センチメンタルの涅槃

読書、漫画、映画感想用。中二病と喪女をこじらせた25歳。ボーイズラブの話多し。https://twilog.org/Barako_Fu

春と阿修羅【序】

 

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 私はとても無口なたちだから、会社の人に「でも羽生くん応援してると楽しいだろうなと思う、勝って欲しい時に勝ってくれるから」というような事を言われた時も、「はあそうですね」としか答えなかったけども、ほんとうのことを言えば、半分はそうだけれど半分はそうでない。

でも、すべからく世の面倒なオタクがきっとそうであるように、そうじゃないということを説明すると3時間くらいかかるから、だから私は普段すこぶる無口だ。

“そう”だというのは、羽生くんの凄さは、勝ったらカッコいいタイミングでマジで勝ってくるところにあってそれはその通りであり、そこが稀有な点であり、つまり“そうでない”のは、「応援してると楽しい」の部分。

 

こういう言い方をすると、語弊や誤解があるかもしれないし怒る人もいるかもしれないけど、羽生くんを応援するというのは、わたしにとって楽しい気持ちからはとても程遠い数々の感情を抱くものであって、
つまらないのではない。怖いのだ。

 

もちろん、試合じゃないときは楽しい。
かわいい&かわいい&かわいいの極みである羽生くんにいちいち動揺しベッドから転げ落ちるのも、世界的な有名人でありレジェンドなのに、若者らしいお茶目さとチャーミングさでオタク共との心理距離感が近いかのように錯覚させてくれるのも、ツイッター大喜利できゃっきゃするのも楽しい。

 

しかし、彼は一つ一つの試合に命を懸けて臨むアスリートである。

 当然、そこには勝ち負けがあるし、そもそも、良いパフォーマンスが見れるのかすら始まらなければ分からない。
フィギュアスケートは至極繊細なスポーツだし、トップ選手はいつも成功するかはわからないめちゃくちゃ難しい事をやっている以上、氷の状態、靴の調子、体調、メンタル、滑走時の空気、色んな条件や状態が合致した時に、はじめて最高のパフォーマンスが得られるのだろう。

 

最高の瞬間は、いまここでやってくるのかもしれないし、やってこないのかもしれない。
だから私は、いまここのこの瞬間だけに訪れるなにかを、見なければいけないし、見たくない。
だから別に、楽しいから見てるのではない。
自分の人生だから見てるのだ。大袈裟ではない。そうなのだ。

 

自分の人生とは?

 

いささか突き放した言い方をすれば、本来、羽生くんが1位だろうが2位だろうがそんなことは私の人生に1ミリたりとも関係ないのであって、羽生くんが負けたら、たとえば何かしらの株価が下がって結果自分が失業とかなるわけでもなし、羽生くんが優勝したところで冴えない自分の人生が好転するわけもなく、ただただ後にはいつも通りの凡庸で退屈な私の日常が続くだけである。

にもかかわらず、もしこの後、羽生くんが上手くいかなければ自分の人生が地に落ちる気がするし、上手くいけば、絶好調な人生を歩める気がする。というか「気がする」ではなく、実際そうなる。


当然そんなものは錯覚である。
錯覚であるが、一方で自分の中ではたしかに、事実なのである。


だから、試合前は、自分の大学受験前でもこんなに逃げ出したくはなかったというくらいに逃げ出したくなる。

お前が信じなくてどうするとか、羽生結弦を見くびるなとか、試合が終わるたび、毎回反省しているはずなのに。

 

世界選手権の男子ショートは、チケットが当たって現地で見ることになったのだけれど、当たった時はあれだけ、あれだけ「この数ヶ月スキップしてはやく3月になれ」と願っていたはずなのに、前日の気持ちは、「このまま永遠に明日が来なければいいのに」だった。

 

それでも、ある種、現地で見れてよかったのは、自分でも思ってもみなかったほど、「もう羽生しか見えない」状態だったのが分かったことだ。

正直、ワールドが始まる直前までは、怪我からの復活を果たさんとする絶対王者羽生、全米で凄まじい点数を叩き出した前回チャンピオンネイサン、シルバーコレクターの名を四大陸で見事返上し、頂点を狙う宣言をした宇野、といった“役者は揃った”感に、「熱い戦いや…!」「楽しみ…」というようなある種、俯瞰的にこの戦いを見届けたい気持ちもあったのだが、

もう、4Sが抜けてしまったあと、そんなことまじで全然まじでどうでもよくて、何がなんでも羽生くんに勝って欲しいという気持ちでこれほど占められるとは。

もちろん、テレビで見てても同じようなことは思うのだけど、テレビは、映像が切り替わるから今映ってるものを強制的に見るしかない。でも、現場は違う。何を見るか決めるのは自分だ。いや決められない。羽生しか見えないのだ。

これが"推す"ということか、と体全体で実感させられたようだった。

 

SP終了後のキスクラ、上から見たせいもあるかもしれないけれど、ずっと俯き気味の落ち込みが天井の席まで伝わってくるようで、オーサーが羽生くんの膝の方に少し向きを変えたプーが、大丈夫だよって慰めているようで、
ああそうだよね。完全なる演技で、復活の姿を見せたかったよね。と帰路から翌日までずっと泣きたくなる気分でいた。

22日もずっとずーんとした気分でいて、23日も17時になる直前まで、なにか願掛けのように、吉祥寺のラウンドワンでプーさんぬいぐるみをゲットチャレンジする不審なアラサーと化し、私がそんな意味不明で無意味な時間を過ごしている頃、

羽生くんは、一分たりとも一秒たりとも一瞬たりとも無駄にすることなく、今持てる自分の執念と努力と思考と技術と想像の全てを、勝利への道筋へと捧げていた。

 

決戦のとき。 

氷の上でも降りてからも、何度も何度も何度も成功への調整をし続け、でも直前の6練では抜けてしまい不安が残ったかもしれない4Loを、4Loを、

見事に見事に決め、そして、このプログラムのハイライトでもある4T+3Aを、怪我前よりも進化した出来、加点がつくようなかたちで降りてからは、もう涙で前が見えなかった。

正直に言えば、羽生くんの演技の中で、今までで一番泣いた。

 

 私は、普段の姿とはうって変わった射抜くような力強い視線に、彼がジャンプを次々着氷する姿に、押し潰される事なく背負ってきたものの重さが見えた気がした。

 

羽生結弦ならできるでしょという羽生結弦であるために、どれだけ血の滲むようような努力をしてきたのか。執念を捨てずにきたのか。
そしてそれはーー達成すればするほど、応えれば応えるほど、途方もなく巨大になってきたのだ。不可能かとも思われていた状況で五輪を二連覇してしまった事で、その期待と信頼は一層一層大きくなった。なってしまった。

もしかしたら五輪よりも、勝つよねって空気があって、それを裏切らない自分でいるために、どれほどの執念を捧げてきたのか。
なんという大きなものを背負い、なんという長いあいだ、溢れ落とさずにその細い細い背に抱え立ち上がってきたのだろう。

私はそのことに、号泣が止まらなかった。

 

しかしこの世界選手権は、そこで終わらない。

たったの数分前に羽生くんが更新した世界最高得点、フリー200点、総合300点の壁を大きく上回る得点で、ネイサンが勝利を収める。

歴史に残る凄まじい展開である。

 

 

ああ遂にこの時が、というような思いはしかし、自分がこれまでに恐れていたような気持ちとはまったく違ったものだった。

 

 

これは何度もこのブログでしている話だけども、毎回毎回の試合で感じるそれとはほかに、私にとって、羽生くんを追いかけるという行為は、思えばいつもいつも恐怖と共にあって、ある意味、恐怖こそが本質だった。

 

推しは推せる時に推せなんていう言葉があって、SMAPや嵐でさえ終わりを迎えてしまう昨今、私たちはきっとこの輝きが永遠のものではないと知っているからこそ、スターを見つめる事をやめられないのだとも思う。

その中にあって特に、フィギュアスケーターが選手としてのピークでいられる期間というのは、相当短い。

数年、いや一年、それより短い場合だってある。もしかしたら人によっては、万全の状態で万全の渾身の完璧な演技ができたのは、現役期間を通して一回だった、という可能性だって決してなくはない。

 

ソチ五輪以降、たとえば不調とかミスとかのせいで負けることはあっても、羽生くんが完璧に滑りさえすれば、他の選手がそれを上回るということはなかった。

いや、2015年に羽生くんが330点を叩き出していた頃、1回くらい転んだところで、それでもなお、もはや勝ちは間違いなかった。2位の選手とでさえ、何十点も違うのだ。

羽生結弦がそんな頂点にいた頃、私は、怖かった。こんな高みに到達したあと、羽生くんは一体、誰と戦うんだろうか。何と戦うんだろうか。もはや、過去の自分を超える事でしか、世間は、羽生自身は、許してくれないんじゃないだろうか。でも、こんな高い過去の自分という壁は、ずっとずっと超え続けられるものではない。その時、世間は、羽生は、私は、何を思うのか。思ってしまうのか。

 

そしていつかは。
哀しみに耐えられるだろうか。哀しみよりももっと怖いのは、落胆してしまわないだろうか。ということだった。
期待の大きさと落胆の大きさはもしかしたら表裏一体なのかもしれなくて私は私が好きだったものに落胆してしまう日が、怖かった。もしそんな日が来たら、そんな自分自身を許したくないと思った。やがて来たる遠くない未来、がっかりだとかそんな事は絶対に思うべきではないのに一方で確かにどこかでそう思うのかもしれない自分を突きつけられることが、怖かった。

「思うべきではない」という思考を越えて「思ってしまう」感情の存在に自分が気づく事で自分の器の小ささを突きつけられるのはいつも怖い。

 

とはいえ羽生結弦、そんなふうに、春に咲く桜のように、少年と青年の狭間の時期だけに生まれるぞっとするような儚く短い美しさ属性の美少年(だから一瞬一瞬を見逃さずにはいられない)と見せかけて、意外と、競技者としてのピークも妖精さんのような美しさかわいさのピークもわりと長すぎてよくわからないところはある。今がピークなのかすらよくわからない。

羽生くんの戦いの物語は、終わらなかった。

私の凡庸な恐怖とは裏腹に、いつもいつも、新しい感動と勝利を、見せ続けてくれた。

 

何だかんだ言って、未だに毎年世界記録を何かしらで更新しているし、前回のさいたまワールド(2014)で男子シングルベスト10かつ今回のさいたまワールド(2019)でベスト10にいるのは、羽生くんだけである。ベスト10っていうか、1位と2位だし。    

 

 

2014ワールド

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2019ワールド

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だから もうこの先、何が起こったって、羽生くんが歴史上でも屈指の規格外のレジェンドスケーターであることは間違いない。私たちはだから、安心して見たっていいのだけれど。

だけれども、きっと羽生結弦物語を私たち以上に楽しみにしているのだろうスケートの神様は、この物語が平坦で凡庸である事を許してくれない。

 

 

もしかしたら、羽生結弦という圧倒的な存在が急速に進めてしまったのかもしれないフィギュアスケートの歴史の針は、今。羽生が完璧に滑っても、もしかしたら勝てない可能性があるという状況を、私たちは見た。

でも、そんなXデイの到来は、数年間の恐怖とは裏腹に、予想外に、清々しい気分だったのだった。自分でも驚くほどに。

 

それはもちろん、羽生くんのフリーの渾身の演技に、こんな素晴らしいものが、こんな強い羽生結弦の姿が見られたなら、もう実際の順位がどうなろうと胸がいっぱいだというのもあるし、決して羽生くんが駄目になったのではなく、羽生くんは今なお強く、その上で後進が更に強いという形、後に滑ったネイサンが、ぐうの音も出ないほどの強さを見せたのもあるし、羽生くんが、しようと思えば色々な言い訳も出来るだろうに、素直に、「かっこいいなー」「自分が負け、地力の差」と認めるかっこよさを見せてくれたというのもあるだろう。

 

でも私は結構、何故か、素直に、「よかったね」と思えた。無論とても悔しい。負けてよかったねという事ではない。もちろんやっぱり勝って欲しかった。悔しいけれど、羽生くんに、自分以外に闘うべき相手が、また心の炎を燃やせるものが出来たのだなという事が。

新たなる目標。新たなる挑戦。新たなる好敵手。
自分自身とか、過去の自分以外に、心を燃やせる相手が、宇宙大戦争の相手が出来てよかったね…!というような。

 

少年期の憧れの為だけにあった4Aはここにきて勝つための手段となり、4ルッツも4フリップも頑張りますという、ふわふわした口調とは裏腹の心強い言葉に、また涙した。

パトリック・チャンに挑み打ち勝ったソチまでの数年間と、もはや羽生を隔てるものは誰もいなかった絶対王者としてのソチから平昌までの数年間を経て、そしてまたここから、今再びの挑戦者としての歩みが始まる。

ここにきて羽生くんは、闘いに焦がれるスケーターとしての起源に立ち戻る。そんな、再挑戦者としての道のりを見届けるのも悪くない。いやむしろ。

 

羽生の今季フリープログラム「Origin」は、少年期の憧れの帰結としての「Origin・完」ではなかった。

ここからまた第n章が始まるスタートとしての「Origin・序」だということが判明する、この…今季見ていたこの全てが、NEW羽生への「Origin(起源)」であったのだという回収の仕方…

これ、なかなかタイトルやOPが流れないな、と思ったら、ストーリーが終わった最後の最後になってようやく、冒頭のドゥンドゥンという首振りと胎動音と共に、
「Origin」バンっ、てタイトルロゴが初めて表示されて終わるタイプの映画だよーー!! 今までのこの全てがある意味、アバンでもあったのだという事にハッとさせられるタイプの…

激アツがすぎるだろ!!! 

 

 

 

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 ああしかし。やはり。 

羽生くんを応援するのは、楽しい。

自分の乏しい想像力では決して決して考えられもしなかったものを、見せてくれるから。自分が普通に暮らしている中では、決して味わうことのなかった初めての感情が、生まれるのが分かるから。

 

 

 

23日のフリーと、その後の特番をテレビで見て、大興奮のまま手紙を書いて、Twitterやったり風呂入ったりTwitterやったり化粧したりしていたら、一睡もする間もなく朝の4時になった。

なんでそんな時間に家を出なきゃならないかというと、朝6時から整理券を配布すると耳にしたスモールメダルセレモニーに、せっかくだから行こうと思ったからだ。

 

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結局のとこは、行列はたまアリをほぼ一周する勢いでぐるりと形成されており、コミケのシャッターサークルでもこんな動くの遅くねえよという牛歩ぶり、

抽選まで3時間半かかった上、9時半頃には列もなくなってきたらしいので、朝6時に着くくらいだったら9時に着いてもほとんど同じというあれだったし、(まあでもこれは蓋を開けなければ分からない博打だからね…)

 

(このくらいの位置)

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選ばせるのではなく係員の方が前からさっさと手渡ししたりした方が早いっしょとか、3時間半並びようやく整理券をとったあとでまた、これ全員が全員開場一時間前から並ぶ必要なくない?ブロックごとに時間分ければ?とか、まあ色々…色々あるんだけど、まあそんな事は、羽生のかわいい&かわいい&かわいい&かわいい御姿に全部吹き飛んだのでオッケーです!!!!! オールオッケーです!!!

 

 

●結弦かわいいBOTと化す私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、寒い寒い思いをしても現地で並んでよかったなと思えたのは、羽生くんの人気というか、羽生結弦という存在について、実感できたことだった。

私は、スケオタでよくある「となりの人と盛り上がって」みたいなのがいっっっっつさいない、誰からも一切話し掛けられないという謎の病にかかっているので(なぜ?)、待機列で、私の前と後ろの人が私の頭の上で話し続けるみたいな感じとかだったのだが、まあそれでも、あちこちから、黒い子がー!!とか、興奮してきゃっきゃと話す女の人の声が聞こえてくる。

 

ああ、すごい。たぶん普段は、ごく普通に働いたり、家族がいたり、普通の人生を送っているのであろうこんなに沢山の人が、羽生くんを見るために早朝からこんなに大変な思いと時間を割いている、割こうと思ったのか、というのが実感できた。それがよかった。(そりゃチケット取れんわけだよ)
私と同じように或いはそれ以上に、たった一人の、あのうら若いほっそりとした青年の存在が、もう一つの人生である人間が、彼の一挙一動が人生の大きな大きな一ページになる人間が、こんなにもこんなにも沢山いる。
改めて物凄い事だと思った。

 

だけれどもそんなことはどうだっていいのだ。

 

羽生くんを応援するのは、私にとっては、沢山のジレンマがある。

未だに、どう応援するのが正しいのか、分からない。そんなのほんとのファンじゃないって言われても、誰かの好きな気持ちを他人がジャッジするなと言いたい一方で、そうなのかもしれないなあとどこかで反論しきれない自分がいる。

見たいけど見たくない。
勝てるでしょって期待したいし期待してるけど、その期待が重圧としてどんどんのしかかってるかもしれない、だから、簡単に期待してると言えない。でも期待してると言わないのも酷いファンのような気もする。
もうこんな苦しい思いで、無理をおして、勝たなくたっていいって言ってあげたいけど、勝つことを何より望んでる彼に勝たなくたっていいなんて言えない。
絶対勝ってと思ってるし思ってない。

 

でもそんなこともどうだっていい。

ジレンマの無限循環はいまだに止まらないけれど、ただ一言、この先どうあれ彼が幸せでありさえすればいい。それは本当にそう願っている。

 

SPではとても哀しい気分になったのとはうって変わり、フリーの演技を終えたあとのキスクラで、堂々と立ち上がって四方に手を振る姿が、立ち上がることができたことが、この世界選手権を通して何より何より嬉しかった。ほんとうによかったと心から思った。

どうか勝利と一番が大好きな羽生結弦の為に、為だけに、これからもまた、勝利と一番を取ってあげて欲しいと願う。

 

 


歴史に残る闘いから一夜明けた3月24日、羽生結弦は、余計なもの一切を削ぎ斬るかのような鬼神ぷりから一転、愛らしく繊細でたおやかな春の妖精となった。

私は諸々あり(※諸々=試合のチケット申し込んだら満足してエキシの存在がすっかり頭から抜けており、当落日にみんなが、エキシ当たったとか言ってるのを見て、初めて、エキシ…? とか言ってたらフォロワーの方に余ってますよと譲って貰った という見事なポンコツぶりを晒した ありがとうございました…)現地で見たのだけれども、

 


いや羽生結弦…すごいよ……(1日ぶり1000回目)

 

 

 

スケーティングがレベル違いに綺麗だとか、滑りに、漕ぐ時の上下運動みたいな「雑味」がないから美しさが桁違いとか、そうでもあるんだけど、そんな次元ではなかった。
なんというか、一人だけ、「フィギュアスケート」ではなかった。もはや、"奉納"だった。

 

神々への奉納? 天女の舞?天空へのいざない?

 

私はあれを何と表現していいのか、広辞苑を五万回読み込んでも的確な言葉を見つけられない。百聞は一見にしかずと言えればいいのだけども、正直、あのこの世のものではない"竜宮城"感は、映像では10分の1も伝わってないと思う。
あの場に居た人だけがいざなわれた竜宮城。あるいは逆竜宮城。
ほうっとひとつ、溜め息をついたと思ったらもう演技が終わってしまっていたようにも、とてもとても長い時をこの世ではないどこかに誘われていた後、現世に戻ったら数分しか経っていなかったようにも、思う。

 

去年のアイスショーで無邪気に春の天女様なんて言っていた頃、まさかこんな形でまた、困難と苦闘の季節を乗り越えこの日本の地で春を咲かせることになろうとは、思ってもいなかった。
永い冬の終わり、雪解け。さいたまワールドエキシビションでの「春よ、来い」は、世界が待ち望んだ春の夢であると同時に、始動の季節としての春でもあったのだろう。
羽生くんの口づけという祝福を受け、氷に桜が咲く。

 

季節の色が変わり、新たな時計の針が動き始めた気がした。