センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。

【作画監督が】最強で最高のトライアングル・ラブ(男同士の)―HiGH & LOW THE RED RAIN 感想【優秀】

兄弟のトライアングル・ラブストーリーとして&登坂広臣のアイドル映画としては1億点 

 

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 前回の劇場版ハイローで、まんまと、広斗×スモ―キーや、マイペースな広斗に振り回されまくる兄・雅貴の、「お兄ちゃんの話を聞きなさい!」に見事ずきゅんとやられた結果(↓前回のアツい感想)

 

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これまで、何となくいいタイミングで神出鬼没に現れかっこよく戦っていくだけだった雨宮兄弟の背景が遂に明かされるスピンオフである、「HiGH&LOW THE RED RAIN」も、これはもう絶対観に行かねばと、全くEXILE TRIBEファンでもないくせに初日に映画館へと足を運んだわけですが、Twitterで延々雨宮兄弟について書きまくったにも関わらず、まだ、語りたいこと&妄想したいことが山ほどあるので、とりあえず結論を先に言っちゃいましょう、

 

登坂広臣のアイドル映画としては1億点!!!! 序盤、中盤、終盤 作画に隙がない

 

②雨宮兄弟を、不在の長男を中心に据えた「三兄弟」の設定にした人には拍手喝采を送りたい!!!

 

③前作に続いて、ハイロー制作陣は、「男同士のトライアングル・ラブストーリー」があまりにもうますぎる

 

 

無論、先に断っておくと、相変わらず、脚本や演出の穴や難、ツッコミどころは100億個くらいある映画ではある。

「それどういうことだよ!?」とか話の進行にいちいち口を挟んでいたら本当にキリがない(ので言わない、ストーリーの話もしない)、

しかも、ストーリーのドラマ性とか整合性とかリアリティとかは完全に置いておいて、ひたすらアクション、画面のかっこよさ、キャラクターが一同に集結するグルーブ感、プロレス感、ライブ感で何となく盛り上がった気になった「THE MOVIE」と打って変わり、良くも悪くも、「物語性」と「普通の映画」の完成度を求め、半端なリアリティと、日本社会や政府など「SWORDの外」のあり方、そして初めて、「外から見たSWORDの相対化」を追求し、「世界から見ればお前らのセカイはちっぽけである」ことをある種話のテーマにしてしまったので、前回の突き抜けた「セカイ系」感(主人公たちの愛が世界を救う)が無くなり、

けどそうやって政府とか組織とか法案とかいんたーねっととか(この“いんたーねっと”のあり方も雑過ぎ)とか出してくる割には、設定や脚本やドラマパート演出に難がありすぎるので、別に真相追求ミステリーやクライムストーリーとしての面白さは皆無、文字通り、「皆無」、

全てを、「なんかかっこいい」で押し通すものの、お馴染み、「回想」を挟みまくるので超超絶絶にテンポが悪く、そのテンポの悪さによって観客の心の盛り上がるタイミングを挫きまくり、

しかも、アクションやバイク爆走や贅沢な爆発や雨宮兄弟の作画のかっこよさにEXILE TRIBEの「音楽」が全く追いついていない、率直に言うとクソダサい、BGM曲のボーカルが始まった途端にズコーーーーっとなるレベル、

そして何より、そもそもの長男の行動原理がマジで理解不能というのが痛い。

 

弟を巻き込みたくないってさーそんなの突然何も言わずに消えたら心配して探し回るに決まってるしさーー生活環境近いんだから探し回る過程で巻き込むことになるのは予想できるわけでさーー巻き込みたくないならせめて、いなくなることに納得できる理由とアリバイ作ってから消えろよっていうかさーーお前、弟たちがどんだけ必死でお前のこと探したと思ってるんだよあとまた突然失踪したせいで女の子も超危険に晒してるしさーーってか取引ってなんだよUSBと何を(??) 相手は容赦なく殺す奴だし集団なんだから蜂の巣にされるだけやん勝算は何だったんだよ、

ってかそもそも、その割と自己中なヤンキーの美学的自己犠牲精神、前作であんなに琥珀さん殴って劇中で否定されたやつじゃなかったのかよなーーまずお前が強く生きてくれよーー

 

……でもいいんすよ、そんなことは!!!!

そんなことは、こんな濃い男同士のトライアングル・ラブストーリーの前には、些細なことである!!!!

雨宮兄弟は一体何して食ってんだ問題に回答が与えられ、二人が同じ屋根の下で暮らしテレビのリモコンを取り合っている生活風景や(20歳を超えているくせに「うっせーな」とか反抗期バリバリっぽい広斗、それに対し、「広斗くん、兄ちゃんを無視するな!」と憤る振り回され系雅貴、端的に言って最高)、アイス食べさせあいながらいちゃついているシーンだけでもう観る意味があるが、

この映画の最重要価値は、EXILEグループが、「男同士がいちゃついていると女どもは喜ぶ」という事実に気が付いてしまった上で過剰にサービスをしていることと、HIROさんが(←?)「登坂広臣」の最高の使い方・魅せ方を発見してしまったこと、雨宮広斗という最強の末弟キャラを生み出してしまったことにある。少なくとも私にとっては。

一方で、後に詳細を述べるが、なおかつ、語るべきこと、妄想すべきことは、「兄」でもありながら、実は「弟」でもあった、真ん中っ子の、“次男”の立ち位置にあると思っていて、この、兄弟の設定と配置と<ドラマ>性が、ほんとーーに絶妙なのである。

相変わらず、ハイロー制作陣は、トライアングル・ラブストーリーが上手い。

 

 前作、「HiGH&LOW THE MOVIE」は、「今は亡きタツヤさんの影が離れない琥珀さんに、愛は自分の方に向いていないと分かっていながらも、それでも彼のためになれればと黙って寄り添い続けた九十九さんが、最終的には、何とか琥珀さんを自分の方へ必死で振り向かせようとするトライアングル・ラブストーリー」であると先の記事で述べたが、

RED RAINも、一応、スパイス的にというか雨宮兄弟のかっこよさを引き立たせるためだけにヒロインらしき若い女の子は出てくるものの、重要な戦いのシーンでは「邪魔だから」と(マジで邪魔って言ってる)完全に蚊帳の外かつ、女の子が、広斗のバイクに二ケツするためにつけたピンクの補助席らしきものも、物語後半では、おそらく画面的にカッコ悪いという理由でいつの間にか無かったことにされ、挙句の果てに、トラウマレベルの酷いことが起こった後も特にアフターケアも無しに放っぽり出され(雨宮兄弟が見つめ合いながら帰っているだけ)、

ラストは、雨宮次男と三男が、棒アイスを食べさせ合いながらいちゃついて終了

という、相変わらずの、「俺たちの世界に女はいらねえ」、腐女子並の強い意志による、男同士の濃ゆいラブストーリーが展開されている。

 

後で詳細を述べるけれど、この、男同士のラブストーリーが、単なる、雨宮雅貴と広斗の二人のみで進行しているものならば、もちろん、萌えはするけれど、ここまで私は語りたくならなかったと思う。

けれど、ここに、「不在の中心」である長男を据え、かつ、三男の広斗は、一人だけ血の繋がらない、「突然出来た弟」であるという設定が加えた三者関係としたことが、

すなわち、「二人」(尊龍と雅貴)だったものが、「三人」になり、また、べつの「二人」(雅貴と広斗)になったということが、

 それぞれの関係性と妄想の余地に深みをぐっっと与えているのだ。

 

※以下ネタバレ有

 

 

「兄」でありながら「弟」でもある次男の焦燥と哀しみ 

 

先程、この映画の価値は、「登坂広臣」の最高の使い方・魅せ方を発見してしまったこと、雨宮広斗という最強の末弟キャラを生み出してしまったことにあると書いた通り、個人的には、何かというと、「うっせーな」「くせーこと言うな」、ツンツンツンデレで、まだ反抗期みたいな物言いをし、マイペースに主に雅貴を振り回し、でもやはり重要なシーンでは、兄ちゃんに縋り、号泣する雨宮三男の三男ぷりに心をズキュンとやられたので、キャラクターとしては広斗を推しているのだけど、今作は特にいい三男っぷり。

そして、序盤、中盤、終盤、作画に全く隙がない。どえらい男である。

 

映画公式のあらすじに、感情をあまり表に出さない広斗、みたいな説明があったけど、別に全然そんなことはなくて、そのぶっきらぼうな感じも末弟だからこそ(本気では怒られないからこそ)のある種甘えなわけだろうし、雅貴よりもむしろ、ぜんぜん自由に率直にキレたり怒ったり泣いたりしていると思う。一見、ひょうきん、感情豊かに見える雅貴の方がやはり全然大人で、広斗ほどそのままに本来の気持ちを表示していないシーンが結構あるわけ(この点は結構重要)

 

レッドレインでは、長男がいる分、そういう末弟っぷりが際立っていたし、兄ちゃんたちに可愛がってもらったり、後半、ヤクザ達の銃撃のときも、まず部屋の入口で雅貴が広斗をさりげなくかばっているシーンがあるし、続いて尊龍にも守ってもらっているあたりも萌えである。

しかし、本作でむしろ考えたいのは、というか考えさせられたのは、次男の方だ。

だってこの次男、あまりにも不憫じゃないですか?? 私自身は三人兄弟の一番上なので断定的なことは言えないが、真ん中っ子が見たら泣くよこれ。真ん中っ子号泣映画だよこれ。

 

レッドレインは、どちらかというと、「広斗」と「尊龍」の物語に寄っていて、<肝心な時>に、次男である雅貴はほぼ蚊帳の外であるという場面が二回ほどある。

<肝心な時>というのは、言ってしまえば、大事な家族が死んでしまったとき、つまり最重要場面と言ってよかろう。

両親の自殺を知って、取り乱し泣き叫び、「血もつながってないお前なんかに何が分かる」「こんな家来なきゃよかった」「犯人殺して俺も死んでやる」と罵倒する広斗を、宥め、説得し、兄弟間の絆を深めることに成功したのは、長男である尊龍の方だ。

この二人が各々の気持ちをぶつけているとき、次男の雅貴はほぼ突っ立っているだけ、完全に会話の外側である。かろうじて、最後の、俺ら最強の兄弟だぜみたいな、各々の拳を寄せ合う場面で、自分も拳を合わせているくらいなのだ。

 

そして、兄である尊龍が、ヤクザの銃にやられて相撃ちで死んでしまったときも。

ここに至るまでのシーンで、尊龍の傍にずっと付いていたのは広斗の方である。雅貴は、逃げたボスを追って、銃撃部屋の外にいるので、この場面でも不在だ。

長男の戦いを見届け、想いをぶつけ合い、兄の気持ちを受け継ぎ、その死までの残り儚い命の中で、兄の思い出を回想し嘆き哀しみ、「兄貴」と叫び続けるのは、広斗であって、雅貴は最後の最後で駆けつけるものの、今度は、雅貴が合わせようとした拳はついに重ならないまま、尊龍は息を引き取ってしまう。

 

この二つの類似場面は、雅貴にとってそれぞれ同じような、しかし別の意味を持っていると思う。

すなわち、一回目は、「兄になれなかったこと」の、二回目は、「弟になれなかったこと」ことの暗喩

本作で、雅貴は二重に、救われていない。

 

ここにきて、広斗に無視されたり振り回されては、「お兄ちゃんの話を」「お兄ちゃんを無視するな」と雅貴がやたらと兄ぶりたがっていたシーンが非常に生きてくる。

これはたぶん、広斗にとっての「兄貴」は、尊龍であることを、尊龍でしかないことを、ずっと身に沁みて生きてきたからなのだろうと思う。それは、中学生のとき、母の再婚で慣れない環境に於かれ、荒れて反抗心バリバリだった広斗を家族に慣らし、心を開かせていったのは尊龍であることを、

「広斗の扱いは、兄貴の方がうまかった」

とモノローグしていることからも伝わってくる。兄のように、「兄」になりたくて、でもなれなくて、だから、必要以上に、兄貴ヅラをしてしまうのだ。

 

もちろん、それは広斗が雅貴を信頼していないというわけでは全然ない、二人の間に強い絆はある、けれどどちらかというとそれは、「弟仲間」としての絆であるという印象を受ける。実際、弟仲間として、二人はしつこく兄を必要とし、探す。

で、記憶違いだったら申し訳ないが、広斗は少なくともこの映画の中では、一回も雅貴を「兄貴」とは呼びかけていないはず。

 

でも、よくよく考えてみると、兄である一方で、「弟」でもある雅貴は、本来、広斗の存在って結構複雑に思うはずなのじゃないか。

自分ひとりだけが、尊龍の「弟」だったところに、突然、手のかかる「弟」ができ、兄の気持ちと面倒見はそっち(広斗)の方に向かってしまうわけだ。兄は広斗を構い始める上、絆のようなものを二人で深め、キャラクター的にも、本来、血が繋がっていないはずの尊龍と広斗の方が似ている。

広斗は、尊龍がいなくなって自分一人で勝手に色々進めていたことについて、「そんなに俺たちのことが信用できねえのかよ!」とかキレていたが、自分だって、前作では雅貴を完全に放って、雅貴が探しているかもとか全然考えもせず、自分一人だけでどんどん色々と話進めていたじゃないかと思う。あんま人のことは言えない。そういう、自分勝手さ、かつ肝心な尻拭いは他の兄弟がやる羽目になる振り回し気質は、尊龍と広斗の方に共通しているものだ。

そして、尊龍のある行為ー泣きそうなヒロインに向かって「壁だと思え」と抱き締める、も、引き継いだのは、広斗、兄の想いを継承したのは広斗であって、最初から弟だった、かつ、血の繋がった弟である雅貴ではない。

 

劇中には描かれていないけど、そして、「描かれない」というところこそが肝なのだけれど、これって、雅貴の気持ちを考えると、雅貴にとっては、結構、悔しいことだと思う。

広斗のことを、邪魔だと思っても、別におかしくない。ほんとの弟なのは自分だったのに、と妬んでもおかしくない。

 

 

それでも、「それでも」、そんな気持ちや態度は出さずに、雅貴は「兄」になろうとしていたのだ。なろうとしているのだ。

それでも、広斗の「兄」になろうとしてあげているのだ。

 

それなのに、そんな雅貴の涙ぐましい健気さをよそに、「RED RAIN」では、「兄」にも「弟」にもなりきれない。

だから「RED RAIN」は、誰よりもいちばん、次男にとって残酷な物語であるのだし、「三人兄弟」であるという設定が、これ以上なくドラマと背景に機能し、奥行を持たせている所以である。こんな残酷で素晴らしいトライアングル・ラブストーリーを生み出した時点で、他のダメ要素や脚本の破綻、演出のダサさなど、全然些細な問題である。

 

とはいえ、抽象的な言い方だが、私は、本作で、「描かれていない」けれど直接は描かないことでこれ以上なく「描かれている」、雅貴の気持ちと状況を思うと、もう本当に本当に不憫で仕方がない。先述の通り、この不憫さこそが、この映画の素晴らしさではあるのだが、

まあでも、次作ではちゃんと雅貴を、救済してあげてくれているといいな、というのが、「HiGH&LOW THE RED RAIN」を観たあと真っ先に思った一番の想いだ、せめて広斗、雅貴を「お兄ちゃん」って呼んであげて。

 

 

鑑賞日:2016年10月8日(土)

 

【補完妄想↓】

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