センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた24歳。吾妻ひでお、山田花子、真造圭伍、九井諒子などが好きです。ボーイズラブの話多し。

【複数回観ると】HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION【脳を焼かれる】

 

遂に…遂に始まってしまいましたね、2017年最後の“祭り”が……

何がって、「高&低 最後の作戦」(TAKAHIRO風)に決まってるだろ!!!!!!!

 

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eiga.com

 

…って始まる前から、今後1ヶ月はハイローの話をし続ける気まんまんだったのだけども、率直なところを言うと、1回目鑑賞時は正直若干の肩透かし感があった。

いや確かに面白かったしかなり笑えたんだけど、これは純粋な意味での面白さではなく、

 

前作であんなに死ぬピンチ感を出していた広斗が予想の1000倍全く大したことなく何らノーダメージでピンピンしていた事の面白さ、あまりに全然大したこと無かったのが面白すぎて驚きすぎて冒頭20分くらい全く話入ってこなかった、とか、

よりにもよって、観客が悲しみで涙涙するであろうあのタイミングで出てくる「爆破セレモニー」という字面の反則さとか(もう爆破セレモニーって文字が出てくるだけで誰が死んでても何やっても面白いから駄目。反則過ぎる。っていうか爆破セレモニーって単なる宣伝文句的なあれかと思ってたら、劇中でマジで言ってたしマジで爆破セレモニーをやっていたのがもうヤバい。頭おかしい)、

シリーズを追っていた我々も初耳だった九龍グループそれぞれの各担当(金庫番とか掃除屋とか)が、まるで既知の情報であるかのように出てくる紹介映像とかも、あ…そうだったんですかwww!?って感じで面白いし、

西郷に何故か「お前らのSWORD」とか言われてたけど、よく考えてみれば別に昔も今もSWORDの人間ではない、よそ者のはずの雨宮兄弟が、当然のような顔をしてSWORDの中心にボスみたいな態度で立っている(そして何故か皆当たり前のようにそれを受け入れてる。何でお前らが仕切るのとか流石に言い出しそうな日向すら普通に受け入れてる)、っていうかボスというよりどっちかというとレディースの番長みたいな感じで腕組んで立ってる広斗という画の面白さもかなりヤバいし、

 

一番限界だったのは、結構皆首を捻っていた、おそらくSWORDの各トップ+ヤマトノボルが、コブラを助けに行く様子であろう謎の近カメラ縦揺れ映像ですよ。

正確には、その縦揺れ映像後のシーンで、何かここで皆がコブラを助けに!!みたいに感動を煽るようでいて、実際に助けに現れたのがそこには映っていない全然別の人達だったとこですよ。実際に助けに来たのは全然違う某で、その後、さっきコブラ救出に奔走していた奴等がどうなったかは映らないので分かんないんすよ。

え…ならさっきのシーンは一体…!?!? 何だったんだ!?!?

とほんとに腹筋が限界だった、ストーリーラインがちぐはぐじゃないですか琥珀さん!!!!

ってこれ、言ってみれば若干ディスってる方の「面白さ」であって、

 

全体としては、

あれ? ハイローザム2はあんなにあんなに大傑作だったのに、また何かハイローの悪いとこ出ちゃってるよ? と思ったわけですよ。

 

ハイローの悪いとこつまり、

ドラマパートが完全に無茶苦茶(まあいつものことだが)で、

いやそれはおかしいだろうというツッコミどころが1000個ぐらいあり(まあいつものことだが)、

観客の場面が盛り上がりそうなところでいちいち無駄に回想を挟むことでテンションをくじく(まあいつものことだが)、

挙句、今回は最終章ゆえそれがSWORD+α全員分あるので、つまりポエム&回想パートが同じ場面で少なくとも同じように5回繰り返されるので、長えよ!!って感じであり、

ドラマ部分が完全に所謂「アダルトビデオにおける、セックスに至るまでのドラマパート並みの茶番とクオリティとくだらなさ」全開の繋ぎみたいになってる(いつものことだが)(まあアクションまでの繋ぎだからいいのか別に)挙句、ここに来て、これまでのUSBを巡る戦いは何だったんだ…みたいな(一応ドラマで捨てっぱなしになっていた設定が回収された状だが、あまりにも伏線感が無かったので突飛な後出しの印象が強い)情報が次々出されるのでそっちの情報処理の方に時間がかかるので乗り切れず、

ってか尊龍兄ちゃんはそれで死んでんだぞ雨宮兄弟よくその辺放置してた警察と仲間になれるよなー

 

いやそれはでも、ザム2のみがやや改善されていただけで、いつものハイローなんですよ。

いつものハイローなんだけど、それが今回ザム3に至っては何故皆引っ掛かるのかというと、勿論ザム2の出来が良かったからというのもあるだろうけども、「けどハイローが好き」と言えるような、そんな数多のマイナス面を上回るプラス要素が弱い

 

ーーってこれ、正確には「アクションが少ない」からじゃなくて、別にアクションは少なくないと思うんだけど、単純に「萌え」と「軸となるラブストーリー」が少なかったらーー少ないように見えるからなんじゃないかと。

 

萌えっていうのは、瞬間的な萌え、例えば一つには、「魅力的な敵キャラ(ジェシーとか源治とか)」とかですよね。ザム3は、基本アクションでやっつけるのはモブばっかなので、魅力的な敵キャラという萌え要素が少ない。

あと、そうした魅力的なキャラ同士の化学反応ーーザム1におけるスモーキーと広斗の共闘とか、みたいな掛け合わせの物語が生む萌えも割と少なくて、メイン軸で進行するストーリー(九龍潰すためのミッション)を消化していく方に人物の動きとシーンが費やされてしまうので、それぞれの人間が話が進むための単純な駒っぽくなってしまっている節がややある。

で、広義のラブストーリー、ハイローザム1では、琥珀さん・九十九さん・亡きタツヤさんという三者関係のラブストーリーが、レッレでは雨宮三兄弟のラブストーリーが繰り広げられていたわけで、たとえ、「表面上」で流れる物語自体が荒唐無稽でも、我々はそうした「根底」の物語を読み取る事によって感銘出来たわけですけども、私なんか完全にそういう楽しみ方をしていたわけですけども、ハイロー界のフェーズが既に(俺-お前の関係が世界の崩壊に繋がる)「セカイ系」を脱出してしまったというのもあり、というより、「セカイ系からの離脱」こそをテーマにしているというのもあり、そうした「軸」となる関係性やドラマみたいなのが少し読み取りにくい。

 

※ハイローがセカイ系であるという話と、三者関係のラブストーリーがうますぎるという話は過去記事参照ください

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

barakofujiyoshi.hatenablog.com

 

 

…って思ってたんだけども、確かに思ってたんだけど、物凄い不思議な現象で、ハイローザム3を2回観たら、めちゃくちゃ面白いんですよ。

普通、2回目の方がアラに気付いちゃったりするじゃないですか。そうじゃないんですよ。2回目の方が、1回目に、んんん???って思ってたとことか、いやこの演出はダセえと思ったとことかほぼ全て消えて素直に、

え!!!!面白いよ!!!!面白い!!!!かっこいい!!!!最高!!!

って……何故……これがハイローに脳を焼かれるということなのか……

 

思うに、多分1回目は、公害だ隠蔽だなんだウィルスだなんだと次々出てくる情報(と設定ガバガバゆえに人物が「つまり隠蔽を…」とか真面目に喋ってるのが余計バカバカしく見える面白さを我慢するの)に脳の処理が追いついてなかっただけだと思うんすよね。それを追う方に頭を取られて、ハイローの良いとこを楽しむ容量が少なくなっていただけなのだ。

ハイローは悪くない。脳の処理速度が遅い俺が悪い。

初回は、流石に次々場面変わりすぎでは?と思っていたラストスパートまでの流れも、次々場面が変わる中で皆がそれぞれ目的に向かって色々なものをなぎ倒していくという盛り上がりっつーか、うわーーかっこいいーーーテンション上がるーーーと評価が一変したし、もうあんなんさ、琥珀+ルードのあわせ技からの、パルクールを駆使するルードによる追い詰めからの、雨宮兄弟VS源治、そして割と悲惨な爆破、そこに巻き込まれる人々にとっては凄惨な爆破と楽しそうに外部から眺める役人とマスコミ、みたいな対比映像、そして祭り好きならではの達磨のもうこれ以上無い達磨らしさっぷりも含め、最後に至るまでの息つく間もない怒涛の流れ、完璧でしょあんなん。完璧でしょ。

むしろあの辺は、後半が冗長でダレたザム2より良い。

序盤の、廃ビルでの琥珀&九十九&雨宮兄弟が各階で戦っている場面、雅貴が蹴りで敵を下階にガンッと落とした後、それぞれの位置関係がわかるようにカメラが縦にぐわああっと移動するところなんか、めちゃくちゃかっこいいし…!!!

 

更に、最後の作戦(?)が完了した後の、コブラちゃんの台詞とそこに被せられる映像なんかもうこれ以上ないくらい、シリーズの集大成として完璧ですよね。

最後、九龍に対して、コブラは、

「大人の喧嘩は生きるか死ぬかなんだろ、俺達は今ここで生きてる」という勝利宣言をするんだけれど、その台詞にかぶせて琥珀&雨宮&エリが映る。

つまりここで映るのって、琥珀・エリ・雨宮兄弟 っていう、これまでのシリーズに於いて「大切な人を亡くし」、けどそれでも「今、生きている」側の人たちなんですよ。

じゃあ死んだ人たちは負けなのかっていうと、負けっていうと酷ではあるんだけども、「負けた」人達への強い想いがあるからこそ、彼らには、亡き大切な人の意志を継ぐという決心があり、生きねばならない理由があり…だから強く生きていける、「今ここで生きてる」のだ。

これを、雨宮兄弟の「兄貴、見ててくれ」「俺達は強く生きる」という、そのもう少し前のシーンで出てきた台詞と併せると、というより、その台詞と想いを踏まえた上でのこのシーンなわけで、だからもう感涙ですよこんなん!!!!!

って色々言ったけどこういう感動って言葉じゃねえんだよ、言葉じゃ伝わらないんだ!!! 言葉では無い、もっと拡がりを持ったドラマがさあ!!!

 

まあだから、琥珀さんと九十九さんが最後別行動だったのって、(外からは「雨宮」って一緒くたにされ←そして二人とも振り向く 自分たちも「俺達」って一緒が前提みたいな)いつでもニコイチの雨宮兄弟との対比・違い、という面(別チームを任せるという形での信頼関係)もあるんだろうけど、それ以上に、ラストのこの構造を生み出すためだと思って、こういうところがねーハイローは上手いんだよねー。上手いんだよねー!!!!!

 

 

いや勿論、映画全体のストーリー自体は何回観ようが荒唐無稽ですよ。

あんだけ「大人の喧嘩見せてやる」とかメンチ切ってた割には、当初山王に対してやっていることが別に相変わらず「下っ端による襲撃」という、ん…?だったらそれまでの喧嘩と同じでは…??感全開なのもよく分からんし、

そもそも情報も何もあいつら結構いつでもどこにでも現れるんだから、ノボルが本来のキャラを取り戻そうと?知性派ぶって「重要なのは情報だ…」とか言ってるのなんか無駄に正面顔アップになる演出のダサさも相まって噴飯モノだし、

2であれだけ重要ワードぽく出てきた「SWORD協定」なるものが、3では一度たりとして出てこないという繋がりのなさ…っていうかさーホワイトラスカルズはいつまで「女を守る…」とか言ってるんだよもう女とかいねーじゃんな関係ないじゃんな、前回コブラに助けて貰ったんだからその借りを返すでいいじゃんって感じだし、いいじゃんっていうか2を踏まえての流れでいけばむしろそっちであるべきだし、あんだけSWORD協定とか言ってたんだから、家族を失ったルードはともかく、またそれ以外の各チームがわざわざ各々の闘う理由を改めて述べるのは冗長だし、その闘う理由ってか言ってる事も女だ祭りだなんだと結局ドラマ時代とそんなに変わらんのも、シリーズの集大成としてどうなん?これまでの話や積み上げてきた絆は何だったんだ?感あるし、

後出しのように、ザム1で無名街がよく燃えたことについて、「実はあれは証拠を隠蔽するためにダウトを使って…」て話が出てきたけど、今回また爆破セレモニーしないといけないなら特に何も隠蔽できてねえのでは?って感じだし、

レッレで「強く生きろ」とか演説していた尊龍が真っ先に自ら死にに行くみたいなアレを今回もまたもや繰り返し、「諦めるな」とか言ってるスモーキーが一番諦めてる感あるという矛盾、

第一、公害の被害者という証拠になり得るから消されたはずのスモーキーの死体が、そのまま放置されてるのもおかしいし(焼いて灰にするなりコンクリ詰めで海に投げるなり文字通り「消す」までが任務のはずで、家村会は仕事が雑ってそういうとこやでマジで…)、

証拠となり得る唯一の資料をまだ警察は見てすらない状態で、今からこの人(一般人)が証言します!!これが証拠です!!○○は実は××だった!!!って、けしかけ、逮捕劇をマスコミで繰り広げるとか有り得ないっていうか、うーんこの国の司法制度は一体どうなっているんだろう…日本じゃないのかな…あの時点では咳ゴホゴホしてるだけの子供の言葉が証拠として力を持つ(ただの演技派子役かもしんなくない?)のもちょっと謎だし、

爆破セレモニーのために仕掛けられた爆発物?受信機?の近くに、警備とか誰もいないのもあるわけないし、

その一方で、一応建前上は、ヤクザとの繋がりを隠しているという設定にも関わらず、セレモニー会場付近には九龍の奴らが堂々とうようよしているのも意味不明だし、

 

いや、そういうところをいちいち突っ込んでったらマジでキリ無いですよ。っていうか、おかしくないところの方が少ないですよ。

でもさーそういうことじゃないじゃないですか、そういうことじゃないんですよハイローは…そんなのはどうでもいいんだよ!!!! 

っていうか、そういうのを気にするタイプは、はなからハイローに向いてないんだよ!!! ツッコミどころに100個言及するよりハッとする超かっけー瞬間を1000個語れ!!!

 

 

 無茶苦茶というかちぐはぐなストーリーラインの中に、きらりと光る、ハッとするような滅茶苦茶カッコいい映像や、グッと来る瞬間が挟まれる…そして、「描かれない」物語こそを読む楽しみ…何も考えていないようでいて実は結構巧みに考えられているのではないかという構造を見つけ出す面白さ…

これこそがハイロー…!!!!

 

対源治戦で、チェーンで強化して?再度源治に向かう時に、刀をよけた余波でぶわっと風が吹くようにして前髪があがった時の雅貴の、びっくりするような奇跡的なかっこよさとか、 雨宮兄弟が立ち上がって向かっていく時にSINが流れるタイミング!!!!! 超かっけーーーーー!!!!!、

スモーキーの意図を理解し、「スモーキー…」と震えるような声を出す…それでもスモーキーの意志を汲んでその場を後にするまでの佐野玲於くんの演技とか、幾つかハッとするような瞬間はあるんだけども、

何故かこれ誰も指摘していないのが不思議な、グッと来る瞬間、そして「ハイロー」シリーズに於いて実は結構大きな変化なんじゃないかというところがあって、最終決戦に乗り込む際のララの決意するような表情、これが凄くいい。凄くいいのだ。

初めから喧嘩強いセイラは別枠として、ハイローってそれまで基本、「待つ女」「守られる女」「見守る女」しか出てこなかったというか、そこが一部のフェミ的にはうーん?ポイントでもあったと思うんだけども、今回初めて、一人の仲間として、役割を持って最終決戦に臨む一員として、ララが乗り込んでいく場面があったじゃないですか。

私はそこがめちゃくちゃグッときたし、これはハイローシリーズに於ける変化というか進化じゃないかと思うんだけども…

 

で、変化ということでいけば、そもそもハイローシリーズ自体の一貫したテーマというのが、「変化」なわけですよね。

ハイローっていうと一見、マイルドヤンキー向け映画のようではあるけど、実際のとこはマイルドヤンキー的な精神とは真逆なんですよ。真逆、というか、マイルドヤンキー的なものからの卒業こそを描いているというべきか。

「変われない人間は死ぬ」というのをずっと徹底して描いてる。

 

今回のハイローザム3では、そうした“変化”の一つとして、現在公開中の「マイティ・ソー ラグナロク」にも通じるような、「大切な人と出会った場というのはあくまでも単なる場所に過ぎないのであって、いつまでもその場所に固執しなくてもいい、肝心なのは“人”の方である」というメッセージを伝えている。

それは、テッツの実家の銭湯のエピソードであったり、ルードボーイズが「無名街」の外に出ていく事を通じて描かれているんだけど、仲間達へ街の外へ出る事を説いたスモーキー自体は、今回で命を落としてしまうわけです。(窪田正孝のスケジュール)

 

ハイローザム3は、ドラマで捨てっぱなしになっていた設定が実は伏線でしたみたいな、これまでのファンへの目配せみたいなところあるんだけど、そうした目配せ要素のうち、かなり心を打たれたところは、このスモーキーの死の後の雨宮兄弟のやり取り。

無名街の廃工場?みたいなところに作られたスモーキーの墓を見て、雅貴が、

「ほんとにこんなところでいいのかよ、もうすぐ爆破されんだぞ」と言うと、広斗は、

「きっとここがいいんだ、ここがあいつにとっては天国みたいなもんなんだ」

というような事を返す。

「ここがあいつにとっては天国」なんて、それだけ切り取るとごく当たり前のような台詞ではあるけれど、これは完全に、「HiGH&LOW THE MOVIE」と「HiGH&LOW THE RED RAIN」を踏まえた上でのもので、だからずっとシリーズを追っていた人にとっては、雨宮兄弟的にも、広スモ的にも、物凄く胸に来るとこなんですよ。

「HiGH&LOW THE MOVIE」と「HiGH&LOW THE RED RAIN」があってこそ、この台詞は真に生きるのである。

 

「HiGH&LOW THE MOVIE」では、広斗とスモーキーの共闘シーンがあったり、協力関係的なものを築いていたわけだけど、そうした利害以外に、広斗とスモーキーにはある種の共通項のようなものがあって、つまり、2人とも、血の繋がった家族は既におらず、そんな中で、血の繋がらない家族関係に救われ、血の繋がらない家族の存在によって生きる意味を持ててきた人間じゃないですか。

だから、ここで、ほかでもない広斗が、ほかでもない「雅貴に対して」あの台詞を口にする事の意味というのは、(広義の)家族と生きてきた場所こそがスモーキーの天国なのだと理解しているーー何故分かるかというと、自分もそうだから、と雅貴に間接的に表明するようなものであって、だからこそ、そこに感慨が生まれるんである。

 

更に、スモーキーのそうした精神性を実は根本で強く理解してるのは広斗であるって構造も、ハイローザム1に立ち戻る感じでその感動もあるんだけども、広斗とスモーキーのもう一つの共通項として、「内向的」というのがあるじゃないですか。暗い、ということではなくて、内に閉じている、という意味で。

中の人は守るが余所者に厳しい?ルード自体の特徴でもあるけども、スモーキーは、内部には慕う家族は沢山いるけど、外部に対する閉鎖性が強いわけですよ。袂を分かった二階堂にも「お前には分からないだろう」って言うじゃないですか。つまり、「お前には分からないだろうな」でいい人なんですよ。広斗も広斗で、家族以外の人間に対してはまるで心開いていないとこがあった。

そういうある種の閉鎖性というか孤独みたいなのを、お互いに閉じた2人同士が、お互いに閉じているが故に共有している、互いに唯一の、外部にいる理解者となり得た存在同士、というような関係性も良くて、

「分からない人には分からなくていい」というようなスモーキーの閉鎖性を、同じような精神性をしている広斗は、でも・だから「分かる」というこの構造、関係性…この二人の、仲間ではないからこそのシンパシー的な絆がある事が伝わるという意味でも、凄くグッとくる台詞である。

 

けれど、その上で。

その上で。

 

まーこれ何回も言っているが、私はハイローを、雅貴の視線で広斗の成長譚として見続けているので(←?) これ以降は雨宮の腐女子の戯言として聞いて欲しいんだけど、

 

広斗には「HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION」に於いておそらく一つ変化、成長があって、ザム2では、「お前の一番信頼できる人って…」とか、自分以外に雅貴の信頼にあたる人物がいた事に散々ぶつくさふてくされてた節ありましたけど、今回ちゃんと琥珀さんの言うこととか素直にきいて、SWORDとかと協力してたじゃないですか。なんかドラマでは、「よくもまあ群れやがって…」とか言ってた広斗が、ちゃんと群れてるんすよ。(いや素直に話きいてくれないと尺が無いだけだろうけど)

 

まあそれは、私が雅貴の視線で広斗の成長譚として見続けているからそう思うだけだろうけど、それはそれとして、しかし確かに、こうした「外部に自らを開く」という「変化」ーー成長の形は、ザム3でもう一つのテーマとしてあると思っていて、その辺が明確に現れているのが、コブラですよね。

コブラって、ムゲン時代と山王時代で何か結構キャラ変しとるんだけど、ザム3というここにきて、琥珀さんが助けに来てくれた瞬間、「後輩」のコブラの顔に戻るんですよ。ここもなーーーめちゃくちゃいいんだよなーーーーこれはかなり岩ちゃんさんの名演だよなーーー

琥珀さん亡き後(死んでない)、俺たちが、俺がこの街を守るのだとずっとずっと気を張っていたのが、ザム2では一応SWORDの協力を求めようとはするけども、最終的には結局一人で突っ走ってしまったコブラが、ここに来て遂に、どうすればいいんですか琥珀さん、と弱音を吐き琥珀さんの力や知恵を借りようとする。

これは決して退化ではなくて、それこそが「成長」であり、かつもう一つの「変化」の形として、ハイローザム3で描きたかった事だと捉えていいと思うんだよね。

自分の或いは自分たちの中だけで世界を完結させるのではなくて、世界は自分たちだけのものでもなければ、自分たちだけの力で何とかなるものでもなくて、だからこそ、「大人になる」というのは、他者が存在するということを受け入れたり、他者へ自分を開いたり、時には他者を頼る事であるーーだからこそここで、自分の無力を認め、琥珀さんを「頼った」のは、それだけコブラが大人になったからなんじゃないか、と。

 

 他者へ開くことは、ネバーランドの終焉という痛みを伴う成長である、「HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION」って、そういう話じゃないですか。

 

だから繰り返しになるけれど、ハイローって、マイルドヤンキー的なものからの卒業こそが描かれているわけで、その意味で、少年の成長譚として非常に真摯でよく出来た構造を持っているんだけども、如何せん、演じている中の人たちが大体アラサーなので、少年というには流石に無理があり過ぎて、おめえら十分大人だよ!!!!感が強いのも、面白ポイントになってしまう節はある。

 岩ちゃん演じるコブラが、「こんな俺らでも、いつかは大人にならないといけない時が…」とか言ってたのとかもうおもしろすぎるもんな、まだ子供のつもりだったんだ!!!

 

 

【鑑賞日:2017年11月11日&12日】