センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた24歳。吾妻ひでお、山田花子、真造圭伍、九井諒子などが好きです。ボーイズラブの話多し。

キレて逃亡した近鉄社員には「人生スイッチ」を観て欲しいとか思った。

一年半ほど雑貨店でバイトをしていたときに考えていたことだが、

接客・サービス業とは誠に不可解なもので、基本的に、一般客の相手をする矢面に立たされているのはその組織の中でも末端の人間であることが多いのではないだろうか。企業の方針を決め、企画を立てる人は本社にいるし偉い人は奥にいる。表にいるのは大多数が時給900円とかのアルバイトである。

むかし、ガストで、「この、“みすじ”というのは何ですか」と若い女の子のアルバイトにしつこく訊いているおっさんがいたが、別にその店員は牛肉のプロフェッショナルじゃあないしそんな細かく知ったこっちゃないだろうと何となく気の毒に思った。

わたしは、ガストのホールのアルバイト店員が牛肉のプロフェッショナルなわけがないのと同じくらいのレベルで、大多数の電気屋の店員は電化製品のプロではないし大半の本屋の店員は書籍のプロではないと思っている。電化製品を企画し作っているのはメーカーである。本を考え作っているのは出版社である。出版社の編集者は自ら企画し著者に依頼し編集入稿校正色々携わっているから自分が関わった本のほぼ全てを屹度知っているし答えることができるがそんな一つ一つの本が数千数万取次から送られてきて膨大なそれらが並べられているのが書店である。

なのでとうぜん、一冊一冊の詳細について、書店員が知っているわけがないというか把握できるわけがないし教えて貰っているわけがない。書店のアルバイト店員の仕事はレジを打ったり機械に則り発注をかけたりすることで精一杯なのであって、店中の一冊一冊をこと細かく案内できると思ったら大間違いである。こと細かく知っているのは出版社の社員のほうである。

電気屋もロフトみたいな大型雑貨屋も同じ理屈だ。店員はメーカーの人間ではないので(メーカーの人間が法被をきて電気屋にいることはあるかもしれないが、そういう場合ではなく…)だいたい、客に商品の詳細を訊かれても、よく知らないのを説明書を読むなどして誤魔化して説明しているか裏で検索しているに違いないというかこれは経験談&実際に聞いた話なのでそうなのである。勿論、個人的に詳しいポイントや、説明可能な「担当領域」というものはあるだろう。けれど店で扱う商品の全てではない。

これがコンビニ店員であれば、「彼らの仕事は検品やレジ打ちである」ということが何となく理解できて別にコンビニ新製品のコンセプトをコンビニ店員に訊く奴はいないと思うが、書店とか大型雑貨屋になると、何故か途端にこういう区別ができなくなる人がどっと増える。

誤解しないで欲しいがわたしは店員がプロでないことを非難しているわけでも揶揄しているわけでも馬鹿にしているわけでもないのである、「表に立つのは大半が末端の使い捨ての人間」かつ「自らが取り扱う製品についての研修の機会もさほどなし」という労働構造を不可解に思っているかつ、こういう、「区別ができない」客の方は明確に馬鹿にしている。

 

こうしたアルバイト問題(この労働構造が生み出す問題は他にもあると思っている。例えば、繁忙度によって店員の時給が変わるわけではないゆえに、店員にとっては、労働量と金銭額のバランスとして「忙しいほど損」という状況が生まれてしまう=客が多く来ることは店員にとってのデメリットである という逆説になることなど)

とはやや話がずれるのかもしれないが、人身事故などで電車が遅延した時に駅員を怒鳴る蹴る殴るのような所業をするのは、上記のような、「区別ができない客」の悪化したバージョンなのではなかろうか。何の区別か。言いたいのはつまるところ、「組織」と「個人の役割・責任」の区別である。

線路に人が飛び込んだのもおかげで電車のダイヤの時刻を遅延させることその他諸々方針を決めたのもべつに今、自分の目の前に立っている駅員が仕組んだことではないという区別である。つまりその駅員に怒ったって仕方ない(この場合、仕方ないどころか、対応できる人員が減るのでむしろ悪影響)という区別である。

 

なので、一年半のバイトで「接客業はもう絶対に嫌だ」と固く決意をした身としては、近鉄車掌がクレーマーに耐えかねて逃亡というニュースに、

 

www3.nhk.or.jp

 

深い同情を禁じ得なかったのだがこうした話とはまたほかに、小学校の時分から机や校門を蹴飛ばす他人の筆箱を投げるなどの衝動的暴発を定期的に繰り返し、就職後の前職場でもカレンダーを投げつけたり机を蹴飛ばしたりしていた大概アレな人間であるところのわたしとしては「キレやすい若者」(いやもう23歳だけど…)としての強いシンパシーを感じた。そしてアルゼンチンのことを思い出した。

何故アルゼンチンか。

日本をはじめ各国で、「アナと雪の女王」が興行収入一位を記録していた頃、その年(2014年)の興行収入一位が「アナ雪」でない国があった。それがアルゼンチンであり、二位の「アナ雪」に動員数ダブルスコアをつけて一位に輝いた映画が、「人生スイッチ」である。

 

youtu.be

 

        

 

人生には、「押してはいけないスイッチ」がある。しかし、オムニバスとして描かれる登場人物たちは、ふとした怒りや衝動、きっかけから、破滅へのスイッチを押してしまい不運と悪の連鎖が始まる…というブラックコメディーだ。

「駐車禁止ではないはずなのに何故か自分の車ばかりがレッカー移動させられる、車を返してもらおうとしても役所仕事にうんざり」「幸せだったはずの結婚式に夫の浮気相手が参加していることを知る」「息子が飲酒運転の末、ひき逃げし妊婦を殺してしまったことを知った父親が、何とかできないかと弁護士に頼むが、弁護士や買収した検察が調子に乗って金額をどんどん釣り上げてくる」

…などなど、怒りに身を任せたら自分も危ないと分かっている状況でしかし、登場人物たちは我慢がきかずに「キレて」しまう。花嫁は衝動的にウエディングドレスのままボーイとSEXしケーキや料理を破壊し夫の浮気相手をガラスにぶち当て血みどろにし、男は、駐禁ばかりとってくる陸運局で大暴れし、仕事も家族も失った末、怒りのあまり車を爆破させる。

 

中でも一番好きだった話は、山の中の道路で、自分の進行を邪魔してくる車を遂に追い越し、追い越しざまに、田舎者、のろまなど罵倒したら、しばらく行った先でタイヤがパンク、車がとまってしまう。どうしようと困っていると、先程罵倒した運転手の車が追い付いて来て、怒りを抑えきれていなかったその運転手が、車に小便やウンコをかけたり窓ガラスを割ったり仕返しに出てくる…というエピソード。車を激突させて川に落としたり、シートベルトや火まで使った格闘の末、最終的には車ごと爆発し二人は黒焦げ死体になるのだが、

この爆発オチまでの緩急や伏線、格闘の流れがよくできていて面白い。

 

ということでこういうことを言うと非常に不謹慎ぽいが、クレーマーにキレて服を脱ぎ棄て線路から逃亡、というのは如何にも「人生スイッチ」の1エピソードにありそうな話題であって、だから件の近鉄社員にはぜひこの映画を観て欲しいとか思ったわけである。

外からリアリティー・ショーとしてやいややいやと面白がられ消費されるのは当事者としてたまったものではないだろうが、自分の人生の一部分を相対化しコメディ化してみるのは辛く長く苦しい人生を乗り越える一つの手法としてはアリなのではないかと思ったりする、願わくば彼が今後実際に、「こんなこともあったな」と後で振り返ることのできる人生を送れますように

 

 

因みに、アルゼンチンでは、この「人生スイッチ」のオープニング動員数を更に越えた映画として、身代金で生計を立てている一家の誘拐殺人を描いた「エル・クラン」が社会現象化したらしい。日本でも9月17日から公開されている。

 

eiga.com

 

何となく予告や宣伝から、“アダムス・ファミリーの誘拐殺人版”(なんだそれ)みたいなものを想像していたのだが、積極的に主導しているのは父親だけだし、息子たちは渋々手伝い葛藤もする、母親や娘は消極的黙認(うち一人は全く知らない)、くらいで事前のイメージとは違っていた。けれど、悪事が警察にばれて、逮捕されてどうしようもなくなった後で取るラスト近くの息子の行動は、視聴者の意をもつく、非常に衝動的突発的、この、怒りや苦痛をボカンと一発取り払いたいみたいな衝動、

 

観てないから分かんないけどあらすじから推測するに、アナ雪って、ありの~ままで~が有名だけどあれは割と序盤で結局は、(愛によって)力を制御しないと幸せは訪れないって話じゃないですか?

たとえ破滅に進んでいくかもしれなくても衝動へと身を任せる人物たちが出て来る映画の方が、そしてそれをあまり深刻になりすぎずユーモアを以て笑いへと昇華する映画の方が、アナ雪を越えて歴代一位をとっちゃうアルゼンチンっていう国は、いいところなのだろうなあと一度も行ったことないのに確信する次第である。