センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。

でもバスはやって来ないから―『そして、ひと粒のひかり』ほか

私は涙もろい方ではない。

 

中森明菜もどきがやりたかったわけではないが、普段も卒業式でもフィクションでも殆ど泣かない。

そんな自分でも、けれど、これは120%絶対に最後は号泣してしまうというかなりピンポイントなジャンルがあって、それを、「飛び出しもの」と呼んでいる。

むろん、びっくり3Dとかそういう意味ではなく、閉塞的で退屈な街で鬱屈していた若者が最後には故郷を捨ててどこかに去っていくお話のことだ。

 

これは一年前くらいに、仕事で書いた書評にも少し書いたのだが、
たとえば、ファスト風土の地元民・対・都市脱出層の文化的価値観的分断を描いた傑作「ヤング≒アダルト」のラストなんかは何回観ても涙腺が駄目になる。
いつまでも中学校や高校の友人とつるんで退屈な赤ん坊と奴隷みたいな労働に一生を捧げねばならないかつての同級生たちを見下している主人公は、
そんな小市民的幸福に囚われている元・恋人を「救う」ために、ケンタコハット(ケンタッキー、タコベル、ピザハットのこと)しかない狭い田舎、に“凱旋”するのだが、
実は「痛くて気の毒な人」と思われているのは自分の方ということを知ってしまう。

こんな街に主人公の居場所なんてなかった。でも都会に戻ったって、仕事は所詮、もうすぐ終わりそうな児童小説のゴーストライターに過ぎない。でも。

彼女が地元に見切りをつけ、壊れかけた愛車で都会へと戻るときの台詞、「人生はこれからだ」
このシーンで私はいつも泣いてしまうのである。

 

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」然り、「国道20号線」然り、「ゴーストワールド」然り。
これは小説だが、ロードサイドの鬱屈を描いて話題になった山内マリコの小説『ここは退屈迎えに来て』に収録されている「東京、二十歳」のラスト一行。

“彼女の人生ははじまったばかり。田舎になんか、帰らない”

然り。

 

ファスト風土生まれチェーン店育ちを名乗り、そんな地元が嫌で、大学入学時と就職時、もう2回住まいを移している自分にとって、「飛び出しもの」は、鉄板ジャンルなのである。
ということで、長らく自分の中の「ベスト・オブ・飛び出し映画」は、「ヤング≒アダルト」が一位の座に居続けていたのだが、
この度、「ヤング≒アダルト」に並びそうな素晴らしい飛び出しものに出会ってしまった。
麻薬の運び屋になる17歳のコロンビア人少女を描き数々の映画賞を受賞した、米・コロンビア合作映画「そして、ひと粒の光」である。

 

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主人公であるマリアは、バラの花束を作る花農園で働いている。トイレくらいで文句を言う主任、退屈でちっとも愛していないボーイフレンド、口を開けば金は仕事はの家族。変な男に引っかかった末逃げられて、赤ん坊だけを抱える羽目になった出戻りの姉。

他の仕事をしようにも、「ここには花しかない」街。かといって都会に出るほどのスキルがあるわけでもない。
そんなただでさえうんざりするような毎日の中、マリアは、自分が妊娠していることに気付く。
ボーイフレンドは責任を取るというが、子どもが出来たという理由でこんなつまらない人間と一生暮らす羽目になるのも、しかし、姉のようになるのもまっぴらだと思うマリア。
今後の自分について思い悩む彼女だったが、ある日、街で知り合った男性から、「稼げる仕事がある」と、麻薬の運び屋を持ちかけられる。
確かに報酬こそ家が買えるような大金だが、麻薬を包んだぶどう大の袋をそのまま6~70粒胃に飲み込むというかなり身体に負担のかかる仕事、そして捕まるリスクもある。
しかし、同じく運び屋をやっているルーシーという女性と出会う中で、自分も麻薬を運ぶことを決意し……

 

というあらすじなのだが、
この作品に関して言えば、もう、後半辺りから、マリアが国には戻らないことを決意し空港で踵を返して歩き出すラストシーンまでずっと、涙が止まらなかった。


ピンチはあったものの何とかコロンビアからニューヨークに辿り着くマリアだったが、麻薬を数通り「胃から全部出す」まで見張るための宿で、ルーシーの死に面してしまう。
おそらく、胃の中で袋が破れてしまったのだ。血まみれの風呂場を見て恐ろしくなったマリアは、宿から逃げ出すと、事前に聞いていたルーシーの姉の元へ向かう。
妹が麻薬の運び屋をやっていた事情など露知らず、優しい夫と幸福に暮しているルーシーの姉、カルラは、当初、マリアのことを不審に思うものの、呆れながらも結局のところ家に泊め、仕事などが無いか世話を焼いてくれることとなる。


で、涙が止まらなくなった「後半」というのが、この、ルーシーの姉が、迷惑をかけているし「もう国(コロンビア)に帰ります」というマリアに対してかけた言葉である。


「あなたは帰らないわ。私と同じだもの」*1


もう、このシーンのためだけにこの映画を観る価値があると言ってもいいだろう。

作中で登場するのは、南米の貧困や未成年の妊娠、麻薬、といった重いテーマではあるが、そこで描かれている心理や閉塞は、きっとどんな世界のどんな若者にも普遍的なものである。

私は、私と同じだと言いたいし私と同じだと言って欲しくて飛び出しものを観るのかもしれない。
こんな田舎じゃ自分の人生は始まらないと思っていたあの頃と、退屈でちっとも馴染めない地方の狭いコミュニティや文化が嫌で嫌で仕方がなかったあの頃と、
新しい人生を始める決意をすることは、これまでの「誰かに与えられていた人生」を捨てる決意をすることでもある。
それは自分を縛り付けていたうんざりするような孤独を捨て、新しい世界という別の孤独に向かう決意に過ぎない。
そんな孤独なしかし力強い選択に、応援したくなるような、そして同時に応援されたような気になって、

 

たぶんきっと自分はまだどこかに行きたがっているのだ。

 

 

2016年8月9日   鑑賞

2016年8月10日 記す

*1:あなたは死なないわ私が守るもの、にリズムが似ているな…