センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。

コリン・ファースとニコラス・ホルトのLOVE(?)―眼福映画「シングルマン」(超絶ネタバレ)

自分は絵が全くかけなくて、どちらかといえば文章を書いたり読んだりする方が得意なのだが、時たま、漫画とか映像表現が出来る人を羨ましいなあ、と思うのは、たとえば、文章だったら数ページくらいに渡って説明しないと伝わらないかもしれない心境や状況を、一瞬で、一コマのみで、一シーンのみで、観る人に、むしろどんなに言葉や文章を尽くすよりも、何倍もの説得力を持って、伝えられてしまうことだ。

 

というより、そういう事が出来る制作者が上手いクリエイターなのであって、だから私は台詞やモノローグでちんたらちんたら説明するような漫画や映画はその時点で切ってしまったりする。

いい映画はその逆で、いちいちそんな野暮なことをしなくても、映像でちゃんと伝えられるものだ、というのを映画の出来を判定する際の一つの指標にしているのだが、最近、コリン・ファースが、パートナーに死なれて失意の中にある同性愛者役を演じていた「シングルマン」を観て、

“なるほど、優れた映像作品は、人が惹かれあう瞬間を二秒くらいで表現できるから凄いな”

という思いを強くした。

小説であれば、一行で、好きになりました、などと書こうものなら、はあ? だが、映像であれば、人物にとって相手がどれほど魅力的に見えたか、見えるか、視線の交し合い、みたいなものを上手く視覚化できれば、それだけで非常に強い説得力を持つものなのだ。

 

シングルマン - 作品 - Yahoo!映画

f:id:syosenningen:20160903183121j:plain

 

 

だがしかし(漫画のタイトルではない)

(ここからネタバレ)

だがしかし、この映画、監督がファッションデザイナーのトム・フォードというのもあってか、そんなめちゃくちゃ美しい映像眼福(ついでに出て来る男の撮り方もめちゃくちゃ美しい)映画にも関わらず、関わらずというかゆえに、“男が二人出て来たらヤるものと相場が決まっている”みたいなBLのお約束が脳に叩き込まれてしまったある種の腐女子にとっては非常にキツい生殺し映画でもある。

同時に、しかしだからこそ(直接表現がないからこそ)最高にエロい、というどうしようもないコントラディクション。辛い。辛すぎる。

 

めちゃくちゃ美しい眼福映画、というのは、男が出てこない通常の場面にも当て嵌まって、「シングルマン」の映像表現で一つ非常に特徴的なのは、シーンによって変わる色彩の彩度である。おそらく人物の心境などと対応して、ある時はほぼモノクロに近いほど淡く、そんな淡めの色調が続いたあと、パッと、普通に映すよりもあざやかに色彩が加工された人物が登場したりするので、それが非常に効果的にかつ、その人物が魅力的な存在として鑑賞者の前に現れる。

更に、同性愛を描いた映画だけあって、 終始男性が非常に美しい。コリン・ファース演じるジョージの恋人ジムの振る舞い、キス、二人のやり取り、更に、ジムの死後、失意の中にあるジョージが出会いナンパされる(する?)俳優志望の男、ジムが勤務する大学の学生、ニコラス・ホルトくんの挙動、視線、つい目がいってしまう唇のアップ、全て溜息が出る程完璧。これは言葉で説明するのは難しいから観てもらうしかないのだけれど、多分この世には、「萌えるキスの角度」みたいなものがあって、ただすればときめくってもんでもなしむしろ劇中でやたらとキスばっかされても萎えるんじゃないかと思うんだけど、この映画はその辺オールクリアである。

 

しかし、だからこそ、だからこそ、落ち込む生活の中で自殺をも決意したジョージ(コリン・ファース)の前に、現れ、「先生が心配だ」と子犬のようにつきまとうニコラス・ホルトくんと、散々焦らした末、最後まで直接シーンがないというこの鬼畜仕様に悶えてしまうのだ。

(※あらかじめ断っておくと、だから観る価値がないと言いたいわけではない。充分に鑑賞価値のある素晴らしい内容と映像だとは思う)

 

ジョージが自殺を決意した日、ニコラス・ホルトくんは「先生に質問が」「どこかへ行っちゃうんですか?」「飲みに行きませんか」と散々ナンパを繰り返し、一旦は断られるのだが、その日の夜、偶然(偶然じゃなくてホルトくんのストーキングだったかもしれない)飲み屋で遭遇する。

二人で何やら哲学的会話を繰り広げたあと、突如としてニコラス・ホルトが「よし泳ごう」とか言い出し(※服装からして冬)何故かコリン・ファースも即レスで「よし」と了承。

二人は真っ裸(※下着なし)で海に飛び込み、濡れた裸に服を着てニコラス・ホルトコリン・ファースの家へお邪魔することに成功。

 

「何故来た?」

という思わせぶりな台詞の応酬や、

コリン・ファースニコラス・ホルトに、

「濡れた服を脱げ」と言い、

ホルトくんが黙ってマッパを晒すシーンとかまである、この家のシーンでは、

コリン・ファース視点でニコラス・ホルトくんが映る時のあざやかで瑞々しい美しさ、逆に、ニコラス・ホルトくんからの執着と尊敬と心配と様々なものが混ざったしかしきっとこの男をどうかしたいと思っているような視線、そんな視線の交わし合い、流れる甘い空気、うっとりするような、

いつ、次の瞬間キスしていてもおかしくない二人の映像が、最後、2、30分くらい続き、いつ、次の瞬間キスしていてもおかしくないほど美しく甘い空気、惹かれあっていることが分かるエロス度の高い耽美映像、が、2、30分くらいずっと続き、

 

 

そんな鑑賞者への焦らしプレイが生殺しのように散々散々散々繰り広げられたあと、

別に何もしないで、コリン・ファースが突然死ぬ。

 

ニコラス・ホルトくんが現れたことによって、自殺をやめることにした直後、心臓発作で死ぬ。驚いた。この映画は、カフカや公房も真っ青の不条理劇だったのだ!!

ビッグ・リボウスキ並の唐突さである 

 

こっちはずっと待ったのに、そんなのってありかよ!?!?

そんなのってありかよ!?!?

「ぶっちゃけこれって、ベネットとジャッドのラブストーリーでしょ?」と思って最後までずっと観ていたアナザー・カントリーよりも、ひどい生殺し状態である。(あれはジャッドは同性愛者じゃなかったから仕方ないと納得できるけどさあ。でもベネットとジャッドのラブストーリーでしょあれ?)

 

 

というのは、腐女子の勝手な言い分だしこの映画の本質は全然そこではないのだが、そんな、死を迎えたコリン・ファースの姿が作中で最も明媚である、というこれもまた矛盾なのであった。(風立ちぬの本庄風)