センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた24歳。吾妻ひでお、山田花子、真造圭伍、九井諒子などが好きです。ボーイズラブの話多し。

両立し得る分裂的欲望ーー映画「エル ELLE」感想

 

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映画「ELLE」鑑賞後の幼稚園児並の私の感想

:冒頭で、お。猫映画かな?と思いきや百合映画だった。

 

…というのはさておき、このところ、ハイローを短期間に3回観たり、トムホ君のスパイダーマンの為に2ヶ月ほどずっとストイックにマーベル映画漬けだったり、映画館で観たのも「釜山行き」とか「ワンダーウーマン」とか、所謂人がワーってなって街がドカンってなってガーって闘ったりする大作系の作品ばかり観てなんだかやや頭をやられてる感があったので、

 

これ久しぶりに…「あー、うん、やっぱ私こういう映画のが好きだわ…」

 

と改めて思った作品でした。

“こういう映画”って漠然としすぎているけど、劇場で観た映画でいうと「マジカル・ガール」以来の、“あ、好き”感…間空きすぎでは

ってやっぱり、この年にもなると、自分の好みの映画かどうかって冒頭1分くらいで分かるようになるもので、この作品の冒頭は凄くいいっすよね

オープニングクレジットが流れた後一旦画面が真っ暗になり、真っ黒の画面のまま何かがガチャンと割れる音、主人公の叫び声、男の呻き声…そして明るくなった画面に映るのは、主人公たちを見つめているのであろう猫。

っていうのだけでも既に良いんすが、じっと見ていた猫が顔を背ける…ところまでが流れるのが完璧。

猫にそんな感情は無いのだろうけども、見ていられないような事態が起こっていることを観客に間接的に示している、まあ要は「主人公がレイプされる」ところから始まるわけです

 

 逆に私が一番苦手な冒頭というのは、台詞で自己紹介なんかをベラベラ喋るタイプ(まあトレインスポッティングはオールタイム・ベスト級で好きなので例外なんだけども。ちなみに言うと、「ELLE」では何故か二回ほどトレインスポッティングのOP曲が流れていたような気がする)で、

 つまり映画なら映画らしくちゃんと映像で主人公の環境なり人となりなんかを説明する努力せんかい!っつーことで、という意味でもこの作品は面白くて、というより、「ELLE」自体がむしろそれーー「主人公の人となりや環境にまつわる説明」がある種、一つの軸でもあるような気がするんですよね

 

大まかに言うと、

レイプされた後も、淡々と後片付けをし、日常生活に戻ろうとする主人公だけども、そんな彼女の「日常」に登場してくる人物たち

……ファストフード店でバイトをしており主人公に金銭面でも頼っているらしいやや駄目気味の息子、そんな息子の彼女(ビッチ気味・ヒステリー気味)、ちょっと仕事に困っているらしい小説家の元旦那、その元旦那の現恋人らしい若い女性(ヨガを教えている)、公私共に頼れる右腕であるアンナ、アンナの夫(かつ主人公の不倫相手)、主人公のことをあんまり良く思っていないらしくあんたはゲームを分かってないと口答えするようなクリエイターの男性社員1(ツンデレ系?)、主人公の信者らしい男性社員2(内気・オタクぽい)、宗教に傾倒しているらしい近所の奥さん、その夫(銀行勤め)、社長である主人公のおかげで?金を持っている母親(整形を繰り返している)、その母親の若い愛人

…という人たちが次々現れ会話の流れなどで、徐々に人物像が見えてくる第一部としてのパート

 

そしてここで、主人公が、社員を何人も抱える程度には成功しているゲーム会社を経営する社長ということと、父親が歴史に残る有名な大量殺人事件の犯人であるおかげで、当時娘として報道された主人公自体も未だに有名人であるということもわかってくるのだけど、

この人物説明パートは同時に、「あのレイプ犯は誰なのか?」という推測物語の役割も果たしてい…るかな? まあ、分かるよな。あいつだろ!胡散臭い!!ってすぐ思ったし…

(すぐ分かったから、主人公そいつを家にあげないでーー危ないから!!!って言いたくなったもん…)

 

ともあれ、しょっぱなからレイプシーンをかましてそれが主軸のサスペンス作品である割には、全体的にはブラックコメディ寄りっていうか、結構作風自体はカラッとした「笑える」映画でもあって、現実にあったら全然笑えない深刻な状況なんだけど撮り方と間の妙で、この人物説明パートだけでも妙に笑える作りになっている

例えば、息子と彼女の間に遂に子供が生まれた!っていうシーン、

生まれてきた赤ん坊が、息子も彼女も白人にも関わらず、どう見ても黒人の血が入っているのに唖然としている主人公と元旦那…の後ろに息子の友人(黒人)の満面の笑顔が映りこんでいるカットとか、

息子と彼女と主人公が新居候補物件の内見をしている場面、途中で彼女がヒステリーを起こして帰ってしまったので、息子が怒りを抑えきれず壁をドンドンと殴ったら不動産屋が、あっあっと慌てるところとか、

主人公が車で事故った後、アンナ⇒元旦那と電話をかけるが繋がらず最終的にヘルプを呼んだのが…え、何でそいつ!?何故!?ってチョイスってとこからの、普通に会話している二人という流れとか…

登場人物たちは至極真面目なんだけど、映像的には「笑える」ように撮っているところ(シリアスな笑いっていうのかね)が結構あって面白い

 

そして、順に登場してきた主人公周りの人間たちが中盤、一つの場所ーークリスマスパーティに集まり人物同士の化学反応、アンサンブルの妙が奏でられる第二部としてのパートを経て、ラストに向けてまー俗な言い方をすればこれら「だめんず」達との謎やわだかまりや引っかかりや、関係を主人公が順に清算していくのが第三部

 

で最初に「百合映画」といったのは、主人公はこの周囲の登場人物たちとの関係を順に清算していくわけだけども、アンナだけは清算されないんですよね。「あんたの夫の不倫相手は私よ」と伝えても。最後に主人公に寄り添うのはアンナなのですよ。

この、主人公とアンナの関係はかなり理想的な百合ですよねー

何があっても味方という信頼感と親密感がありながら、性愛関係にはならず、男を介しても女同士の絆は壊れない、仕事のパートナーとしても、私生活の支えとしても主人公に寄り添い続けるアンナの懐深そうな雰囲気もいい

 

って、ブラックコメディとしても百合映画としても最高なんですが、

肝心の、「レイプ」問題 

 

これについては外国でも賛否両論らしいみたいな記事を読んだけども、私も「主人公の気持ちが分かる」って言えればいいんだけども、うーんまだね…分かんないっすよね正直…

分かんなくても全然面白いのが凄いとは思うんだけども、

この場合の「気持ちが分かる」というのは単に「自分が共感できる」ということではないような気がしていて、より正確には、自分が共感するかはともかく、所謂「物語の登場人物」としての筋の通った「統合性(一貫性?)」みたいなのがあるか否か、という事なのではないかと

逆の言い方をすると、我々はフィクションの登場人物には「最終的には○○に向かう」ための一貫性みたいなものを求めてしまうわけで、この作品で言えば、だから主人公の行動は全て「レイプ犯許さん」の元、「レイプ犯を特定し、やっつける」に収束されれば理解できるわけだけども、実際に我々が観せられる映像はそうではないんですよね

レイプ犯というのが分かった後も自分から家に呼び入れたり、人気のないところに行ったり、何故わざわざ自らまたレイプされる機会を?というような行動や(かと言って誘い込んだ上で武器でやっつけるわけでもなし。最終的にああなったのだって、別に偶然なわけだし)、

遂には、「レイプはしたいが主人公が自分を受け入れてくれた上でヤるのは嫌だ」というこっちもよく分からない倒錯的願望があるらしいレイプ犯に付き合って、自ら嫌がるふりというか殴られてあげた上で性的関係を結ぶみたいなことになっている

 

これまあ、「主人公がどんな人間でどんな事をしようとも、レイプが許されたり、主人公の“落ち度”が非難されたりするべきでない」っていう、

被害者が性的に奔放のような人物だと何故か仕方ねえだろみたいな事になったり、お前が誘うような素振り見せたんじゃないかとか男側が擁護されるような現状を踏まえた社会批判ってことなのかもしんないけど

まあそれも入ってるんだろうけども、それだけかしらねえとも思うわけですよ

 

って色々考えを馳せた時にふと思ったのが、

 

つーか、主人公の父親が大量殺人犯って設定、

だからレイプされても警察に行くのが嫌っていうとこや、主人公が知らない沢山の人物が主人公のことを知っているという認知の不均衡ーーという物語設定の環境をレイプ犯と主人公の関係にも「スライド」させる効果、以外に何か物語的に意味あったの?

という事との関連で、

この設定、最後に、レイプ犯の妻が「実は自分の夫が何をしていたかを主人公との関係をも含めて全部知っていた」ということが分かる台詞によって、あーなるほどと少し繋がった気がしたのであった

 

主人公の父親は、近所の子供にも十字を切るほどの熱心なキリスト教徒で優しい人間だったのだけど、その子供らの親から(そこまでされるのは)「迷惑」と苦情が入ったゆえに、キレて近所の奴らを皆殺しにし、

レイプ犯の妻も同じくかなり敬虔なクリスチャンでありながら、自分の夫の罪は全然スルーできていたということのわけです

これって「ウィッチ」みたいな信仰の狂気自体を描きたかったというよりは、

神を深く信じていても人は殺せるし神に懺悔しても身近な悪行は見ぬふりができる、信仰と殺人への欲望、信仰と罪の看過…って一旦両立しそうにないようなものが同じ人間の中で両立し得る物語、という事なんじゃないかと思って、

 

レイプしたい(する)ほど主人公に執着しているけれど、主人公が受け入れてくれた上で性的関係を結ぶのは駄目

みたいな倒錯を持っているレイプ犯や、

絶対殺してやるって感じにレイプ犯の事を憎く思いそのための準備等も進めている一方で、レイプ犯と同一人物に性的欲望を抱き彼がレイプ犯と認知した後もその欲望を享受しようとする主人公

 

一見他人には理解できないが本人の中では(もしかしたら本人でさえも一貫性がわからなくても)両立してしまっている分裂的欲望

……があることそれ自体は、凄くよく分かるというか、主人公の気持ちは分からないけど、この分裂的欲望があることそのものにはめちゃくちゃ共感というか納得できるんですよね

 

自分の中にあるもので言えば、

羽生くんが好きなのでずっと見ていたいけど次の瞬間にはがっかりするかもしれなくて怖いから見たくないという気持ちも強いってのとかね(全然違う気がする)

可愛い男の子(女の子も)などがレイプされる話が好きでめちゃくちゃ興奮する自己の欲望と、強姦するほど強い愛という大義名分の元でその行為が許されたり、性的快感=愛というすり替えが行われて最終的にハッピーエンドになる物語はマジで死ぬほど嫌いな倫理的自己が両立しているのとかね(なので大きな声では言いたくないが、お前が受け入れるのは違うんだよなーって思ってるこの作品のレイプ犯の方の気持ちはちょっと分かってしまうんだよな…)

 

 

もしかしたら全然そういう話ではないのかもしれないけども、だからもしこの作品が、そんな、物語の登場人物らしからぬ(がおそらく誰にでもあるであろう)他人に理解できるような一貫性のない分裂的欲望を描く物語、だとしたら、これは凄い試みだなあと思うわけです。

だって、だから、他人(観客)には簡単に理解されないわけだしね。