センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた24歳。吾妻ひでお、山田花子、真造圭伍、九井諒子などが好きです。ボーイズラブの話多し。

突然小学5年生の作文みたいな哲学ポエム語り出すのマジやめろよー「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」

面白かった映画より、つまらなかった映画の話をする時の方が10倍くらい話が長いの、如何にも自分の人生の狭さを顕現しているようでマジ何とかしなきゃって思うんだけど、

5月21日は、新宿ピカデリーに篭もりっきりで「帝一の國」や皆大好き「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」も観たにも関わらず私はいま真っ先に「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の話をしたい。

 

eiga.com

 

ってつまりクソつまんなかったって事なんだけど、いやつまらない以前に、松田龍平とか池松壮亮とか出して2時間もかけて「何一つ内容やドラマがない」という驚きの空虚さなんだけど、

「都会の空虚」とか抜かす前に、映画の内容の空虚さをもっと心配した方がいいよ。

東京で、なんとなく人生に欠乏を抱えた男女が、BL漫画も真っ青の「偶然の再会」を駆使しまくり何度か遭遇するうちに恋愛なんだかよく分からない絆が生まれ、「恋愛すると人って凡庸になるのね」みたいな馬鹿げた禅問答を延々繰り広げてなんか松田龍平が突然死したりして低レベルの哲学ポエムを散々披露してなんだかくっついて終わる。

合間合間に、「震災」とか「自殺」とか「東京」とか「恋愛教」とか何となく出せば社会批判っぽくなりそうな、それっぽいワードを表面だけの薄っぺらーーーい陳腐な感じで出してきてダセえのなんの。

 

言葉遊びが達者な会話劇になってる「カルテット」的な感じならともかく、この映画での禅問答って全て、いやマジで「全て」、

パキスタン地震は報道しないのに、日本やロサンゼルスで震災が起こったら報道するでしょ?毎日人はどこかで死んでるのに」

レベルっすよ。陳腐にもほどがある。小学5年生の作文ですか?

 

あと便宜的に問答って書いちゃったけど別に全然問答はしてないんである。

登場人物がなんか突然上記のような小学5年生の作文みたいなことを言い出して、それに対して別の人物の反応は

「黙れ」か「何言ってんの?」か「知らない」

以上、である。

 

まあ確かに、村上春樹の世界でもあるまいし実際そんなこと突然喋りだす奴いたら「何言ってんの?」って返すだろうけどさ、そうだけどさ、

それにしても「何言ってんの?」で会話終わらせすぎっていうか会話を続ける気ZEROかよ?っていうか社交性の無い人物しかいねえのかこの街には!って感じでこの会話続ける気ZEROの人物しか出てこないことが、内容とドラマの無さ度に尚更拍車をかけている。

一昨年くらいに観に行った学生映画祭の作品のがまだ内容があった。

 

っつーか松田龍平殺すなよボケ!

 

というのは冗談として、しかしこればっかりは私が悪いんですよ。

だって予告からしてそんな感じしかしないし、そもそもお前、なんか雰囲気と哲学ポエム的禅問答で誤魔化すが内容に一切のドラマ性が無い、(単館系映画館で2週間くらい上映されていそうな)ショボ邦画いちばん嫌いじゃん?

観る前から絶対そんな感じって分かってたじゃん? なまじ有名俳優が出て石井裕也だから新宿ピカデリーでもやっちゃうけどさ。

 

観るなよ。

 

でも、思っていたより100倍くらい「そんな感じ」だったのでびっくりしたのでこうして書いている。

本気で、私が嫌いなタイプの映画の嫌いな部分を二時間煎じ詰めたみたいな映画だった。

驚くべきポイントとしては、普通「そんな感じ」の映画って、とは言っても映像は綺麗だったりするわけじゃないですか。映像の雰囲気で誤魔化したりするわけだから。山戸結希とか

それが、この映画ではそうじゃないんですよ。映像までダサいんですよ。びっくりですよ。

 

例えば、

女主人公の「飛行船は誰も見ていないのに飛んでいる」的なモノローグに合わせた映像で流れるのは、

「バス停で並んでいる人々が全員一心にスマホを眺めている」(主人公だけは見ていない)

今時、「皆スマホの画面ばかり見ている」みたいな風刺が「風刺」になると思っている時点でもうね、もうね…

ってのはさておき、これは実際に観てもらうことでしか分からないニュアンスなんだけど、この「スマホの画面を全員見ている」映像にしたって、撮る人が撮ったらもっと自然にかつ効果的に出来たはずなんだけど、これが壮絶に、なんていうかなあ、「そんなわけあるかいな」みたいな画なんである。

如何にも、「スマホを全員みている」映像を撮るために「スマホを全員見ました」感じの画、というか。異様なダサさが生じている。

 

「そんなわけあるかいな」ポイントで言えば、

女主人公は看護師という設定なので(その設定全然生かされてないけど)、病院では死に直面したりするのだけれど、

ある女の人が死んだときに、夫は哀しみで号泣しているが、息子二人はよく分かっていないのか運ばれていく母親の死体の隣で玩具でチャンバラごっこして遊んでるみたいな場面がある。

でもこの息子って、下はともかく上の子は少なくとも小学校2、3年生くらいに見えるのよ。

 

いやいやいやいや、わかるでしょ!!

流石にそれは子供舐めすぎだって!!

3歳くらいならともかくさあ。

 

私の祖父が死んだとき、私は小学校3年生で妹は保育園の年長だったが、妹も、ちゃんと死を理解して哀しみ泣いてましたよ。

勿論個人差っていうのはあるんだろうけど、5歳くらいであれば分かるって…。

わからなくても、大人が混乱したり哀しんでいる異様な雰囲気に呑まれれば、子どもはただ事じゃないと不安にはなるでしょ。

 

祖父が死んで15年くらい経つけど、倒れたという連絡が来たとき何をしていたか、蘇生のときの様子、医者が何を言っていたか、父親になかなか電話が繋がらず母親が焦っていたこと、いつもは私に対して当たりのキッつい母が「なんで電話繋がらないんだろうねえ、ねえ」と口調が優しくて人が死ぬと人は性格が一時的に変わるのかと思ったこと、

葬式で母が泣いていてびっくりしたこと、父が「まだ信じられない、今にもひょっこり帰ってきそうな気がする」と言ってたこと、棺桶に湯呑入れたらと言ったら、「燃えないものは入れられないから」と祖母に止められたこと、

等など、私は今でもはっきりと覚えている。

 

つまり、子どもにとっても身内が死ぬっていうのは、それほど強烈な体験として心に刻まれるわけで、あのくらいの年の子が、

「母の死体の隣で死んだことが分からず弟とチャンバラごっこしてる」

映像って、人が死ぬってことと、子どもをあまりにも馬鹿にし過ぎっつーか、一応、

「死」が一つの軸になっている(らしい)テーマの映画としてはお粗末なんじゃないかと思うのだよ。

 

リアリティはデティールにこそ宿るとはいったもので、

たとえ一瞬の細かいことではあっても、こういう「心に引っ掛かる(悪い意味で)」お粗末で適当な場面が出てくると、途端に作品が「駄作」として記憶に残っちゃうもんで、だからこそ些末にこそ気を配るべきっていうのをつくづくと実感した次第。

 

 

あと映像という観点で、私が一番「うわあああ…」ってなったのは、

さっき、“合間合間に、「震災」とか「自殺」とか「東京」とか「恋愛教」とか何となく出せば社会批判っぽくなりそうな、それっぽいワードを表面だけの薄っぺらーーーい陳腐な感じで出してきてダセえ”

って書いたけど、これね、ほんとにワードが文字になって空に浮かび上がるシーンがあるんですよ!!

 

文字が浮かびあがってカッコイイのは「SHERLOCK」だけだから!!

 

池松壮亮演じる男の方の主人公が、水道代等の請求書に溜息をついたあと部屋から夜空を眺める。

「水道代3000円」「ガス代2000円」「家賃65000円」…

みたいなモノローグと共に、↑の文字も文字として夜空に浮かび上がってくるわけ。

ってこれだけなら、息をするだけで毎月何万円も支払支払支払の待つ人生って世知辛いよねみたいな話なんですけど、

徐々に、「震災」とか「シリア内戦」とか合間合間に「社会派」っぽいワードが挟まれる。文字で。

っていうか公式サイトの予告文にあったわ。

 

「携帯、9,700円。ガス代、3,261円。電気、2,386円。家賃 65,000円、シリア、テロリズム
食費 25,000円、ガールズバー 18,000円、震災、トモユキが死んだ、イラクで56人死んだ、
薬害エイズ訴訟、制汗スプレー 750円、安保法案、少子高齢化......、会いたい」

 

ダッサ!!!!!!!

なんだそれ!!!!!

おまけにフォントまでダサい!!!!!

 

 

って私は語彙力が無いのでさっきから「ダサい」しか言ってないけど、この映画の好きになれなさっつーか、ピンと来なさは、やっぱりそこに集約されると思っていて、つまり言ってしまえば、この主人公たちが抱えるある種の空虚さっていうか、孤独感・虚無感みたいな雰囲気自体が、もう結構若者の持つ空気やリアリティとして「時代遅れ」だと思うんですよ。

 

原作(と言うべきなのか?)は、気鋭の若手詩人である最果タヒだし雰囲気や目的としては多分、「現代の若者の中でも特に感受性の強い若者」が捉える時代の気分、みたいなのを目指したかったんでしょうね、系映画だからこそ、

この絶望的な「時代遅れ」感は本当に救いようがない。時代遅れだったら意味ないもん。

 

何ていうかなあ、これ観て思ったのは私はつくづく、この映画だけに限らず

「この街では呼吸も上手くできない」

みたいな、「東京」をやたらと“逆”神聖視している感じとか、「都会の空虚」的センチメンタリズムを無闇に「東京」というワードに集約させていく感じとか、

ほんとすっっっごい嫌いって実感したんだけど、

東京をそんな特別な場所だと思ってんじゃねーよ、てめえがつまらなくて社会性に欠ける人間なのを東京のせいにすんなボケが、東京の人間だけが生きづらくて繊細なわけねえだろバカって感じなんだけど、

 

そういう個人的好き嫌いはさておいても、

こういう「東京の虚無的センチメンタリズム」ってもう、古くないっすか?

なんかよく分からんけど、そういう、東京には大事なものは何もないのでは的な厭世観や不安感って、「完全自殺マニュアル」とかが流行った90年代くらいまでのもんっしょ?

まだある程度、モノが飽和していた裕福な時代の若者が抱えるやつっしょ?

 

だって!

心の空虚とか虚無とか以前に!!実際に金や食べ物が無いんですよ!?もう結構物理的に「空」で「無」な時代に突入しちゃってんすよ!?

「虚」じゃないんだよ!マジでねえんだよ!!

 

 

 

ちょっと話が逸れるけども、何年か前、「完全自殺マニュアル」を読んだとき、結構衝撃を受けて、っていうか多分現代の若者が読んだら激怒すらすると思うんだけど、このまえがき部分。

 

前にも書いたけど、生きてたって、どうせなにも変わらない。エスパーじゃなくても、だいたいこれからどの程度のことが、世の中や自分の身に怒るのかもわかってる。「将来、将来!」なんていくら力説してもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。

 こういう状況のなかで、もうただ生きてることに大した意味なんてない。もしかしたら生きてるんじゃなくて、ブロイラーみたいに“生かされている”だけなのかもしれない

 

だから死にたいらしい。何を呑気なこと言ってんだって感じだけど、

幸せな時代だなア…いや皮肉じゃなくて…

 

で、25年くらい経った現在において、上みたいな生活を送れるなんて人はもはや「勝ち組」ですらあって、将来の見通しなんか全然ないというかむしろ悪くなる一方な若者が少なからず数を占めているっていうのは誰でも分かってると思うんだけど、

この25年で日本の若者の状況ってのはそれほどガラっと変わってしまったのに、「若者の抱える閉塞感」みたいなのが、この25年前の「若者」が言っていたようなことと同じなわけがねえんである。

 

勿論その辺りはこの映画の制作者だって分かっていて、

だから池松壮亮演じる主人公は、日雇いの工事現場労働者で年収は200万いくかいかないかで年金も払えず、同僚は身体壊したらもう明日食う金も他に働く場所もないから自殺するしかないかもみたいな状況で、同じアパートの独居老人は電気代も払えず蒸し暑い部屋の中で孤独死する。

 

しかしこの貧困の扱い方も物凄く表面的っていうか、

この映画の最大の失敗ポイントは、

の、くせに、

どっちかっていうと主人公たちの於かれてる状況は、地方疲弊映画「国道20号線」みたいなアレのくせに、にも関わらず、舞台は新宿や渋谷で、センチメンタルな東京で、

やってることは、「ねぇ、恋愛すると人間が凡庸になるって本当かな」「どうせ捨てられるって分かってるのになんで恋愛なんか」みたいな、くだらないにも程がある禅問答ばっかなあたりである。いやまあ問答はしてないんだけど。

 

つまり、主人公たちが実際に於かれている状況という設定と、主人公たちが抱えている空気や悩みや映画の雰囲気というのが、全然合ってないんである。

だからマジで観ていると苛々する。

 

実際に人が死んだり、ガールズバーの1万円にも困窮するから凄い決意がいる状況なのに、漠然とした不安について延々グダグダグダグダ喋ってる場合かっつーの。

漠然とした不安じゃねえよ!!!

漠然としてねえんだよ、お前らが抱えているのは、明日の食費あるかっていう具体的な不安だろ!!!

かく言う私もこれを書いてる時点で給料日まで3000円しかないけど!!!

 

 

 

というとこで締められればよかったが、映画の本筋とは関係ないけどもう一つ書かせて欲しい。

この映画では「震災」という言葉がやたら意味ありげに出てきて実は大した深い意味も話もされていないが、

震災という言葉とあと「東京」というワードに関してもう一つ気付いたというか前から思っていたことがあった。

これを言うと物凄く私が心ない非国民みたいなのであんまり書きたくないんだけど、

 

あのね、上手くニュアンスを伝えられないんだが、

ぶっちゃけ、2011年に西日本に住んでる(た)人にとって「東日本大震災」って、

「震災以前」「震災以後」

みたいに、<思想や価値観にコペルニクス的転回>が起こるほど、○○「以前」「以後」ってことのほどのことじゃなかったんじゃないか?

 

ほら今非国民って思っただろ。私も思ったけど。

無論、これについては、2011年の3月時点、私は高校を卒業し大学入学を待つばかりの何者でもない期間(紙面上では高校生なのだろうが、実質的にはニート)だったので生活に何一つ実害が無かったということも大きいのかもしれないし、

あまりにショックが大きかったので、逆に「たいしたことない」と思おうとする反動形成的な何かかもしれない。

 

しかし実際、西日本の人間の生活は、TVが報道ばかりという他は別に割と通常営業で実施されていて、3月12日も普通に私は奈良へ物件を観に行ったし不動産屋の人も普通に働いていた。

勿論、テレビや新聞やネットのニュースを見て心を痛めたり、逐一情報を追ったり、募金をしたりはした。した、し、別に東日本に住んでない多くの日本人も同様に、ショックや衝撃を受けたし鮮烈に記憶に残ったこととは思う。

 

しかしあくまでそれって、「テレビの映像」を観てなんですよ、言い方は物凄く悪いけど、実質的には対岸上の火事であって、「リアル」に自分が体験したわけじゃないんですよ、西日本の人間は。取引に影響が出た人はいただろうけど。

東北の人が被災者なのは言うまでもないが、これが「東京」だとまだ、電車が止まったり会社が休みになったり停電になったり実際に生活が「異常事態」だった記憶があるのだと思う。

東京に住んでいた元同僚も、「震災の時仕事がずっと休みになって、いつ再開されるかも分からなくて不安で鬱みたいになりかけて…」みたいなことを言っていたりした。

 

私は、この「違い」が生み出すものを、

震災当時は愛知に住んでおり(愛知も結構揺れた)、それから2011年から2015年までは奈良にいて、2015年から東京に居を移した、からこそ、なんとなーく感じることが出来た。気がする。

というのは、東京の人って、結構、

「震災の頃」「あれは震災の前だから…」って言い方をする。

関西にいた頃は、そういう風に言う人ってあんまりいなかった気がする。

この「違い」を、人びとの持つ空気や感覚としてちゃんと捉えるのって、それこそ西日本と東日本両方にある程度の期間住んだことが無いと分かんないのだと思うけど、

 

つまり、リアルに震災を体験している東京以東の人にとったら、東日本大震災は、「震災の頃」であり「震災の前」か後という人生の転換点であり、「震災以前」「震災以後」という思想のコペルニクス大転回を起こした歴史上の基準点、となっているのだろうし、

しかし、西日本の人間はその東日本の人間が有しているのであろう感覚を、本当に理解するのって難しいのではないか。

その体験は、テレビの前で泣き叫ぶ人への哀しみの共感や、「おおごとだと思わなければいけない」という良心や倫理観が生み出した擬似的なものでしかない

逆に「東京」の人も、西に住んでいる人間は、実は自分たちが抱えているほどの「大転換」を東日本大震災に有していないという、感覚の違いをたぶん、「分かっていない」

何故ならば彼らはずっと東京に住んでいるし東京が「日本」だと思っているし東京のリアルが日本のリアルであるから

 

このことが、何を生み出すかというと、

っていうか、私がここで何を言いたいかというと、

現状、出版社やキー局や所謂大手マスコミって、全部東京にあるってことです。

東京にあって東京の人間が作っている。

同じ言葉を繰り返すと、彼らはずっと東京に住んでいるし東京が「日本」だと思っているし東京のリアルが日本のリアルであるから、自分たちが震災という「体験」と「言葉」に持っているあれやこれや(記憶・思想・考え方・感覚etc.)を日本人全員が持っているものだという前提で、話をする。報道する。作品を作る。

「震災」って言っただけで、何かを伝えた気になる。何か日本人にとって特別な共通意味を持ったマジックワードとして使う。

で世に流通するマスメディアはほぼ全てがそんな感じなので、実はピンと来ていない我々も、「伝わった」気にならなければいけないような気がして伝わった振りをする。

 

つまり、いや、分かんねえからね、ってことなんだよ。

「震災」って言葉だけじゃ、君らの言いたいことや君らの感覚、実は全部は伝わってないんじゃないか?ってことなんだよ。

マスメディアの人間は、いい加減こういう、無意識の東京ナチュラ中華思想やめなよ

 

…ってとこまで書いたとこでたまたま公式サイト開いて知ったけど、

「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」って公開から結構経ってた気がしたけど、これまだ、全国公開してなくて、東京の2館でしかやってなかったんですね…

あ、新宿や渋谷に簡単に行ける人じゃないと観れないんですねまだ…なんか道理で感想流れてこないと思ったわ…

 

自分が一番ナチュラ中華思想じゃん…