センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。https://twilog.org/Barako_Fu

春と阿修羅【後】

 

2018年5・6月の羽生結弦について振り返りたい話・前編↓

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

三、まずい発見

 

先日、鯛野ニッケ先生の新刊「キスしてシュガーくん!」を読んでいたとき、

なんか、ちかごろBL漫画界隈、所謂「2.5次元」モノや2.5次元周辺文化・現場文化を題材にしたもの、増えたか…? とふと思った。

オタク業界への鋭敏さが求められる職種についていながらそれもどうかと思うが、私自身は、2.5次元文化を全く嗜まない。とはいえ、幼き頃は本と漫画だけが友達だったオタク達が、成長し少しばかりの自由になる財力や、SNSで自分と同じ趣味を持つ人間との繋がりを得るようになると、所謂“現場”にのめり込んでいく気持ちと風潮は、何となく分かる。

 

同じ時に同じ場所で同じものを見た、何千、何万人もの人々と即座に感想や感情を共有出来るのは、「○○が面白くてー」と翌日クラスの子に言っても「何それ」とスルーされ続けてきた青春を送るオタクにとってはとても愉しいものだし、

舞台やイベントは水物、という要素も大きい。同じ公演内容や同じプログラムであっても、今ここの公演は今ここにしかない。

下手をすれば映像に残らず一生自分はそれを見る事が出来ないかもしれないし、仮に映像になったとすれど、その時その瞬間の感情や感動は、その時その瞬間にしか味わう事が出来ないのである。

だから、絶対にこの瞬間を逃してはならない…!と余計にのめり込んでしまう。

 

 

 

……というのは理想論であり、少しばかりの財力は私の場合まじで少しばかりなので、ファンタジーオンアイスも、幕張初日と新潟楽日と静岡楽日しかいけなかった。(ほんとは幕張初日しか行かない予定だったのだが…おかしいな…)

だから、私はほんとに、ほんとにほんとに、神戸公演に行かなかったことを――行けなかったわけではない、何かをどうかこうにかすれば行けたはずなのに――例えば臓器を売るとか…――行かなかったことをはちゃめちゃに後悔したのである。

 

というのは、神戸公演にだけ、あのフィギュア界の皇帝・プル様の愛息子、アレクサンドル・プルシェンコ(通称サーシャくん・5歳)が出演したのだ。

むろん、サーシャくん自体も見た過ぎるし、羽生ファンにとったら、プル様・羽生・サーシャくんが一堂に会する光景というのは、あまりにもアツ過ぎる場面であろう。

何がアツいのかはもはや説明不要だと思うが一応言うと、昔は髪型を真似していたほど羽生自身はトップ・オブ・プルオタであるし、そんなプル様の息子・サーシャくんは羽生くんに憧れているという、推しの息子の推しが自分で、推しの推しが自分の父親で、おれがあいつであいつがおれで?まあともかくアツい三者関係なのである。(説明放棄)

 

 

5歳にして既に大貫禄・生まれながらのスターとも言うべきサーシャくんの存在と立ち振る舞いの魅力語りについてはいずれとして(長くなるから)、そんな、絶対に見た過ぎるプル・羽生・サーシャの中でも、更にあまりに絶対に見た過ぎた場面があった。

FaOIお馴染みの、フィナーレ後、各スケーターたちが各々の持ち技やジャンプ等を披露していくくだり。

神戸一日目は、サーシャくんと羽生が二人で真ん中へ向かい、二人でヘランジをやったそうなのだが、二日目、サーシャくんは、ひとりでできるもんとばかりに一人でつつと躍り出た。

 

羽生くんは、そんなサーシャくんをしゃがみこんで待ち構え、両腕を広げて待っていた

 

……のだが、ものの見事に、サーシャくんには見向きもされず、真っ直ぐにパパ(プル様)の元へと向かったサーシャくんの前に撃沈するのである。

 

 

は???? 何でそんなクソ最高の瞬間を!!!!  私は!!!! この目で見なかった!!!!!!

と、私はそのレポを目にした瞬間、臓器を売ってでも神戸に飛ばなかった自分をタコ殴りにした。

 

 

 

この、何が最高かって感覚を、言語化するのは結構難しいのだが、まあなんというか、「羽生の有り難みが通じなかった」ってのが面白いのだ。

 

プル様の息子・サーシャくんが羽生の腕に向かい抱き寄せられる。

なんと感動的で可愛くて有難い光景。

そんなの見たいに決まっている。

…というのは大人の論理であり、子どもはまあ、そんなことは知ったことではない。

 

羽生結弦という有り難みを以てでさえ、「パパのがいい」という幼児のごくごく自然な感情の前には敗北するのである。

私はそのことに、ああ、そうか、そうだよな…!とハッとすると共に、敗北し撃沈した羽生くんと、大人の論理&期待など露知らず真っ直ぐにパパへと向かっていったサーシャくんが、凄く面白くて可愛かった。

 

 

 有り難きことに、この神戸公演と、羽生×サーシャたんの御姿は、後日、BSにてばっちり放映された。 

私はその面白可愛すぎる貴重映像や、しかし懲りずに(?)、最後撮影のため(?)一列に並ぶときもプル様の腕に抱かれるサーシャくんに、ぐいぐいーっと頭を寄せて萌え萌えしている羽生くんの姿を100リピートくらいした際、なにか、あるひとつの既視感を覚えたのだった。

 

グリグリとサーシャに頭を寄せる羽生くんの笑顔と、無表情を崩さないサーシャくん(この表情が変わらない感じがまじで最高なんだよな…)の姿から抱く、この拭いきれない既視感。

この既視感…

 

 

もしかしてあれか。 

 

 

あれとか。

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 あれとか。

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あれだ。

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あーーー完全にこれだ!!!!!!

 

 

これによって、私はひとつの非常にまずい気付きを得てしまったのである。

私は何か、思い違いというか、自らの羽生結弦像に自覚的な羽生結弦が好き過ぎるせいで、少々穿った見方で見ていたのかもしれない。 

べつに羽生くんは、サーシャ×羽生とか見たいに決まってるって大勢の観客の期待に応えようみたいな気持ちがどこかに若干あったとかそういうことではなく…

 

 

……あれですかね?

もしかして、これ単純に、羽生くん、まじで構いたかっただけっていうか、いやそれだけならともかく、それプラスアルファ、しかも、相手がつれなければつれないほど、余計にグリグリ構いたくなるタイプってことなんですかね…

 

 

 

奇遇だな。超気が合う。

だって私もまったく、まったくそのタイプなのだ。

すなわち、相手が自分に冷たくそっけないことに、余計に燃えと萌えを感じるタイプ。

私もまた完全に、(この、笑わないのがいいんだよな…!)って方向で、神戸以来サーシャくんの虜になっている。 

 

 

しかしこれは私にとって非常に都合の悪い発見であった。

というのは、ご存知の通り(ご存知の通り?)、私のこれまでの羽生妄想はほぼほぼ全て、

 

その1⇒[R-18]「現実として現れるであろうあらゆる恋のためのプロレゴメナ(妄想集)」/「藤吉ばら子」の小説 [pixiv]

その2⇒「現実として現れるであろうあらゆる恋のためのプロレゴメナ2」/「藤吉ばら子」の小説 [pixiv]

その3⇒「現実として現れるであろうあらゆる恋のためのプロレゴメナ3」/「藤吉ばら子」の小説 [pixiv]

 

「私のハイテンションなウザ絡みに対して羽生が塩対応をかます(たまにデレる)」という見事なまでのワンパターン構成によって成立している。

この場合、「気が合って」しまってはいけない。二人共が、相手がそっけないほど構いたくなるタイプであってはいけない。どちらか片方がそのウザいタイプで、どちらかがそっけなくないとこの二者関係は成り立たない。

いやほんとは、薄々、薄々、多分実際は羽生くんも割とウザ絡み「する方」の人だろうなってのは、分かってはいたのだが。いたんだけどさ。

 

 

…いや、だから何だ。何がどう問題なんだ。

 

 

という声が四方八方から聞こえる。むろん私もそれは分かっている。

もちろん、よく考えなくても最初から最後まで全てもはや何もかも妄想なのだから、何もまずい事はないのだ。自分の好きなようにでっちあげ捏造すればよいだけの話である。

しかしなあ。

それだと、妄想の楽しみが半減のような気がしてしまうのだ。

 

「解釈違い」という言葉がある。

たとえば、「飛影はそんなこと言わない」というやつだ。

「二次創作」という「妄想」の前段階ないしは前提として、「解釈」という行為が存在し、この「解釈」の相違はときに宗教戦争に発展するほどの超重要問題である。

 

妄想の前段階としての解釈とは。

 

○くん(○ちゃん)は、

(原作内で)「A」という事柄に関して、「B」という発言ないしは行為を行った。ーー(観察)

つまり、ここから考えられるのは、○くん(○ちゃん)は、「C」という人間でありーー(考察と解釈)

であるならば、

「D」という事柄に関しては、「E」という発言or行為を行うであろうーー(妄想)

 

もちろんこれは人によって違うだろうから、完全にゼロからのでっち上げ型も当然に存在するだろうけれども、私はこの、観察―解釈―妄想を1セットとして楽しむタイプの人間なのだ。私にとって「妄想」とは、現実に散らばる要素要素と要素への解釈を再構築する試みであるのだ。何か無駄にカッコつけて言ったが。

 

ゆえに、自分の中に、「いや羽生くんってそういうタイプじゃないでしょ」というべつの自分の解釈が入り込んでしまうのは、結構、まずい。

 

 

ということで実を言うとここ最近、いつもと趣向を変えて、逆に、「羽生くんがウザ絡みをして私が塩対応」パターンを考えてみようとした。

例えば、私が全く微塵も興味がない野球観戦とかだったらいけるかもしれない、とか。

夜遅く、帰宅した羽生くんが、「ちゃんと録画した?」と言って、その少し前に放送されていた野球の試合をテレビで見る。私はしばらくは付き合って隣で観戦するのだけれど、まじでまったく興味がないので途中で半分寝こける。その試合はどうやら、羽生くんの推しのチームが勝ったらしいのだが、そのことに興奮全開なのに、一方の私が半分寝ているのが気に食わない&アドレナリンの矛先が欲しい羽生くんは、

「ねー寝ないで!! ほらこの○○の見事な××見て!!!」

と揺り起こそうとする。

もー眠いんだけど、と嫌々起きる私の顔を、羽生くんは両手でむぎゅと摘み、

「ねーなーいーでーー」

と頬を引っ張ってくるものだから、

「ちょっと痛いいたいうるせえなもー」

 

 

……は?…いや、無理っしょ。

 

そんなハイパーぎゃんかわソースウィートくそあざと可愛い羽生くんを前にして、

「は???? かわいすぎか????」

って顔を覆って歓喜しない人間とかこの世に存在するわけないっしょ。うるさいなーとか言うわけないっしょ。馬鹿かよ。そんな展開あるわけねえだろ。はいはい却下。

 

羽生に塩対応する私、完全に私と解釈違いっす。

 

袋小路である。

 

 

四、春と阿修羅

 

2018年のFaOI後半(神戸・新潟・静岡)で羽生くんが滑ったのは、ピアニストの清塚信也さんとのコラボ、ユーミンの「春よ、来い」を原曲としたプログラムだ。

 

「春よ、来い」。

一言では印象を説明できない不思議なプログラムである。

ライトに反射する衣装の清廉な煌き、背に誂えられたひらひらが羽衣の如くたなびくさま、白く発光するその御姿とも相まって、多くの人が言うようにまさに「天女さま」のような現世離れ感と尊さがある…のは確かなのだけれども、そんな天上への誘いといった印象の中にも、なにか、若芽の無垢さやあどけなさといった雰囲気もある。

そして、後半に向かうにつれどんどんと勢いと速さを増す滑走に、若芽が息吹くときの強き生命力のようなものをも感じる。

この世のものではない感と、いのちの力強さ。がなぜだか両立する不思議。

普段のハイドロより更にもう一段ぐっと身体を低くし、まるで氷に口付けるかのようなハイドロキッシングの耽美さから、氷を掬いあげぱあっと舞くときの歓びに満ち溢れたさま、と、雰囲気や表情が瞬時に切り替わっていくのも見事だ。

でもこうしてどんなに言葉を尽くしても、まことのことばはうしなはれたように思う。

 

羽生くんがこのプログラムに込めた「春」の意味は様々というが、そんな色々な春のたとえとして、「たとえば失恋したときに、“春、来ないかな”とよく言ったり…」と発言したらしいと知り、私はすこぶる動揺しまくった。

 

 

 

しかし、動揺しまくった後、この失恋についての更なる解釈を深めるために、また歌詞などを再確認しているうちに、ひとつの、考えてみれば当然のことに思い当たった。 

「春の天女様」たる羽生の印象が強すぎてうっかり気が付かなかったが、

「春よ、来い」って、もしかして“春の歌”ではない…? 

 

何故ならば、今現在が春である状態にある人は、『春よ来い』とはべつに願ったりしない。

「春よ、来い」(来て欲しい)という事は、「今現在」の時点では、春が来ていない≒春ではない、と、論理的に言えばそうなる。

かといって、では春が来ていない=冬の歌、なのかというと、そういうことでもないように思える。

 

私は、FaOI新潟以降、この「春よ来いは春の歌ではないのではなかろうか問題」について考えていたのだが、FaOI静岡楽日のさなか、あるひとつの解釈に行き当たった。

 

ああ、これは。

これは春を待っていた私たちの数ヶ月。春のゆめ。 

 

 

順調にいけば五輪金メダル候補筆頭と多くの人が思っていたのに、もしかしたらGPF5連覇の偉業に王手をかけていたかもしれなかったのに、突然の怪我でその道のりが暗がりに塞がれたようにも思えたあのとき。その蕾の先でさえ雪に閉ざされているようにも見えたあのとき。

春の訪れを待ち望んでいたのは私たちではなかったか。まだとても遠いような気がする春を。

 

そう思うと、回り回ってやはり、「春の天女様」という印象は非常にこれ以上ないほど適切な表現である気もするのだ。

つまり、あれは、あの羽生くんは、今ここにある現実の春というより、春の到来をのぞむ私たちが見る、「願望としての春」なのではなかろうか。

夢に見る春。願望としての春。今ここにはない――だからあのプログラムには、この世のものではない貴さがある、のかもしれない。

 

 

そう思ったとき、FaOI静岡最終日、トリを務める羽生くんが氷上に立った瞬間、まだ「羽生結弦が五輪を二連覇していない世界線」の焦燥や恐怖や心配と、そこから、あまりにあまりに鮮明に覚えている「羽生結弦が五輪を二連覇する世界線」に移行した瞬間の記憶と、「羽生結弦が五輪を二連覇した世界線」で起こった数々の喜びが、走馬灯のように思い起こされたのだった。

 

 

しかし、この2018年。

現実の私たちに春をもたらしてくれたのは、妖精でも天人でもない。

ひとりの闘う人間の並々ならぬ勝利への執念と努力なのだ。

この世のものではない感と、いのちの力強さ。といった印象がなぜだか両立する不思議は、このことによって説明され得るであろう。

阿修羅が春をやっているから。 

 

それは「もたらした」なんて言葉ではたぶんとてもとてもぜんぜん不適切で、掴んで引きずり込んだとか、そういうような。

 

 

【以下・2018年7月14日追記

 

……というところで綺麗に終わらせられればよかったのだが、私は先程、7月14日に放映されたFaOI新潟の動画を何度がみているうちに、もうひとつの物語と解釈を受信することとなってしまった。

やはりどうしても行きたくなって、前日突発的にチケットを取ってしまったFaOI新潟での「春よ、来い」、あれ、神戸のと結構振りが違う…?って思っていたのだが、先程映像で見返すと、確かに幾つか違いがあった。

 

その、幾つかの違いの中で印象的だったのが、表情が優しく穏やかなものになっていると共に、全体的に、「氷に触れる動作」が増えている、というあたりだ。

ハイドロキッシングのあと、アイスシャワーをやるために氷を掬いあげるとこもだけれど、スピンの際に両手をつくようにし氷をすくい慈しむように見つめながら立ち上がるように変わってるところや、そのあと、神戸では、ピアノの前で、もっとこう殻を破るが如き力強さのあった身体を斜めに捻り回る動作も、新潟では、そっといちど氷に優しく手をつき、その手を見つめており、全体的に氷への穏やかな愛と慈しみ感が増しているのである。

 

そして、更に翌週の静岡では、ついぞハイドロキッシングがまじもんのハイドロキッシング(口づけ)と化していたわけだ。

これまでは、一回ハイドロに入ってもう一段階グッと身体を下げるだけだったのが、静岡では、一回一段下げて、一度少し身体上げてまたもう一度、一瞬、チュって感じで…たまらんのだが…しかし。

 

しかしだ。

 

この事実と、羽生が発した「失恋」というワードと、私が静岡で察した「羽生夢女子の最大のライバルは氷」という気付き(気付きっつーかただの妄想)を統合すると、ひとつの物語が見えてきやしないだろうか。

 

すなわち、これは、変化過程をも含め、このファンタジーオンアイス後半部通しての「春よ、来い」が示すものは、羽生くんと氷がその愛を取り戻していく物語…なのではなかろうか…!

 

くっそお、そうとも知らず私はよお!!!!

幸せになれよ!!!!

 

 

というのはむろん嘘(そうとも知らず私はよお、の部分)だ。

本心を言えば本当に、幸せになってくれてよかった。

なぜならば、羽生さんは実のところこの冬、長いあいだ氷の上に立てなかった期間があったのである。いつも入るたびにその手に触れてもらっていた氷は、とてもとても寂しかったであろう。悲しかったであろう。どうして、と悲嘆にくれた時もあったのかもしれない。だから羽生さんが戻ってきてくれたとき、氷はその愛を以て全力で味方をした。

おかえり、と、ただいま、という声が聞こえるようだ。

 

 

五、迎春に寄せて

 

旧暦と新暦のカレンダーが少しずれる私たちの国では、新年を迎えることを「迎春」とも言う。その意味で、今年はまさにこれ以上ないほど、「迎春」という言葉がぴったりの幕開けであった、と思ふ。

今7月だろうが、っつーのはその通りなのだが、スケートファン的には、新シーズン開始時の7月1日が新年の開始らしい。

嗚呼、げに新年の幕開けにふさわしい晴れ姿をこの目に焼き付けることができて私は。

特別に誂えられた袴姿で堂々と首相官邸に入るその御姿には、まあ、ご立派になられて…と国民一億総じいやばあや化したことであろう。 私もした。何なら見てもいない20年間の走馬灯すら流れた。

 

 

しかし私はこのことについてよくよく考えてみるとむしろ、これだけ多くの人が、じいやばあやにしか、“ならない”事の方にこそ本質があるのではと、ある時ふと思ったのである。

つまり、羽生結弦は、国民的孫ではなく、いわば「国民的若様」なのではないか、と。

 

 

 

…っていういい話ぽいことを言ってなんか伸びてしまったのだが、むろんこれは、日頃そんな国民的若様のことを恐れ多くも基本やましい視線でしか見ていない&大体「羽生が自分の夫だったら」という前提で話を進めがちな、過激派ガチ恋勢夢BBAの私が言っているというギャグである。私は大体やましい視線で見てますけど、という話である。

 

 

とはいったって、私だって、ご立派に成長しあそばれた若君を慈しみまつり上げるような気持ちも、べつに嘘ではないのだ。

 我々にはしばしば、Aという感情は嘘ではないが、それはそれとしてBという感情もある。といった心理状態が生まれる。

これまで散々さんざん書いているけれど、私は羽生くんについていつも、あらゆるアンビバレントな気持ちの葛藤があるのであったし、新年早々また、

堂々とした袴姿で首相官邸に入ってゆく羽生くんがあまりに立派過ぎて&その翌日には、被災地の小中学校へと赴く羽生くんがあまりに偉大過ぎて、ほんとこんな素晴らしい人に(何回みても首のほくろがかわいい…絶妙な配置…)とか欲望を吐露してる場合じゃねえぞお前はみたいな申し訳なさ&自分をぶん殴りたい気持ちと、羽生若様&はにゅうせんせいクッソ超かわいい…好き…という過激派ガチ恋勢としての自分が猛烈に戦う羽目になった。

この世界で最もどうでもいい葛藤であるが、この2つの感情は、「それはそれとして」という言葉で繋がれる。

羽生くんは、ってか「羽生くん」なんて呼ぶのはおこがましいほど(まあそれ以外も色々図々しいことを書いているが)、偉大なことを成し遂げた立派な人間である。それはそれとして、かわいい。

 

羽生結弦が、良くも悪くも国民的若様たる自己の存在に自覚的ゆえ、その任を引き受け、先人や自らを形成した人間・環境・社会への感謝の気持ちと後人や未来への希望たらんことを忘れぬ一方で、それはそれとして競技では俺が勝つ、俺が一番という闘志全開なのと同様、私にとって羽生くんは、それはそれとしてかわいい存在なのだ。

 

何も同様じゃない。

 

春と阿修羅【前】

 

序、わたしたちはいま羽生が五輪を二連覇した世界線に生きているのだということ

 

国民栄誉賞授与式での羽生の袴姿見た瞬間、

「はいはい忘年会終了今振り返らんとしていた全てをこの最高の羽生がまたも最高の羽生を越えて来たから忘年会終了今からは羽生の袴姿について三日三晩語る新年会開始します」

つって、まじで三日経っても飽きずに喋っていたわたくしですが、どうにもこの平成最後の最高のシーズンを振り返らねば私の梅雨が終わらない気がするので、無理をして振り返る事にした。

 

無理をして、というのは。

むろん―――袴姿といえば、そういえば以前の袴の時にはあまりにもハマり過ぎて逆に「コラか?」とか言ってたなって検索したら、

 

 

 あれからまだ一年も経っていない事にビビったほど、あまりに沢山の事がありすぎた、というのもある。そしてその間、幾度も最高の羽生を最高の羽生が更新してくるし、振り返ろうとしたそばからまた最高の羽生が投下されるというイタチごっこ(イタチごっこ?)が繰り広げられていたのでお手上げだった、というのもある。

だが我々ユヅルオンアイスのモブとして紛れもなく今年いちばんの最高の瞬間っていえば、五輪連覇が確定したことなわけであるし、そう。

 

いま私たちは、「羽生結弦が五輪二連覇をした世界線」の中に生きている。

 

そのことの感慨で胸がいっぱいになる事から前に進めないのであった。

というのは、今年の色んな“最高”ーーあの凱旋公演も、パレードも、喜び一色を以て迎え入れたFaOIも、国民栄誉賞の袴姿も、「羽生結弦が五輪を二連覇した世界線」ゆえに、起こり得た出来事と感情だからで、何を思い出すにせよ、ああこれは、「羽生結弦が五輪を二連覇した世界線」ゆえの賜物なのだ、というところに着地するのである。

そうして、“まだ”「羽生結弦が五輪を二連覇していない世界線」の焦燥や恐怖や心配と、そこから、三歩歩いたら今しようとしていたことを忘れるトリ頭の私でさえ、あまりにあまりに鮮明に覚えている「羽生結弦が五輪を二連覇する世界線」に移行した瞬間の記憶と、そして改めていま私たちは、「羽生結弦が五輪を二連覇した世界線」に生きているのだという喜びを思い出すのだ。

 

またイタチごっこである。

 

 

一、思ったとおりであった気もするし思ってもみなかった気もするし思った以上であった気もするし。

 

世界線、という言い方をした。

前も少し書いたけれど↓

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

私は、「たられば」について想いを馳せる事が結構好きだ。

そうはならなかった“世界線”のことを想像してみるのが好きだ。

ああだったらよかったのにな、とグチグチ考えてみることが好き、ということではなく、あらゆる“たられば”について想いを巡らせることで、しかし、そうはならなかった今ここにある現実への感慨が余計に浮き立ち、そうはならなかったことにこそ真実が見える気がするから。

この、羽生についての「たられば世界線」について最近、ああ、自分はまだ何も分かっていなかったのかも。と思った事が二つほどある。

 

凱旋公演のパンフレット、佐野稔氏に寄せた羽生のコメントにこんなくだりがあった。

 

もしあのとき佐野先生が仙台に来てくださらなかったら、僕は今ごろスケートをしていなかったと思います。野球が好きだったから、野球少年になり、甲子園出場やプロ野球選手を目指して……という道を歩んでいた可能性もあります。

 

何気ない「たられば」のようだけれども、私はこの文章を読んで、結構驚いたというか、改めて羽生の恐ろしさというか底の知れなさというか、つまり「羽生、最高じゃん!!!!」とますます愛を強くしてしまった。

 

そうか。と、思ったのだ。

そうか、羽生くんはそこでも“頂点”を当然のように目指すのだな。

そこでも、“頂点”を目指すことを、目指せることを、当然の前提として語るのだな。

 

そこに痺れたのである。

 

というのは、ふつうの人間は、ひとりの人間が、これ以上無いってくらい成功を収める事が出来る才能は、ゼロか、かろうじて1だって前提で思考を進めてしまう。

通常の場合は、1も無い人が殆どだから、今この現実で、本当に本当にうまくいった人の今持つ「1」がもし存在しなかった世界のことを考えた場合、それは「ゼロ」の世界線であろう、と思う。

だからたぶん、私だったら、

 

「もし佐野先生があのとき、仙台に来ていなくて、羽生がスケートに出会わなかったら、今のフィギュアスケーターとしての羽生結弦は存在しておらず、無名のサラリーマンになっているとか、お父様と同じ教師なんかになっていたかも」

 

と続けてしまうだろう。

っていうか、私にはそういう発想しかなかった。「この頂点に立って成功を収めた羽生結弦の姿はなかったかもしれません」という感慨についての話なのだと思っていた。そういう発想しかないから、そういう文章が続くのかなと思って読み進めていたところに、

「甲子園やプロ野球…」と来たもんだから、その展開にハッとしたのである。

羽生が実際どれだけ野球が出来るのかとかそういう話はさておいて、ナチュラルにこの発想と前提の元、話を進められるって、結構物凄い事なのではないか。凄い事だと思った。もしかすると、こういう自己像を想像できるかが、頂点に立てる人間か否かの違いなのかもしれない。人間は、自分の想像できる範囲内の自分にしか成り得ないのだとすれば。

羽生結弦は、スケートをしていない羽生結弦というIFでも、別の道のトップを目指せる自己像を想像できるのだ。

 

 

この2~6月、私は羽生くんについて多分108回くらい「最高かよ」と言っていたと思う。

まるで、「やばい」しか言わないJKの如く、「最高」しか語彙がない人のようだが、「最高」しか語彙がない。

とはいえ、この「最高」という言葉に含まれる感動の種類について、実は大まかに言って3種類くらい存在しているのであった。

1、自分が解釈した通りの羽生だったという(自分の解釈がぴったり合っていたという)感動

2、自分の予想の斜め上で驚いたという(やっぱ凡人の想像なんて軽く越えてくる凄い男だっていう)感動

3、自分が解釈ないしは想像していた羽生を更に上位互換の形で具現化してきたという感動

 

 

今の羽生結弦がなければ甲子園やプロ野球選手を目指していた羽生結弦がいたかもとふつうに言う羽生は、よく考えれば、思っていた通りである気もするし、全然予想の斜め上である気もするし、自分の考えていた更に上位互換のような気もする。

すなわち、最高三乗の羽生って感じでまじで最高だったって事だ。

 

 

二、ノット・ブリザードポディウム

 

 ※若干腐っぽい話をしているので苦手な人はスルーして

 

最近、もしかしてあれは少し誤解して拡散されていたのだろうかと思い始めてきたのだが、以前、羽生と宇野の間にある拭いきれない距離感についてのあれ、↓

 

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

私としては完全に「萌え」の話のつもりで書いていた。

まあ、萌えって言うのもどうかとは思うが、基本的に私の話は全部「萌え」についての話だ。(むろんこの記事も)

これは、いち腐女子の勝手な嗜好としてスルーして欲しいが、同性同士に限らず、私は、互いに相思相愛の仲良しこよしな関係よりも、そういう、情愛や好意以外のものも入り混じった冷たさや仄暗さのある関係にグッと来る人間で、だからあれは「そこが萌える」という話なのである。

一方で、ハビちゃんと羽生については、もちろん最高に尊い関係であることは勿論だし仲良しで可愛いなあ素晴らしいなあとは思えど、案外、所謂“そういう意味”で食指が動くことってなかったのだけれど、今年になって初めて、あ、違うのかも。分かっていなかったのかも、と思った事があった。

 

これまた、凱旋公演のパンフレット。

羽生くんはハビちゃんについてこんな事を言っていた。

 

カナダに行くのを決めたのも、クリケットクラブに彼がいたからこそです。

カナダに行く前は、毎日ハビと競争心を持って練習するつもりだったのですが、ハビはとにかく優しくて。お互いにバチバチするようなことは全然なく、すごく仲良くなりながら、同時にスケートを高め合えるという、とても大切な関係になりました。

 

羽生のクリケット移籍についてオーサーに相談されたハビが、

「世界選手権の銅メダリストが来るんだ! そりゃすごい!」と明るく即OKを出したことも、その明朗さに、オーサーがもしかして二人は意外と相性がよくうまくいくのかもという予感を抱いたことも、

当初英語が分からなかった羽生に、ハビが積極的に話しかけていったことで徐々に打ち解けていったことも、

その後6年にわたり、互いにクラブを離れることなく、羽生が世界選手権の金を逃してしまった際にはハビが、「僕の中では君がいつでもチャンピオンだから」と言葉をかけ抱きしめ、羽生が平昌でまず涙を流したのは、ハビのメダルが決まったからだというような、唯一無二の温かい関係を築き上げていることもよく知られている。

 

 

でそれはそれだけでたいへんに尊い話なのだが、だが私は、

「毎日ハビと競争心を持って練習つもりだったのですが」

という文言の方に着目してしまったのだった。

 

そうか、羽生はもしかして最初、今のような関係になるつもりがなかったのか…?

 

羽生ハビについての“たられば”。

ああ確かに。何かがどうにか違えば、ハビがこれほど優しく大らかな人間でなかったり、二人の相性がよくなかったりすれば、「ブリザード表彰台・再び」になっていた可能性だって、たぶん十分にあったのだ。

 

 

パンフレットの前ページで、羽生くんはプル様を好きになったきっかけについて語っていた。羽生くんがプルを好きになったきっかけは、ソルトレーク五輪だという。例のヤグVSプル ブリザード表彰台で有名なあれである。

同国・元同門の、ヤグVSプルの死闘に、7歳の羽生少年は惹かれた。

そして、日頃、そつのない優等生コメントを述べたり感謝という言葉をよく口にするもんだから一部に誤解されがちだが、羽生くん自体もそもそも、「楽しい気持ちとか、またはリスペクトをしながら感謝をしながらニコニコしながら演技をするというのは向いていない」と言い切る、負けん気や闘志バリバリの人間であろう。自分を育て上げてきてくれた環境人々、社会への感謝の気持ちは忘れないが、いざ競技の場に立てば、「それはそれとして俺が勝つ」、それはそれとして俺が勝つのだ。おそらくは元々、そういう闘争心をもった戦いや姿こそに惹かれるタイプの人間かつ、自身も、負けたくねえ、と思う時が一番強いのである。

 

だから、これらの要素要素を繋げて解釈してみるならば、羽生くんは、

もしかしたらどこかで、バチバチに自分の闘争心を刺激するような存在を、近くに求めていたのではなかろうか。求めていたはずなのに。

この気付きによって、私のレーダーは(何のレーダーかは聞くな)急遽ぐわあああああっと、ハビゆづに振り切れてしまったのであった。

 

自分の事をとても温かく受け入れてくれたハビの姿は、もしかするとある種、「期待が裏切られた」わけである。でも、そんな意に反して、当初の期待とは違うかたちでの、何にも代え難き唯一無二の関係、自分以外が勝って嬉しいと感じる唯一の存在を得たのだ。

これは、“当初の期待が裏切られた”(かもしれない)という部分が重要である。

この要素によって、もしかしたらあったのかもしれないIF世界の想像と、そうはならなかった今ここの現実までに至った変化の過程(いや別に実際見てないんだが)とが走馬灯のようによぎり、そして今ここの現実にはっと引き戻され現実が浮き立つ。

 

 

先日発表されたGPSアサインにはもう、ハビエル・フェルナンデスの名は無い。

まだいない、と、もういない、ではきっとぜんぜん違うのだろう。

ハビが隣にいないこれからの世界で羽生くんの心境にどう変化が生まれるのか、いまのわたしたちはまだ誰も知らない。

 

 

……長くなったので後編につづく…

<後編>↓

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

世界でいちばん熱い夏に世界でいちばんのあなたと

 

やがて来たる乾季のためにツイに投下した5・6月の妄想を自分用にまとめてみたのが、思っていた以上に量があって、は?こんなに書いてたのか?と自分に自分でドン引きしているしこの大量の妄想すべてを現実の羽生くんの袴姿(@国民栄誉賞授与式)の可愛らしさ&凛々しい美しさ&麗しさ&堂々とした垢抜け感&江戸時代から歴史の続く財閥家の若様のごとき高貴さ&etc.の衝撃と感情の大渋滞が越えてきた。越えてきてしまった。

ゆえ、なんかもう忘年会はともかく、羽生の袴姿の可愛らしさ以下略について三日三晩語る新年会をとっとと始めたい。

 

残業後家に帰ったら、私のベッドで枕をぎゅっとしたまま半分寝落ちてる羽生くんがいないと明日からの仕事のやる気が出ねーなー。私の足音で身体を起こすんだけど「…遅い」と拗ねたように枕に顔を埋める羽生くんがいないとやる気が出ねえなー。私はその動作の破壊力にやられて「ーーっ!」と声にならぬ叫びをあげながらベッドに倒れ込むんだけど、(萌えを処理しきれず)うつ伏せで微動だにしない私を見て何かを勘違いした羽生くんが、「どうした? 大丈夫?…そんなに疲れてる?? ……ごめんね○ちゃんも仕事忙しいのにね…」ってシュンと私の服の背中辺りを少し掴む感触に、可哀想だから身体を起こすべきか、このまま可愛みを堪能しつづけるべきか葛藤したいなー。多分ニヤニヤしてるのでそのうち「何笑ってんの!」ってバレる。うん大丈夫大丈夫羽生くんが可愛すぎただけ、って、おいでと腕を広げたら無視される。

 

は〜金曜日かやる気出ねえなあ。羽生が自分で前髪を切り過ぎた時の「ああっ」て叫び声でしか起きる気が起きねえな。「またネットに前髪って書かれる…」とやや不貞腐れる羽生に「いっそオールバックにすればいいんだよ」とワックスを持ってきたと見せかけて可愛い苺ちゃんゴムで前髪を縛って怒られたい。

 

苺ちゃんゴムを羽生が何これ!?って気付く前に颯爽と写真を撮ろうとしてやっぱりスマホを取り上げられた結果としてのブレた写真だけを金曜労働の生き甲斐にしたい。

 

 朝、ソファにぼおっと座る羽生さんの頭からぴょこと寝癖が出てるのを見て通りざまに、ぴょこぴょことその寝癖を押さえてみたすぎる。「ん?」って半分寝惚けた声で言って欲しすぎる。ん?の言い方が可愛すぎるので毎日同じ事をすると 5日目くらいにとうとう、私の気配を察した瞬間に、頭を押さえられる前に私の腕をさっと掴めるようになってほしすぎる。それに成功した羽生さんは絶対ややドヤ顔で「真剣白刃取りっ」とか寒い事言い出すと思うんで、「なんて?」って返したすぎる。

 

 GWに羽生雑誌をまた読んでるんだけど、五輪インタの「歌を歌いたい」のくだりもう20回は同じ文字列を目にしているはずなのに、何回読んでも毎回「ふふふっ」と声に出して笑ってしまう。何回笑うんだよってくらい毎回笑う。いないいないばあで何度も笑う赤ん坊並みの単純さしか私にはないのかもしれない。ところで、 「カラオケの羽生結弦独壇ショーでひたすらタンバリンで合いの手入れるけど途中で「リズム感無さすぎ! やめて!」って怒られて後はひたすら羽生さんが一人で歌と妙にリズム感のあるタンバリンを両方やるのを静聴する係」になりたい。

 

いや羽生「年下の男の子」カラオケで嫌々歌ってほしすぎるでしょ、私のこと好きかしら?はっきり聞かせてで「すきー!」って叫んで、うざって顔してほしすぎるでしょ。もしくは私が歌うんでもいいけど。私のこと好きかしら?でマイクを羽生に向けるのが分かりきってるので奴は曲入った瞬間トイレに行く #羽生結弦に滑って欲しいエキシプロ暫定1位「年下の男の子」

 

 羽生結弦物語の脚本家「王者復活平昌編描き終わりました! 次章は、世界王者仲間かつアニオタ仲間の女子トップスケーターメドベージェワと、羽生の高難度クワド挑戦に火を付けたジャンパー ボーヤンと、羽生が怪我をした際日本語のメッセージでエールを送ったブラウンが同門に」
編集「ボツ。」

 

私は雑な性格なので、神経質であろう羽生さんとの結婚生活を超真面目に現実的に検討して「うーん…同居は難しい!」って結論に確かに至るんだけど(つっ込むな)、それはそれとして、ソファでニコニコしてる羽生さんに「いい事でもあった?」ってうっかり聞いてしまい「このイヤフォン遂に手に入れて!」 ってこちらも試させられ正直違い全然わかんねえけどわかんないって言うと話が長くなるから「うーん…重低音がね…いいね…」とかクソ適当な事言って、「もー!わかんないかなー」ってぷりぷり怒る羽生さんを見たい気持ちや、自分のイヤフォンを定期的に無くす(雑)のでその辺にあった羽生さんのを借りて 「ちょっとそれ高いやつ!」って怒られるのを、「高いやつ? なるほど道理で羽生くんの声がより素晴らしく聞こえる…」(※羽生動画見てる)
「くだらないことに使わないで!」「はあ? くだらなくないし! 羽生くんの声聞く以上に素晴らしい事とかないでしょ」「俺今ここで生で喋ってる!!」みたいなしょうもない喧嘩をしたい気持ちはあるわけよ。

 

「しょうがないなーじゃあこのイヤホンよりもいい声で愛してるって言ってくれたら返すけどー」
「いや何故そちらが強気の姿勢なんですか?」
「言ってくれないならあと30回これで羽生くんの『愛してくれてありがとう』聞くからちょっと待ってて」
「…うっっっざ!」
「……ハッ、今のいい声ワンモア」

みたいなうざ絡みをしたい気持ちもややある。#マジでうざいな

 

「嘘嘘ごめん返す」と謝るものの、今度はノーイヤホンで羽生ボイスをリピートし始める私に
「ちょっとそれ恥ずかしいからやめてくださる」
「え? だからあと30回はリピートするので…」(継続される悪ノリ)
「……〜〜っ あーもーー!!」(私の顔を手でぐいと寄せ耳元で )
「『好き』……じゃ駄目?」

「…ひょーーー…いい! いまのはいい!! もう一回!!」
「いい加減にしろよ」って怒られたい気持ちもややある。

 

 こ、このままだと「一人じゃないよ」で羽生さんが指振る表情動画への執念で、公演後羽生さんに「あれ私にもやってやって!!」ってせがみ続けるのを、うぜえなとばかりに「一人で言ってろ」と、人差し指で私のデコを押して自分から引き離すようにする場面とかを夢に見てしまう… #結局ノンノン砲食らえなかったオタク

 

あーーダメだ羽生のバーン一日10回見ちゃう。羽生くんがこんな風に唐突にバーンってやってきたら、さっきスルーされた仕返しに自分も無視しようとするけどやっぱ可愛すぎて無理だと思う。むしろ素で頭抱えながら胸に手を当て「やべえ…マジで心臓に何らかのダメージを負った気がする…」って言うと思う。たぶん羽生くんはそんな私の頭に銃を突きつける真似をして「大丈夫? 頭もぶち抜いとく?」ってノッてくれると思う。

 

めっちゃいい匂いすると言われたら「ふふ」という羽生めっちゃいい匂いすると言われたら「ふふ」という羽生めっちゃいい匂いすると言われたら「ふふ」という羽生めっちゃ #興奮と尊みと萌えと希望と羨ま死の狭間で無事死亡 #くっそなんだよ羽生その美人なイイ女風の対応目に浮かぶようだっていうか完全に目に浮かんだなんならその顔見たような気がしてきた見てないけど

 

私だって、デパートで目に留まったフレグランスを手首にシュッとやってクンカクンカしてるなーと思ったら、「めっちゃいい匂いする!」と手首をこっちに差し出してきて、えっ君の手首の方を嗅ぐんかとか動揺したいし、柔軟剤を変えたタオルを「めっちゃいい匂いするー」と顔に纏いながら出てくる羽生に 「ちょっとちゃんと拭いてから出て来いよ!」と萌え&照れたいし、隣に座った羽生きゅんに思わず「めっちゃいい匂いする」と零してしまったら、一瞬、はあ?って感じに眉をしかめられた後「レノア〜 ニューフレグランス〜」とかおもむろに歌われて、え何宣伝?照れ隠し?って悶えたいけど、そんな妄想をクソファッキンと唾棄したくなるほど、「ふふ」の二文字の現実が妄想をはるかに凌駕し俺をぶん殴ってくる…「ふふ」の二文字だけで俺たちを確実に殺しにくる男羽生…

 

色々考えたが、自分の(子ども時代の)写真見て「かわいい」と言ったり櫻井との2ショ何度も見直す羽生さんの事だからこの先、幸運な一般ピープルとの写真を見直して「あー俺ほんと小顔❤︎」って思うかもしれないし「あー俺ほんと小顔❤︎」て何度か再確認頂く為のモブ要員として貢献したい気もしてきた。#幕張トークショーに寄せて

 

これは根拠のない確信なんだが羽生さんは自分が表紙のanan何度も(いい…)って思って見てそうなとこあるよ。一旦机に置くんだけどやっぱり気になってまた手に取りチラチラ眺めてちょっと微笑む羽生さんを目撃してしまい見ない振りがしたい。本を置いたタイミングでわざと大きな音で帰ったアピールをするけど私がニヤニヤするのを抑えきれず「何?」って察されそうになると思う。そんな追及を「あ、それanan? かっこいいやつ!!」て話を逸らす(逸らしてないが)と、羽生さんはなんて事ない涼しい顔で「ああこれ? 欲しかったらあげるよ」って渡してくれると思う。もー澄ましちゃってさ!って内心悶えたい。 #俺はどの羽生さんも大好きだが、自分をかっこいいと思ってる羽生さんが何より何より大好き

 

よく考えたら様々な羽生王子コレクションに今回遂に「正統派貴公子」が追加されてしまったのか…! 羽生が青薔薇の王子だとして対立する家系の白薔薇の王女役やりたすぎる(リチャード3世?)頼りない息子を王にすべく画策するんだけど品と知性と人望のある羽生にいつも出し抜かれ「小癪な!」とか言う役。
羽生王子は表向きは爽やかで品のあり誰にも優しく、絶対に色々裏で画策しているはずなのにそれをそれと見せない(あくまで人望の結果としての勝利みたいに)みたいな感じと思う。私はそれが気に食わず顔を合わせた際に「そのにこやかな顔の皮の裏には何がございますやら」的な嫌味を言うが 羽生王子はただ笑みを崩さず「○○(こちら側の王子)の裏にあるものの恐ろしさには敵いませんよ」とか言うと思う。つまり、こちら陣営の指揮をしているのが私だと彼だけが見抜いている。以後あの笑みを顔から消させたい敵愾心のような或いは恋に落ちてしまった焦燥のような気持ちを燃やし続ける役やりたい。 いつも出し抜かれ「小癪な!」ってヒス起こすけどそのうち羽生王子のことが頭から離れられなくなる敵陣営の王女役やりたすぎるじゃん #何この妄想

  

はっ…今長時間労働のストレスのあまり、羽生さんが鏡の前でネクタイ結ぶ(結べてない)全夢女子大歓喜映像の走馬灯をうっかり見てしまった…危ない危ない、そんな夢みたいな映像が実在するわけない #実在する

  

助手席に乗ってほしい男性有名人ランキング1位っていやいやお前ら単に好きな有名人挙げてない? ほんとに助手席に乗せたいか検討したか⁈ 私は真剣に羽生が助手席に乗るのを想像した結果、想像だけで緊張でハンドル握る手が震えてMURIという結論が出たしどちらかというと、助手席に絶対乗せたくない有名人ランキング1位だろ羽生は…… #個人の意見

 

「自宅へ送り届け着いたよと言おうとしたら窓に身体を預け寝ている頭の丸みにグッと来て、つい触ってみたくなるけど、触りたいでも触ったら起きちゃうかももっとこの頭の丸みを見てたいみたいな葛藤で腕を伸ばしては下げすること数度、ふと、羽生が「さっきから何やってんの?」プッと吹き出し、「え⁉︎ 起きてたの?」と動揺したら、「……降りたくなくて?(寝たふりしてた)」と顔を背けるけどその照れたような拗ねたような表情が背けた先の窓にばっちり映し出されてて、彼がいなくなった後あああとハンドルに頭を打ち付けたいランキング1位こと羽生結弦さん #お前はいつも朝からアクセル全開だな

 

私も、サーシャたんにフラれた(フラれた?)羽生きゅんを家で出迎える際に、満面の笑みで腕を広げたのを羽生くんにわざと完全無視されて、「ちょ、ちょ、ちょーい」ってやりたすぎるんですがいつ帰ってきますか? #永久にお前のとこには来ねえよ

 

プル‐羽生‐サーシャって継承の物語、羽生視点からでもアツいんだけど、サーシャ視点からでも激アツ感と重さある。
"ロシアの皇帝と謳われた伝説のフィギュアスケーターを父親に持つサーシャは、幼い頃よりフィギュアの英才教育を受け世界の注目を集めてきたーー"的導入から始まる物語で、憧れのスケーターとして出てくる羽生は、しかし 自分の父親の背中を見ていたのだったーー偉大な父の元に生まれた恩恵と苦悩の狭間でー
「見ててください。もう"プルシェンコの息子"なんて言わせませんからーー」みたいな展開ある感じのあれやろ? 止まらない胸アツ感と他人の人生を軽率に消費するなという葛藤クッソー #すぐこういう妄想始まるオタク



で若き日の羽生とプルの物語を描いた第0章スピンオフ編とかが出る。むしろそれが今と言っていい。今。なう。

 

軽率に妄想が広がる…これは実在人物とは関係なく完全に妄想展開上の話なんだが、幼き日は無邪気な憧れの対象、そして今(今とは?)はある種の執着の対象になった羽生について、でもある日はっと、「ああそうか」と気付く。自分は羽生自身に執着をしていたわけではない。ある意味彼は、"越えられない父" と"父を越えたい気持ち"の象徴的存在であったのだと。自分ではなく父の背を見ている憧れの彼という存在に、父を越えたい越えられない自分の苦悩を象徴させ想いの矛先にしていたのだと。それに気付き、羽生の呪縛を捨てたときに、サーシャはだれでもないサーシャとして飛翔ーー #俺の妄想が飛翔しすぎた

 

は〜高校時代の羽生きゅんの副担任になって、ゴツめの体育会系男子達に混じって明らかに異物感のある華奢で可憐な羽生きゅんについつい目がいってしまうけど、(駄目だ、教師として依怙贔屓は許されない…)と必死に見ないようにしたいし、けどうっかり目があったとき、羽生きゅんはちょうど欠伸をしてて やば、バレちゃったって感じにてへっとこちらに軽く照れ笑いをした、あまり学校に来なくていつもはもう少し、何を考えてるかミステリアスなとこもあったそんな羽生きゅんの珍しい愛嬌にずきゅんとやられてしまって、ああ私はなんという感情を……と辞表を出すべきか真剣に悩みたい人生。狂わされてえ。
一輪の百合のような芳香にくらりと傾いてしまいそうな自己を認めたくなくて、必要以上に「フィギュアなんてさー女のスポーツだよなー」とか言っちゃう級友でも可。 #可もクソもあるか

 

は〜皆の憧れの羽生先輩とたまたま校門で鉢合わせて、「藤吉帰るとこ? 一緒に帰ろー」って無邪気に言われ動揺したい青春だった。私が水筒の水を飲んでると「喉乾いたちょっとちょうだい?」とか言ってきて、「っへ!?」って慌てて水筒ぶちまけて自分の制服をびしょ濡れにしたのを、何やってるの?と覗き込んできたりなんかするから、「い、いや…」と顔を逸らしたら、「何もしかして照れてる?」と悪戯ぽく笑いかけられ「可愛いね」と呟くもんだからすっかり舞い上がるけどその後はなんてこともなく、ただその日たしかに私に向けられた笑顔だけを思い出にその後の2年半を生きていきたい青春だった。

 

FaOI放送で半袖から伸びた腕がアップで映ったことにより、ツイでこんな肌荒れまでアップに…!とか言われた事を多少気にした羽生くんが、クリーム(俺の)を腕に塗ってるのを見てふとそのホクロをぷにっと押してみたくなり、手を伸ばしたところを完全に意図を察知した羽生くんにパシッと手首を掴まれ、

「あとで遊んであげるからあっち行ってて」

って追い払われてーなーって一日48時間考えつづけてる。 #F(不埒な)a(愛)O(オン)I(アイス)

 

羽生くんに「あとで遊んであげるからあっち行ってて」とか超言われてえな。 言われたくない⁇ 「ええー? 何して遊んでくれるのかな?」って完全にノリがセクハラジジイのそれの私に冷たい視線とゲーム機だけ投げつけ「それ面白かったよ」って自室に引っ込まれたい…。

 

で羽生くんは私が「遊んでくれるって言ったじゃんー!」って騒ぐとお思いでしょうが(お思いでしょうが?)、敢えて黙ってゲームやってたら意外と面白くて15分くらい経ったくらいで、妙に静かな私の様子を見に戻ってきた羽生くんが、黙って横にストンと座り、私の腕のホクロを(私にもあるのだ)つんつんとするので(くっそーーかわいすぎかよ結局15分も待てねえのかよバカーーー)って萌え死にたい。

 

羽生さんの腹チラを永遠に眺めていたい気持ちと、寝てるのを見る度にどうもお腹が出てるのでタオルをかけ直してあげるけど、かけ直しても直しても腹チラするから心配になり「お腹冷えるよ!」と腹巻(いらないタオルを再利用した手製)を渡して「ダサっ」と言われたい気持ち、半々。いや、2:8。

 

 リズム感が絶望的にないワイからすると、羽生さんの音とリズムへの動作呼応の神っぷり、もしやもし幼き頃に楽器をやっていたらそれはそれで天下取れたんじゃって一昨日くらいに考え始めてから白シャツなどでピアノを弾く羽生パイセンの妄想が止まらない。勿論貴公子的にショパンを弾きこなすパターンでも似合いみが過ぎるのだが、普段そんな素振りを見せないのに、例えば合唱コンの練習中「ちょっとそこのリズム違うかもー、貸して」って代わった羽生がめちゃくちゃピアノ上手くて、その白シャツを捲った腕が脳に焼きついて離れないみたいなパターンも燃える  #ピアノの話は?

 

私が「見てみてーハニーゆづ味だって! 羽生くんにぴったり!」って、何種かの味入り箱アイスを買って帰った際、「すごーい」と言って写真まで撮るのにいざ開封したらふっつーにいちご味を食べ始めて「いやいやいや」って突っ込むと、例のポメラニアンみたいな顔で、なにか?みたいに首を傾げるので、(そうだねそうだったね羽生くんはいちごショートのプリンセスだった時代もあったしね!)って全てを許したいか、或いは

「○○ちゃんが"ゆずを食べたいと"思って」

「……」

「…ちょっとそういうよこしまな視線で俺を見るのはやめてくださいます?!」

「何も言ってないじゃん!」

「いや完全に『きゃー結弦の口からゆづを食べたいとなんて言葉が出るなんてやべえー(私の物真似)』って顔してたんですけど」

「むしろ今その台詞が羽生くんの口から発されたことが一番やばいわ」

ってあまりの衝撃に無事死亡したいか、どちらのパターンがいいか労働中真剣に悩んでいたものの、全部妄想だしそもそもいちご味のが好きという前提すら妄想だった。 #公式では一言も言及されていないのに何故か二次界隈では広く定着している設定ってあるけど

 

ポジティブなオタクなので羽生くんの髪型が似合ってれば、髪型可愛いー最高♥って思うし、ばっさり切っちゃってもそれはそれで「最高と思った瞬間から容赦なく刈ってく羽生最高かよ」って思うし、ノンノンしてくれれば、自らのノンノンの殺傷力に味をしめた羽生最高か?って思うし、してくれなければそれはそれで、「もー羽生くん私がいる時はしてくれないのかツンデレ❤︎ 照れ屋さん❤︎」って大喜びしてくスタイルなのでなんでも大丈夫です。

 

おいおいおいおい羽生結弦の口から「失恋」という言葉が発されただと!?!? 夜行バス乗ってたから見てないし録画してねえよ!! ちくしょう羽生の口から「失恋」という音声が発されるなら事前に言っといてくださいよフ●テレビさん!!! #無茶な要求

 

なんかもっと(どうですこの羽生が失恋ってワードを口にしましたよ?)ってしれーっと言ったのかと思ったら、失恋って言う時にデュフってちょっと笑ってる上、その後、春、春がって噛んだ挙句、誤魔化すように早口になってるトリプルコンボに昨日からニヤニヤが止まらないのでマスクで出社せざるを得ない。

これその場でうっかり発された言葉ではないな!? 事前に(皆さん俺が失恋ってワード発しましたよどうぞ動揺してください)ってタイミングを考えてて実践したけど、やっぱ照れのがまさってしまって笑ったり噛んだり早口になったり全然しれっと言えなかったパターンだな? 嘘やん超かわいい…やば……

 

ってかスケーター旅館に泊まってるん? まずい…羽生×旅館か大変まずい…卓球やりたい。ゆづるスマーッシュとかクソダサい技名叫びながら大袈裟にキメようとしてスカッとミスる羽生くん見て大爆笑したい。大爆笑で手が震えその後全く使い物にならないから負けて羽生くんに「はい勝った勝ったいちご牛乳奢って」って言われたい…「え? 寝る前に牛乳なんか飲んで大丈夫? お腹痛くならない?」って過保護な心配してムッとした羽生くんから、ふくらはぎにゆづるスマッシュ(蹴り)くらいたすぎる……まずい情報だ…

 

はーしかし旅館×羽生の妄想が止まらねえな。まだ付き合ってない時に(永久に付き合わん)、酒の入った宴会から少し離れた場所にいる羽生くんに何の気なしに気付いて、「飲みますか?」ってオレンジジュース渡そうとすんだけど1度目は返事をしてもらえない。肩をトントンとやるとようやくこちらを向いて「あ、すみません」イヤホンが、とコードの無いイヤホンをこちらに見せるように髪を耳にかけたその動作と首筋の芳香に思わずくらりと来てジュースをこぼしかける夏ーー来てーー! カモン!!!!

 

静岡はさわやか行くのも楽しみだな~。羽生くんはハンバーグ2つも食べれるのかナ? 「大丈夫? 2つも食べれる? 肉に襲われない?」って聞いたらうざったそうに「もお~そのネタ古いから。大丈夫だし!」と口を尖らせるので、さいですかと注文するが案の定1つ目の4分の3ぐらいでフォークを動かすスピードが落ちる。それチラチラ見てたら、視線に気がついた羽生くんに「○ちゃん食べるの早いね、まだ食べたいでしょ? あげる」って何かあたかも恩売る感じで言われてえ。「やっぱ食べれな「違うから○ちゃんが食べたそうだからあげるの」と言い張る羽生

それを受けて私は「そーねー、確かにもっと食べたいから自分の分追加で注文するね」と敢えて意地悪を言うが、呼び出しボタンを押そうとする私の袖をぎゅっと引っ張って止めた羽生の「もーわかってるくせに! 嘘! 嘘嘘、肉に襲われちゃった…」という言葉とあざとく机に突っ伏す動作だけでご飯10杯いk #つうかあれ二つではなく半分に切ってるだけだからな

 

新静岡のさわやかビルの中にあるんやね。待ち時間にBEAMSで羽生きゅんにお洋服買ってあげたい。ふと見ると後ろにいた筈の羽生が居なくなってて、あれ!?って探したら、東急ハンズのペンコーナーで謎にテンション上がってサインの試し書きとかしてて欲しい。勝手にいなくなったことに怒るより先に「貴重過ぎる落書きを!するな!って突っ込むから。

 

さわやかは店員さんが最初にハンバーグ半分に切ってくれるんやな。羽生くん、「油が飛び跳ねなくなったら召し上がり下さい」の言葉めっちゃ律儀に守って、私が待ちきれず半分くらい食べてもまだ紙持ってそう、、「いつまでやってんの?」って突っ込みたいけど面白いからずっと黙ってたい。

 

私が早々に食べ終わったところでようやく、油の心配がなくなったのかハンバーグを切り始める羽生くんに、暇になった私が「羽生結弦! ハンバーグ入刀!」とか冷やかして「うっさいなー黙って食べt……は? もう食べたのやっば」ってまじでドン引きした羽生の声が入った動画とかは特にない…何故無いんだ…現実はクソだ。

 

しかし執行を経て安室さん夢女子は「私たちのライバルは国だった…?」とザワザワしていたが、今回のFaOI静岡を経て俺たち羽生ガチ恋勢の最大のライバルは氷であることが完全判明しましたよね。たしかにそうだよな…入るときいつも触ってもらってるし今回は公然と口づけまで… #言い方 #Hydrokissing

 

ふつうの日記と備忘録としての5月上旬映画雑感

 

ふつうの日記

 

平成最後の1年が始まったらしい。

 

25歳にもなってまだ中2病から抜け切れていないから、「平成最後の1年」という言葉、すごくいいなあと思う。

通常はそれが最後の1年かどうかなんて始まる前には分かり得なかったわけだが、平成に限ってはもう先に分かっている。この、未来から“それが最後の1年だった”と振り返る感じを、今この地点で体感できるような。

実際に、平成を駆け抜けた2つのアイドルグループが今までのような形ではいられなくなり、野球や将棋やフィギュアスケートで、これまでの記録を塗り替える規格外の人間が人々に熱狂を以て持て囃される。終末と狂騒。時代と時代の狭間、感。

2年後には東京オリンピックが控えている。

 

日記でもつけておくべきなのかもしれない。

何しろ、私は去年のGW何をしていたかすらほぼ覚えていない程度に記憶力がザルなのだ。たぶん何もしていなかったんだろう。

一昨年のGWは、自分の退職騒ぎの顛末をノンフィクション小説調に書いて、「今年一番のエンターテイメント」と同僚にクソのような褒め言葉を頂いたりしていた。

それを思い返せば、自身の今の生活には随分エンターテイメント性が薄れてしまった。

 

先日、「○○さんはGWどっか行くの?」とカイシャの人に訊かれた際、

「いやーどこも行かないっすね、溜まってるもんが沢山あるので…掃除とか」と答えて、ほんとうにそのつもりだった。スパコミとかGWのイベントとか電車欲とかも絶って。

「1人暮らしの女の部屋の掃除なんて、1年に1回とかで十分じゃん」と言われたから「今がその1回なんですよ」と返した。

 

1年に1回どころではない。現状、2015年4月に上京してきた際の段ボールが未だ部屋の中に何個も積まれている状態のままである。

 

“ほんとうにそのつもり”だったのに、実際はGWに入って6本映画を観た。連日新宿に出ていた。まあ、4月の怒涛の羽生祭りの為に他のエンタメを一切絶っていたから、映画も「溜まっているもの」ではあるのかもしれないが。

 

 

GW映画備忘録

 

 

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2018.5.2 21:10~ アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー@TOHOシネマズ新宿

 

eiga.com

 

 

ピタトニ大勝利。

 

 

「いや、どうすりゃいいねんこんなん…」

と、エンドロールの間中呆然とするくらい本編がマジで超絶鬱展開なので、くだらない中の人ネタと腐ネタくらいしか喋れないため、とりあえず今言いたいのはそれだけである。ピタトニ民、息してる?(萌えと絶望両方の意味で)

 

 

ところでやや話は逸れるようだが、何かこういう言い方をすると洋画ファンにかなり怒られそうなんだが、IWを観て改めて、やっぱハイローってアベンジャーズだったんだなって思った。

所謂クロスオーバーっていうんでしょうか。てんでバラバラな世界観の、それぞれの世界観で主役を張るような登場人物同士が、同じ画面に収まってしまった時の組み合わせと相互関係が生み出す面白さ。

IWに至ってはほぼ、「ピンチ! どうする!?」⇒おっとそこに現れたのは?⇒○○だったー! (ハイローも結構この構図だよねえ…)

の繰り返しと、そこで現れた○○と××が組み合わさるとこうなりまっせという応酬ギャグと化学反応とアクションと、あとは強敵サノスによる、

「おまえは大義のために愛する一人を犠牲にできるか」テスト

で持ってるみたいな映画じゃないですか。

まあ、この「大義のために少数を犠牲にできるか」 問題は、今回、これまで単に「残忍で強大な敵」というだけだったサノスのバックボーンや義娘ガモーラとの関係が描かれることを含め、IWの軸となっているのであろうテーマではあるのだが。

 

 

それはさておき、前回のアベンジャーズ以降、また色々増えたおかげで、そんなヒーロー同士の組み合わせの数も増え、

 遂に対面を果たした(そして案の定相性の悪い)シャーロック×ホームズという図の面白さとか、

アベンジャーズでも「ナチュラル男前枠」であるらしいソーに、対抗心をメラメラ燃やしまくるスター・ロード、の面白さやキュートさとか。(デブネタを映画の中でまでいじられるクリプラ面白可愛いすぎる)

ああ、ここを組み合わせるとこうなるんだな!

って楽しみは今回新たに諸々生まれたのだけれど、しかしやはり私が何より滾ったのは、「シビル・ウォー」や「スパイダーマン:ホームカミング」に引き続いての、アイアンマン(トニー・スターク)とスパイダーマン(ピーター・パーカー)という萌えである。

 

もうまずキャスティングがいいよね。今更だけど。

どこか人が自分に踏み込みすぎることを拒絶している感じの、若干のやさぐれ感というか厭世感のあるロバート・ダウニーJrと、一応成人はしているはずなのに少年らしい無邪気な愛嬌溢れるトム・ホランドくんの相性、めちゃくちゃ良すぎる。

スタークさんに早く認められたくてはしゃぐピーターと、割とぐいぐい来るピーターを、「坊や」呼ばわりでステイステイステイって感じに留めようとするスターク。最高か。

 

で、スタークとピーターの再会シーンからもうやばい。

アイアンマンのピンチに颯爽と現れ敵から守ったのはスパイダーマン…って何それもう最&高。 

年下(新人)の方が、年上ベテランを助けるという萌え、タイバニ民なら必修科目だろ?

 

 

そして、私がうっかり劇場で、「マジで!?」と叫びそうになったのは、ストレンジ先生のマントを見て、スタークが、

「ご主人様思いのマントだな」と言ったあと。

 

ピーターが、その言葉を受けて、

「ご主人様思いと言えばここにも…」

と出てくるのである…!

 

 

ひええええええええ、ピーターにとってのスタークは…ご主人様って位置づけなんだ…!!!! しかも、自分はご主人様思いって自負があるんだ…ひえええええええ…

しかも、僕だってあなたが心配で来るくらい主人思いなんですよ的にマントに張り合ってアピールしてるとか可愛すぎだし、そのあと、何でお前ここにいんだよ!的にスタークさんに咎められたら、「あなたが心配で…」って言ってるのも、おいおいおい年下わんこ攻め来ちゃったわって感じだけど、

とどめに、スーツが引っかかって云々みたいな言い訳をつらつら述べたあと、「つまりあなたのせいでもある」とか言い出す…こんなん、「お前が悪いんだ」って受けを押し倒す攻めが言う台詞のあれじゃん…!(違う)

 

 

更に、ピタトニ民としては大勝利なのか大敗北なのか、こんな時どういう顔をすればいいのかマジでわからなくなるラスト。

ストレンジ先生の言っていた「勝ちパターン」としてのどんでん返しがあるかと思いきや、まさかのそのまま敵倒せず展開で、6つのインフィニティーストーンを手にしたサノスによって宇宙の人口の半分が消され、ヒーローたちも次々と消えていってしまう場面。

 

自分が消えゆくことを察したピーターが、ぎゅっとスタークさんに抱きつきそこから押し倒すように倒れこみ(そんな感じだったよね? 記憶改竄してる可能性はかなりある)

ピーターは、ごめんなさいと謝るのだ。

自分が死んだことの責任にスタークが苛まれ続けるだろうことを知っているから。

 

…なんて、なんて素晴らしいシークエンス…

 

ピタトニ民として、こんなん公式が今後はピタトニを推していくという方向性が定まった以外の何でもないですやんという萌えに咽び泣けばいいのか、消えゆくピーターの悲痛な表情とひとり遺されたスタークの静かな哀しみに涙すればいいのか、感情が迷子のIW屈指のシーンである。

 

 ってか、ここトムホくんの即興演技らしいじゃないですか。いや、スパイダーマンを彼にした人マジで天才じゃないすか?

 

 

トムホーーーーー泣

 

 

ところでこれは蛇足だが、前に「ワンダーウーマン」を観た際にも同じことを思ったのだが、こういう大作洋画系の字幕、新宿の映画館だと結構な割合で外国人の客がいる。

彼らが、ところどころで挟まれる会話の応酬ギャグに声をあげて大爆笑しているのを聞くと、私は結構不安になるのだった。

 

え、私はこの映画ほんとに分かってるのかな…? って。

 

たぶんというか絶対ぜんぶはわかっていないのだ。

字幕と吹替両方見ると、結構訳のニュアンスが違うことってよくあるじゃないですか。

で、○○(字幕or吹替)のが面白い、ってことも結構あるじゃないですか。

会話の応酬以外でも、原語ではただ名前を呼んでいるだけなのに、「大丈夫?」って字幕がついてるみたいなこともあるじゃないですか。

 

原語自体が持つニュアンスって、やっぱりどうしても、字数や時間の制限がある字幕や吹替では全部は伝わりきらないんだろうなあと思う。

 

英語わかるようになりたいなあ(言うだけ言うだけ)

 

 

2018.5.3 12:50~ 君の名前で僕を呼んで@新宿シネマカリテ

 

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観終わったあとの雑すぎる感想。

「思いのほか鬱屈も殺伐もしていない、爽やかな普通のラブストーリーだ…」

 

とはいえ、私はユーリ!!! on ICEを見て以来、男同士であることの葛藤や不幸、あるいは男同士“なのに”を描くこと=深いラブストーリー みたいな考え方だけじゃなくてもよくない?と思うようになっているのである(という話はこちらに書いた⇒正月はとっくに終わったが2016年にハマったものでも振り返る。(※ようやく「ユーリ!!! on ICE」の話) - センチメンタルの涅槃)

 “普通の”というのはつまらないってことじゃあない。

同性同士であることの意味や理由よりも、カッコ付きで言うならば“単に”、人物と人物同士の出会いと愛情の物語である側面が強いということだ。

いいじゃん。同性同士の普通のラブストーリーどんどん増えようよ。とこういう作品が増えていくのは喜ばしく思っている。

 

というラブストーリーとしてのプロットと魅力の話をするならば、少なくとも個人的には、「ムーンライト」とかよりも全然ラブストーリーとしての面白さがあると思ったし、2人のキャラクター、というか出で立ち・空気・立ち振る舞いすべてに、互いが惹かれあう肉体の説得力があっていい。

 

 思春期のモヤつきと何かに拗ねた感じを体現するような17歳の少年エリオと、「まあそりゃ少年は惚れちまうわな」って誰もが納得するような、明朗な知性と魅力溢れた、けれども「いつも俺を置いていく男」としてのオリヴァー。

 

オリヴァーについては、いったい何の意味があるのか伏線なんだかもよく分からない些細な動作についてのカットが幾度か挟まれている。気がする。

つまり恋なんていうのは、何か大きなターニングポイントみたいなひとつの出来事なんかじゃなくて、どうしてだか記憶に焼きついてしまったあの断片とこの断片との積み重なりなのかもしれないなとも思う。そういう恋の話を表現するのって、たぶん凄く難しいのだけれど、この映画はちゃんとそのあたりの説得力がある。

エリオの視線を通して知るオリヴァーについて。卵をうまく割れない男。もらったジュースを一気に飲み干してしまう男。でも、大学教授の父の説に言い返せる知性のある男。「後で」が口癖の男。町を案内したのに、“じゃあ”と自分を置いていってしまう男。

この視線による語りと、積み重なる、“について”の獲得こそが、彼が彼に恋に落ちていく物語であり、そしてこの、「魅力的な、でもいつも自分を置いていく男」感が、どこか始終不安な恋の切なさという焦燥と感傷を我々に思い起こさせる。

 

そして、タイトルにも現れている、2人の恋についてのテーマもいい。

「君の名で僕を呼んで」

むろん、同性だからこそその思いはより強く、という面はあるんだろうけども、たとえ同性同士じゃなくとも、

同じネックレスをつけたり彼のシャツを欲しいとねだったり、好きすぎるあまり自分があなたになりたいと思うような、或いはあなたのようにというよりもはやあなたになりたいって憧れこそを恋だと思ってしまうのか、どちらが先なのかは分からないけど。そういう半ば倒錯めいた気持ちは分かってしまう人って結構いるのではないか。少なくとも私は分かる気がする。

自分の切れ端を相手に見出そうとし、相手の切れ端を自分に取り込もうとするような。あの感覚。

だからこそ、最後、母親に自分の名を呼ばれ振り向くシーンが、なんというか"クる"のだ…。

 

ああ、なりたかったあなたはもういなくて、俺は俺だったんだなって。

 

 

 

2018.5.4 16:40~ アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル@TOHOシネマズ新宿

 

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 自分は92年生まれなので、実際のトーニャもナンシー襲撃事件のことも実を言うとろくに知らない。なので、スケオタ的にはこの映画って、どういう立ち位置なのか全く把握していないが、とりあえず映画として普通に面白そうなので観ることにした。

 

で、とても面白かった。

 

「バカがバカなりの浅知恵と妙な思い切りで何かをやらかしてしまった結果、マジで深刻な取り返しのつかない泥沼と化していく感じ、『ファーゴ』」みたいなことをTwitterで誰かが言っていてなるほどなあと思う。クズしかいない家族を切り捨てられきれなくて、振り回され人生がハチャメチャになっていく(ただし本人も本人で割とクズ)、という意味では「全員死刑」みもある。

「アイ,トーニャ」は、「付き合う人間は選ぼうね」ほんとにほんとに、って強く思う映画なんだけど、生まれてくる家族は選べないというところに不幸の根がある。

「アイ,トーニャ」では最後に実際のインタビュー映像も流れるのだが、観客が、「そこはさすがに脚色だろ」と思っていた部分が割と実際にかなり忠実でそのまま再現してるだけ、っていう点にビビる、という面でも「全員死刑」感。「全員死刑」は2017年個人的ベスト映画だった。私はそういうブラックコメディが大好きだ。ちょっと期待していたこの前の「素敵なダイナマイトスキャンダル」がかなり肩透かしだったので、「アイ,トーニャ」が実際の話に基づく半ドキュメント的映画として面白いものだったというのが嬉しい。

 

毒親にDV夫に妄想狂の友人に、クズとバカしか出てこない映画の中で、もちろんトーニャ自身も全く以て品性や理性や知性のある人間とは言えないのだが、私はこの映画の中に出てくるトーニャを全然嫌いになれなかった。むしろかなり思い入れてしまった。

DV夫をバリバリに殴り返したり、自分をバカにする奴らに中指を突きつけ、クソ食らえが口癖で、演技後はガニ股でキスクラに座り、得点に納得いかなければジャッジに食ってかかる。

こういう、悔しさと怒りこそを闘志にして、くそったれがという中指を飼って、「オリンピックでこてんぱてんにしてやる」と言うような有りざまってのは、やっぱりこう、めちゃくちゃグッときてしまう部分がある。

芸術点が低いため得点に伸び悩むトーニャが、「トリプルアクセルを跳ぶ。それしかない」と言い捨ててリンクを去っていくシーンなんか、凄くいい。

 

のだが、結局フィギュアスケートなんてさあ、元々金持ちのスポーツの上に、「ふさわしい」人格なんてものは、周りに然るべきご立派な人達に恵まれてこそ形成されるもんなんだよな

 

なんて、

いつ殴る蹴る地雷があるのか分からない父と、ヒステリー母とに大いに恵まれた私は若干のやさぐれた気分にもなる。私も、テストで100点でも学年で2位でもピアノのコンクールで賞を獲っても今まで親に褒められた記憶というの、マジで一度もない。

 

で、そもそも「ふさわしい」人格って、何なのよ? という問いが生まれてくるのだ。

 

実際がどうなのかはともかく、この映画でのトーニャは、「労働者オンアイスか?」と観客にヤジられる(まあ厳密にはこのヤジについてはもう一つ捻った裏があるのだが)感じの人間で、品性と「美しきアメリカの家族の理想」をフィギュアに体現して欲しいジャッジ達に嫌われ芸術点を低くつけられる。まあそんなことが本当にあるのかはさておき、トーニャはそう思い込んでいる。

そして、「スケートができるだけじゃ駄目なわけ?」と嘆く。

 

確かに私たちは、技術と超人的強さを持ち、かつ聖人のような人格を持つトップアスリートが大好きである。羽生くんとか。私も大好きである。

しかし、聖人のような人格は、アスリートにとって、あくまで「オプション」であるべきといいますか。

俺達がそういう人間が大好きなことと、この世すべからくのトップアスリートに、「ふさわしい」素晴らしき人格までをも求めようとすることは、違うんじゃないかとも思うのだ。

 

という具合に、「スポーツ選手と人格問題」「フィギュアスケートのジャッジに於ける“芸術面”とは問題」 とか、バカとクズしか出てこない映画のようでいて、フィギュア好きにとっては色々示唆に富む作品だとも思うのだが、一番ハッと鳥肌が立ったのが、

現在の地点から過去を振り返るという体の「インタビューパート」でのトーニャが、

 

「有名になれば楽しいと思ってた」と吐露するくだりからの表情と展開だ。

 

「私は愛された、一瞬だけ。そして嫌われた。メディアに敵にされた、あんたに」というような台詞。

 

この、“あんたに”っていうのは、 映画の物語的にはもちろん、今トーニャをインタビューしている“あんた”(メディア)に向けた台詞なのだろうけど、効果的には、我々一人ひとりに向けられた言葉のようで、女優の演技の凄みも相まって、めちゃくちゃゾクッとする。

 

これはもちろん、「スター」や「敵」を求めているのは、ほんとうは、私達ひとりひとりなのだ、というメッセージに対してハッとしたということでもあるのだけれど、それ以上に、マスコミやメディア云々、それ以前に、私たちにどうしたって内在しているらしい、<見たいようにしか見えない>認知の歪みについて考えてしまったのである。

 

この映画は、おそらくかなり意図的に、トーニャ側の「言い分」をそのまま取り入れて描いている。

そしてラスト、トーニャは、「これが真実よ」と言う。

こうした作りになっていることそれ自体が、「事実」と「真実」と「(我々)世間」とそれから「世界」にまつわる関係についての皮肉になっているようで、凄く良い。

私たちが見たいようにしか誰かを見ないのと同様に、トーニャにとっては「これが真実」として存在しているのだ。

 

というのは、結局のところ“真実”なんていうものは、ひとつひとつの事実の取捨選択と解釈の積み重ねでしかないのである。

たとえば私も大学生のとき、バイトからの帰り道に偶然、道の向こうからゼミの先生が歩いてくるのが見えた。先生は、当時付き合っていた恋人(現・奥さん)を隣に連れていて歩いていた。学生にプライベートを見られてやばい、と思ったのか、先生は彼女さんに何かを告げるとさっと路地を横に曲がってしまった。

 

…というのが、私の中の「真実」としてずっと頭の中にあったのだが、一年ほど経って実は先生の中ではそうではなかったらしいことが判明するのである。

 

先生は、一応挨拶をしようと思って、手をあげかけたのだけれど、私にさっと顔を逸らされたので、手をおろしそのあと道を曲がった。のだという。

だから、先生にとっては、「私に顔を逸らされた」というのが「真実」としてあったのだ。

顔を逸らしたのかもしれない、でもそれは、あんまりじろじろ見たら失礼かなと思ったからだと思うし、私は自分がそうしたとは覚えていなかった。

 

先生は恋人と歩いているときに教え子である私に遭遇し、道を曲がった。

これは事実である。しかし、その事実に対する取捨選択と解釈は、一つではない。両方、嘘をついているわけでもないし「事実」を歪めようとしたわけでもないのに、私にとっての、先生にとっての、「あの時の話」が存在するのである。

 

世の中なんて得てしてそういうものなのかもしれないなあと思う。

たとえメディアが歪めなくたって、私達はこの世界について、見たい物語しか見ることができなくて、「私が思うから私の中ではそうなっている」ことが山ほどあるのかもしれない。世界中の人口のぶんだけ。

そのことになんとなくゾッとする。

 

 

2018.5.4 19:30~ タクシー運転手@シネマート新宿

 

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もちろん社会派ドラマとしての大傑作ではあるし、ゾンビと一緒にすんなと怒られそうだけど、映画としての作りと面白さではかなり「釜山行き」に近いもんがあった。「追ってくる恐怖」についての静動・緩急あらゆるバリエーション、見せ方の巧さ。

“何か尋常ではないことが起こっているらしい”

という恐怖の断片断片を徐々に提示し登場人物と観客の緊張感が高まったところで、ドーーーン!!! と惨状を見せる画の巧さも同様。

 

あと、自分たちの身の回りのことが一番大事で、もっと大きな脅威やそれに犠牲になる人々は、俺たちには何もできないんだからほっとくしかないじゃんさあ、みたいな主人公が決意し立ち上がる感動とかも。

(ついでに、おじさんと学生さん、という組み合わせにおける「学生さん」の使われ方も…ああいう使われ方って韓国映画のトレンドだったりするのかな…)

という意味で、社会問題提起映画でありながら、ゾンビ映画的?ホラー・サスペンスとしても、通常混じりえなかった人間同士が共に何かに立ち向かうバディ物としても、 完成度が高いというおそろしい代物である。最後には派手なカーアクションまであるし。

 

なので、色々な楽しみ方や受け取り方がきっとあって、この映画は、観る人によっては、

「大抵のマスコミなんか、権力からの圧力や虚偽隠蔽にまみれたクソみたいなもんだ! この映画の主人公たちみたいに、俺達が“真実”を発信するために立ち上がらねば」みたいな感想を持つのかもしれない。確かに、そうやって、真実を世に伝えるために奔走する作品なのだけれど、私はむしろ、こうした、「ジャーナリズムの持つ力」とは逆のことをこの映画に読み取ったのだった。

そしてその点こそが私が一番グッときたところであった。

 

「タクシー運転手」は、マスメディアの持つ力の大きさと同時に、メディアやジャーナリズムの「無力」についても描いているのではないかと思う。

 

タクシー運転手は客を目的地に送り届ける。

記者は今ここで起こってしまったことを世の中に届ける。

 

“記者は今ここで起こってしまったことを世の中に届ける”ことが仕事でつまり、“記者は今ここで起こってしまったことを世の中に届ける”以上のことは、できない。

 

というのは、記者は、報道することは出来ても、目の前の問題自体を今ここで解決する力は持たないのだし、今ここでカメラを向けて真実を世の中に発信しようとすることと、今ここで死んでいこうとする人々を救うことって、時にはどうしても矛盾するのである。

黙ってこの惨状にカメラを向けてる場合じゃあないんじゃないか。カメラを投げ出してでも、あの、怪我をしている人を救いに行くべきなんじゃないのか。目の前のこの人を犠牲にしてまでも、この映像を世の中に出さんとする行為は、果たして倫理的に正しいことと言い切れるのか。

 

こういうような矛盾は、震災の際の報道についてもたまに言及されるのを見かける。撮ってる場合じゃねえだろ、とか。

映画の中のドイツ人記者も、この矛盾に絶望し、葛藤する場面が2度ある。これこそが自分の使命なのだと信じられなくなりそうになる瞬間が。

 

それは、自分たちを逃がすために犠牲になってしまった学生の遺体の近くで。

それは、軍の銃弾で目の前で人々が次々に倒れているのに、仲間たちが軍に立ち向かおうとしているのに、そんな倒れた人達を必死で救出しようとしているのに、自分は一刻も早くここから立ち去って映像を届けねばならないとき。

 

しかし、周りの人々はそんな記者に、「撮れよ」と言う。

 

お前は記者だろ、記者はこれを世の中に伝えるのが仕事なんだろ。この惨状を、この死体を、全部、全部撮れよ。

 

お前たちは早くソウルに戻って、この真実を世の中に届けてくれよ。

 

そうして記者は、ああでもこれが、自分の使命なのだという決意を取り戻す。

それがめちゃくちゃグッと来る。 

 

私達が出来ることは本当に一部分で、ひとりひとりではほんの一部分のことしかできないのだ。そう割り切ったり諦めたりしてしまうのは、この世界に疲弊しないためのある種の防衛機制の面があるのかもしれないけれど。だからって、そんな無力感に負けてはいけない。

どうせ自分が何かしたところでというひとりひとりの無力感が積み重なることで、もしかしたら取り返しのつかない大きな惨状を生み、私は自分の仕事を遂行するのだという誇りたちの相互作用が、時として偉大なことを成し遂げるのだ。

 

 

2018.5.6 15:40~ 名探偵コナン ゼロの執行人@TOHOシネマズ新宿

 

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この10年来、いくら友達が好きとか言ってても、正直、コナンなんて子どもの映画っしょ?

って思ってたのでスルーしていたのだが、周りやTLの腐女子コナンの話しかしてないし、ハイローで先入観はよくないことを学んだし、ズートピアは2016年ベスト映画だったし、腐女子業に携わる者としてこれ以上存在を無視しつづけるのも正しくない姿勢のような気がして思い切って、えい、と観に行った。

 

 

……うん。

 

 

いや、確かに安室さんはかっこよかったのはわかる。

そんなバカな!?って凄まじいドライビングテクニックとか、コナンくん抱えて銃撃つとことか、「安室夢女子にとってのライバルは国」であることを理解する例の名シーンとか。 

分かるけど、ごめん。

「不汗党」でぜんぶ忘れた。ごめん。事前に過去作を履修して安室さんの思い入れを強めていかなかったのと、「不汗党」(日本公開タイトル「名もなき野良犬の輪舞」)を同日に観たのがよくなかった。

とりあえず、赤井という男のことも知りたいので、純黒を宅配TSUTAYAのリストに入れました。

 

 

2018.5.6 18:10~ 名もなき野良犬の輪舞新宿武蔵野館

 

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は!?!?!?!?!?!?

こんなん、少なくとも今後10年は「男2人映画の金字塔」として君臨する大傑作じゃん!!!!!!

 

 

 

 

何で武蔵野館ガラガラだったの!?!?!?!?

腐女子、マジで「君の名で僕を呼んで」ばかりに着目してる場合じゃないよ!!!!!!

こんな…こんなに凄まじいラブストーリーがここに……

御託はいい。今すぐに観ろ。こんな大傑作が腐女子にスルーされていいはずがない。 

…と「不汗党」については単体ですばらしポイント書きまくりたいのでつづく(たぶん。…たぶん…。)

 

 

現実に立ち戻るためであろうあらゆる羽生結弦との恋のためのプロレゴメナ(@週末仙台)

 

――――食べログで一人称が“小生”のおっさん並に、本題に入るまでのどうでもいい前置きと自分語りがクソ長いどころかもはや前置きと自分語りしかない代物である事をご留意下さい――――

 

4月がこんなに待ち遠しいなんて、人生で初めての感情だった。

 

4月。出会いの時。何かが始まる季節。

などといえば聞こえだけはいいが、要は環境が変わる年度始まりの月である。べつに気なんて合っちゃいないがハブにだけはならないよう何とか寄せ集まって形成したグループは無慈悲に解体され、また新たにクラス替えなんてものが行われる学生時代は、新学期の前日は毎年「友達ができなくていじめられる」悪夢を見たし、何ならそのままマジで一年間クラスに友達が出来ない年もあった。大人になったらなったで、駅前にたむろする、研修帰りとおぼしきリクスー新卒集団にコンプレックスを刺激しまくられ吐きそうになったり(同期が沢山いるようなカイシャに勤めた事が一度もなく、ユニクロTでカイシャに行くような私はこういう“まとも”なリクルートスーツ軍団にめちゃくちゃ引け目があるのだ)、同じく駅前で群れをなす、案内用にサークルの名が書かれた札を掲げた奴なんかがいる飲み会前後の大学生集団(大学にろくに友達がいなかった私は以下略)に胃をキリキリさせたりなんかする羽目になる。

一年で一番嫌いな月といってもよい。

 

しかし。そんな、リクスー軍団と大学生軍団にファックファックファックファックと呟き(心の中で)続けるクソ根暗な大の4月嫌いの私も、この……2018年の……2018年の4月だけはもうめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃほんとうに楽しみ以外の感情がなかった。

 

 

日本橋高島屋での羽生結弦展、そして五輪連覇の凱旋公演ショーの開催(これは既に記事にしたので読んでくれ⇒「アイは無視してくださいね、春」 - センチメンタルの涅槃)

更に、

来たる2018年4月22日、惑星羽生の第一王子がSENDAIにご光臨されると聞いて。

 

 

 ネットニュースで、「羽生のパレード、4月22日で調整か」という記事を読んだ瞬間、光の速さで仙台行きの高速バスのチケットを確保した俺は、いやもちろん、その記事が出てからなんて光の速さでも何でもねーだろ、プロなら日程をとっくに推測してたはずおせえよというのはもっともなのだが、とにかく仙台行きを決めた私が次にやった事は、否、夢女子ガチ恋勢としてやるべき使命は、

羽生結弦と行く週末仙台(妄想)デートプラン」

のシミュレーションだった。

言うまでもないが、実際はぜんぶ1人でゆく。

 

何で羽生くんは仙台でパレードして、そのあと色々各所との挨拶等もあるはずなのにお前とデートするんだよ、というツッコミは尤もである。いや、失敬、尤もではなかった。そもそも何でお前とデートするんだよというツッコミは……

 

うるせえ。

 

これは、実は約一年半前に、所用で仙台へ行った事はあったものの、着いた時には夜過ぎて、ぜえぜえ言いながら暗くて結構怖い山道を登って、光る伊達政宗像を見、後は高速バスの時間までひたすら駅前のモスで「啄木ローマ字日記」を熟読していた記憶しかない(しかも啄木は岩手だろ)私の反省であった。せっかく羽生様が、「仙台にお金を落としていただいて」とおっしゃっているのだ。せっかく羽生結弦という奇跡を生み出して頂いた聖地へ赴くのだ。メッカ巡礼と言って過言ではない。だから、絶対に絶対にSENDAIを満喫せねばならない。

 

私は、検索窓に「仙台 夜 デート」と打ち込む毎日を繰り返し、シミュレーションにシミュレーションを重ねた。 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな日々の半ば、コースを設定する過程で、聖地「アイスリンク仙台」のページを開いたとき、

 

 
軽く俺の年収の10年分
もの印税を羽生くんが寄付しているという事実を目にし、もうなにか、人生のレベルが1000段階くらい…違う…割と真面目に、なんというか落ち込み、

 

 

ほんとマジでこんな事をやっている場合では…ないのではないだろうか…あああああ駄目だトリップしていた脳がまた現実に戻ってしまうぞーーーーーーー戻るないや戻れ。

 

 

と若干我に返りかけたものの、いよいよ来るXデイが近づくにつれ、私のテンションはうなぎのぼりとなる。

 

 

 

 いよいよパレードTシャツが届いた頃には、ひとりで大はしゃぎするアラサーというキツい図まで披露し、

 

 

 

なんなら前日には平昌後~仙台行き前までの妄想を支部にまでまとめた。↓ 

www.pixiv.net

 

 

が、しかし。

 

結論から言おう。

完全敗北である。 

 

仙台が楽しくなかったということではない。楽しかった。行ってよかった。

そうではなく、単に、夢女子としての俺の限界が露呈してしまったという話である。

 

というのは、普通に、引きこもりアラサーには体力の限界だったというのが一つ。

 

土曜日も夜まで仕事だったため、夜行でろくに寝ず仙台の地へ降りた後、

取り急ぎパレードコースを一往復したり(既にこの時点で2キロ以上)、仙台の町をふらふら歩いたり、その後は、羽生くんを見るために待機時間も含め太陽の照る中、3時間は立ちっぱなし。

パレードが終わった後は、アイスリンク仙台に向かったのだが、これが意外と遠い。駅から片道1.6キロらしいので、往復3キロ以上。

普段5分くらいしか歩くことなく運動なんか一切しない文化系引きこもりアラサーが軽く6キロ以上くらいは歩き、数時間立ちっぱだったのだ。

 

無理。

 

妄想にもそれなりの(体調的&メンタル的)コンディションが必要なのだ。無理。脳内に羽生きゅんを召喚する余裕とかない。

万が一、テレビ局に、ちょっといいですかー?なんてうっかり声をかけられていたら、 

「何より体力。体力が課題ですね」

とぜえぜえ言いながらヒーローインタビューに応じる私の姿が晒されてたことであろう。

実際はどのカメラも私をスルーして、私の前で、アイスリンク仙台前できゃっきゃするマダム集団や、私の後ろで、パレードの沿道をプーさんの着ぐるみ着て歩く女の子(この女の子新聞にも出てましたね!)、などにマイクを向けていたが。

やっぱ見目の問題だろうか。

 

見目。

そう、見た目の問題というのもあった。

もちろん、これまでだって、自分が今すぐAKBに入れる容姿だとはまかり間違っても思った事は無かったし、容姿を遠まわしにdisられる事は100回あっても、かわいいと褒められた事は人生で一度もない。むしろクラスの卒アルで下から一、二番目程度の顔面だとは分かっている。ブスである事が自分の根暗な人格を形成した理由9割って話も何度もしている。(これとか⇒そのうちいい人現れるよ(俺は嫌だけど。) : 人間そっくり)

だが、問題は顔面(ブス)以外にもあった事をこの度私は羽生くんによって強く思い知らされたのであった。

 

思えば、「羽生との実質2ショット」を量産していた頃はまだよかった。

正直、顔面だけならスタンプで消せばいいし。(実際、スタンプの方は残してるけどちゃんと顔が映ってる方の写真は見るに耐えんので大体フォルダから速攻で消してる)

 

 

 

 問題は、遠近法とトリミングのごまかしがきかない写真である。

 

ところで、仙台に行った際には、おめえは何回同じ話するんだよって感じに同じ話を何回もするくらい、どうしてもやりたいことがあった。

おそらく少なく見積もって5万人くらいは同じ事を思っただろうが、週末仙台の↓これ、である。

 

 

 

 …で、実際やった。

やっぱり、同じ事を5万人は考えていたのか、私が行った時もこのポーズを取るために15分くらいは待機し、そしてやった。私はこの写真を撮るために、何なら「三脚付き自撮り棒」まで購入し持参したのだが(マジだ)、幸い、親切な羽生ファンがいて、「写真撮りましょうか?」と言ってくださったのである。

それではいざ。見よこの完全再g……

 

 

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なんかちがう。

 

理由は明の白である。

私のスタイルが悪過ぎるのである。いや、羽生くんのスタイルが良過ぎるともいう。どっちもか。相乗効果でやばいことになっている。

…と、このあたりで、仙台駅にあった羽生等身大パネルに私が並んだ時の様子をご覧いただきたい。

 

 

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わーーえーーー羽生くん思ったより身長たかーー……

 

 

……ちげえわ。私が低いのか。お前が低いんだよ。

っていうか、羽生くんの足長過ぎませんか???

私の胸の高さくらいまであるんですけど????

え????? 大丈夫???? むしろ私が大丈夫????? これほんとに等身大??? 同じ人類????? あ、同じ人類ではなかったな、羽生くんは惑星羽生の第一王子だったし…?????(錯乱)

 

伊達の公開処刑パネルにも心をボキボキに折られた。

ところで、私の母親も身長143センチくらいなのだが、170センチの父親と結婚式を挙げる際には、ウェディングドレスの下に電話帳を敷いて立っていた、という話を聞いた事がある。理由をこの時物凄く理解した。物凄く理解した。

(お前この期に及んで自分を半分切り取ってごまかしてんじゃねえよって思われるかもしんないけど、羽生くんはいついかなる時を切り取ってもお麗しいけど、私は都合良く切り取らないと直視できない代物になっから…そこまで潔くなれないことを許してくれ…)

 

まあ、身長差が意外にもあった事や私の胸くらいまで足の長さがある事は百歩“ゆづって”良いとして、このベンチ画像、絶対に同じ大きさに切り取るな。いいか絶対にだ。25センチ以上も身長低いのに私の方が顔大きいのがバレる。バレとるわ。

 

 

…と今でこそ冗談めいて書いているが、私はこれによって、結構マジに凹んで妄想モードに戻れなかったのである。

マジかーまじかーまじかー…なんか、はしゃいで妄想とかしてごめんねマジで…

 

……今更か!?

 

自分のスタイルの悪さに自分で気付かないもんかね? そこは見ない振りして妄想をかましていたのでは??と思うかもしれないが、まあもちろん自分が痩せているとは決して思っていなかった。デブなのは知っていたが、自分が太っていることのストレスより、食べたいものを我慢するストレスの方が大きいので、「痩せろ」という内なる声&外なる声を15年程無視しつづけ太るに任せていたのであった。身長がかなり低いのも知っている。むしろ知らなかったら怖い。145センチだ。が、ここまでだとは、意外と気付かない。理由is友達&恋人がいないからだ。普段、誰かと並ぶということがほぼ皆無なのである。撮る機会があっても皆、腰を曲げてくれたりする。そんな、滅多にない比較対象としての相手が羽生結弦とは、あまりにも分が悪すぎる。

 

 

So what?(それが何だ?)

 

 

どうせ最初から最後まで全部妄想なわけだろ? 今更何だっていうんだ? もし私が中条あやみみたいな体型だったところで同じだろ??? 何なら自分を中条あやみに変換しろよ????

 

………オーケー、確かに同じではないかもしれない。それは認めよう。

何故ならば私がもし中条あやみであったなら、中条あやみとして忙しく雑誌にテレビに映画に大活躍しているか、或いは代官山あたりでリアル彼氏とデートに忙しく、絶対こんな事はしていないかもしれない。

こんな事、というのは具体的に言うと、一ヶ月も前から(一人で行くのに)「仙台 デート」とグーグルに打ち込んだり、会話のシミュレーションをしたり、何ならシミュレーションを漫画にまでしたり、羽生くんのパネルと撮影できるよ!という場所で最後尾札の前でウキウキ並んで「あ、あの…これ撮ってくだs…デュフ」とかスタッフの人にスマホを渡したりなんかしていないかもしれない。

このことから導き出される結論は一つ。

 

つまり、私は中条あやみでなくてよかった、という事である。

 

中条あやみではないから、今ここでこんなに愉しい遊びに興じることが出来ているのだ。

感謝。圧倒的感謝。チビアンドデブアンドブスであった自分に圧倒的感謝。

 

…て感じでクソのような現実を一蹴できなかったのは、ひとえに私の不徳の致すところである。何を普通に凹んでんだ。

敗北だ。私は自分に負けた。

これは紛れもなく、夢女としての敗北だ。

完全感覚Dreamerが俺の名ではなかったのか。

すごーい、さすがに私は羽生くん×自分の妄想は無理だわーw 的あらゆる皮肉を「うるせえ」「妄想に自己を入れず壁や天井になるスタイルの方が偉い(上)&自己を冷静に見られてるだけマシと思ってんじゃねえ腐女子共」と総スルーしてきたのは何だったのか。(私も腐女子だが)

この20年ほど、妄想しか趣味と生き甲斐がないゆえ、現実がどんなにクソでも、脳内にハッピーを召喚すれば人生ハッピー(何言ってるのか分からない)、を常日頃モットーとするはずの私のクリエイティビティが、現実の前に敗北した瞬間である。

 

 

もちろん、このまま「更に現実を見ない」という方向性に脳内を熟成させるのが正しい姿勢なのだとは思う。しかしこのままでは妄想の度にあの公開処刑パネルの図を思い出してしまう。私は今回の週末仙台を満喫するにあたって、イメージトレーニングだけでは不十分であり、フィジカル面も鍛えねばならなかったのだと深く反省した。

これまで何人にも「少しは運動したら?」と言われてきてその全てをうるせえとフルシカトしていたが、今こそ立ち上がるべきなのかもしれない。

何キロも歩いてもグロッキー状態にならない体力、そして伊達の公開処刑パネルと並んでも見劣りしない(当社比)スタイルを俺は手に入れる…! 身長はどうにもならんから12センチくらいのヒールを履く練習をすべきなのかもしれない…! 手に入れるったら入れるんだ…! 四年後待ってろよ仙台…!!

 

…と決意したはずの次の日の夕食。

 

 

 

 

 さすがに意志弱過ぎだろデブ。

 

 

 仕方ない。たとえ10キロ痩せたところで私は絶対中条あやみにはなれないのだ。

 

しかし、夢女子としての私こそ完全敗北したものの、私が仙台で羽生くんについて何かを受信しなかったのかというと、そうではない。

むしろ、別の何かを受信してしまった事が、夢女子たる自己が敗北したもうひとつの大きな理由と言ってもよい。

 

 

…なんかなあ、羽生くんって普通に、普通にものすげえ人なんだよなって、真面目に感銘しちゃったんだよねえ。

 

 

それこそ今更か????と百万人が思ったはずだが(百万人も読んでないというのはおいといて)、順を追って話そう。

もちろん、羽生くんがものすげえ人なのは知っているが、それでも、やっぱり、テレビやスマホの画面で見ているとノー距離感(念のため、私の顔面と画面の羽生氏の距離を物理的に0ミリにして見ているという意ではない。そこまでの変態性はまだない。今後もないかは保証できない)のため、まだ測りきれていないところがあったのかもしれない。私に至っては、いつもどこでも脳内にきゃわいい羽生きゅんを召喚して脳内会話をしているから余計に、である。

 

しかし今回の凱旋パレードで、私は、我々は身を以て“体感”した。

羽生結弦・王の凱旋」のクライマックスを飾るための、10万8千人分の1のモブとなることで。

10万8千人が、たった一人の男を数十秒見るためだけに集まるとは、どういうことなのかを。10万8千人もの人々を、数時間も待ってでも、一目見たいと集める男の力を。偉大さを。彼が成し遂げたことを。

 

私はあの場で、「羽生結弦・王の凱旋」という一大叙事詩のほかに、「パレードがやってくる」という見てもいないはずの一本のオムニバス映画をも受信した。

10万8千人のモブ、といったが、モブにだって(モブとかいってごめんね皆さん)自分が主役の人生がある。

66年ぶりにフィギュアスケート男子シングルで五輪二連覇を成し遂げたスターの凱旋パレードがやってくる。「パレードがやってくる」は、そんなパレードの周辺にあったかもしれない、モブ達の物語だ。(モブとかいってごめんね再)

羽生くんが好き過ぎて、もはや「羽生は人生」みたいになっちゃってる重度のファン、平昌で落ちて、ちょっくら行ってみるかと勢いで来てみたファン。

合コンでは、俺、羽生くんと同じ学校だったと話すのが鉄板のかつての同級生。

見に行きたいねえと話すお義母さんを連れて行った地元の女性の人生。

群衆だけではない。

一体どれだけの人数や課の公務員の人達が、この日の為にてんやわんやと準備をし、裏にはどれほどの見えない仕事があったんだろう。

杜の都親善大使として立っていた女の子は、羽生くんの後ろに立てると決まったとき、どんな気持ちだったのか。もちろん皆、羽生くんしか見ていないのかもしれないけど、それでも当日のためにすこしでも綺麗に見えるようにがんばったんだろう。

羽生くんのパレードに浮き足立ち、どういう文言を掲げよう、どういう便乗(言葉が悪い)キャンペーンをすれば話題になるかなと嬉々として話し合っていたであろう商店街や企業で働く人たち。

羽生くんが来るから忙しくなるかもねと言われ、実際息つく間もない接客に、もしかしたら冷ややかな目をしていたかもしれないカフェのアルバイトの女の子。 

 

私は、そんな、羽生結弦物語のクレジットに名前も出ない沢山の人々のことを思った。

 

数え切れない人々のある一瞬の時間が、あの場所にて、羽生結弦という男を中心にたしかに交差したのだ。大小深度種類様々の、彼への思いを胸に集い、また彼の姿と思い出を胸に明日からの人生を歩んでいく。

 

すごい。

 

このオムニバス映画を見終えたかのような感動と感傷を引きずったまま、更に、聖地アイスリンク仙台に赴いたのも悪かった(よかったとも言うが) 

アイリン仙台までの道を歩いたことで、今度は、もうスケート嫌だと送迎の車中でぐずった日、初めての種類のジャンプが飛べたのをお母さんに報告した日、あのあれはこうでと練習を見ていたお母さんからのダメ出しにふてくされたりなんかした日もあったであろう羽生少年の姿を受信したのである。

さすがに、見てもいないものを受信しすぎではないか、そろそろ脳を受診すべきなのではという意見もあろうが、我々にそういう、言葉にならない物語を見せるのが羽生の凄さなのだということにしておいてほしい。しろ。

王とて、最初から王として生まれたわけではない。

あの仙台の郊外のまちで、七北田の一人の少年だった時があって、同じくらいとまではいかなくても、同じような可能性と未来を信じて目標を共にした仲間がたぶんいて、でも彼だけが一つ一つの可能性を着実に自分のものとし、五輪を二連覇する偉業を成し遂げ10万8千人が彼だけの為に集まるあの景色を見る事が出来た。王として故郷に凱旋し、希望を与えるのみならず、実際に報奨金等の寄付、パレードグッズの売上による利益の還元までしている。

 

一人の少年がそんな風になるまでの物語の断片を私はあの街で感じ、そして、

そっか。と思った。

そうなんだよな。と思った。

そうなんだよな。

人間はある日スーパースターとして生まれるわけではなくて、あの時この時あの日この日の積み重ねの結果として今がある。

羽生くんの積み重ねた23年間はあの晴れ舞台で、

私の積み重ねた25年間はこのザマである。

どこから。何が。どの瞬間からちがって。

 

 

ということで私は、泉中央から仙台駅へ戻る頃には、すっかりセンチメンタルな気分に陥っていたのであった。つくづく、羽生くんを追うというのは激しい感情の起伏運動である。

そんな気分(と疲れきった足)を引きずったせいでそのまま二時間ほど、充電をするために入ったモスから離れる事ができず、それでも、(俺はまたこのまま仙台のモスで時間を無駄にするのか…?)という思いで重い腰をあげ、牛タンを食し、

 

(妄想してんじゃねえかって思われるだろうが、これは割と結構凹んでたので無理に気分をあげようとしたやつなんだ…)

 

 

羽生くんの本や雑誌のポスターが飾られたあゆみBOOKS

 

 

 

 で、地方の書店へ入った時の一応習慣として、弊レーベルの本がどの程度の扱いなのかを確認…

 

…したところで、私はそういえば職場への土産を買ってなかったことを思い出したのであった。(夜21時)

 

羽生くんは、自らの手で掴んだ報奨金1000万円をも故郷にポンと寄付するだけの力がある超人格者なのに、私に至っては、職場への土産を買う事すら夜中になるまで頭から完全忘却する。いや、朝の時点では買おうとは思っていたのだが、夜になる頃にはほんとに忘れていた。

…もう、(一人で)仙台の夜景を見ながら私の脳内にはこれが無限リピートでしたね。

 

www.youtube.com

 

取り急ぎ、帰京後、私は自省と敬意を込めて羽生くんを羽生さんと呼ぶことにした。何故か余計にキモさが増した気がするが、まあいい。

夢女としては敗北だったが、仙台に行った事は全く後悔していない。行ってよかったと心から思っているし、当初の予感通り、人生で一番幸せな4月だった。

これほど、生きててよかったと何度も思った4月はなかった。

疲れているであろうにずっと笑顔で手を振り続ける羽生さんは王子&王子&王子にほかならなかったし、くるくると向きを変える後ろ姿すら可愛かったし、正直沿道の前を通りすぎっていったとき羽生くんがどんな顔をしていたのか、感極まりすぎて&手を振るのに必死すぎてろくに覚えていないのだが、羽生さんの姿が見えた時の「もうここで死んでもいい」という幸福感と周囲の熱狂の様子だけは強く記憶に焼きついている。自分のテンションが上がりすぎて見れたもんじゃない動画も残す事ができたし、皆が羽生を待ち望むあの空気を体感できたことは本当によかったし、もちろん仙台の町を歩くのは楽しかった。行かなければ分からない事は沢山あった。

決して羽生さんのようにはなれないが、 少しでも、自分が誇れるような人生を、生き方を、仕事を。そうこれは、現実に立ち戻るための旅だったのだ。

 

 

…と決意した直後のツイート。

 

 

 

 

妄想の方向性が余計におかしくなっただけじゃねえか。

 

「アイは無視してくださいね、春」

 

Continues ~with Wings~2日めを生で見た今のお気持ち①

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Continues ~with Wings~2日めを生で見た今のお気持ち②

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アイなんて無視できねえよ、春

 

 ――――食べログで一人称が“小生”のおっさん並に、本題に入るまでのどうでもいい前置きと自分語りがクソ長い代物である事をご留意下さい――――

 

 

俺は一体あと何回羽生結弦を見くびれば学習するのか。

 

十数年にわたり中二病をこじらせている結果、300人のキャパも埋まらないインディーズバンドとか生まれた田舎町の本屋じゃぜんぜん売っていない漫画なんかが好きだったクソサブカルブス時代が長すぎて、どうにも、

「推しが政府公認」「推しが社会現象」

であることの意味を、それがどういう事態を呼ぶかを理解できていなかった節のある私が、四月に入ってから幾度も口にした台詞である。

 

 日本橋高島屋で開催されている羽生結弦展、初日に数千人も並んだらしい事を知ったとき。

キャンバスアートなんかあるのか~値段安いなー、どんな感じなのかちょっと仕事の参考としても見に行こーみたいなクソぬるい気持ちを抱いていたら、初日で即完売入荷無し状態になった事を知ったとき。

 

そう、次元がちげえんだよ。てめえの小さい物差しで物事を考えるな。

 

って、何度も学習していたはずなのに、私は4月14日の朝、過去最大音量で同じ台詞を叫ぶ羽目になった。

スマホのアラームが鳴ったので半分寝ぼけて止めてロック解除したら、この画面が目に入ってしまったからである。

 

 

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かわいい。

 

そうじゃない。

問題はそこではない。

問題は、私が、この度のCiに万全の状態で臨むために、13日の夕方からTwitterのTLやリストを追うのを断っていたことにある。これはネット中毒の自分にはなかなか辛い所業であったが、しかしTwitterを見ることを自らに禁じたのである。

一切のネタバレを断って、真っさらな気持ちで鑑賞するために。

 

というのは、この素晴らしき“ユヅルオンアイス”のモブとして、羽生くんを見るたびに、「時間だけは不可逆」であることの意味をひしひしと実感していたからだ。

つまり、知らなかったことを知ることはできるが、知ってしまったあとで知らなかった状態には決して、決して戻れない。

既に知ってしまったあとになってしまっては、もし○○を知らなかった場合、自分がどう思うか、どのくらい心を動かされたのか、どういう感情を持ったのか、というIFだけは、絶対に分かりようも戻りようもないのだ。

たとえば、羽生が金メダルを獲るという事を、どういう演技をするかを、知った後になってからまたその演技の細かいところを振り返り着目する楽しみは何度も何度も繰り返すことができるが、まだ、これから羽生がどういう演技をするか、結果どうなるかを、“知らない”状態でそれを見る気持ちだけは、最初の一回しかなく不可逆なのだ。

 

であるならば。選択として。

“知らない”という状態にだけは戻れない以上、“知らない”という状態を自分で作っていくのがよかろう。

 

だが現実は残酷であった。

以下二コマ漫画。

 

 

 

 

俺は一体あと何回羽生結弦を見くびれば学習するのか。

 もはや、この世界に生きている限り羽生情報を遮断するのは不可能なのか。スマホ捨てて一人で独房にでも篭っていないと無理なのか。

 

いや羽生が佐野稔と立ってるだけの画像じゃんって思うかもしれないけどさ、だってどんな服着るのかなってだけでも楽しみだったし、だってこの衣装的に稔滑るじゃんってのも分かっちゃったし、氷上って見出しについてるって事は多少なりとも滑るのかもって…別にニュースを責めているわけでは全然ない。羽生を見くびっていた私が悪い。

彼は社会現象なのだ。

 

 

ということで、若干の後悔を引きずりながら向かったCiであったが、公演を見終わった帰り道、今度はとても嬉しい気持ちでまた同じ台詞を噛み締めることとなったのである。

 

正直なところを言えば、このチケットをとるとき、羽生は最初と最後にチラッと出て喋るだけでも仕方ないかなとか思っていたのだ。

それでも少しでも姿が見られるだけで、何円だって払う意味があると思っていた。忙しいだろうし、治療やリハビリも大変だろうし、出し惜しみしたっていい、むしろ出し惜しみすべきほどの価値のある人だし。

しかし。

どうやら私はまた、羽生を見くびっていたようだ。

自身が自身の最高の演出家であり脚本家である圧倒的なスターたる羽生選手を、何よりも本人がスケオタである羽生くんのスケート愛を、そして羽生プロデューサーとしての力量を。

会場に行けない事情のあるファンへの配慮としてのテレビ放送に加え、全国映画館でのライビュ実施、グッズの通販決定、というような神対応というだけでなく、五輪二連覇の凱旋公演として、イベントとしても、これ以上ないくらいの神イベント。

 

そして まさかこんなに羽生くんが何度も舞台に出てくれるとは。出し惜しみなく、喋る、喋る、喋る、しかもその内容も、五輪のフリーのコレオシークエンスで笑っていた理由とか、ファンにとっても、そうなんだ!という知りたかったものばかり。スケーターとの対談、羽生の技解説や、羽生自身による五輪演技解説、などコーナーも盛り沢山。しかも出演スケーターの出る前には、羽生による「このスケーターと自分のつながり」説明動画も準備されている。(しかし、プルの動画で、「スケート人生を左右した存在」みたいなかっこいいテロップにセクボン映像をかぶせているの、別に羽生くんが作ったわけではないだろうけどもそれでも羽生くんのセンスが滲み出ている感じでマジでよかった)

で何より。

すべらないショーではなかった…!のだ…!!

怪我をして万全でない中で、過去プロを3つも続けて、そして3日間とも違う内容を準備するなんて、どんだけ大変なのか……けど彼は、皆の前で滑る決断を……

 

 

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しかも、ただ羽生くんが、準備に心を砕き自らを出し惜しみしないばかりでなく、ファンが(つうか私が)卒倒しそうな神発言も幾度も飛び出て、私はなんかもう、いっそ俺を殺してくれよ…という心境にまで至るほどであった。

 

たとえば、羽生によるセルフ解説、私は、前も書いたとおり自分のことを自分でかっこいいという羽生が何よりも好きだし、公演前も、

 

とか抜かしていたのだが、五輪の映像こそ大人の事情で流せなかったものの、実際、

 

(SEIMEIの映像みて)羽生「かっこいー」  そういうとこやぞ! Take.1

 

「4Sと4T、4S+3Tを決めた時にはノーミスきたなこれって思って」 そういうとこやぞ!! Take.2

 

「(コレオシークエンスについて)ウィニングランだなこれは」 そういうとこやぞ!!!Take.3

(あそこで笑ってたの、私はリアルタイムで観ていたときめちゃくちゃグッと来たのだが、「皆みてーー!!」って気持ちだったらしいですね。そんなかわいい理由だったのか…)

 

(4Tをミスった後指をぐっと掴んだのは、コンボつけられる回数数えてた+得点高いジャンプ何か判断した) ってのを受けて司会の人が「どんな頭してるんですか?」って聞いたときの答え

「スーパーコンピュータとか入ってるんでしょうね」 そういうとこやぞ!!!!Take.4

 

 

もう何から何まで羽生節全開すぎるありがとうありがとうそしてありがとう。生きていてくれてありがとう。

 

 

 更に更に、オタクの妄想としか思えないあれやこれ

南に向かって軽く一礼して身体を戻したと思ったら、またバッ!と振り返ってニコッっと笑う羽生  ぎゃああああああ Take.1

 

フィナーレからはけるときに両手で投げキッスする羽生  ぎゃあああああああああ Take.2

 

羽生「僕を愛してくれてありがとう」  ぎゃあああああああああああああああああ!! Take.3

 

 羽生「調教されてますね」   私「いっそ殺してくれ…」Take.4  

 

 いや嘘。全然死にたくない。これまで生きていた自分ありがとう。

 

 と、よく分からないがこの世の生きとし生けるものすべてに圧倒的感謝をせざるを得ないショーだったわけだけれども、一方で、なるほど羽生くんらしいなと思ったのは、イベントの構成や見せ方自体は、五輪二連覇の凱旋公演にも関わらず、圧倒的感謝、とか無駄に感動を煽ったり押し付けたりするつくりではなく、どちらかというと、一人のスケートファン、フィギュアスケート選手である羽生としての面が出ていた事だった。

五輪を振り返るくだりでも、「SEIMEIのジャッジ前のクロスロールは、どうやって能や狂言的な要素を表現しようかと考えたときに、肩のラインと骨盤が平行なまま動く振りがいいのではないかと」とか、おそらくスケオタも、へえそうなんだ、と思う内容であったし、

そして、他スケーターの出演前の解説動画でも、「何故このスケーターをオファーしたか」という事に関して、無良くんと自分のジャンプの違いと、それゆえの影響であったり、ジョニーのパンケーキスピンについての説明だったり、結構細かく理由、というか自らに繋がる理屈を言ってくれている。

 

でも、だから、そういう作りだったことこそがむしろ、とてもエモかった。これはマジで何から目線なんだ?という感じの感覚ではあるが、

自分がこれまで好きで憧れていた世界のトップスケーターを自分のためのショーに呼ぶ事ができて、見せ方を考える事ができて、羽生くんは本当に、ひとりのスケオタ冥利に、スケーター冥利に尽きるだろうなあと思ったのだ。漫画が好きな人だったら、自分が好きな漫画家ばかりで雑誌を作ることを、映画が好きな人だったら、自分が好きな俳優と監督とスタッフで映画を作ることを、一度は夢見ると思うけれど、そんなことが出来る人は、とってもとっても限られている。羽生くんは今はそれが出来る。それは彼自身が並々ならぬ努力と才能で世界のトップに立ったから。何から目線なのかよくわからないが、けれども私はそのことが何より一番嬉しかったし、そのことを考えると本当に胸がいっぱいになるし、その観点から捉えれば実はやはり、非常にエモーショナルな作りではあるのだ。

 

 

オープニング前、SEIMEIの音楽が終わり、いよいよ登場か!?と思いきや始まる「4歳のときスケートを始め…」みたいなまさかの羽生人生ダイジェスト動画。はじめは、

 

(結婚式か…!?)

 

とか思い、

 

満を持して始まったオープニングで、すっと前に出たプル様がステージの羽生に向かって腕を広げるのを見て、

 

(結婚式だ…)

 

という確信を得たのだが、まあそれは半分冗談としても、そんなオープニングから始まり、一部の最後を飾るのはプルシェンコ

プルシェンコについての解説動画のくだりで羽生は、彼が信じて待っていてくれた事が嬉しかったと語る。怪我をした羽生について、『羽生選手は他の選手と滑りがまったく違う。これは決して、褒めているわけではなく、事実なのだ』と述べるプルの映像が流れる。

そして、プルシェンコの伝説的プロ、ニジンスキーが始まるのだ。

 

ああ、伝説は伝説に繋がったのだ。と。

私はこの素晴らしい構成にいたく感銘した。

プルシェンコに憧れた一人の少年が、世界のトップに立ち、憧れの存在だった人にあんな言葉をかけてもらえるまでになり、今はこうして自身のショーに来てもらうまでに、そんな(実際はぜんぶ見てもいない)ドラマチックな人生が走馬灯のようにさあっと心に押し寄せてくるような。

 

本人が、「プルシェンコニジンスキーを生で見て、つい自分の人生を振り返って号泣した」のもさもありなんである。

 

佐野稔氏の出演だって、発表されたのが4月1日だったのもあって、「エイプリルフール?」とか半分皆笑っていたけれど、しかし、佐野稔が仙台でスケート教室を開き、そこに羽生選手のお姉さんが通った事で、羽生選手もスケートを始めた…という経緯を鑑みれば、ああ、全ては、つながっていたんだという感動が胸に広がる。 

まさに、羽生自身がこのショーの名前とテーマとした、「コンティニュー」の物語であり、我々はここにきて、「継承」という言葉に立ち返るのだ。

 

 何という練られた構成だろう。

 

 

 私はこれまで、実際アイスショーで見た事があるくせに、それでもやはり、

羽生結弦って本当に実在しているんだろうか。孤独なオタクによる悪い夢なのではないか。

という疑念を抱いていたが、終わってみればそれはそれで、やはりさっきのはあまりに素晴らしすぎて孤独なオタクの夢だったような気がする。本当に羽生くんって実在しているんだろうか!?!? 既にとっくに世界はハニュウ惑星によって侵略されていて、これは人類が見ている最後の集団幻想とかじゃない!?!?(以下無限ループ)

それは、羽生の口から「調教されてますね」というオタクの妄想のような台詞が発せられた事とか調教されてますねという夢のような台詞が発せられた事とか調k……

……単にスケートが世界一巧いだけでなく(“単に”とは?)、ビジュアルも可愛く、テレビの仕事でも十分活躍できるトーク力もあって、トークでも、無良くんが多少うーんと回答に詰まれば、更に質問を重ねたり助け舟を出すMC力すらあり、本人に圧倒的な華があるにも関わらず裏方としてのプロデューサー的気質と力量をも持ち合わせている。

ここで、羽生先生が、自身の羽生物語の最高の演出家兼脚本家であるばかりでなく、他人気物語を集めて編んで効果的な魅せ方をするアンソロジーも作れちゃう編集(P)的能力もあるらしい事が分かってしまった意味はでかいんじゃないか。ファンにとっては一種の光明であるしスポンサーだって黙っちゃいないだろう。

 

いや、逆にさ。

逆に聞くけどさ。

何なら出来ないの? 何なら苦手??

 

 

この、「持ち合わせている」という事に関して、羽生くんはこれまでも、また今回も無良くんに「技術と芸術両方を持ち合わせている」とか言われていたけれど、

(しかしここで「低いところでね」とか返す羽生くん、確実に「ワタシハスケートチョットデキル」芸人としてのプルの血を受け継いでいますよね…)

今回改めて、ああ、なるほどなと一つ気付いたのは、羽生くんは、理屈も感情も人より“高いレベルで”両立している人間なんだなということだった。

技術論とエモさの同居。

 

 「アンナチュラル」でも、感情的に理屈を見つけ出す…みたいな台詞があったけれど、ところで私は前々から、論理的に考えられる事の方が「上」で価値あるものであり、感情的である事は「下」で唾棄すべきものみたいな捉え方って、なんだかなあと思っていたのだ。

その二つがまるで二項対立的であるかのような一般論も。

そうかなあ。そんなに感情ってくだらなくて唾棄すべきものかなあ。

もちろん、感情だけでは何もならないのだが、悔しいとか勝ちたいとか強い感情がなければ、それを何とかするための理論や方法を模索しようと思えないんじゃないか。強い感情があるからこそ見つけられた理屈はあるんじゃないか。

 

私は今回の、スケート技術の話をふんだんにしながらも、しかし感極まる構成である「Continues ~with Wings~」を見て、そして、最後に「皆の目が僕にとっては星みたいに輝いて」とか、すべての羽生記者に負けず劣らずのポエマーぷりを振りまく羽生くんを見て、ああやはり。二項対立なんかじゃないのだと思った。

世界を構成する論理が見えてしまい言葉として思考できる論理的な人間でありながら、理詰めであることを愛しながら、同時に強い感情と感受性を持つことは、両立し得るのだと。そういう人はいるのだと。

たぶんそれゆえに、辛い事は沢山あるのだろう。上手くいかない時も幾度もあるのだろう。余計に傷付く事があるんだろう。

だけれどもそれこそが、彼の強みであるような気もするのだ。そういう羽生くん自身の人間性が、構成や言動から、はっと、伝わってくるショーであった事もとってもよかった。

 

と共に、ってかポエマーとしても俺は羽生に圧倒的に負けてる…!と涙を呑みながら歯ぎしりをする羽目になった。(そこは競うとこなのか?)

精進しねえとなあ。何をだ。

 

きっと何者にもなれないお前たちに告げる。

 

祭りは終わり王は凱旋した。

まだSPが始まる前、前回のソチ五輪が「羽生結弦 伝説誕生」なら今回は「羽生結弦 王の凱旋」とか抜かしていたが、まさしくその通りになったわけである。

(※っていう感じの事を書いた友人のツイートがバズって私がそれを、やっぱ皆考えてることは同じかーと何気なくRTした結果、互いに別アカウントがバレるという不幸な事故も今回勃発したらしい)

圧倒的な絶対王者を前にした庶民の反応はどこの王国でも同じであり(?)

 

 

 今回の平昌で、新たにそんな王国民落ちしそうな人のために、「必見羽生結弦演技ベスト3」の話でもしようかと思ったんですけど、まあ当然のように無理だったので、無理っていうのは、羽生くんはその時その時が全て最高なので、っていうかその時だからこそ最高なので、ベストとか決められるわけないからです。(※前回の記事と大いに矛盾する発言)

 

 

例えば羽生結弦を語る際に外せない、もはや伝説となっている「2012年世界選手権FS」のロミジュリは、そりゃ演技自体の出来の話をしちゃえば、今の羽生くんと比べたらステップや滑り、全てが荒いし後半なんか本当にヘロヘロなんだけども、だからこそ荒削りな魅力があるし、凄い勢いでスターダムにのし上がっていく羽生くんの物語と演技が伝える印象とがピタッと合致していてだから感動的だ。

パリの散歩道をことごとく焼き付くし沼落ちが数多続出したであろうソチ五輪のSPも、少年と青年の狭間にいるようなあの時の羽生くんがやったからこそ、そして、この先真の意味で世界の絶対王者としての伝説を刻んでいく男の、始まりの瞬間と勢いを感じられるからこそ、より深くぐっと来るっていうのもある。

同じプログラムをやっていても、世界王者としての名を確固たるものにしていた2015年の羽生の鬼気迫る演技と、怪我をして万全ではない中、それでも王者として舞台に立ち、やり遂げた喜び滑る喜び、笑うような表情すら見せる2018平昌の羽生じゃやはり全然違う。

だから見る順番も重要だしね。

 

ということで、余裕で無理だったので、突然ですが平昌五輪ベスト羽生でも発表しますね。(突然語彙力とIQが著しく低下します)

 

 

https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/picture/dailysports/m_20180225025.jpg

ショートケーキのティッシュケースがこんなに似合う23歳男性存在していいの!?!?!? しかもこのケース、プーがついていたらしいじゃないですか。何だよそのプーに対する謎の情熱は。(まファンや誰かからのプレゼントだろうけどさあ)

 

 

可愛さの権化。

f:id:syosenningen:20180301233458j:plain


 

 

可愛さの暴力。

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カメラロール見たらマジでこの画像それぞれ別のタイミングで3回も保存してた。

http://www.sanspo.com/pyeongchang2018/images/20180222/pye18022220130072-p1.jpg

 

 

 

ひょーーーーーひゃーーーーーー

http://www.hochi.co.jp/photo/20180218/20180218-OHT1I50047-T.jpg

 

 

あーーーーーー羽生くんが可愛くてつらい。羽生くんが可愛い画像を見つける度に羽生くんに「かわいいの飽和状態」「かわいいの化身」とか送りつけて逐一既読無視されたい。たまに「かっこいい」とコメント付けた時だけ「でしょ」と返ってきて欲しい。「自分でかっこいいって思ってる」っていじったら、同じ質問を中居くんに訊かれて「思ってます」って返した時の羽生くんのスクショを自分自身で送って来てくれるお茶目さが欲しい。

 

 

……ああ、そうである。あの羽生は最高だった。

 

 

色々あるが最高の羽生圧倒的1位

:「中居くんに、『自分のことかっこいいと思ってる?』と訊かれて「思ってます」と笑う羽生」

 

「世界よ、これが羽生だ」 っていうキャッチ付けて叫びまわりたいくらい好きな羽生。羽生くんの羽生み(?)がこれ以上ないくらい全開フルスロットル、最高すぎる。

 

世界よ、これが羽生だ!!!!!!!!

 

羽生結弦新興宗教なので、

従ってこればかりは要は宗派の違いであり、分からない奴には永久に分からないのだろうと仕方ないんだけど、こういう羽生を見てナルシストかよとか叩く各位へ。

羽生くんがナルシストだったら一体何だってんだよ。

 

いや実際、世界で一番の実力と実績を持つ羽生くんが自分凄いとか思っちゃダメってことだったら、

何にせよあらゆる物に於いて世界でせいぜい3000000000番目くらいのものしか持たない我々の自尊心や自意識なんてもはや1ミクロンの欠片もなく崩壊すべきってことになりません?

 

…っていうド正論はさておいてでも、

俺は素敵俺はかっこいい俺は凄い、俺はやる、んだというオーラを全身から放ちそして実際に見事やり遂げてしまうというかっこよさ。

そこがいいんだろうがよ。だからいいんだろうがよ。

しかし羽生くんはたとえナルシストにせよ、周りを見ず自分にのめり込む自己陶酔型では決してないというあたりもポイントだ。むしろ、通常の人間より、恐ろしいほど自己に対する客観性と周囲への観察眼があるように思える。この例え何回も使っているけれど、羽生くんは、「羽生結弦物語」の最高の脚本家であり演出家なのだ。だからそこには客観も観察も必要なのである。

羽生物語の脚本家であり演出家。自分の思い描く「羽生劇場」に周囲や状況の方をグッと引き込んでしまう、圧倒的羽生力。

普通の人は、俺の描く最高にかっこいい俺を実現なんてできやしない。だからこそ、そこに痺れる憧れるのだ!!!

 

って色々御託を述べたが、何にせよ、私は羽生くんのこういうところが大好きである。多分かっこいいと思ってると答えた方が面白いんだろうなって思って言ってる面もあるのも含めてね。

 

 

2位:自分が「そっち側」だと分かっている羽生最高過ぎる

http://www.sankei.com/photo/images/news/180224/sty1802240008-f2.jpg

  

ゆづるお姉さまと呼ばせて!!!!!!!!!!

 

 

3位:五輪パリピグラサン(?)をかけ記念撮影しようとする際、「ショーマクン」と宇野を呼ぶハビちゃんからの、「おいで」という羽生くんの声色の優しさ。

 

www.youtube.com

 

これについては、「宇野選手のことは、可愛いわんこみたいに思っている」という羽生くんの発言とあわせると尚更悶絶である。

つまり……「可愛いわんこ」を呼び寄せる時の声色なんですね…!!!

ひょーーーーひゃーーーーーーーーーーー(また言う)

 

 

…って3日前までは終始こういうテンションで、

何ならそのハイテンションのまま調子に乗って狂気の妄想総集編まで投下しちゃったりして↓

www.pixiv.net

 

…たのだが、帰国後の会見で私は羽生結弦という男に心底恐怖心のようなものを抱くこととなったのだった。

羽生くんは決してかっこよくて可愛いだけの男ではない。当然だが。知ってたが。

 

 

(今度はテンションが著しく低下します) 

 

たとえばそれは、

日本=スポーツを通じて、周りへの感謝や思いやりの心を持てる

世界=勝てばいいみたいな風潮

というクソのような二項対立を前提に、安易な日本人論に着地させようとする記者に対して、決してその前提に乗らず、そういうのは性格の問題、とやんわりと記者の前提を否定し、たとえとしてマイケル・ジョーダンの話をさっと持ち出した上で、

「自分は、(絶対に勝ちたい人間だし絶対に勝つと思ったときの方がパフォーマンスを発揮できるので)あまり楽しい気持ちとか、またはリスペクトをしながら感謝をしながらニコニコしながら演技をするというのは向いていない」

と言い切る羽生くんの凄まじい話術、回答の技量、負けず嫌い節全開、そしてパブリックイメージ的に何かに感謝とか優等生的回答が求められている事は分かった上で、それを裏切る切れ味に震えた事だったりもする。

 

(全文はここで読んでくれ↓)

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しかし一番は、宇野くんに対して訊かれたときのくだりである。

 

ところで、今回の平昌では、羽生くんが金、宇野くんが銀を獲ったことや、羽生くんがグリグリと宇野くんの頭を撫でていたり盛んに構っていたりしたことも含め、(別に腐女子に限らず)この二人にモエモエしていた人は多いと思うし、まあ当然の如く私もしていた。萌えていた事は認める。

 

しかし、その一方で、この二人、表面上の「可愛さ」ほどは、可愛い関係性ではないのではなかろうか…?と、やや語弊はあるが多少の薄ら怖さのようなものを感じ取っていたのもまた然り。

果たして、宇野くんと羽生くんの、この拭いきれない「距離感」のようなものは、何なんだろうか?というような事を一方では考えていたのだった。

 

 

無論、これまでも、宇野くんが本当に憧れているのは高橋大輔の方っていうのも知っていたし、例えば、自分は高橋大輔みたいに人を惹きつけ心を打つような表現面を磨いていきたいというスタンスだったりなんかして、羽生くん程には、絶対何が何でも自分が勝つみたいな風でもなさげなのかなとも思っていたりした。(※という言い方だと誤解を与えるかもしれないので付け加えるが、もちろん宇野くんだって常人の100倍は負けず嫌いだろうし、もちろん羽生くんは表現面でもピカ一ですよ、それは大前提として、その上で)

で今回は、結構そのスタンスというか心構えの違いみたいなものが、割と顕著に出ていたように思う。

 

 

話が変わるようだが、羽生くんと違い?私は結構、“たられば”について考えることは好きだ。

何でかっていうと、あらゆる“たられば”について想いを巡らせることで、「しかし、そうはならなかった今ここにある現実」が一層浮き立つような気がするからだ。

もしかしたら、ああいう可能性もあった、こういう可能性もあった、でもそうはならなかった。そうはならなかった、というところにこそ真実がある、気がする。

 

目下のところの最大のたられば。

もし、羽生結弦という宇宙人がこの時代に存在していなければ。

 

宇野くんは、この命題について本当のとこはどう思っているんだろうなあ、ということを私は男子FSが終わった後から今日に至るまで、何だかずっと考えてしまっていたのである。

 

もちろん、その人が本当はどう思っているかなんて、他人が分かるわけはないのであるが。

更に言えば、本人が“本当に”思ったこと、と言った時の“本当”なんてものはもしかしたら存在しないのかもしれない。とも思う。

今回の五輪後のインタビューなんかをずっと聞いていて、なるほどなあと思ったのは、やはり、あらゆる局や人から同じような質問をされ、同じような受け答えをしていくうちに、回答がだんだんと「洗練」されていくんですよね。

「洗練」される、という事はつまり、洗練されていなかった部分はその人の答えや思考から無くなっていくということ。

“本当”ならばあったはずの、自分でもまとまりきらない雑多な考えや感情、思い。

しかし何かを思考するにせよ、それを誰かに伝えるにせよ、まず言葉が必要なのである。その人が“本当に”思った、感じた事のうち、うまく言語化できる感情なんてほんの一部なのじゃないかと思うけれど、この時点で、言葉に出来なかった思いは存在できなくなる。更に、思考や伝達に必要な、筋道と論理。ある筋道、論理から逸れるような雑多な考えはまたどんどんと削ぎ落とされていく。

そして、自分なりに言語化して筋道立てた考えに、他者の反応や「こういうことなんですね」という解釈の言葉が加わり、「なるほどこう言えばいいのか」「こういうことなのかも」と他者の反応や解釈に多少は影響された「完成回答」が、できてくる。

そのうちに、その「完成回答」が自分の考えとして脳内に定着する。

 

だから結局のところは、どうしたってわかりようがないことだし、これから書く私の話だって、そうして切り取られたごく一部でしかなくって、多分思った事の半分も伝えきれないのだろうが、が、しかし考えてしまう。

五輪で銀メダルなんて、本当だったら十分に本当に十分に物凄いことなのに(だって、高橋大輔だってバンクーバーで獲ったのは銅メダルだし、浅田真央だって銀なのだよ)、五輪は抜きにしても、そもそも宇野くんだって、世界ランク2位の凄い選手なのに、同じ時代に、羽生くんがいるせいで言葉は悪いが注目がどうしてもそっちへ行ってしまう。

 

もちろん、羽生結弦がいなければなんて問いにも意味はないのだ。だって、いるから。圧倒的なスターとして存在してしまっているから。

しかし、宇野くん自身はそれを、そんなに気にしていないように見える。

もしかしたらーー初めて、羽生に勝てるチャンスだったかもしれない事も、気にしていないように見える。

言葉でも「負けたのは悔しくない、実力の差なので仕方ない」と言う。それが真実なのかもしれない。色々な“たられば”はある、けれども羽生くんが勝ったというこの現実にこそ。

けれども、そんなに気にしていないように見えるからこそ、私は凄く気になってしまっていたのだった。

 

自分が圧倒的王者に成り代わりたいと思っているのか。

それとも、羽生くんが圧倒的存在でいてくれる事がむしろ助かっているのか。

つまり宇野くん自身が口にするように、メディアや世間の期待を一手に背負う存在が他にいてくれる事がプレッシャーからの解放に繋がるということだったり、「○○になら負けても仕方ない」という絶対王者が君臨している事は心の重荷を少し減らすのかもしれない(そこが、1位と2位以下の差であると私は思う)。

 

そういうことを数日間色々考えてやはり思ったのは、

これはどちらが強いとかどちらが凄いとかどちらが正しいとかそういう事ではなくて、何というか、向いている方向として、

実際のところ、宇野くんは、羽生くんを超えようとは思っていないんじゃなかろうか。

 

 

というのは、宇野くんからの羽生くんへの想いの勝手な想像だけども、この度の帰国会見で、何か羽生くん側から宇野くんへのアンサーのようなものが垣間見えて、

私は恐怖に打ち震えた。

…恐怖? 恐怖と言って差し支えがあれば、「畏怖」とでも言おうか。

下記は、記者に宇野選手について訊かれた時の羽生の回答である。

 

まず、1つ言っておきたいのは、僕はもうあの時点で勝利を確信していたので、彼が4回転ループを本当にきれいに決めていたとしても、まず点差的に負けることはなかったなと、まず言っておきます。

(笑)ね。すごい突っ込まれてたし、ファンの方々もあんまりよく思っていない方もいらっしゃったかもしれないんで、まず前提として。

やっぱり後輩が強い。まあそんなにいっぱいいるわけでもないんですけどね、フィギュアスケーターは。まあ自分を追い抜かそうとは本音では思っていないかもしれないんですけれども、近づきたいって思ってくれる存在。そして、なんだろう……それが自分の国の代表としている。それは非常に心強いことだなと。

考えてみれば、まだ引退するとは言わないんですけど、言ってないし引退する気持ちも全然ないしやることありますけど。ただ、「引退します」ってかんたんに言っちゃえば、彼に任せられるというか、そいう頼もしさは感じています。

ただ、まだもうちょっと……人前に出る時に寝るとか(笑)、そういうことはもうちょっと学ばなきゃいけないのかなと。

もうちょっと面倒を見なきゃいけないのかなっていうふうに思っています(笑)。

 

 ……いや、めちゃめちゃこわないですか????

めちゃくちゃ怖くないですか????

恐怖のあまり、マジで、ヒュウ…!という声が出た。

まあ、勝手にふるえてろ。って感じですけど、はい。

(念のため、「怖い」っていうのは悪口ではないですよ)

 

この言葉に対して「羽生くんって結構怖い男だな」と思ったポイントは色々ある。

 

①地味にアンチを牽制している点

「ファンの方々もあんまりよく思っていない方もいらっしゃったかもしれないんで」と言った時の、「ファンの方」が、

・宇野くんが最初のジャンプ決めてればなーと思っている宇野くんファンの方

なのか、

・↑って一部のメディアや羽生アンチが言っているという事に対して、いやジャンプ決まってても羽生が勝ちだわとよく思っていない羽生くんファンの方

なのか、私の読解力では掴みかねている(多分後者だろうけど)んだけど、いずれにせよ、地味にアンチを…牽制している…! このアンチやメディアへの牽制は今回の平昌で何回も見られたが…!

 

(しかし羽生くん、一体いつそんなエゴサする時間あるんだろう…羽生情報収集部隊でも抱えているんだろうか…)

 

②宇野くんが、色々なインタビューで「完璧な演技をすれば自分が勝てると思ったけれど、最初のジャンプを失敗した時点でもう駄目だと思った。だから後は自分の演技をしようと」「結果には満足している」みたいな話をしているのを、羽生くんは何度も隣でニコニコと聞いていた…という点

という事を鑑みると、羽生は、宇野くんの話を、「僕はもうあの時点で勝利を確信していたので」と思いながら聞いてたって事ですよ。ずっと。あなたが最初の4ループを綺麗に飛ぼうが、俺が勝っていたけどと思いながら。

この「あの時点」とはどの時点なのかこれもいまいち判断がつきかねるんだけども、これを、「自分がフリーを滑り終わった時点」とすると、超怖いのである。

念の為言っておくと、宇野くん自身も、自分が4ループを成功させようが羽生くんに勝てなかったのは分かっているしそう言っている。けれどそれはこの話の本質ではない。つまり言いたいのは、点数差的に、宇野くんが4回転ループを成功させようがさせまいが、羽生くんに勝つ事は無かった、っていうのはあくまで「結果論」だということである。羽生くんが滑り終わった時点では、宇野くんがどうなるかはまだ不確定だったはずだ。実際、宇野くんがPBと同じようなスコアを出せば羽生くんを上回る可能性はあったにも関わらず。(※これも念の為言っておくと、勿論宇野くんの構成はPBを出した試合より基礎点自体が下がっているというのはあるけれど)

 

つまり、羽生くんは、

宇野くんはここで、PBに近いスコアを出せないだろうと。

「完璧な演技」は出来ないだろうと。

或いは、出来たところで自分を越えられないだろうと。

 

そう思っていたのだ。そこにこの話の恐ろしさがある。

ジャンプの成功とかそういう話ではなくて。そもそもの、「フィギュアスケーターとしての力量」として、羽生くんは自身の勝利を確信していたのである。

更に、この点を踏まえた上で、着目したいのが、

 

③「引退後」は任せられると言っている点

 こういう言葉尻で揚げ足を取るのは多分羽生くんは嫌なんだろうけども、「引退したら」任せられるって言うってことは、裏返せば「引退するまでは」自分が一番って思ってるって事だ。

 私はむしろ、一見いい話のようであるここにこそ、最も羽生くんの本音があるように思った。要は……宇野くんの事をライバルだと思ってない。「今のところは」とかじゃなくて、自分がやめない限り、(少なくとも国内に於いては)自分が一番だと思ってるのではなかろうか、羽生くんは。

そして私は、羽生くんはそう思っていると思っていたけれども、実際にこうして本人から言葉としてアンサーを突きつけられると、やはり少し怖いものがあったわけである。

 

しかし、上記に書いた点は、言ってみれば、まあ、でしょうねという感じで大した問題ではないのだ。実際のところ、羽生結弦が完璧な演技をすればまだ世界の誰も勝てないのは事実なのだから。

けれど、宇野くんに対するアンサーとして、私が一番ゾッとしたのは、羽生くんがさらりと漏らした、

「自分を追い抜かそうとは本音では思っていないかもしれないんですけれど」

という言葉だ。

 

先程、「宇野くんは羽生くんを超えようとは思っていないのではないか」と書いた。

これは決して、宇野くんは羽生くんに追いつく事を「諦めてる」と言いたいわけではない。勝ちたいと思っていないと言いたいわけではない。競技の「結果として」、もしかしたら順位や点数が越える事はこの先あるのかもしれない。が、しかし。

宇野くんが目指す先に、はなから羽生くんはいないのではないだろうか?

 

 

そのことを、羽生くんは察しているのである。

 怖い。

何が怖いのだろう。色々考えてはみたけれど、この感情が一番言語化が難しい。この感情をうまく伝えることが難しい。

 

根本のところでは俺を追い越そうと思っていない事があなたが俺に勝てない理由だと言っているようにも聞こえるからか、 羽生くんと宇野くんの関係性が、自分がうっすらと思っていた通りのものであった事の怖さか、それとも、

この決定的な所で分かり合っていないし互いを見ていないし別に互いに分かり合おうともしていない感じに対してか。

仲が悪いとかそういう事を言いたいんじゃない。決して仲が悪いわけでも嫌いなわけでもないだろうし、羽生くんが宇野くんを可愛い、面倒を見たいという気持ちも、宇野くんが羽生くんを凄いなと思う気持ちも、偽物ではないだろう、そういうことではなくて。そういう表面上の話ではなくて。

羽生くんが、宇野くんの事をライバルとして見ていないのと同様に、たぶん宇野くんの方も羽生くんの背中を見つめてはいない。見つめてはいない事を羽生くんは知っている。その上で、「自分を追い抜かそうとは本音では思っていないかもしれないんですけれども」という言葉には、ある種、突き放した諦めのようなものも感じてしまう。

あなたが俺のところに来ようとしてくれないのは知っているけど、それでもいいよ。

そんな。

 

 

 

自分を追い抜かしてくれる誰かを、羽生くんはずっと待っていたんだろうか。待っていたけど誰も来てくれないから、期待するのをやめたんだろうか。

それとも、誰も自分のところに来て欲しくはないんだろうか。自分がいつまでも一番でいたいから自分が一番であることを表明し続けるんだろうか。

分からない。私は世界一になった事がないから分からない。たぶん他の誰も。

きっと私はそれが少し寂しいのかもしれない。分かると言うのは傲慢であり勘違いだが、分かりたいという思いを止めたくはないんだよ。