センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。https://twilog.org/Barako_Fu

ヒプマイコミカライズを多少擁護したい話。

 

自分自身は、特にヒプマイについて愛が強いわけはないので間違っている知識等あるかもしれませんがすみません

 

特に、ヒプマイクラスタってわけでもないのに、わざわざ少年マガジンエッジを買って、目下大炎上中のヒプマイコミカライズを読んだ。発売日に。

 

なんでかっていうと、Twitterで「解釈違い」トレンド1位になるほど燃えまくっていたのに、「解釈違い」を検索にかけてみても、様々なクラスタによる「俺のジャンルではこんな解釈違い事件が」大喜利ばかりで、肝心のヒプマイコミカライズに一体何が起こってしまったのか、一向に詳細を掴めなかったかである

時間ほどの検索の末、諦めてKindle問題少年マガジンエッジを読むことにした。読む方がはええなと思ったので。

 

だが結局、当のコミカライズを読んでみても、よく分からなかった。

初読時の感想は、(傑作ではないにせよ、そんなに怒るほどか…?)だったのだ。

漫画としてダサいのは分かるが、「解釈違い」の部分は分からなかった。

 

もちろんそれは自分に、解釈という程の解釈がなかったという部分が大きいのだろう。

 

むろん、おそらく、この辺が原因だろうなというのは把握できる。

ドラマCDでは兄の愛を争う強度のブラコン二人であるはずの山田二郎山田三郎が、コミカライズでは兄の山田一郎を「あんクズ」呼ばわりでめっちゃ嫌ってるらしい点。

弱者いじめは柄じゃねえ」と歌っていたはずの山田一郎が、施設長に暴言を吐いたり、生活の為とはいえ、困窮する女子供から金を巻き上げる弱者いじめまりみたいな点。

逆に、「母が親父殺して 自殺かまして」「道外れた日常が通常 生きぬくためにはしない躊躇」って歌詞があったはずの左馬刻の生活が、なんていうか特にまったく壮絶そうには見えない点。

 

…てな具合に、読者がこれまで築き上げていったキャラ愛とキャラ解釈を散々悪い意味で裏切っておきながら、物語の根幹に関わりそうな部分の黒幕(というべきか?)は飴村乱数っていう。

うん分かる。見るからに一番黒幕っぽいもん。そこは普通に普通でいっちゃうだっていう。

1話めから黒幕黒幕として登場させるというそ漫画としてどうなん構造の「黒幕」が飴村乱数っていう、しかも、普段可愛いキャラが裏では口調が豹変みたいな、うん。わかる。そういうの1000回見た。って何故かこっちは悪い意味で「期待通り」過ぎる安易展開。

ただこういうキャラ設定は、多少擁護できなくもないんじゃないかと思う。

コミカライズは、あくまドラマCDの2年前の話なのだ

人間関係は変わる。むしろコミカライズの肝と意義は、変わっていった部分を描くことだろう。

しろ、この時点から如何にして長男次男三男が現在のような絆を結ぶに至ったか(まあ施設長が悪者でしたーなら超肩透かしだけどさ確かに)というドラマがあるのだと考えればそれはそれで楽しみだし、一郎のキャラ設定にしたって、(問題の縦)ピザをドアノブにかける前に「ピンポーン」とチャイムを鳴らす描写がある。だからほんとは、ピザだけで茶を濁す予定ではなくて、顔を見て何かを言うつもりか、様子を見るつもりだったのだ。

と考えれば一応、罪の意識というか、「子どもの前で親が暴言吐いてんじゃねえよ」というのも、さっき自分が金巻き上げた人に対しての説教というよりは、おそらく、自分自身経験(現在はいないらしい親?)とトレースした、やりきれない気持ちみたいな発露だったのだろうと読み取れる。

こういうやりきれない気持ちみたいのがずっとあって、それじゃあダメだって、今の稼業に至る過程があるのだと考えれば、この一郎の造型はあくまでこの時点のものであって、そう叩くほどのものでもないんじゃないかと思う。

左馬刻だって一見普通に生活しているように見えるだけで、裏に抱えているものは、たぶんこれから…出てくるのかもしれないし…たぶん…まだ1話だし…。

 

もちろん、そういう個々のキャラへの愛によって生まれキャラ設定の解釈違い問題についてはさておいても、単純に漫画としてクソっていう意見もあるだろう。

 

それは分かる。

 

ぶっちゃけ、ヒプマイっていう、2018年オタク界圧巻コンテンツコミカライズだったから、こんなに大注目(大炎上)されているだけで、この漫画が単に、皆に事前知識が全くない状態で世に出されたのだとすれば、皆2秒後には忘れるレベルと思う。皆っていうのが主語が大きすぎれば、すくなくとも私は2秒後には忘れる。

敵?らしい女性キャラデザも名前もダッサイし、黒幕黒幕ぷり?もダサいし、第3次世界大戦人口が激減って設定の割には、登場人物生活水準や生活背景が、特に現代日本と変わりないように見える雑ぶり。

でもそういう雑ザル設定も、別に、まあ多少はいいんじゃないかと思う。

だって、これは誰も何も事前知識がない状態で世に出された漫画じゃないからだ。「AKIRA」じゃないのだ。

人気コンテンツコミカライズの肝は、そこじゃない。皆べつに「AKIRA」を読みたくて少年マガジンエッジ必死で買ったわけじゃない。

皆が見たいのは、TDDが、いかにして絆を結びいかなるエピソード関係性があり、いかにして解散に至ってしまったのか、っていう関係性のドラマの方であって、そこさえクリアしていれば、そこがクリアされている事が最重要事項であって、背景となる設定の矛盾や雑さや理解不能な点に関しては、勝手解像度を下げてくれるはずだ、多少は。

(このコミカライズでされているかはともかく)

更に言ってしまえば、そもそも世界観がトンチキだったのは(女性権力を握った世界で(の割にはジェンダーバランス特に現代日本の水準と変わりないように見える)、武器の代わりに、人の精神作用するヒプノシスマイクで争いを云々)、ドラマCDからそうだったじゃないですかって感じなのであって、そもそもヒプマイってそういうトンチキ世界をトンチキなものとして皆受容していたんじゃなかったんですかって話で、今更そんな緻密なサイエンスフィクションを求めるのは酷ってもんである

これに関しては、そもそも日本(あるいは日本らしきもの)を舞台ラップドラマにするって、難しいんじゃないか問題についても喋っておきたい。

リリックドラマの中で効果的に爆発する為には、抑圧を描いてこそ、という面がある。

ラップを題材にした映画の傑作、「8Mile」にせよ、「ストレイト・アウタ・コンプトン」(これは、ヒプマイのTDDモデルにしているのであろうN.W.Aの伝記映画なので是非ヒプマイクラスタの皆様観てください)にせよ、主人公たちには抑圧がある。暴力貧困にまみれた世界。不当な人種差別主人公たちは理不尽暴力に晒され、何糞っていう思いがあり、そんな何クソという生活に耐えて耐えてでもその想いがリリックとして爆発するところに、ドラマが生まれ、観客の感動が生まれる。

 

ただこれを、現代日本でやろうとしても無理がある。

リアリティがないのだ。

むろん、今の日本の状況から言えば、貧困や不当な差別リアリティはあれど、それをリリックにのせて発露することにリアリティがない。何も持たない誰かが、ただ言葉の力だけでスターダムにのし上がろうって展開にもリアリティがない。

え? なに笑??

って笑われるのがオチである

この、笑われるのがオチっていうのを逆手にとったのが「サイタマラッパー」でこれはこれで傑作なのだが、サイタマラッパー路線ではラップを「かっこいいもの」として描けない。

 

というあたりでヒプマイは、日本らしき何か別の場所、っていう「TOKYO TRIBE路線をとったのだろうけど、(路線っていうかまさに、ハイロー+TOKYO TRIBEなんだと思うけど)このコンセプト自体はめっちゃ面白い。実際それで成功した。

ただ、ヒプマイが一つ悪手だったのは、この、日本らしき何か別の場所というプチSFにおける「抑圧」の相手を、「女性」にしてしまったとこだろう。

もちろん、これを、前誰かが書いていたように、よしながふみの男女逆転大奥の如く、本当に、現代女性が晒されている抑圧的ななにか(寂雷先生医学部入試で不当に点数引かれるとか、男性の大きな手では細かな縫合に向いていないか外科医になれない、これは差別ではなく身体構造による区別なのだとか言われるとかね!)を男女逆転にした「女尊男卑SF」として描けば、ある種ジェンダーSFの傑作となり得たのかもしれないのだけど、

消費する女性に、単に女性が出てこないホモ世界にきゃっきゃさせるためのご都合雑設定に過ぎないので、受け取る方にしてみればただただ自分らの悪口を言われているだけ感がある。

擁護出来ない点あるとすればここで、私が一つ懸念としてあるのは、コミカライズの劇中で出てきた女卑思想が、ほんとうにただの女卑思想で終わってしまうのではないか問題である

コミカライズでは、ある女性クーデター(?)によって政権を手にするのだが、その様子を見たモブ男性たちは激怒し、そのへんにいた一般女性たちに向かって、

「ざっけんなよ!なにが女主体だ!」「女なんてのは男の道具なんだよ!」という暴言を吐く。

私は、初読時には、このシーン自体はこのシーンとしてありだとは思った。

現状のところは、こうした女卑思想がはびこる中で、如何にして女性が力を手にしていったのか、という物語が始まるのだとすれば。

だがしかし、私はかなり肝心なところを忘れていた。

これはあくまで、男性たちが主役の物語であり、このシーンの2年後には、ドラマCD時間軸となるという点である

まり女性が、彼らの何クソという抑圧対象であるところの。

だとすれば、この物語於いてあくま正義は彼ら側にある以上、如何にして女性たちが女卑思想を克服していくかというドラマは期待できないのであって、とすれば、このシーンはほんとにただの女卑以上の意味を持たなくなってしま可能性が…けっこう……っていうかこの物語に於いて本当に女性が敵ってことなのかもわかんないし、最終的にはどこに向かっているのか…

ただ、さっきも言ったがこういう雑&ザル設定&トンチキ世界観は、ドラマCDからそうだったのでもうそのへんはしょうがないのである。皆そこは目をつむってきたのだ。

からコミカライズ悲劇があるとすれば、

いわば良い意味での“質の良い同人誌”を普通にやれば及第点だったのに、「侍女の物語」のようなディストピアSFを組み立てる能力が無いにも関わらずなんだか妙にシリアスSFっぽいなにかをやろうとしてしまった点と、それによって“質の良い同人誌”をも達成できなくなった中途半端っぷりにあるんじゃないかと思う。

トンチキはトンチキとして、よく分からないがなんかこんなような世界があって…って世界観は濁して、もう4人がラップをやったり会話の応酬をしている時点から始めちゃえばよかったのに、4人の関係性や活躍ぷりをドカンと見せ、わーーTDD時代こんな感じだったんだーーーってわくわくさせたところで、次話以降で、各キャラの背景の掘り下げや結成時の物語を徐々に振り返って肉付けしていけばよかったのに、それでたぶん十分及第点だったはずなのに。

わかんないけど。


そういえば、アンソロジー提案されているブログがあったけれど、私は、

 

シンジュク=ナツメカズキ

イケブクロ=文乃ゆき

シブヤ=おげれつたなか

ヨコハマ=丸木戸マキ

 

でここはひとつ