センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。https://twilog.org/Barako_Fu

「アイは無視してくださいね、春」

 

Continues ~with Wings~2日めを生で見た今のお気持ち①

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Continues ~with Wings~2日めを生で見た今のお気持ち②

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アイなんて無視できねえよ、春

 

 ――――食べログで一人称が“小生”のおっさん並に、本題に入るまでのどうでもいい前置きと自分語りがクソ長い代物である事をご留意下さい――――

 

 

俺は一体あと何回羽生結弦を見くびれば学習するのか。

 

十数年にわたり中二病をこじらせている結果、300人のキャパも埋まらないインディーズバンドとか生まれた田舎町の本屋じゃぜんぜん売っていない漫画なんかが好きだったクソサブカルブス時代が長すぎて、どうにも、

「推しが政府公認」「推しが社会現象」

であることの意味を、それがどういう事態を呼ぶかを理解できていなかった節のある私が、四月に入ってから幾度も口にした台詞である。

 

 日本橋高島屋で開催されている羽生結弦展、初日に数千人も並んだらしい事を知ったとき。

キャンバスアートなんかあるのか~値段安いなー、どんな感じなのかちょっと仕事の参考としても見に行こーみたいなクソぬるい気持ちを抱いていたら、初日で即完売入荷無し状態になった事を知ったとき。

 

そう、次元がちげえんだよ。てめえの小さい物差しで物事を考えるな。

 

って、何度も学習していたはずなのに、私は4月14日の朝、過去最大音量で同じ台詞を叫ぶ羽目になった。

スマホのアラームが鳴ったので半分寝ぼけて止めてロック解除したら、この画面が目に入ってしまったからである。

 

 

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かわいい。

 

そうじゃない。

問題はそこではない。

問題は、私が、この度のCiに万全の状態で臨むために、13日の夕方からTwitterのTLやリストを追うのを断っていたことにある。これはネット中毒の自分にはなかなか辛い所業であったが、しかしTwitterを見ることを自らに禁じたのである。

一切のネタバレを断って、真っさらな気持ちで鑑賞するために。

 

というのは、この素晴らしき“ユヅルオンアイス”のモブとして、羽生くんを見るたびに、「時間だけは不可逆」であることの意味をひしひしと実感していたからだ。

つまり、知らなかったことを知ることはできるが、知ってしまったあとで知らなかった状態には決して、決して戻れない。

既に知ってしまったあとになってしまっては、もし○○を知らなかった場合、自分がどう思うか、どのくらい心を動かされたのか、どういう感情を持ったのか、というIFだけは、絶対に分かりようも戻りようもないのだ。

たとえば、羽生が金メダルを獲るという事を、どういう演技をするかを、知った後になってからまたその演技の細かいところを振り返り着目する楽しみは何度も何度も繰り返すことができるが、まだ、これから羽生がどういう演技をするか、結果どうなるかを、“知らない”状態でそれを見る気持ちだけは、最初の一回しかなく不可逆なのだ。

 

であるならば。選択として。

“知らない”という状態にだけは戻れない以上、“知らない”という状態を自分で作っていくのがよかろう。

 

だが現実は残酷であった。

以下二コマ漫画。

 

 

 

 

俺は一体あと何回羽生結弦を見くびれば学習するのか。

 もはや、この世界に生きている限り羽生情報を遮断するのは不可能なのか。スマホ捨てて一人で独房にでも篭っていないと無理なのか。

 

いや羽生が佐野稔と立ってるだけの画像じゃんって思うかもしれないけどさ、だってどんな服着るのかなってだけでも楽しみだったし、だってこの衣装的に稔滑るじゃんってのも分かっちゃったし、氷上って見出しについてるって事は多少なりとも滑るのかもって…別にニュースを責めているわけでは全然ない。羽生を見くびっていた私が悪い。

彼は社会現象なのだ。

 

 

ということで、若干の後悔を引きずりながら向かったCiであったが、公演を見終わった帰り道、今度はとても嬉しい気持ちでまた同じ台詞を噛み締めることとなったのである。

 

正直なところを言えば、このチケットをとるとき、羽生は最初と最後にチラッと出て喋るだけでも仕方ないかなとか思っていたのだ。

それでも少しでも姿が見られるだけで、何円だって払う意味があると思っていた。忙しいだろうし、治療やリハビリも大変だろうし、出し惜しみしたっていい、むしろ出し惜しみすべきほどの価値のある人だし。

しかし。

どうやら私はまた、羽生を見くびっていたようだ。

自身が自身の最高の演出家であり脚本家である圧倒的なスターたる羽生選手を、何よりも本人がスケオタである羽生くんのスケート愛を、そして羽生プロデューサーとしての力量を。

会場に行けない事情のあるファンへの配慮としてのテレビ放送に加え、全国映画館でのライビュ実施、グッズの通販決定、というような神対応というだけでなく、五輪二連覇の凱旋公演として、イベントとしても、これ以上ないくらいの神イベント。

 

そして まさかこんなに羽生くんが何度も舞台に出てくれるとは。出し惜しみなく、喋る、喋る、喋る、しかもその内容も、五輪のフリーのコレオシークエンスで笑っていた理由とか、ファンにとっても、そうなんだ!という知りたかったものばかり。スケーターとの対談、羽生の技解説や、羽生自身による五輪演技解説、などコーナーも盛り沢山。しかも出演スケーターの出る前には、羽生による「このスケーターと自分のつながり」説明動画も準備されている。(しかし、プルの動画で、「スケート人生を左右した存在」みたいなかっこいいテロップにセクボン映像をかぶせているの、別に羽生くんが作ったわけではないだろうけどもそれでも羽生くんのセンスが滲み出ている感じでマジでよかった)

で何より。

すべらないショーではなかった…!のだ…!!

怪我をして万全でない中で、過去プロを3つも続けて、そして3日間とも違う内容を準備するなんて、どんだけ大変なのか……けど彼は、皆の前で滑る決断を……

 

 

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しかも、ただ羽生くんが、準備に心を砕き自らを出し惜しみしないばかりでなく、ファンが(つうか私が)卒倒しそうな神発言も幾度も飛び出て、私はなんかもう、いっそ俺を殺してくれよ…という心境にまで至るほどであった。

 

たとえば、羽生によるセルフ解説、私は、前も書いたとおり自分のことを自分でかっこいいという羽生が何よりも好きだし、公演前も、

 

とか抜かしていたのだが、五輪の映像こそ大人の事情で流せなかったものの、実際、

 

(SEIMEIの映像みて)羽生「かっこいー」  そういうとこやぞ! Take.1

 

「4Sと4T、4S+3Tを決めた時にはノーミスきたなこれって思って」 そういうとこやぞ!! Take.2

 

「(コレオシークエンスについて)ウィニングランだなこれは」 そういうとこやぞ!!!Take.3

(あそこで笑ってたの、私はリアルタイムで観ていたときめちゃくちゃグッと来たのだが、「皆みてーー!!」って気持ちだったらしいですね。そんなかわいい理由だったのか…)

 

(4Tをミスった後指をぐっと掴んだのは、コンボつけられる回数数えてた+得点高いジャンプ何か判断した) ってのを受けて司会の人が「どんな頭してるんですか?」って聞いたときの答え

「スーパーコンピュータとか入ってるんでしょうね」 そういうとこやぞ!!!!Take.4

 

 

もう何から何まで羽生節全開すぎるありがとうありがとうそしてありがとう。生きていてくれてありがとう。

 

 

 更に更に、オタクの妄想としか思えないあれやこれ

南に向かって軽く一礼して身体を戻したと思ったら、またバッ!と振り返ってニコッっと笑う羽生  ぎゃああああああ Take.1

 

フィナーレからはけるときに両手で投げキッスする羽生  ぎゃあああああああああ Take.2

 

羽生「僕を愛してくれてありがとう」  ぎゃあああああああああああああああああ!! Take.3

 

 羽生「調教されてますね」   私「いっそ殺してくれ…」Take.4  

 

 いや嘘。全然死にたくない。これまで生きていた自分ありがとう。

 

 と、よく分からないがこの世の生きとし生けるものすべてに圧倒的感謝をせざるを得ないショーだったわけだけれども、一方で、なるほど羽生くんらしいなと思ったのは、イベントの構成や見せ方自体は、五輪二連覇の凱旋公演にも関わらず、圧倒的感謝、とか無駄に感動を煽ったり押し付けたりするつくりではなく、どちらかというと、一人のスケートファン、フィギュアスケート選手である羽生としての面が出ていた事だった。

五輪を振り返るくだりでも、「SEIMEIのジャッジ前のクロスロールは、どうやって能や狂言的な要素を表現しようかと考えたときに、肩のラインと骨盤が平行なまま動く振りがいいのではないかと」とか、おそらくスケオタも、へえそうなんだ、と思う内容であったし、

そして、他スケーターの出演前の解説動画でも、「何故このスケーターをオファーしたか」という事に関して、無良くんと自分のジャンプの違いと、それゆえの影響であったり、ジョニーのパンケーキスピンについての説明だったり、結構細かく理由、というか自らに繋がる理屈を言ってくれている。

 

でも、だから、そういう作りだったことこそがむしろ、とてもエモかった。これはマジで何から目線なんだ?という感じの感覚ではあるが、

自分がこれまで好きで憧れていた世界のトップスケーターを自分のためのショーに呼ぶ事ができて、見せ方を考える事ができて、羽生くんは本当に、ひとりのスケオタ冥利に、スケーター冥利に尽きるだろうなあと思ったのだ。漫画が好きな人だったら、自分が好きな漫画家ばかりで雑誌を作ることを、映画が好きな人だったら、自分が好きな俳優と監督とスタッフで映画を作ることを、一度は夢見ると思うけれど、そんなことが出来る人は、とってもとっても限られている。羽生くんは今はそれが出来る。それは彼自身が並々ならぬ努力と才能で世界のトップに立ったから。何から目線なのかよくわからないが、けれども私はそのことが何より一番嬉しかったし、そのことを考えると本当に胸がいっぱいになるし、その観点から捉えれば実はやはり、非常にエモーショナルな作りではあるのだ。

 

 

オープニング前、SEIMEIの音楽が終わり、いよいよ登場か!?と思いきや始まる「4歳のときスケートを始め…」みたいなまさかの羽生人生ダイジェスト動画。はじめは、

 

(結婚式か…!?)

 

とか思い、

 

満を持して始まったオープニングで、すっと前に出たプル様がステージの羽生に向かって腕を広げるのを見て、

 

(結婚式だ…)

 

という確信を得たのだが、まあそれは半分冗談としても、そんなオープニングから始まり、一部の最後を飾るのはプルシェンコ

プルシェンコについての解説動画のくだりで羽生は、彼が信じて待っていてくれた事が嬉しかったと語る。怪我をした羽生について、『羽生選手は他の選手と滑りがまったく違う。これは決して、褒めているわけではなく、事実なのだ』と述べるプルの映像が流れる。

そして、プルシェンコの伝説的プロ、ニジンスキーが始まるのだ。

 

ああ、伝説は伝説に繋がったのだ。と。

私はこの素晴らしい構成にいたく感銘した。

プルシェンコに憧れた一人の少年が、世界のトップに立ち、憧れの存在だった人にあんな言葉をかけてもらえるまでになり、今はこうして自身のショーに来てもらうまでに、そんな(実際はぜんぶ見てもいない)ドラマチックな人生が走馬灯のようにさあっと心に押し寄せてくるような。

 

本人が、「プルシェンコニジンスキーを生で見て、つい自分の人生を振り返って号泣した」のもさもありなんである。

 

佐野稔氏の出演だって、発表されたのが4月1日だったのもあって、「エイプリルフール?」とか半分皆笑っていたけれど、しかし、佐野稔が仙台でスケート教室を開き、そこに羽生選手のお姉さんが通った事で、羽生選手もスケートを始めた…という経緯を鑑みれば、ああ、全ては、つながっていたんだという感動が胸に広がる。 

まさに、羽生自身がこのショーの名前とテーマとした、「コンティニュー」の物語であり、我々はここにきて、「継承」という言葉に立ち返るのだ。

 

 何という練られた構成だろう。

 

 

 私はこれまで、実際アイスショーで見た事があるくせに、それでもやはり、

羽生結弦って本当に実在しているんだろうか。孤独なオタクによる悪い夢なのではないか。

という疑念を抱いていたが、終わってみればそれはそれで、やはりさっきのはあまりに素晴らしすぎて孤独なオタクの夢だったような気がする。本当に羽生くんって実在しているんだろうか!?!? 既にとっくに世界はハニュウ惑星によって侵略されていて、これは人類が見ている最後の集団幻想とかじゃない!?!?(以下無限ループ)

それは、羽生の口から「調教されてますね」というオタクの妄想のような台詞が発せられた事とか調教されてますねという夢のような台詞が発せられた事とか調k……

……単にスケートが世界一巧いだけでなく(“単に”とは?)、ビジュアルも可愛く、テレビの仕事でも十分活躍できるトーク力もあって、トークでも、無良くんが多少うーんと回答に詰まれば、更に質問を重ねたり助け舟を出すMC力すらあり、本人に圧倒的な華があるにも関わらず裏方としてのプロデューサー的気質と力量をも持ち合わせている。

ここで、羽生先生が、自身の羽生物語の最高の演出家兼脚本家であるばかりでなく、他人気物語を集めて編んで効果的な魅せ方をするアンソロジーも作れちゃう編集(P)的能力もあるらしい事が分かってしまった意味はでかいんじゃないか。ファンにとっては一種の光明であるしスポンサーだって黙っちゃいないだろう。

 

いや、逆にさ。

逆に聞くけどさ。

何なら出来ないの? 何なら苦手??

 

 

この、「持ち合わせている」という事に関して、羽生くんはこれまでも、また今回も無良くんに「技術と芸術両方を持ち合わせている」とか言われていたけれど、

(しかしここで「低いところでね」とか返す羽生くん、確実に「ワタシハスケートチョットデキル」芸人としてのプルの血を受け継いでいますよね…)

今回改めて、ああ、なるほどなと一つ気付いたのは、羽生くんは、理屈も感情も人より“高いレベルで”両立している人間なんだなということだった。

技術論とエモさの同居。

 

 「アンナチュラル」でも、感情的に理屈を見つけ出す…みたいな台詞があったけれど、ところで私は前々から、論理的に考えられる事の方が「上」で価値あるものであり、感情的である事は「下」で唾棄すべきものみたいな捉え方って、なんだかなあと思っていたのだ。

その二つがまるで二項対立的であるかのような一般論も。

そうかなあ。そんなに感情ってくだらなくて唾棄すべきものかなあ。

もちろん、感情だけでは何もならないのだが、悔しいとか勝ちたいとか強い感情がなければ、それを何とかするための理論や方法を模索しようと思えないんじゃないか。強い感情があるからこそ見つけられた理屈はあるんじゃないか。

 

私は今回の、スケート技術の話をふんだんにしながらも、しかし感極まる構成である「Continues ~with Wings~」を見て、そして、最後に「皆の目が僕にとっては星みたいに輝いて」とか、すべての羽生記者に負けず劣らずのポエマーぷりを振りまく羽生くんを見て、ああやはり。二項対立なんかじゃないのだと思った。

世界を構成する論理が見えてしまい言葉として思考できる論理的な人間でありながら、理詰めであることを愛しながら、同時に強い感情と感受性を持つことは、両立し得るのだと。そういう人はいるのだと。

たぶんそれゆえに、辛い事は沢山あるのだろう。上手くいかない時も幾度もあるのだろう。余計に傷付く事があるんだろう。

だけれどもそれこそが、彼の強みであるような気もするのだ。そういう羽生くん自身の人間性が、構成や言動から、はっと、伝わってくるショーであった事もとってもよかった。

 

と共に、ってかポエマーとしても俺は羽生に圧倒的に負けてる…!と涙を呑みながら歯ぎしりをする羽目になった。(そこは競うとこなのか?)

精進しねえとなあ。何をだ。