いような気がしている。(ブロマンスっていうのもまた違って)

なので、そんな名前のない関係がぶわあっと心に浮き上がってくるような物語に弱くそれこそが、ドラマ性ってやつだよなあと思う。

 

ということで、所謂BLでは無いしBLでは無いのが良さだとは思うのだが、個人的には、

「PRETTY!」(動物仲間として仲良くなっていく、高校教師と生徒の話)で、先生が他の生徒とも動物の話をしていたのを見たあとの、ヤンキー気味の高校生の台詞

 

「…なんつかすげーダサいんですけど 先生はそういうの秘密にしてるんだと思ってたんですよね。…まあそうだと嬉しかったと言イマスカ」

 

「…どういうことですか」

 

「国語の先生ならわかってよ」

 

この「国語の先生ならわかってよ」に最高に萌えた!!!

自分だけが先生の好きなものを知っている自分だけが特別な関係だと思っていた生徒の独占欲、嫉妬心みたいな、言葉で説明すると野暮になるような感情を、

「国語の先生ならわかってよ」でまとめるーー読者側に呈示する手法、しびれるねえ。

 

 

にいちゃん/はらだ (プランタン出版) 【シリアス】

 

みんな大好き(或いは大嫌い)はらだ先生のこれまためっちゃ賛否両論、波紋を起こしそうなアレ。

これをBLと称していいのかは微妙で、

「小学生(主人公)が、近所のお兄ちゃんにレイプされそうになる」

ところから始まる、半分っつーか8割方犯罪っす。犯罪です。

成長しても高校生だしな…

まあ流石に読ませるというか面白いし、あとはらだ先生って、コマ割が独特でいいのだが…

(普通漫画のコマ割って、縦に三分割、横に二分割を基本形にしつつ絵によって小さくしたり増やしたり見せ場を大きくしたりするのだが、変形パターンとして、すごい細かく割ったコマの中に身体の部分を大きく拡大した絵を入れたものを続けて、何が起きているのかを想像させる風にしたり、絵のコマとコマの間に黒地のモノローグコマを入れて読む人のテンポ感を支配したりして、こんなコマ割よく思いつくな~と感心してしまう)

 

 

ところで、このところエロ本やBL本出している版元では、「東京オリンピックが近いですからねー」というのが半ば口癖みたいになっていて、諸外国の目を気にしてなのか、所謂、都条例ーー東京都青少年の健全な育成に関する条例による締め付け・検閲が厳しくなっているとの噂、ゆえに出版社はいつ都条例に引っかかって出版停止や回収騒ぎになるかビクビクしているわけです。

 

この都条例って何なのかっていうと何年か前、一時期オタク達の間で騒ぎになっていたから知っていると思うけど、

 

第7条(図書類等の販売及び興行の自主規制) 

図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催するもの及び興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当するものと認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は閲覧させないように努めなければならない。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの。

二 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの。

 

これですね。

なので、13歳未満への性行為は強姦罪なので、「刑罰法規に触れる性交」って事になりそうだし、大人が18歳未満に手を出すのもモノによってはアウトかもしらんけれど、一概にショタは駄目ってことでもなく、「不当に賛美し又は誇張~」しているのが駄目なのであって正直この辺の基準は曖昧である。

だから出版社側も、「高校生が主人公の場合、挿入は…」みたいな自主規制で対応しているような状況なのだけれど、だから正直これ、

 

編集者、よく出したな…!

 

という感じですよ。私なんかは、

(早く買わないと青少年ナントカの犬に見つかって回収されるのでは…)

と慌てて買いに走ったくらいです。というのは誇張表現で買ったのは5月に入ってからだが、しかし、そのうち回収されるのでは…と思ったのは事実である。

 

法や規制や或いは世間の風潮っていうのは恐ろしいもんで、ディストピアを描いた傑作「1984」では、

 

「自白は裏切りじゃない。何を言おうと何をしようと、それは問題にならない。感情が問題なんだ。かれらの手によって君に対するぼくの愛が消えるようなことがあれば、それこそが裏切りというものだろう」
(中略)
「かれらにそんなことができるはずないわ。さすがにそれだけはかれらにもできっこない。どんなことでも――あることないこと何でも――言わせることはできるわ。でも信じさせることはできない。人の心のなかにまで入り込めはしないもの」
(中略)
「かれらも人の心のなかにまでは入りこめない。もし人間らしさを失わずにいることは、たとえ何の結果を生み出さなくとも、それだけの価値があると本気で感じられるならば、かれらを打ち負かしたことになる」

 

っていうやりとりがあるのだけれど、しかし、『国家の体制に疑問を抱いていた主人公は、とうとう思想警察に捕まり、尋問と拷問を受ける中、最後には、心から、党と当の支配者を、「愛するように」なる。

法や慣習や世間一般に信じられる倫理その他というのは、構成員の「思考の枠組み」みたいなのを形作っていく、と言いますか、

 

何が言いたいかというと、ということで最近の私は、「確かに実際にやれば犯罪だけど思想の自由が保障されている限り頭の中で考える分には自由だろ」 というのも一方で真とは思いつつも、妄想や頭の中でのBLストーリーがことごとくもう一方の自分ーー(これはレイプでは?)(これは倫理的にNGでは?)(未成年に大人が手を出すのは…) に邪魔されたりする。

端的に言うと、妄想の中でさえ、ショタやロリやレイプ物が大好きで興奮する自分と、条例・学習・知識その他に形作られつつある倫理的自己が葛藤し最近では後者の方が勝ちつつあるのであるが、

 

しかしそんな私でも、意外と「にいちゃん」の読後感は悪くなかった。

 

小さい頃に、近所に住む青年にレイプされかけた主人公ゆいは、しかしその後も、青年ーー「にいちゃん」を忘れられず彼を探し求める中で、再会することができる。

再会後、あの時逃げられた復讐とばかりに、性交中の写真撮影の強要その他凄惨なプレイを要求されるゆいは、大好きなにいちゃんに求められているのが嬉しい一方で、彼はもう自分のことが好きではないのだ、本当は昔みたいに可愛がられたい、愛されたいのにと思う。

そんな中、ある日ゆいは、「にいちゃん」もまた、かつて小さい頃に大人と性的関係を持ったことがあることを知る。そして、大人側が逮捕されることでその関係に終止符を打たれ、かつ「僕はおじさんと愛し合っていた」という言葉に誰も耳を貸さず異常者扱いされた過去があったために、そのはけ口を、自分も子どもと性的関係を持つことに求めた、ということも悟る。

しかし、自分をはけ口にしているということが分かったゆいは、ならば喜んで「代わり」になってあげようと、「おじさんの代わりに愛してあげる」と、今度は自分が「にいちゃん」を抱くことを決め…

 

というような、全体を通じて、

世間的に「祝福されない」もしくは、法的ないしは倫理的にNGである愛は、普通でない愛は、「本当の愛」ではないのか?

みたいなことを問うている内容である。

 

私自身は、いくら子ども側がOKといっていても、まだ判断のつかない幼い子と性的関係を結び、ゆえに、子ども側がその、快楽または、自分にはこの人しかいないという気持ち、或いは恐怖心の裏返し、等を、「愛」と錯覚してしまうことを、

「愛」と認め賛美して良い、っていう捉え方は非常に懐疑的というか考え方として無理(先程レイプ物が好きでショタコンと書いたが、あくまでレイプはレイプであって最終的にヤられたショタが「好きになっちゃった…」みたいな感じで終わるのは無理)なのだけれど、

 

しかし「読後感は悪くない」というのは、本作品では、でも、でも間違ってるんだよね、ってのを最後に暗示しているから。

という意味で、都条例に引っ掛かる条件である、「不当に賛美し」に該当するかは判断が分かれるというか、この作品が、ハッピーエンドと捉えるべきか、実は問題は解決していないバッドエンドと捉えるべきかというのも、ラストによって解釈が分かれるんじゃないか。

 

人によっては、「せっかく二人が愛を認め結ばれて終わったのに、あの描き下ろしがあったせいで後味が悪くなった」って人もいるようだけれど、

私としては、あれは「バッドエンド」寄りだと思うんだけど、バッドエンドだからこそ、後味が悪くなくなった。

逆に、自分も小さい頃同じようなことがあったからって、或いは相手側の「愛」という名によって、性的加害が許されて終わり、「これって愛だよね」みたいな感じのまままとめられた方が、ええ??と読後感の悪さを引きずってしまっていたと思う。

(その意味では、同じくらいの時期に発売された佐倉リコの「五月の花はまだ咲かない」の方が、最後に、母親が自分の再婚相手と息子(高校生)の関係を認めている分、後味がすげえ悪かった)

 

因みに蛇足なんだけど、先程、編集者これよく出したなと書いたが、

この前、文乃ゆき先生のtweetで知ったんだが、このCannaの編集担当って、

もうすぐ実写映画が公開になる傑作ボーイズラブ漫画、文乃ゆき先生「ひだまりが聴こえる」や、糸井のぞ「グレーとブルーのあいまで」、高津「おかえりオーレオール」、朝田ねむい「Loved Circus」…私が最近、プランタン出版の中で面白い!!!と思った作品全部ことごとく担当してる人なんすね…

凄い才能である…

 

 

『オーマイヒーロー!』/ココミ (ジュリアンパブリッシング) 【ほのぼの】

 

上のはらだ先生の作品のすぐ後に読んだせいで余計に心洗われたっつーか、日頃どちらかというと重めの話の方が好きな私だが、

なんか…ボーイズラブはこういうのでいいよもう…幸せハッピーほのぼので…辛いのは嫌だよ…

みたいな気分になった。。

ヒーローショーのアルバイトをしている青年が、ショーによく来てくれている父子とひょんなことから仲良くなり、そのうちお父さんに惹かれ、みたいなまあ王道の話でそんなに突飛な事も起きないのだが、とりあえず登場人物が皆可愛い

 

ココミ先生は、10月にも、下記の記事で紹介していて、この時はまだコミックスとして出ている本が1冊もなかったけれど、今年5月、この「オーマイヒーロー!」で満を持して単行本デビューである。

下の記事で、「短編BLのお手本みたい」とベタ褒めしていた「仰げば恋し」も収録されているので、「仰げば恋し」を読むためだけでも是非手に取って欲しい

っていうか「仰げば恋し」が超いいという理由だけでこの一冊を5月おすすめ漫画に入れたので!!!

 

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

突然小学5年生の作文みたいな哲学ポエム語り出すのマジやめろよー「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」

面白かった映画より、つまらなかった映画の話をする時の方が10倍くらい話が長いの、如何にも自分の人生の狭さを顕現しているようでマジ何とかしなきゃって思うんだけど、

5月21日は、新宿ピカデリーに篭もりっきりで「帝一の國」や皆大好き「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」も観たにも関わらず私はいま真っ先に「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の話をしたい。

 

eiga.com

 

ってつまりクソつまんなかったって事なんだけど、いやつまらない以前に、松田龍平とか池松壮亮とか出して2時間もかけて「何一つ内容やドラマがない」という驚きの空虚さなんだけど、

「都会の空虚」とか抜かす前に、映画の内容の空虚さをもっと心配した方がいいよ。

東京で、なんとなく人生に欠乏を抱えた男女が、BL漫画も真っ青の「偶然の再会」を駆使しまくり何度か遭遇するうちに恋愛なんだかよく分からない絆が生まれ、「恋愛すると人って凡庸になるのね」みたいな馬鹿げた禅問答を延々繰り広げてなんか松田龍平が突然死したりして低レベルの哲学ポエムを散々披露してなんだかくっついて終わる。

合間合間に、「震災」とか「自殺」とか「東京」とか「恋愛教」とか何となく出せば社会批判っぽくなりそうな、それっぽいワードを表面だけの薄っぺらーーーい陳腐な感じで出してきてダセえのなんの。

 

言葉遊びが達者な会話劇になってる「カルテット」的な感じならともかく、この映画での禅問答って全て、いやマジで「全て」、

パキスタン地震は報道しないのに、日本やロサンゼルスで震災が起こったら報道するでしょ?毎日人はどこかで死んでるのに」

レベルっすよ。陳腐にもほどがある。小学5年生の作文ですか?

 

あと便宜的に問答って書いちゃったけど別に全然問答はしてないんである。

登場人物がなんか突然上記のような小学5年生の作文みたいなことを言い出して、それに対して別の人物の反応は

「黙れ」か「何言ってんの?」か「知らない」

以上、である。

 

まあ確かに、村上春樹の世界でもあるまいし実際そんなこと突然喋りだす奴いたら「何言ってんの?」って返すだろうけどさ、そうだけどさ、

それにしても「何言ってんの?」で会話終わらせすぎっていうか会話を続ける気ZEROかよ?っていうか社交性の無い人物しかいねえのかこの街には!って感じでこの会話続ける気ZEROの人物しか出てこないことが、内容とドラマの無さ度に尚更拍車をかけている。

一昨年くらいに観に行った学生映画祭の作品のがまだ内容があった。

 

っつーか松田龍平殺すなよボケ!

 

というのは冗談として、しかしこればっかりは私が悪いんですよ。

だって予告からしてそんな感じしかしないし、そもそもお前、なんか雰囲気と哲学ポエム的禅問答で誤魔化すが内容に一切のドラマ性が無い、(単館系映画館で2週間くらい上映されていそうな)ショボ邦画いちばん嫌いじゃん?

観る前から絶対そんな感じって分かってたじゃん? なまじ有名俳優が出て石井裕也だから新宿ピカデリーでもやっちゃうけどさ。

 

観るなよ。

 

でも、思っていたより100倍くらい「そんな感じ」だったのでびっくりしたのでこうして書いている。

本気で、私が嫌いなタイプの映画の嫌いな部分を二時間煎じ詰めたみたいな映画だった。

驚くべきポイントとしては、普通「そんな感じ」の映画って、とは言っても映像は綺麗だったりするわけじゃないですか。映像の雰囲気で誤魔化したりするわけだから。山戸結希とか

それが、この映画ではそうじゃないんですよ。映像までダサいんですよ。びっくりですよ。

 

例えば、

女主人公の「飛行船は誰も見ていないのに飛んでいる」的なモノローグに合わせた映像で流れるのは、

「バス停で並んでいる人々が全員一心にスマホを眺めている」(主人公だけは見ていない)

今時、「皆スマホの画面ばかり見ている」みたいな風刺が「風刺」になると思っている時点でもうね、もうね…

ってのはさておき、これは実際に観てもらうことでしか分からないニュアンスなんだけど、この「スマホの画面を全員見ている」映像にしたって、撮る人が撮ったらもっと自然にかつ効果的に出来たはずなんだけど、これが壮絶に、なんていうかなあ、「そんなわけあるかいな」みたいな画なんである。

如何にも、「スマホを全員みている」映像を撮るために「スマホを全員見ました」感じの画、というか。異様なダサさが生じている。

 

「そんなわけあるかいな」ポイントで言えば、

女主人公は看護師という設定なので(その設定全然生かされてないけど)、病院では死に直面したりするのだけれど、

ある女の人が死んだときに、夫は哀しみで号泣しているが、息子二人はよく分かっていないのか運ばれていく母親の死体の隣で玩具でチャンバラごっこして遊んでるみたいな場面がある。

でもこの息子って、下はともかく上の子は少なくとも小学校2、3年生くらいに見えるのよ。

 

いやいやいやいや、わかるでしょ!!

流石にそれは子供舐めすぎだって!!

3歳くらいならともかくさあ。

 

私の祖父が死んだとき、私は小学校3年生で妹は保育園の年長だったが、妹も、ちゃんと死を理解して哀しみ泣いてましたよ。

勿論個人差っていうのはあるんだろうけど、5歳くらいであれば分かるって…。

わからなくても、大人が混乱したり哀しんでいる異様な雰囲気に呑まれれば、子どもはただ事じゃないと不安にはなるでしょ。

 

祖父が死んで15年くらい経つけど、倒れたという連絡が来たとき何をしていたか、蘇生のときの様子、医者が何を言っていたか、父親になかなか電話が繋がらず母親が焦っていたこと、いつもは私に対して当たりのキッつい母が「なんで電話繋がらないんだろうねえ、ねえ」と口調が優しくて人が死ぬと人は性格が一時的に変わるのかと思ったこと、

葬式で母が泣いていてびっくりしたこと、父が「まだ信じられない、今にもひょっこり帰ってきそうな気がする」と言ってたこと、棺桶に湯呑入れたらと言ったら、「燃えないものは入れられないから」と祖母に止められたこと、

等など、私は今でもはっきりと覚えている。

 

つまり、子どもにとっても身内が死ぬっていうのは、それほど強烈な体験として心に刻まれるわけで、あのくらいの年の子が、

「母の死体の隣で死んだことが分からず弟とチャンバラごっこしてる」

映像って、人が死ぬってことと、子どもをあまりにも馬鹿にし過ぎっつーか、一応、

「死」が一つの軸になっている(らしい)テーマの映画としてはお粗末なんじゃないかと思うのだよ。

 

リアリティはデティールにこそ宿るとはいったもので、

たとえ一瞬の細かいことではあっても、こういう「心に引っ掛かる(悪い意味で)」お粗末で適当な場面が出てくると、途端に作品が「駄作」として記憶に残っちゃうもんで、だからこそ些末にこそ気を配るべきっていうのをつくづくと実感した次第。

 

 

あと映像という観点で、私が一番「うわあああ…」ってなったのは、

さっき、“合間合間に、「震災」とか「自殺」とか「東京」とか「恋愛教」とか何となく出せば社会批判っぽくなりそうな、それっぽいワードを表面だけの薄っぺらーーーい陳腐な感じで出してきてダセえ”

って書いたけど、これね、ほんとにワードが文字になって空に浮かび上がるシーンがあるんですよ!!

 

文字が浮かびあがってカッコイイのは「SHERLOCK」だけだから!!

 

池松壮亮演じる男の方の主人公が、水道代等の請求書に溜息をついたあと部屋から夜空を眺める。

「水道代3000円」「ガス代2000円」「家賃65000円」…

みたいなモノローグと共に、↑の文字も文字として夜空に浮かび上がってくるわけ。

ってこれだけなら、息をするだけで毎月何万円も支払支払支払の待つ人生って世知辛いよねみたいな話なんですけど、

徐々に、「震災」とか「シリア内戦」とか合間合間に「社会派」っぽいワードが挟まれる。文字で。

っていうか公式サイトの予告文にあったわ。

 

「携帯、9,700円。ガス代、3,261円。電気、2,386円。家賃 65,000円、シリア、テロリズム
食費 25,000円、ガールズバー 18,000円、震災、トモユキが死んだ、イラクで56人死んだ、
薬害エイズ訴訟、制汗スプレー 750円、安保法案、少子高齢化......、会いたい」

 

ダッサ!!!!!!!

なんだそれ!!!!!

おまけにフォントまでダサい!!!!!

 

 

って私は語彙力が無いのでさっきから「ダサい」しか言ってないけど、この映画の好きになれなさっつーか、ピンと来なさは、やっぱりそこに集約されると思っていて、つまり言ってしまえば、この主人公たちが抱えるある種の空虚さっていうか、孤独感・虚無感みたいな雰囲気自体が、もう結構若者の持つ空気やリアリティとして「時代遅れ」だと思うんですよ。

 

原作(と言うべきなのか?)は、気鋭の若手詩人である最果タヒだし雰囲気や目的としては多分、「現代の若者の中でも特に感受性の強い若者」が捉える時代の気分、みたいなのを目指したかったんでしょうね、系映画だからこそ、

この絶望的な「時代遅れ」感は本当に救いようがない。時代遅れだったら意味ないもん。

 

何ていうかなあ、これ観て思ったのは私はつくづく、この映画だけに限らず

「この街では呼吸も上手くできない」

みたいな、「東京」をやたらと“逆”神聖視している感じとか、「都会の空虚」的センチメンタリズムを無闇に「東京」というワードに集約させていく感じとか、

ほんとすっっっごい嫌いって実感したんだけど、

東京をそんな特別な場所だと思ってんじゃねーよ、てめえがつまらなくて社会性に欠ける人間なのを東京のせいにすんなボケが、東京の人間だけが生きづらくて繊細なわけねえだろバカって感じなんだけど、

 

そういう個人的好き嫌いはさておいても、

こういう「東京の虚無的センチメンタリズム」ってもう、古くないっすか?

なんかよく分からんけど、そういう、東京には大事なものは何もないのでは的な厭世観や不安感って、「完全自殺マニュアル」とかが流行った90年代くらいまでのもんっしょ?

まだある程度、モノが飽和していた裕福な時代の若者が抱えるやつっしょ?

 

だって!

心の空虚とか虚無とか以前に!!実際に金や食べ物が無いんですよ!?もう結構物理的に「空」で「無」な時代に突入しちゃってんすよ!?

「虚」じゃないんだよ!マジでねえんだよ!!

 

 

 

ちょっと話が逸れるけども、何年か前、「完全自殺マニュアル」を読んだとき、結構衝撃を受けて、っていうか多分現代の若者が読んだら激怒すらすると思うんだけど、このまえがき部分。

 

前にも書いたけど、生きてたって、どうせなにも変わらない。エスパーじゃなくても、だいたいこれからどの程度のことが、世の中や自分の身に怒るのかもわかってる。「将来、将来!」なんていくら力説してもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。

 こういう状況のなかで、もうただ生きてることに大した意味なんてない。もしかしたら生きてるんじゃなくて、ブロイラーみたいに“生かされている”だけなのかもしれない

 

だから死にたいらしい。何を呑気なこと言ってんだって感じだけど、

幸せな時代だなア…いや皮肉じゃなくて…

 

で、25年くらい経った現在において、上みたいな生活を送れるなんて人はもはや「勝ち組」ですらあって、将来の見通しなんか全然ないというかむしろ悪くなる一方な若者が少なからず数を占めているっていうのは誰でも分かってると思うんだけど、

この25年で日本の若者の状況ってのはそれほどガラっと変わってしまったのに、「若者の抱える閉塞感」みたいなのが、この25年前の「若者」が言っていたようなことと同じなわけがねえんである。

 

勿論その辺りはこの映画の制作者だって分かっていて、

だから池松壮亮演じる主人公は、日雇いの工事現場労働者で年収は200万いくかいかないかで年金も払えず、同僚は身体壊したらもう明日食う金も他に働く場所もないから自殺するしかないかもみたいな状況で、同じアパートの独居老人は電気代も払えず蒸し暑い部屋の中で孤独死する。

 

しかしこの貧困の扱い方も物凄く表面的っていうか、

この映画の最大の失敗ポイントは、

の、くせに、

どっちかっていうと主人公たちの於かれてる状況は、地方疲弊映画「国道20号線」みたいなアレのくせに、にも関わらず、舞台は新宿や渋谷で、センチメンタルな東京で、

やってることは、「ねぇ、恋愛すると人間が凡庸になるって本当かな」「どうせ捨てられるって分かってるのになんで恋愛なんか」みたいな、くだらないにも程がある禅問答ばっかなあたりである。いやまあ問答はしてないんだけど。

 

つまり、主人公たちが実際に於かれている状況という設定と、主人公たちが抱えている空気や悩みや映画の雰囲気というのが、全然合ってないんである。

だからマジで観ていると苛々する。

 

実際に人が死んだり、ガールズバーの1万円にも困窮するから凄い決意がいる状況なのに、漠然とした不安について延々グダグダグダグダ喋ってる場合かっつーの。

漠然とした不安じゃねえよ!!!

漠然としてねえんだよ、お前らが抱えているのは、明日の食費あるかっていう具体的な不安だろ!!!

かく言う私もこれを書いてる時点で給料日まで3000円しかないけど!!!

 

 

 

というとこで締められればよかったが、映画の本筋とは関係ないけどもう一つ書かせて欲しい。

この映画では「震災」という言葉がやたら意味ありげに出てきて実は大した深い意味も話もされていないが、

震災という言葉とあと「東京」というワードに関してもう一つ気付いたというか前から思っていたことがあった。

これを言うと物凄く私が心ない非国民みたいなのであんまり書きたくないんだけど、

 

あのね、上手くニュアンスを伝えられないんだが、

ぶっちゃけ、2011年に西日本に住んでる(た)人にとって「東日本大震災」って、

「震災以前」「震災以後」

みたいに、<思想や価値観にコペルニクス的転回>が起こるほど、○○「以前」「以後」ってことのほどのことじゃなかったんじゃないか?

 

ほら今非国民って思っただろ。私も思ったけど。

無論、これについては、2011年の3月時点、私は高校を卒業し大学入学を待つばかりの何者でもない期間(紙面上では高校生なのだろうが、実質的にはニート)だったので生活に何一つ実害が無かったということも大きいのかもしれないし、

あまりにショックが大きかったので、逆に「たいしたことない」と思おうとする反動形成的な何かかもしれない。

 

しかし実際、西日本の人間の生活は、TVが報道ばかりという他は別に割と通常営業で実施されていて、3月12日も普通に私は奈良へ物件を観に行ったし不動産屋の人も普通に働いていた。

勿論、テレビや新聞やネットのニュースを見て心を痛めたり、逐一情報を追ったり、募金をしたりはした。した、し、別に東日本に住んでない多くの日本人も同様に、ショックや衝撃を受けたし鮮烈に記憶に残ったこととは思う。

 

しかしあくまでそれって、「テレビの映像」を観てなんですよ、言い方は物凄く悪いけど、実質的には対岸上の火事であって、「リアル」に自分が体験したわけじゃないんですよ、西日本の人間は。取引に影響が出た人はいただろうけど。

東北の人が被災者なのは言うまでもないが、これが「東京」だとまだ、電車が止まったり会社が休みになったり停電になったり実際に生活が「異常事態」だった記憶があるのだと思う。

東京に住んでいた元同僚も、「震災の時仕事がずっと休みになって、いつ再開されるかも分からなくて不安で鬱みたいになりかけて…」みたいなことを言っていたりした。

 

私は、この「違い」が生み出すものを、

震災当時は愛知に住んでおり(愛知も結構揺れた)、それから2011年から2015年までは奈良にいて、2015年から東京に居を移した、からこそ、なんとなーく感じることが出来た。気がする。

というのは、東京の人って、結構、

「震災の頃」「あれは震災の前だから…」って言い方をする。

関西にいた頃は、そういう風に言う人ってあんまりいなかった気がする。

この「違い」を、人びとの持つ空気や感覚としてちゃんと捉えるのって、それこそ西日本と東日本両方にある程度の期間住んだことが無いと分かんないのだと思うけど、

 

つまり、リアルに震災を体験している東京以東の人にとったら、東日本大震災は、「震災の頃」であり「震災の前」か後という人生の転換点であり、「震災以前」「震災以後」という思想のコペルニクス大転回を起こした歴史上の基準点、となっているのだろうし、

しかし、西日本の人間はその東日本の人間が有しているのであろう感覚を、本当に理解するのって難しいのではないか。

その体験は、テレビの前で泣き叫ぶ人への哀しみの共感や、「おおごとだと思わなければいけない」という良心や倫理観が生み出した擬似的なものでしかない

逆に「東京」の人も、西に住んでいる人間は、実は自分たちが抱えているほどの「大転換」を東日本大震災に有していないという、感覚の違いをたぶん、「分かっていない」

何故ならば彼らはずっと東京に住んでいるし東京が「日本」だと思っているし東京のリアルが日本のリアルであるから

 

このことが、何を生み出すかというと、

っていうか、私がここで何を言いたいかというと、

現状、出版社やキー局や所謂大手マスコミって、全部東京にあるってことです。

東京にあって東京の人間が作っている。

同じ言葉を繰り返すと、彼らはずっと東京に住んでいるし東京が「日本」だと思っているし東京のリアルが日本のリアルであるから、自分たちが震災という「体験」と「言葉」に持っているあれやこれや(記憶・思想・考え方・感覚etc.)を日本人全員が持っているものだという前提で、話をする。報道する。作品を作る。

「震災」って言っただけで、何かを伝えた気になる。何か日本人にとって特別な共通意味を持ったマジックワードとして使う。

で世に流通するマスメディアはほぼ全てがそんな感じなので、実はピンと来ていない我々も、「伝わった」気にならなければいけないような気がして伝わった振りをする。

 

つまり、いや、分かんねえからね、ってことなんだよ。

「震災」って言葉だけじゃ、君らの言いたいことや君らの感覚、実は全部は伝わってないんじゃないか?ってことなんだよ。

マスメディアの人間は、いい加減こういう、無意識の東京ナチュラ中華思想やめなよ

 

…ってとこまで書いたとこでたまたま公式サイト開いて知ったけど、

「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」って公開から結構経ってた気がしたけど、これまだ、全国公開してなくて、東京の2館でしかやってなかったんですね…

あ、新宿や渋谷に簡単に行ける人じゃないと観れないんですねまだ…なんか道理で感想流れてこないと思ったわ…

 

自分が一番ナチュラ中華思想じゃん…